23.海水浴 3年目・7月6日~31日(上)
・2012年7月6日(金)
……あの騒動から、また暫く。
いい加減「春」とはもう言えなくなったし、かといえば暑くもない。
そんなジメジメとした季節が到来していた。少し来るのが遅めだった梅雨はまだ明けず、外から聞こえるのは雨音ばかり。
「げえ、まだ降ってるぅ!」
「本当だ」
谷川さんのぶーたれた言葉にわたしが同意すれば、時永くんもため息をつきながら頷いた。
「さすがに終日でしょう、傘マークは暫くとれないよ……」
湿気た空気にうんざりしつつ、食堂までの渡り廊下を走ってわたり切る。早く空調のきいた室内に避難したい。
「こんなご時世に『ちゃんと外に出る』なんて、よっぽどの運動バカしかしないよ!!」と、谷川さんが言い出したことで、つい最近のわたしたちはあの一本楓の下に行くこともほぼなくなっている。いつもの風景は暫くお預けだ。
「……時永くん、あの白いライラック、枯らしてない?」
あの大騒ぎの後、誕生日プレゼントとしておくったアレのその後だ。結局慎治さんの案を参考にして、白い花がちょこちょこと咲いていた苗木を買ったんだけど……今から思ってみれば、ちょっと管理の大変なものをあげてしまったかもしれない。
5月12日の誕生花――白いライラック。
花言葉は。
「……『無邪気』、『青春の喜び』」
時永くんはそう諳んじて教えてくれた。
昔、育てたことがあったらしい。……植物を育てるのが好きだったという、ぶっきらぼうなお父さんと一緒にだが。
「枯らしてませんよ? 最近は本当に雨が多いんで、腐るのが心配で家に入れてますけど、それでもちゃんと水もあげてますし」
「そっか」
そう思いつつ目に入るのは、やっぱり窓の外。降り続ける雨と曇天。……雨が嫌いってワケじゃないんだけど、こうも毎日同じ景色ばかりだと、どうも気分が沈むなあ。
メティスが苦笑いしながら発言する。
――「ここのところずっと食堂通いだものね」
しかもこの学食、あまりメニューも多い方ではない。ハンバーグなんかは正直、お隣の別の大学に忍び込んだほうがおいしい気もする。……飽きてしまうのも時間の問題じゃなかろうか。
まあ、だとしても――
「意外と人多いよね、この食堂」
「そりゃあねえ」
――この大学の学生、考えてみれば傘をささずに来れるところはここしかない。結局はわたしたちと同じらしく、結構な繁盛ぶりだ。
「……そーいえばさ、もう夏休みも近いけど、2人は何か予定あったりすんの?」
谷川さんが気分を切り替えるように、ぱっと明るく口を開いた。
「わたしは特にないけど……時永くんは?」
と言いながらいつものごとく、時永くんにスルーパス。
あるわけがない。仕送りをしてくれるおばさんは帰れといってくれるけど、どうも帰りづらい。さらにいえば、向こうの坊っちゃんは受験生だ。
「……時永くん?」
「…………。」
谷川さんの問いを追いかけ、横を見ると……あ、ぼーっとしてる。
メティスが息をついた。
――「最近無かったから油断したわね。……ほら美郷」
……了解。わたしは思いきり指に力を込めると……
「ぎゃいっっったぁ!?」
「おはよ、寝てた?」
「……すみません」
谷川さんのからかいに額を押さえながら、涙目ですごすごと答える時永くん。
……よかった、今日も普通に帰ってきて。
――「『痛覚』が機能してるからこそ、出来る芸当だけどね」
クロノスはいつもこっちに干渉する際――自分が地球に出てくる際の出入り口、つまり時永くんの中身を全部ないし一部、一旦強制的に追い出すという方法をとっているみたいだった。
……眠らせて、ちょっとだけ「かきだす」。
空きスペースに自分をねじ込む。そういう感じ。
つまり、ぼーっとしている時というのは、「寝そう」になっている時だ。
体に踏ん張りがきいていない。追い出されているか、追い出されかかっているか……みたいな感じらしい。
「寝てた?」と問いかけた谷川さんが、実は正解だっていうわけで。
――「ほら、寝てる人を起こすには、揺さぶったり叩いたりするのが一番効率いいでしょ? 音でも起きる人は起きるけど、人によっては目覚まし時計で起きれない人がいるんだから!」
……それ、わたしのこと?
そう心の中で言うとメティスが苦笑いした。
――「なんだ、自覚あるんじゃない!」
……まあ、つまり話を戻すと。時永くんがぼーっとしている時はクロノスが『乗っ取り』に成功する前。つまりその間、できるだけ早いうちに衝撃を与えなきゃいけないというわけで。
――「それに、音より痛みの方がいい理由はもう1つあるの」
メティスは語る。
――「思い出してみて、美郷? 一度目、初めて美郷の目の前にクロノスが現れたとき、クロノスには痛みが通じてなかったでしょ?」
そう、あのときは時永くんを乗っ取ったクロノスに、思いっきりビンタ食らわしたんだった。そのときのクロノスは『ノーリアクション』。逆に目を覚ました時永くんが痛がっていたのを覚えている。
まるで、遅れて痛みがやってきたみたいに。
――「都合の悪いところは繋がずにそのままにしてるのよ。そもそもあいつ可哀想なくらい【鈍感】なところがあるし……今のところ、『痛いこと』をすると時永くんにガンガン通じやすいのは確かね」
だからもしわたしがクロノスらしい兆候に気づいた時点で、時永くんの体が掌握されていたとしても。『痛み』を命綱代わりに、ズルズルと時永くん本体を引っ張ってくることができるかもしれないというわけだ。
そしてそれは今のところ、ちゃんと成功している……と、見ていいみたいで。
「ってか、そんなに豊田さんのデコピンって威力あるんだー?」
「……まぁ、その……」
涙目でよろよろしつつ、時永くんは言った。
「キックボクサーに脳天めがけて蹴りを入れられる夢を見る程度には……」
――「本物の夢を見るんだったらそれは明らかにやりすぎね」
……そ、そんなに痛かった……?
「まあ豊田さんだからね。指先の筋力がゴリラなんだよ」
「……谷川さんやい、どういうことかなーそれはー」
「で」
谷川さんは楽しそうに笑って言った。
「気を取り直して聞くけど、時永くんは予定あったりする? 夏休み」
「夏休み? 特にないですけど」
だろうね。谷川さんがちょっとニヤつきながら言った。
「なーんだ、2人とも予定ないのー?」
「谷川さんはありそうですね」
「何、今度は誰とデート?」
「いんや、普通に海水浴。落川くんたちが誘ってくれてさー……」
* * * *
「谷川先輩、免許持ってますよね?」
「持ってるよ?」
「じゃあ海生きてぇ!」
「おー! まかせなさい――よく行くデートスポットじゃああ!!」
* * * *
「ってことがあってね」
たった台詞4つで分かりやすく説明が終わった……。
「……時永くん、今思ったんだけど『これ』、先輩といいつつ、先輩扱いされてない気がするのは気のせい?」
「『これ』足にしていいように使う気満々ですよね、彼ら」
「あたしのこと『これ』っていうのやめてくれる、キミたち?」
谷川さんはため息をつき、飲み干したジュースをカラカラっとふった。
「ってワケで、2人ともどうかなって。一緒に行かない?」
時永くんが一瞬困ったようにこちらを見る。ちらりと。……ふむ。
「……お言葉に甘えちゃいますか」
「……じゃあ、僕も」
わたしが言うや否や迷いを吹っ切り即座に答える時永くんに、谷川さんが小さくチッと舌打ちをするのが微かに聞こえた。
「リア充め」
「はい??」
……まさかそういう言葉を谷川さんから聞くとは。
メティスが苦笑しながら言う。
――「あまりに仲が良いから嫉妬してんのよ」
……え? わたしはきょとんとした。
これくらい、普通では?
――「……んー。美郷? 今、自分がどこのポジションにいるかわかってる?」
ポジション?
――「時永くん、最近あなたが『行くー』って言ったら『僕もー!』ってカルガモみたいについてくる男の子になってない?」
……はっはっは、そんなまさか。
……。
……直近の記憶振り返ったらマジだった。
えっ、なんで?
* * * *
・2012年7月31日(火)
とうとう待ちに待った本格的な夏休みがやってきた。
窓から突き刺してくるような強い日差しに、わたしは思わず目を細める。……そうそう、これこれ!
「おおー! 海だー!」
「こら、顔出さない!」
落川くんがはしゃぎすぎて窓から身を乗り出すのを見て、谷川さんが注意。
――そう、わたしたちは約束通り「海水浴」に行くために、谷川家の車をちゃっかりお借りしていた。皆の着替えまできっちり入る、3列6人乗りのミニバンだ。
「あっはっはっはっはっは! 海の家にタコ焼き、売ってっかな!?」
「さっきからそればっかり……あと今からアルコール入ってるんですけど大丈夫、こいつ?」
テンションがハイになっている佐田くんに、あきれる七生くん。
「ああー大丈夫大丈夫、秀ちゃんだったら殴っても死なないから」
「殴る前提とかゆっきー先輩マジで鬼畜っすね!! 大胆!! 貧乳ビキニゴリラ!!」
「……フフッ、秀ちゃん、今から洗いざらい吐きな、お酒……」
「谷川先輩の目から、光が消えたッ……」
――「日差し、すごく暑そう……」
命の危機にさらされている佐田くんと、現状唯一のツッコミになりつつある七生くんを「シャットアウト」したメティスの呟きに思わず頷く。
うん、わかる? 超暑いよ?
1列目、助手席の落川くんが空けている窓から入る生あったかい風。
……うん、しっかり潮の香りだ。
はしゃぐ落川くんたちの声で目を覚ましたのか、すぐ横でフェイスタオルをアイマスク代わりに寝息を立てていた時永くんがむくりと動いた。
「……ああ、ここ……由比ヶ浜か」
顔からタオルを浮かせたまま目をしょぼしょぼさせて眠たそうに呟く時永くんに、わたしは『おはよう』と話しかけた。
「来たことあるの?」
「一度だけ親と」
鎌倉でしょ、三浦半島横の。……そう言いながらタオルをしまった時永くんは大きなあくびをした。ちょっとだけ反応に困る。さて、どう話を続けるのが正解だろうか?
「……そっか」
くすっ、と彼が笑った気がした。
「何もそんな顔しなくても……」
「でも」
ガタン! ――揺れるミニバンに少し邪魔されながら口を滑らせる。
「……お父さん、お母さんのこと……」
……自分が悪いって、思ってるんだよね?
「……まあ」
他の人に聞こえないように、できるだけ小声での会話。時永くんは首をすくめながら答えた。
――潮の風。
誰かが騒いでいる、外の遠い声。
「……『責任を感じてない』そう言ったら、今でもきっと嘘になる。けど、半年前に打ち明けた時、少し嬉しかったんだ」
――半年前。
クリスマスの日に、聞いたこと。
「豊田さんが、反論しようとしてくれたでしょう」
――『……これだけは僕も譲れない。僕に罪がない、僕が「悪くない」。その言葉は、多分受け取れない』
――『それを僕が自覚してしまったら、何もかも手からこぼれてなくなってしまう気がするんだ』
「僕を、僕のプライドを。……違うと」
時永くんは目を合わせることなくぼうっと天井を見つめたまま言った。
「……それで充分、救われた気はしたよ。満たされてはいる。全部言わせてしまったら、もう納得してしまうと思ったほどには」
――あの時の強い否定。
「豊田さんの言葉は……僕にとっては不思議と、なんていうかな。……反発しづらいというか。毒のようなんだよね。気付くとスッと中に入ってるというか、そういうものなんだ。不思議とね」
……それは、どっちかというと時永くんの得意技ではないだろうか。
「だから、そう。少しずつ『飲み込んで行こう』と思ってる。……責任なり罪悪感なりは勿論、僕のものだ。ただ、だからって我慢するのはやめるよ。色々なものを」
冗談めかして言う時永くんにわたしは聞き返す。
「……本当に、そう思ってる?」
「思ってるよ」
その口調は、妙に固かった。
「勿論、今だってクロノスを許せる気はしない。あの時の自分を手放しで許す気にもならない。だけど……」
その時、話の流れをぶった切るように谷川さんが確認をとる。
「皆、一旦駐車場入れるよ~?」
そう言いながら手馴れたようにウインカーを出す谷川さん。ってそう見えるけど、実際は免許をとってそんなに日は経っていないはず。安心感を覚える運転なのはやっぱりアウトドア派だからかな?
――「そうなんじゃない? きっと乗り回してるんでしょ」
彼氏候補をきっちり乗せて?
もう会話が途切れてしまった時永くんを横目に、わたしは心の中で谷川さんを皮肉った。
と……ふと横を見る。
「あれ?」
――また時永くんは、ウトウトと寝ていた。
* * * *
「こんなわけわからんメンツで海来るのなんて初めてっすね!」
「だねえ!」
「ゆっきー先輩どんくらい泳げます?」
「クロールでいーならどこまででもいける気ぃするー」
……ロッカールームの湿った匂い。
外から聞こえる、佐田くんと谷川さんのやりとり。
「えーマジかよ、おれ正直わかんね! あんまり海で泳いだことないんだよな。プールばっか」
「……落川は無駄にデカいから浮かないのさ」
「なんだとー!」
落川くんと七生くんの漫才みたいな会話。うん、いつも通りだ。
どこに行っても変わらなそうな空気感に一周回って安心しつつ、わたしは水着のすそをキュッと伸ばしてロッカールームを出た。
最近使ってないから、端っこが折れてるような気がする。鍵は……うん、ちゃんと手首についてる。
「……思ったより、人が少ないね」
しっくりこないサンダルのかかとを直していたら、見覚えのある足がひたひたとわたしに近づいてきた。
「……平日だからね」
足を追っかけて顔を見上げた。太陽の下だとよく分かる、少しだけ色素の薄い髪。それから……同じような目の色。
「?」
「……眼鏡してないの、初めてみたかも」
凝視しているように見えたに違いない。実際、まじまじと見てたのは確かだったし……慌ててこまかす。
「……」
……時永くんはきょとんとした様子で少しだけ目を丸くした。その後、慌てたように目をそらす。
いや、なんで顔の前に手?
「……あまり見られても困りますよ、恥ずかしい」
「いいじゃん、まじまじと見るくらい」
口が少し、つんっ、となった。
「コンタクトとかじゃないよね多分。……充分見える感じ?」
「……あの、少し、輪郭がぼけるだけだから。文庫本の文字も近づけたら分かる、し……その……」
と、その時。
「あっ」
遠くの方の海の家。
恐らく見覚えのある顔がチラっと見えた。――声は、かけづらいのだが。
「どうかした?」
「あれ、慎治さんじゃない?」
「……え、馬越さん?」
時永くんがグッと眉を寄せるので、あれあれ、と指差す。
……が。
「…………。」
うん、見えないかー……。
――「……あら、本当だ」
「あの海の家でちっちゃい子に話し込んでるの、絶対そうだよ」
「…………。」
いや、本当に色々なところで出会うな、あの人……この間も日記には書かなかったけど、同じ路線に乗ってるの見かけたし。
「……。色々、手を出すなあ」
とんでもない目つきになりながらいう彼。あのー……多分、まだ見つけられてないよね?
メティスがしみじみと呟いた。
――「なるほど、左右で視力に開きがあるのね。左でばっかり見てる」
……言われたら確かに。右の方にちょっと頭の角度がずれてるかも?
――「あとどっちにしてもピントが合ってるようには見えないわね。海見る時も、手前を見てる時も、ちゃんとシボれてない」
「そういうの、パッと見ただけでよく分かるよね、メティス……」
呆れながらうっかり口に出すと、時永くんがこっちを見た。
――「いやいやいや、本気で慣れの問題よこれ! 数百年とか数千年、人間の目の使い方見てたら、瞳孔の大きさと視線の向きなりでなんとな~くは分かりますとも!」
いや、まず普通のわたしみたいな人間がそんな長く『人間観察』できてたまりますかってのよ!?
そう思っていたら。
「……もしかして、『メティス』さん、何か?」
「あ、いや」
そうだ、油断してた。
時永くんに独り言が聞こえたに違いない。事情が分かる人でよかった……。
「時永くんって手前も遠くもピントがあってないんじゃないか、ってメティスが」
「……えっ」
「コラー! 何してんの2人ともー!」
合流が遅いと思ったんだろう、遠くから谷川さんが声をかけてくる。ただ、時永くんはそれを無視して、少し周りを見た。……たぶん、すこしぼんやりしてるんだろう。
「……あの、何故わかったんですか……確かに近視じゃないですが……!」
……近視は手前の方ならピントが合うんだっけ。
「そこの2人ー!」
遠くから谷川さんの急かす声。
わたしは苦笑した。
「見ただけでわかったみたい。この人、人間眺めるの、大好きだから」
「そう」
「わたしに対しては、見るだけじゃなくて口も出すけどね?」
この辺り、と適当すぎるイメージでわたしの後ろを「声の方向」と指差せば、時永くんは緊張したように少しだけ息を吐く。
「メティスがいるの、思いっきり忘れてたとか?」
そうわたしは聞いた。
まあ、言うまでもない気はするけど。……だって、わたし以外には声も姿も見えないんだ、空気みたいな神様だもの。存在を意識しろという方がちゃんちゃらおかしい。
「……声も殆ど聞いたことがないからね」
「一回だけだ?」
「そう、不動前でクロノスが出てきたとき。……会話をしてるのは、聞いた」
それくらいか。
「だから、たまに名前を聞くとビクッとはする。……どういえばいいかな。知人にしか存在を認識できない座敷童が、そこにいるような感覚というか」
くわえて。わたしはあることに思い至って息を吐いた。……時永くんからしたら、神様って「恐怖の対象」だもんね。いい気持ちはしないか……。
そう、思っていたら。
「……じゃあ、改めて」
こほん、と咳払いが聞こえた。
「豊田さんがはしゃぎすぎないよう、よろしくお願いしますね。海水浴」
「え?」
「『お姉ちゃん』みたいなもの、なんでしょう?」
びっくりした。
まさかわたしを通じて、メティスに『話しかける』とは思わなかった!
……時永くんは少し笑って、わたしの後ろのほうを見る。
「一緒に楽しめればいいですね」
――「……そうね? ありがとう」
メティスも驚いたように返す。ただ少し。……ほんの、少し。
……嬉しそうだった。




