寄生の結び糸
僕の隣でスヤスヤ眠る、銀髪の猫又少女。
それはもう驚いて、即座に布団から跳ね起きた。
異性と寝床を共にするのは、初めてだった。真島柿厨荏は恋人だったが、誠に残念ながら、そういうことはしていない。キスすらしていない。清い関係だった。
素早く辺りを見回す。昨夜の記憶はないけれど、布団や着衣に乱れはなく、取り立てて異臭もしない。ただ一緒に寝ていただけだろうと、わずかな間に僕は推理した。
出来るだけ距離を取ろうとしたにもかかわらず、猫又の方角に右手が引っ張られる感覚がしたため、やむなく移動を中断する。握り拳に異物。右の掌から、青緑色に光る糸のようなものが伸びていた。辿ってみる。糸は猫又の首に繋がっていた。引きちぎろうとしても、猫又の体がずるずると、布団から引き摺り出されるだけ。
少し考えて、机の上に手を伸ばし、ギリギリでハサミを掴み取る。切ろうとしたら、刃はスカッと糸を通り抜けた。もちろん切れていない。
「何がどうなっている」
困惑する。なぜ生きているのか、なぜ自宅に帰ることが出来たのか。
なぜ猫又が横で寝ていたのか。なぜ繋がっているのか。この糸っぽいものはなんだ。
「ふぁーあ」
猫又が目を覚ました。「おい……」と声を掛けるが、寝起きが弱いのか、ぼーっとして反応しない。体をつつけば何かしらリアクションしてくれるかもしれないと思ったけれど、親しくもない異性の体に自分から触りに行く勇気はなかった。よって、とりあえず待ってみる。
猫又が、ボソボソと呟いた。「トイレどこ……」と言っている。漏らされては堪らない。彼女の首から伸びる糸を引っ張って、「こっちだ」と連れていく。
用を済ませたのち、布団を隅に片付け、代わりに折り畳み式のちゃぶ台を展開した。猫又と対面して座る。常備している多種多様なシリアル食品を並べて、「どれがいい?」と尋ねてみる。しばらく悩んだのち、猫又はドライフルーツ入りのものを選んだ。牛乳に漬けてやる。
「なんて呼べばいい」
いきなり自己紹介を求めた。我ながら、ほぼ初対面の女の子に対してぶっきらぼう過ぎると感じる。怖がられても仕方ない。しかし、猫又は特に気負う様子もなく、
「マクラはマクラだぞ」
と、食べながら簡単に答える。偽名を使ったようには見えない。名前はマクラか。略してナマクラ、という失礼な言葉遊びを思いついたが、口には出さなかった。僕は基本的に、会話に冗談を挟むタイプではない。
「そうか。僕は当瀬日文という。苗字でも名前でも、どちらで呼んでくれても構わない」
「じゃあ日文って呼ぶ」
「マクラ。昨日は腕と右足がぶっちぎれていたけれど、もう生え揃ったようで良かった。異常はないか?」
一先ず、体の心配から入ってみる。妖怪は、人の命を取り込めばお手軽に回復出来るのは知っている。一応の確認だ。
「少しも痛くないぞ」
「なら良かった。あれは、祓い屋にでもやられたのか?」
「違う。帽子にやられた」「帽子?」
「帽子の……えーと……つぐみ? いや、付喪神! 付喪神にやられた」
手足をちぎられたにもかかわらず、嬉しそうに申告する。付喪神という単語を思い出せた喜びが、過去の痛み苦しみを上回ったらしい。極めて単純な性格だと分析される。
ちなみに、つぐみはスズメ目ヒタキ科の小鳥だ。
マクラは口にスプーンを運ぶ。ドライフルーツを積極的に食べている。好きなのだろうか。シリアルの袋を差し出してやれば、ドライフルーツが多く入るよう、慎重に継ぎ足し始めた。
幸せそうにドライフルーツを噛んでいる。邪魔しちゃ悪いか。彼女が食べ終わるのを待ってから、時計を見る。あと十五分で出なければ、学校に遅刻してしまう恐れがある。
待ち過ぎたか。悠長にしている暇はない。本題に入る。
「なんで僕は生きている? 命を失いかけていたお前に、肉と魂を与えたはずなのに」
マクラは、コテンと首を傾げる。
「さあ?」「さあって」
「そもそもそれって死ぬものなのか?」
「妖怪に魂と肉を喰われた人間は消滅する。肉のみ喰われた人間は地縛霊となって怨念を撒き散らす。魂のみ喰われた人間は妖怪の傀儡となる。僕は昔、そう聞いた」
「へーっ物騒だな! でも、マクラ、確かに日文を食って、回復したけど、日文は意識を失っただけだったぞ。寝顔が可愛かった」
「……なるほど。僕が意識を失ったのに、どうやってここに来れた?」
「日文をペタペタ触ってるうちに、なんか乗り移れて、体を操れた。記憶とかもほんのちょっぴりだけ見えて、ここに住んでると分かったんだぞ」
「乗り移れて、体を操れる?」
「やってみよーか?」
フッと目の前からマクラの姿が消えた。直後、右手に異物感を覚える。
右の掌から、何かが入り込んでくる。
「えっ?」
立つ意思はなかったのに、足が勝手に動き、床に対して直立した。驚愕し、呆然としていると、今度は勝手に歩き出し、ちゃぶ台の周りを一周して、元の位置に戻って座る。
右掌から飛び出してきたマクラが、シュタッと側に着地する。
「すごいだろ?」
「妖怪らしいな。学校に行く時、切れない糸で繋がっているお前をどうしようかと考えていたが、解決策が見えた。僕の中に入っててくれ」
もう一度乗り移ってもらって、動作確認する。支配権を完全に取られたわけではなく、この時は、僕の意思でも体を動かせた。問題なさそうだと判断する。
しかも、中のマクラと会話も出来る。
「乗り移ってる時、気分はどうだ?」
『悪くないぞ』
「これも聞いておきたいのだけれど、一般人から認識されないように出来ないか? 僕の知ってる妖怪は皆出来る」
『マクラには無理だ。いつも首だけ消える』
「完全なるホラーだ。じゃあ人目のある時には、絶対に僕の中から出ないでくれよ」
『分かった。人間界じゃ、マクラは目立つからな』
マクラそのものよりも、猫耳生やした銀髪少女の首にリールをかけて、連れ歩いている男の方が目立つだろう。普通に事案だ。そんな普通はいらない。
中にマクラを入れたまま、歯磨きと顔洗いのため、洗面台に行く。
鏡に映る自分を二度見した。
黒一色なはずの髪の一部が、きらきら輝く銀色に染まり。
しかも、しかもだ、両側頭部に、大きな猫耳が生えている。
僕は呟いた。
「誰得だこれは」