猫又に身を捧げ
出棺を見送る。彼女の葬儀に来たクラスメイトは、皆一般参列者に数えられていた。火葬を始めとする儀式の前に、解散させられる。僕と彼女が付き合ってた事実を、親族は把握していなかったらしい。他のクラスメイトと同様に扱われ、告別のため残るようなどとは言われなかった。
自分で申告する気にはならず、まとまって帰る彼らから遅れて、葬儀会場から出る。
朝から降っていた雨は、気づけば雪に変わっていた。
手袋をはめ傘をさす。歩く足に、力は入らない。胸にぽっかりと穴が空いた心地だ。周りから見て、自分は上手く歩けているのか。
一度立ち止まってみた。モヤモヤする。僕は果たして、本当に真島柿厨荏のことが好きだったのだろうか。
自分の気持ちが分からない。生粋の一般人たちも、似た心理状態に陥るのは珍しくもなさそうだったけれど、好きかそうでないかの違いは、意外とはっきりついていたように思う。つまり僕の精神構造は、まだそれなりに不完全なのだろう。
無理もない。止めた足を、再び動かす。
好きだったかどうかの決着は、残念ながら与えられそうにない。906番に抱く気持ちと同じく。でも、自分の中で、真島柿が大きな存在であったのは間違いない。
一年と少し前、クリスマスの日。真島柿厨荏の告白を、なし崩し的に受け入れた。あれから僕は、自分がどんどん変わっていくのを、日々実感していた。
ともすれば、彼女は本当に、異常な施設で育ち、言葉の上でしか常識を学んでいなかった僕を、生粋の一般人に変えてくれるのではないか、と予感していたのに。
楽しみにしていたのに。
『真島柿厨荏さんが、昨日お亡くなりになられました。死因は判明していないそうです』
三日前の月曜日に担任から告げられた、突然の訃報。
心が真っ暗になった。
自分だけの牢獄に、永遠に閉じこもってしまいたくなった。
「これは喪失感、か」
下げ止まるところを知らない感覚の正体に思い当たり、対処しようのないやるせなさに、目を閉じた。葬儀会場からなるべく離れたくなって、スタスタと早歩きになる。雪が顔に当たって、冷たい。
前方に、クラスメイトの団子を見つけた。追いついてしまったらしい。距離をとって歩くか、合流するか、あるいは追い抜くか。
一番後ろの女子生徒が、こちらに振り向いた。
「当瀬くん」
名前を呼んで、僕に近づいてくる。傘が触れ合う距離まで。面食らったが、社交辞令として、僕も名前を呼び返した。
「なんだ、未交……左肩に雪かかってるぞ」
返事のついでにそう教えてやれば、未交は傘を首と肩で固定し、右手でちょいちょいと雪を払い除ける。それから掌を、ハーと息で温めた。
「寒いね」「今日の最高気温は五度弱らしいからな」
「冬真っ盛りだ。火葬されたいくらいだよ」
いきなり飛び出してきたとんでもないブラックジョークに、苦笑いを返すしかない。アイスブレイクのつもりだろうか。この子はまだ高校生だ、それは僕もだが、口が滑ってしまうこともある。
雪も降っているし。
未交は、僕の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?」
「何が?」
聞き返す。が、聞かなくても分かっていた。あなたの恋人が死んでしまったけれど、大丈夫? と尋ねられている。心配りがありがたい。
未交はいつも、僕を気にかけてくれている。
「体感温度が五度下がってる」
「氷点下じゃん」「僕が水なら凍っている」
「当瀬くんは水じゃないよ。凍ったりしないでね」
彼女はふんわり、牡丹の花のように微笑んだ。
「じゃあ明日、学校で」
ヒラヒラと手を振って、駅の中に消えていく。見送れなくて、目を伏せる。ポケットに納める鍵を、指で弄った。葬儀場から離れたら離れたで、今度は、後ろ髪を引かれる思いが強まる。
「どうして死んだ真島柿厨荏」
しんしんと降る雪に向かって、呟く。未交と話して、心配されて、念押しされて、真島柿がこの世からいなくなった事実を、よりはっきりと認める羽目になった。
僕、「当瀬日文」にとって最も重要な存在が、いなくなった。大切な人の死が、こんなに辛いものだなんて、知る由もなかった。
心が冷える。喪失の度が増してゆく。
「……歩いて帰るか」
電車を使えば二十分で帰れるが、歩けば一時間半はかかる。運賃など大した額ではない。時間の無駄だが、僕は別に、損得勘定だけで生きている人間ではない。
正確には、施設での教育カリキュラムによる影響から、費用便益分析はそれなりに得意だったものの、真島柿に変えられた。
バイト先に赴く際、いつも電車が横断する川に辿り着いた。線路下の橋を通って向こう岸に渡る。雪の勢いが強まってきた。ほんのりとした白化粧が、河原の丸っこい石たちによく似合っている。
何気なく振り返って、今通ってきた鉄橋を眺めてみた。根本あたりに小さな違和感を覚える。目を凝らし、注意深く観察しなければ見逃してしまうだろう、セイダカアワダチソウの群生地帯に紛れる異変。
「あれ……血か?」
背筋がざわつく。悪い予感がした。居ても立ってもいられなくなって、急いで河原に降りていく。死の気配を好む悪いモノが、僕の接近と同時に離れる。
駆け寄ると、十代前半ぐらいの子供が倒れていた。
綺麗で長い銀髪に、大きな猫耳と、二又に分かれる尻尾の生えた、死にかけの女の子。まだ一応息はある。が、両手と右足がもげていて、血塗れだ。
生きるための力が、急速に薄れていっている。失血で死ぬのも時間の問題か。
ガタンゴトンと、電車が上を通り過ぎる。
「お前、猫又だな」
女の子の前に屈んで、僕はそう話しかけた。彼女は目だけで、かすかに反応を返す。瞳の奥に、疑問の色が浮かんでいた。それをすぐに解消してやるには、この猫に残された時間はあまりにも少ない。
「生きたいか?」
猫又に尋ねた。
人間ならアウトだが、妖怪ならまだ生きる目があり、生きるための方法を、今の僕なら与えてやれる。小さく目を見開いたのち、弱々しくも精一杯に、彼女はコクリと頷いた。
「良かった。ちょうど、消え去りたい気分なんだ」
猫又の口元に、右手を差し出す。
「僕の体をくれてやる」
多分ぎこちないだろうが、なるべく優しく微笑んで、供物として身を捧ぐ。
「僕の肉と魂を食え」
指先に噛みつかれた瞬間、僕の意識はぷつりと途絶えた。
そこで終わりのはずだったのに。
翌朝、僕はアパートの自室で目覚め、そして隣には、五体満足の猫又が、スヤスヤ幸せそうに眠っていた。




