22.「人気者」の自覚 3年目・5月12日
・2012年5月12日(土)
さて問題の、「5月12日」。
ようやく準備が出来た。
ここからはわたし目線では面白くないと思うので、なるべくその場にいた人の証言や予想を交え、時永くんの行動にそって書いていこうと思う。
午後3時。
土曜日ではあるものの、なんでも半年に1回ほど行われるイベントがあるそうで……時永くんたちは3~4人の少人数でチームを結成。
『興味のあるテーマ』をチーム内で模造紙にまとめ、全員で解説する発表会が近々行われるらしい。
昨日金曜日までに模造紙が完成できなかったチーム、あと内容に納得がいかない人が、本来休みの土曜日まで登校して発表に備えているようだった。
……ちなみに時永くんは後者だとは七生くんの談。さすがだ。
よく作業をジャマして烈火のごとく怒られるという落川くんによると、「真剣スイッチ」の入った時永くんは結構厄介なんだそうで……ともかくじゃまにならないよう、ノルマまで終了したのを見計らい、声をかける。
まず時永くんにからんで外まで呼び出すのは、やっぱり後輩枠。七生くんと落川くんの担当だ。
「時永先輩―!」
「ん」
きょとんとした時永くんは紙をまとめながら言った。
「どうかしたの2人とも」
「大変です!」
「ハロー先輩!!! 大ニュースだぜ!! 谷姐の谷間より大ニュースだぜ!?」
「……いや、別に谷川さんの谷間は興味ないけど、どうかした?」
今なら分かる。離れて待機中のわたしの耳に聞こえた「ないんかーい!!」の雄叫びは谷川さんのものだったらしい。……うん、あるわけがない……そう思いたい……。
「今しがた豊田先輩が、どっかから迷い込んできたらしいでっかい犬に追っかけられてて!」
七生くんの一生懸命な説明。……時永くんの顔色が少し変わった。
「……はい?」
「おう! めっちゃ見た! すんげー見た! まじまじと見つめた! ……谷間を!」
「はいヨイショー!!」
「ぐああああ!!」
流れるように顎をやられた落川くんをよそに、時永くんは外の様子をうかがった――勿論、わたしはまだそこにいないので影も形もない。
「……ハァ、ハァ、落川……もっと見るとこあるだろ……!」
「こんな時までアッパーか! お前ホントにゅっ殺すぞ!」
「にゅっ殺すってなんだ」
「ゴメン噛んだわ」
漫才をよそに、疑い半分な時永くんは口を開く。
「あの……本当に?」
落川くんはごまかすように慌てて謎ジェスチャーを加える。
「い、いやなんかよくわかんねーけど! 泣きながらッ、『ちょー助けて時永くん』言いつつ、めちゃくちゃ走り回っててぇ!」
「……めちゃくちゃってどのくらい?」
「ライトニング・ボルトみたいなフォームで壁走りしてた」
「マジで……」
いや「マジで」じゃないから時永くん。本気にしないで。落川くんは何言ってるかな!?
それ忍者だよね、わたしじゃなくて!?
「ええ、謎に頼ってました……!」
大真面目な顔で七生くんは言い放つ。
「『めっちゃ助けて時永クン! わたし孤独だからこういうとき頼れるの時永くんしかいないの!』」
「あの、谷川さんがいるでしょう……」
「『あの人頼りがいという意味では、ミジンコ以下の存在価値だから!!』」
そして君を殴るぞ七生くん。……いや、好きに丸め込んでいいとは言ったけどどういう言い草だ。なんなんだ、君たちから見たわたしのイメージは。あと谷川さんが何か叫んでた。「アトデ オマエ オクジョウ!!」と聞こえたと思う。
「……慌ててる割に説明口調だな……」
「ホントだって、もう谷間が!」
谷間言いたいだけだろ、落川くん!!
「谷間はいいよ落川ァァ!」
「ああああああグギッていったー!!」
「……。様子を見に行こう」
時永くんはため息をつき、まとめかけていた荷物を投げ捨てた。騒いでいる落川くんに関してはもはや無視だ。それがいい。
* * * *
……さて。本当のことをいえば、谷川さんのこのプラン。
時永くんがはたして「乗っかってくる」のか、非常に怪しく思っていたところなんだけれど……谷川さんが『100%大丈夫っしょ』って言ってたのが、何となくわかった気がした。意外とだけど、時永くん……。
「時永先輩、何持ってるんですか」
「武器を……」
「カツラ持ってきてどうすんのこの人」
「誰のカツラですかそれ」
「学科長……」
「戻してきてください、なんで学科長のサラサラヘアーが武器になると思ったんですか」
……この状況、ちゃんと理解できてないよね?
ともかく謎に平常心をポンコツ化させた時永くんはこちらに向かおうと、七生くんたちの誘導で現在地の2号館から出てこようとするはずだ。時永くんの学科は2号館がいつもの居場所だから、他の館にはなかなか出てこない。それを引っ張り出すんだから、それ相応の理由が必要になるわけで……
「豊田さん、どういう様子だった?」
「よく分かんねーけど、フラついてたかなー……」
「ええ、転んでもいたと思います。どこか打ったか、擦ったか……!」
「怪我したかもしれないぜ!」という落川くんたちの不確定な情報から、向かうのは恐らく医務室。
医務室のある1号館と現在彼らのいる2号館は一応繋がってはいるものの、中庭を囲むようになっているせいで、中庭に一旦出た方が都合がいい……イコールつまり、絶対に中庭を通るのだ。
そしてそれを見越して『設置』されたものがある。
「おわっ?!」
一足先に中庭に足を踏み入れた落川くんが、思わず声をあげる。
「何?」
「ちょっと待った……あれですよ、追っかけられてたのっ」
七生くんの言葉通り。
そう。そこにいたのはめちゃくちゃ大柄かつ、強面のドーベルマン。
「グルルルルルル……」
――それも、思いっきり牙をむき出して怒っていた。
「……唸ってますよ」
コソコソと息をひそめながらいう七生くんに、落川くんが珍しく抑えた声で言った。
「七生、あれさ……高校ン時によくぶち当たった、隣の高校のバスケ部に似てね……?」
「あ、落合のとこの……。うん、似てる似てる……」
「……二人とも静かにしようか?」
時永くんがひっそりと困惑しながら呟いた。
謎にビビっている落川くんはさておき、七生くんが冷静な理由はたぶん、谷川さんの言葉を信じているからだろう。
「ああ見えて言うことよく聴く子だから!」とは谷川さんの談……つまりあの子、谷川さんちのワンちゃんだ。その飼い主自体、どこか近くに潜んでて行動を逐一見張ってるんだから……問題は今のところ、全くと言っていいほどない。
万が一「何か」あったら、潔く止めればいいだけの話だった。
「……どうします?」
「とりあえず、警備課の人に連絡しよう」
スマホを持ち上げながらいう時永くんだけど、すまない眼鏡男子。その警備課の人、グルだよ。万が一ドーベルマンくんが通行人に飛びかかった場合に備えて物陰から様子見してくれてたよ。
「……あの犬、よくみたら首輪してますよね先輩」
「本当だ」
「こちらが何かしようにも、あまり手荒なことすると訴えられるかも」
「それは背後に飼い主がいてもしたくないな」
苦笑い気味の時永くんに、きょとんとした様子で七生くんは言った。
「……意外なんですけど、もしかして結構犬派ですか、時永先輩?」
「まあね。昔預けられてたところに犬がいて、怒らせたらどうなるかぐらいは知ってる」
養護施設での話だろうか?
よっぽどの犬好きだったらむしろ近づいていくだろうし、それを知ってたらワンコを悪役にはしなかったんだけど……
「……お世話とかしてました?」
「いや、そこまでは」
「なるほど」
七生くんも同じことを思ったようで、探りを入れてくれた。
どうも『犬と見たらはしゃいで近づいていくぜ!』な谷川さん状態じゃないようで、作戦は充分に続行可能。――ひとまず何よりだ。あんまりグイグイ近づかれると、あのワンコに害意も悪意もへったくれもないことがバレかねない。
だってあの子……私も触ったけど、意外とあんな凶悪な目つきして人懐っこいんだもん……見た目がイカツイだけだもん……。
「しっかしこええよ、何あのデカさ……」
「ああ、本気で噛みついたら肩の骨とか折れるだろうね」
「ヒッ」
「……落川ビビりすぎ」
携帯電話を耳に様子を伺う時永くんと、割と冷静そうに見える七生くん。あと仕掛け人のくせにガチでビビッている落川くん。この差よ……。
「どうする? 迂回するか、押し通るか」
「一応、押してみるなら……」
ごそごそ、と七生くんはポケットを探った。
「ちょうど落川が間違えて食った犬用ジャーキーがここにありますが」
「なぜそんなものがここに……!?」
「学科長のカツラ装備してる人に言われたくねーわ!」
さて、首輪はあるものの紐はなく。一見すると放し飼い状態になっているドーベルマンくん……いかに七生くんと落川くんの手元にジャーキーがあろうとも、迂闊に近づくことは出来そうになかった。
後で谷川さんに聞いたところによればこの子、飼い主の手からしかものを食べない慎重派のワンコだというのだ。人もほぼ噛まない。
……何より、すぐ側に隠れている谷川さんがこっそり指示を出している。
――食うな、威嚇しろ、追い払え、と。
だから時永くんたちがその道を通ろうにも、まず唸られ吼えられ突進され……な感じで通らせてもらえないだろう。まったくとんでもない名犬だ。
「……な、なあ、諦めて回り道しよーぜ先輩?」
犬嫌いなのかすぐに心が折れた落川くんの提案で、「もしこの子があたし以外からジャーキー食ったら5千円あげるよ七生っち」「言いましたね谷川先輩」という裏取引は無事回避され……いや、何してるの……ともかく、迂回ルートの渡り廊下に向かうことになったはず。
* * * *
さて、渡り廊下に行くまでの途中にあるのは現在使われていない予備教室群。実は医務室じゃなくて、そこに連れて行くのが目的だったりするんだけど……
「変だな」
「電話、出ませんか」
「出ないね……」
ため息をつきながら時永くんは言った。
「さっきから警備課の平山さんにかけてるんだけど」
時永くんが『警備の人』と知り合いなのは、こっちだって把握している。
彼と一緒に帰ることも多いわたしたちだが……時永くんが正門前にいないときは大抵、彼と「本の趣味」が合うらしい警備員さんが、ざっくりとしたスケジュールを教えてくれるのだ。……どうもレポート用の調べ物が済んでいないらしいとか。提出物がギリギリみたいだとか。
とにかく絶対「何かあったらかける」だろうとは、わたしたちも読んでいた。
「先輩、平山さん、この時間帯にはたして、仕事場にいるんです……?」
「いつもは夜勤なんだけど、今日は人がいないとかで終日みたいだよ」
……その情報流したの谷川さんだし、口裏合わせてるの谷川さんにちゃっかり買収された平山さんなんだけどなー、時永くん。
わたしは苦笑いして、軽く息をついた。ここまでくればわたしにだって時永くんのボヤキは聞こえる。――だってすぐそこの角にスタンバイしてるから。
「……やるよ、豊田さん」
「……おっけー」
見つからないように迂回してきた谷川さんも、ワンコを連れて無事合流。
そうして予定の場所近くに来た時……計画はとうとう、大詰めに入る。
――ぱしん。
「!!」
アルミ缶を蹴っ飛ばしたような音に、時永くんが反応してこちらの角を向く。――時永くんがぼけっとして逃げ遅れないように。
ちゃんと反応して、逃げるようにという気づきの計算だった。
「今だジョン!」
「へ?」
谷川さんがダメ押しで大声を上げた瞬間、弾丸のようにワンコが飛び出す。
「バゥワゥワゥッ!」
「わ――――あああああ!!?」
落川くんが叫んだ。
事態を飲み込めずにいるらしい時永くん。その視界に入ったのはまさに、遠くの角から鬼のような形相をして猛スピードで走ってくる、あの強面犬。
――さらに。
「へーい! 助けろ時永くうううん!!」
オプションとしてギリギリで逃げるわたしが投入されていた。気分はまさに、名作映画で大岩から逃げる考古学者だ。メティスが茶々を入れる。
――「さっすが美郷!! 人間にしては速めなせいで、追っかけてくるジョンくんの目がキラめいてるわ!!」
そりゃあ、ジョンくんからしたら『追いかけっこ』で遊んでもらってるようなものだろうし!?
予想では事態を飲み込めず、びくっと固まるだろう、時永くんの手をひっ掴もうとした瞬間――そして、あまりの勢いに七生くんと落川くんが、パッと逃げ出したその瞬間。
ふっ、と息の音が聞こえた。
「……助けろって言ったのは」
――時永くんと合流するとき、いきなりの減速に、全速力で走るのが久々の足では全く追いつかなかった。
「へっ?」
「……君じゃなかった?」
……すとん。
バランスを崩してコケようとしたわたしを、時永くんが腰からキャッチ。
「……ふぁい!!?」
メティスが歓声をあげた。
――「ヒャッホーウ! 【お姫様抱っこ】だああああああ」
「……んッなあああああっ!?」
思わず。――思わず、可愛げもへったくれもない、マジもんの悲鳴をあげてしまった。……さらっとそういうこと、する!?
「ヴッ……!!?」
サッと時永くんがわたしを持ち上げた瞬間……ブレーキがきかずにわたしたちをスルーして通り過ぎたジョンくんが、慌てて唸りながらターン!! いや賢い! ちゃんとあの子、予定通りの場所に追い込もうと方向転換した!
「ちょ、時永くん!? いいよ下ろして!」
あとで聞いたことだけどこれ、落川くんたちのついた嘘のせいだった。
「怪我したかもしれない」。
それとわたしのよろめきがイコールした結果、「やはりどこか怪我をしているのでは?」「出血なり骨折なりなら動かしたら痛いに違いない」、「よし運ぼう(即決)」。
……いや、そういう思考回路になりますか普通? 動転しすぎてない!?
あとマジで胸ポケットのカツラ何!? すっごいファッサファサはみ出てて違和感ヤバいんだけど!!
「ああああ時永先輩ー!」
「こっちっすー!」
後輩ズが助け舟を出してくれて助かった。わたしちょっと今パニクってる。当初の予定だった予備教室への誘導役はできそうにない。
「ほら早くこっち!」
「ぎゃああああああ!!! 追ってくるぅううう!!」
落川くんの渾身の演技とともに、七生くんが時永くんの背を押した。
「!!!」
汗を流して走る時永くんの袖を引っつかみ……落川くんが近くの予備室のドアを思い切り開け放って、わたし共々放り込んだ。
七生くんが小さく叫ぶ。
「ちょっと乱暴だぞ、落川……!」
「すまんです先輩!!」
すると。
「……あたっ」
ごちん、とわたしを抱えた時永くんの頭に「くす玉」がぶつかった。
するすると目の前に現れる垂れ幕。
――「お誕生日おめでとう」。
「……?」
文面を読み取った時永くんは、ふと、やけに静かな後ろを振り返った。
先ほどまで私たちを追い詰めていたジョンくんは、キュルキュルとあまえた鳴き声を出しつつ――ゆっくりと尻尾をふりながら歩いてきた。
「?」
ジョンくんは口に咥えた札をペッと吐き出す。
――『ドッキリでした』
「…………」
彼は「は?」という表情で、腕の中のわたしを見る。
「い、イェーイ……」
「…………」
彼は目の前に視線を戻す。……ドッキリ札を前に笑ったような顔で舌を出し、「ハッ、ハッ」言いながらキラキラした目で時永くんを見ているジョンくんに、さっきまでの獰猛さは微塵も見当たらない。
むしろ「褒めてくれ!」と言わんばかりの態度だった。
今にも千切れてもげそうなほど、短い尻尾が振り回されている。
「……えっ、と……」
謀られたことに気づきつつ、時永くんはしゃがみこんだ。
ようやくわたしを地面に下ろし、困惑した表情のままジョンくんをわしゃわしゃと撫でる。――あ、やっぱああいうワンコでも、ご機嫌斜めじゃなかったら普通に触れるんだ、この人。
「はっはっはー! よかったねジョンー、時永くんにナデナデされたよー!」
――隠れていた谷川さんが現れる。ニヤニヤしながら近づいてきて、時永くんがほっぺたをぷくっと膨らませた。
あっ、むくれた? ヤバイかなこれ?
「はいはーい、解散〜! ドッキリお疲れ様でしたー! ご協力感謝ー!」
「よっしゃ宴会だー!」
わあああ! と落川くんが歓声をあげてジュースのペットボトルを開ける。七生くんが即座に用意していたクラッカーを鳴らした。
「せーの」
「「「時永先輩、誕生日おめでとーっ」」」
――大家族を想像してほしい。敬称や役割言葉は、一番年下の子たちに倣うのが自然というものだ。子供がいる男性ならお父さん、孫がいたらおじいちゃん。
だからあくまで、わたしが発案者だということではない。
『この場全員』の言葉だということを、正しく。そして大きく強調するなら――後輩の彼らに合わせての、「先輩呼び」が正しい。
「…………?」
――その、たくさん重なった、大きな呼びかけ。
膨らませたほっぺたのまま、時永くんは部屋を見渡してあっけにとられたらしい。……大げさに飾り付けられたパーティ会場。
その「予備教室」には、七生くん、落川くん、わたし、谷川さんの他――わたしもあまり知らなかった、十数人の仲間たちが集まっていた。
たぶんそれは時永くんと同じゼミにいる人だったり、先生だったり、顔見知りの先輩だったり。
交友関係の広い谷川さんが、こっそりと声をかけたら集まった面々だった。
「…………。」
「じゃ、ジョンを家に戻してくるねー」
「谷姐いってら~!」
「ボクら、谷川先輩の分のピザ食べときますね」
「ひどい!!」
途端にわっちゃわちゃした雰囲気が場を支配する。
久々に顔を合わせたような人もいたようで、瞬く間に知り合いに囲まれ、もみくちゃになった時永くんの表情は少しずつ変わっていった。
「ひどいっすよ!! 4月からずっとケーキ屋来ないじゃないっすか時永先輩!」
「時永くん、こないだ足りなかった50円今返すわ、助かった!」
「なあ、図書館で資料用のDVD借りたいんだけど時永さ――」
――悪意はない。
これはただの、「善意」の塊だ。
ふくらんでいたほっぺたは、いつの間にか「ぺしょん」とへっこんで、暫くあっけにとられた表情のまま瞬きを繰り返し――挙句の果てに、落ち着かない様子でひたすら眼鏡を拭きだした。怒っていいのか笑っていいのか、分からないような顔だ。
「……」
「時永くん?」
それでも眉毛が困ったような形になり、口の端がピクピクと動いているところを見るに――だんだん愉快になってきたんだろう。
「……どれから聞けばいいのか、分からないけど……」
「うん」
「ジョンってあの、大型犬の名前?」
「谷姐ンちの犬だってよ、時永先輩!!」
軽く答えた落川くんに、時永くんはようやく平和的な苦笑いを返した。
わたしはいう。
「だましてゴッメーン!」
「野犬なんか今時いるわけないじゃん! 超元気!」と口にすると、時永くんは余計に笑みを増やす。――いや、うん。ちょっと苦笑い気味だけど。
「ちなみに首謀者は谷川先輩と豊田先輩です。……ボク達は単なるお手伝いに過ぎませんので文句を言うならあちらへどうぞ!」
七生くんの華麗なスルーパス。
「だっぜ! おれら例えるなら電話詐欺の下っ端ってか、受け子的な!」
「そうそう、ボクらはただの実行犯。……真っ先に逮捕されて、尻尾切られる感です!」
「だって!」
「「――豊田先輩、いい人のフリしてゲスいから!」」
「……落川くんたち、言い方悪すぎない?」
同じ学科の先輩らしい女性が口を開き、ドッと笑いが巻き起こる。――うん、飾り付け班の人も、落川くんたちも笑ってる。
……皆、自分の役割を楽しんでくれたようで何よりだ。
「――。なぜ、こんなことを?」
つられて笑った時永くんはようやく、少し気が抜けたように手近なパイプ椅子に腰を下ろす。
それに対して――わたしは立ったまま、首をすくめて答えた。
「……祝いたかったから、じゃないかな?」
……皆、ちゃんと祝いたいから、こうして集まってくれたんだと思う。
「時永くんの『誕生日』が今日だ、っていったら……いつも、わたしばっかりお世話になってるから、お返しをしたいって言ったら」
「うん」
「『私も』『俺も』って、手を挙げて言った人がいっぱいいた。いっぱいお世話になってるよって。……協力してほしいって言ったら。……集まってくれる人、たくさんいたよ」
「……」
時永くんは何かを思い出した顔をして、納得したように頷いた――やれやれと言った様子で苦笑するそれは。
「……そう」
「うん」
……とても、照れくさそうだった。
実感したんだろう。――理解した。
そう、彼は思い出したのかもしれない。
――「……自分を除け者にして出来ていく、【美しい】世界を羨みながら?」
彼がわたしと仲直りした日。
自分をどんな人だと思うかと問われて、わたしは答えた。
――あなたは人が好きだ、と。
彼は一度、自分が壊した「人間関係」を見ている。
人の和を、ちいさな社会を。
好きだと少しでも思えた、何かを。
また、壊してしまうのでは?
そう恐れる彼は、今までなかなか人の中に入れなかった。「読書家」というところから……想像力だけは、きっと人一倍あった彼。
……人間社会というものに、理想を持っていたのに。人とのつながりに、ある種の「憧れ」を持っていたのに。
彼はただ、幸せになりたかっただけだ。人並みに、人並みの幸せを感じ取りながら――ごく普通に、生きていきたかっただけ。
だけど怖かった。きっと他人が、もっというなら――人間関係を構築するのが、怖かった。
……覚えてもいない昔、生まれて一番初めに出会った人に、裏切られていたかもしれない。
要らないものだ。「この世界に不要なものだ」。
そう、結論付けられていたかもしれない。
そこから人を信じるのが怖くなった。溶け込むのが怖くなった。溶け込んだら溶け込んだで、時永くんは――時永くんの体は、身の回りのすべてを破壊した。
……それでも。
「……時永くんを、一方的に仲間だと思ってる人は、いっぱいいたよ」
トラウマから、『深入り』はしないようになっただろう。心を閉ざして、人と向き合わないようになっただろう。それでも彼は――運の悪いことに、わたしに出会った。しつこい女に出会った。そのしつこい他人は、時永くんのことを理解しようとした。
……結局のところ、時永くんを慕う人だとか。仲間扱いする人だとか。いなきゃ困る人だとか。
気づくとこれだけの人が、彼と関わっているわけだ。関わって、関わりを持とうとしていたわけだ。
それを一度は彼に見せて、ぎゃふんと言わせたかった。いくら君の気が引けようと、そういう人たちにとっては祝われて当然だとも、思ってほしかった。
それから……
罪悪感より、「楽しい」と感じてほしかった。
「……なるほど。僕は、いていいんですね」
「うん」
……前より、昔より。随分ととっつきやすくなった時永くんは、今まで自分の変化に気づいていなかったんだ。
――そう、いくら時永くんが悪い子でも。
「ここにいて、いいんですね」
誰かに必要とはされている。
……つながりは、きっと保たれている。
君という人間が、ここにいなければいい。
この世界に、いなければいい。
……そんなこという人、今、君の周りにはいないんだよって。
ここからかもしれない。
――読み返していて、気づく。
人から「肯定」される善意。求められる喜び。
それをストレートに受け止めたのは、【僕】のうち――どちらだっただろうか。
度重なる自己否定。
開かなかった、心の小部屋。
あれを受け止められなかったのは。重すぎるとさえ思ったのは――
……どちら、だっただろうか。




