17.秘密 2年目・11月下旬~12月半ば
・2011年11月25日(金)
「……この前のマドレーヌ、美味しかったなー……」
帰り道に校門を目指していて、ふと独り言がもれた。
あの一本楓を遠目に見て、時永くんが赤面しながら押し付けてくれたあの、「紙袋いっぱいのマドレーヌ」を思い出したのだ。
谷川さんが見かけたのはこれだったか! ――なーんて思わず笑ってしまったら、そこからまた膨れて大変だったけど。
……それでも、そんな【怒った】時永くんと久しぶりに長いこと話をした。それも、『どっちが食べるのが早い』とか、『どっちがどれだけ食べてる』とか。……そんな、どうでもいいことばっかりを。
――「お不動前のケーキ屋さんっていったっけ。自分で買いに行く?」
わかってないなぁ。
苦笑いしてわたしは思った。
あれはね、メティス。「彼と2人で笑いながら食べたから」おいしかったんだよ。終わってみたらよくわかる。
「――で、どうなの誠くん、近況は?」
と、そんなことをつらつら考えつつ校門を出たとき、気の強そうな女性の声と、時永くんの姿が見えた。
「……いつもどおりですよ」
落ち着いた声は、どこか抑えているように感じる。
「そう」
「保護者がいないのもいい加減慣れましたし、そもそも、最初から1人みたいなものなんです。家族なんかいたところで上辺だけの付き合いに近かった……」
……仲、やっぱり悪かったのかな。
「後見人はそれっぽいのが一応いますし、大丈夫でしょう。……それでそちら側は? 旦那さんの勤め先、見つかりました?」
「ううん、全然?」
校門のすぐ外側。時永くんと向き合って話をしているのはベリーショートにパンツスーツ。軽い色合いのコート。何というか……『できる女』という印象の後ろ姿だ。
「……骨折したって聞いたけど、大丈夫なの?」
「ご心配なく。もう殆ど治ったようなものですから」
雰囲気としての年齢差を考えれば「お母さんと息子」のようにも思えるけれど……やっぱり、少し距離を取ったような返答だなぁ、と思う。
「……お見舞いにもいかずにごめんね」
「平気です。そも、女刑事さんがそんな暇なわけがないでしょうし。タスクがパンパンでしょ……あっ、豊田さん!」
時永くんは近くに来ていたわたしに、ようやく気づいたように手を振った。振り返った女性が驚いた顔をするも、にやっとして……
「なんだ誠ク〜ン、もしや彼女か〜?」
「な……っ、ち、違いますよっ! 友人です友人!」
――「口で否定してるけど、どうも意識はしてるようね。チャンスはあるみたいよ美郷?」
メティスのからかいに内心、ため息をつく。……まさか。あの状況で言った「好き」なんて、ぜったい『恋愛的な意味』には取らないと思うんだけど!
――「……好きだと思う」
――「え?」
――「時永くんがどういう人なのかは、正直わたし、知らないんじゃないかなって思う。でも知ってることはあるよ。――人付き合いが苦手だと見せかけて、実は人間好きだとか」
……そう、あの、今から思うとバクダン的な台詞。多分文面的に「好き」がかかっているのは「人間好き」だろう。
ニヤついたメティスのそれを咳払いで搔き消し、とりあえずわたしは挨拶した。
「こんにちは、刑事さんなんですか?」
「あ、聴いてた?」
「聞いてましたね僕の話」
あんまり公言したくなかったのか、苦笑いしながら時永くんと顔を見合わせた女性は言う。
「……実はそうなの。面と向かって見るの、珍しいでしょ?」
意外とおどけた調子で警察手帳を見せる女性に、わたしは少しホッとした。……よかった、思ったよりとっつきやすそうな人だ。
「ちなみに階級は警部補! 私、誠くんちの隣に住んでる馬越栄子っていいます、気楽に『栄子ちゃん』って呼んでいいから」
「豊田美郷です。2年生の」
「あっ、じゃあ誠くんと同じだ!」
「はっはっは……」
なぜか苦笑い気味に時永くんは笑った。
「前に少し言ったでしょう? 親が行方不明だって」
「うん」
時永くんの言葉にわたしはすぐ思いだした。
――「詳しく話し出すと長くなるんですが……要約すれば、行方不明なんですよ。数年前、僕だけ残して失踪したんです」
あの、インパクトのあるヘビーな発言だ。
「……その時、ちょうど担当になったのが栄子さんなんですよ」
「ぶっちゃけ捜査はとっくの昔に打ち切ってんだけど、なんかほっとけなくてね! ……誠くん、あの【鉄砲玉】親父の子にしては大人しいし、自己主張しないし、問題も起こさないし……」
「僕の父親が一体何をしたっていうんですか……」
……親子みたいに見えた最初の印象も頷けた。お父さんと知り合いっほい。たぶん栄子さんから見たら時永くんってある種、子どもみたいなものなんだ。
「あとはそうね……ぜんぜん接点がなかったはずのウチの旦那が適当に選んで下見に行った引越し先が、まさか、誠クンちの隣だったりしたのは驚いたかもね」
「ええ、何度も言いますが……全く口出ししてないんですよねアレ?」
栄子さんはヘラヘラ笑う。
「してないってば! あの時はその、山梨の養護施設が人身売買してた証拠が上がりかけててっ!」
「!? ――ぶぇっくしょい!!」
「県境近いってことでこっちにも色々あったからてんやわんやだったの!」
立ち話で冷えたらしい時永くんが今更、猛烈なくしゃみをした。……珍しい、普段、やるにしてももう少しちっちゃい音なのに。
「何、風邪ひいた?」
「……ブタクサでしょうかね」
……妙に嘘っぽいってことはなんかあるな? この時永くん。
「で、でも、僕もまさかとは思いましたよ。ニコニコお蕎麦持ってきた、あの優しそうな馬越さんの奥さんが、まさか栄子さんって……」
「何よ、ダメだった?」
いいえ、とふるふる首を振る時永くんには、やっぱり何か隠し事がありそうな気がした。
「……まあいいけど、実はね! 今日もある件でこの近辺リサーチしてて、ついでに何してるか、ちょっと覗きに来たら、案の定鉢合わせっていう!」
「こっそり授業参観に来るお母さんですか、あなたは……」
時永くんがため息をついた。……なんだろうこの感じ。出会った時の距離感が遠い時永くんっぽいというか。あんなに栄子さんから可愛がられてるのに、心を開いてないというか……
「……あんまり、そういう軽いノリで来ない方がいいと思いますが。知人に突っ込まれたときの説明にも困りますし」
「えー、保護者気取って悪いかナー? そろそろ5、6年の付き合いだぞー?」
「はいはい……たかが5、6年で大学2年生の息子を持てるなんて思わないでくださいねー、頼むからー……」
なんだとぅ、と栄子さんから呻きが漏れ出た。
「くっ、こいつ、手厳しいわね……授かりあきらめた熟年夫婦に!」
「……それ、何年目で諦めました?」
「二桁にはなるわよこのヤローぉ」
うん、でも、案外仲良さそうだ。
「うぇーん、踏んだり蹴ったりだーあ! 子供駄目だったし旦那はリストラされるし……まあ相手がヒモだろうがフリーターだろうが、無職だろうが、別にいいけどさぁ……惚れた弱みよ……!」
「よそで愚痴ってください、そういうセンシティブなことは」
時永くんの呆れがマックスだが、正直わたし、分かる。
……そうだよね、栄子さん。誰かに惚れたら頭がバグるよね。女の子って。
――「うわ、妙な友情が構築された……」
「……美郷ちゃん、たぶん話が分かるわあ……」
「何が分かったんですかあなた方……豊田さんもなんですか、その寒気がする反応?」
わたしは親指を立てながら言った。
「寒ズアップ」
「若干巧い……」
――「そしてドン引きした時永くんである……」
「と、いけない」
栄子さんが時間を確認して慌てたように言った。
「そろそろ所定の位置につかないと。またね誠クン! あっ、あとで美郷ちゃんの連絡先教えて!」
「絶っ対教えませんから!!」
ふわっとコートを翻し、そう言って颯爽と去っていく栄子さんはなんだか妙にカッコよく見えた。
……よくドラマの題材になるだけあるよね、刑事さん。
「……あの、豊田さんから見て、どう思います? あれ」
時永くんが少し疲れたように言う。
「え、ヒモだろうが無職だろうがって話?」
「いや、旦那さんの支え方じゃなくて」
――「美郷の周りって、なんで変わった人が集まってくるのかしら?」
メティスの呟きに若干むっとした。どことなく失礼だなこの神様。そう思っていれば……
「どうかした?」
時永くんから、大きなため息が出た。
「……悪い人じゃないんだけどな」
「……?」
「豊田さんもわかるよ、そのうち」
……苦笑いしたそれは、たぶん……かなり、意味深な言葉だった。
* * * *
・2011年12月14日(水)
それはお昼――いつの間にやら馴染んだ後輩2人と、地元民の佐田くん1人。
そしていつものわたし、谷川さん、時永くん、合わせて6人がラーメン屋にて食事をしていた時のことだった。
一足先に食べ終わり携帯をいじっていた時永くんの右横で、谷川さんが身を乗り出す。
「時永くん」
「はい?」
「今年って、イブも当日も土日だけど……」
きょとんとした時永くんの前で、谷川さんがニコッと笑った。
「――クリスマスってなんか、予定ある?」
……それが、あんまりに真面目な口調だったから。
わたしは思わず食べていたチャーシューを落とした。
……いや、まさかね!?
言われた当の時永くんは床に落ちる前のチャーシューをさりげなく餃子の取り皿でキャッチ! ――いや、そんなものはこの際どうでも良い。
――「敵襲よ美郷!!! この谷川ちゃん、清々しいほどストレートに喧嘩売りやがってるわ!」
やがるとか言わないの。
……いや、でもさすがにそれはわたしでも黙ってはいられない。
谷川さんが誰彼構わずアタックするというのは、勿論わたしだって知っている。
ただ、谷川さんだってバカっぽく振舞うことはあるけど――察し悪そうに演じていることもあるのだけれど。
それでもちゃんと向こうだって知っているはずだった。
わたしが【時永くんを好き】だと。
……だから彼女なりに何か考えがあってのことかもしれない。
ただ、それでも。
「……ねえ、ちょっと」
メティスの殺気立った言葉に押されるがごとく、思わずわたしもずんっと乗り出そうとしたとき。
――どんっ!
「そうだっ……思えばまたこの、忌々しい季節がやってきたんだっ!」
「がっでむ!!」
「もうやだこの国!」
突如、テーブルが力いっぱい拳で叩かれる音。
「ほああああ! なあああにがクリスマスおデートだヴォケが!! 日本人はコレだからやだね!」
「ああ……キリストのありがたみもよくしらねーのにクリスマスなんて祝ってんじゃねぇや!」
「ボケナスころs……! い、いや、紳士としてボクはあるまじき発言をするところだったので訂正するぞボケナスコロンブス!」
……それは後輩ズ+地元民の切実な嫉妬だった。
落川くんたちは分かるとして、七生くんはなんなんだ。コロンブスが君に何をした。
「全くどうかしてんだよ、クリスマスなんつー行事は男らしく中止すべきだよな! 日本全国の独り者達よ、まずは全員タコ焼きを食え……話はそれからだ!」
「「タコは関係ねー」」
谷川さんはわちゃわちゃ言ってる後輩ズを振り返ると、にっこり笑って言った。
「……いや、うっさいんだよ君ら」
誰もいない……というか、日に日に客足が遠のいている気がする、いつものお店『ラーメンアオギリ』。
微妙にずれたノリで始まったその、若者たちによって日本中で毎年のように語りつくされているはずのテーマ。
笑顔で殺気立っている谷川さんを前に七生くんは何も感じないのか、無表情のまま、静かに口の中のチャーハンを飲み込んだ。
「ま、結局……サンタクロースなんて、身も蓋もない言い方すれば単なる不法侵入者だし」
「「そうだ!!」」
「子供相手にも夢のないことだと思うよ……速攻中止すべきだね……もむもむ……ごくん……あ、チャーハンおかわりお願いします……」
「「だよなっ!」」
――「っていうか、ツッコミが遅いかもしれないけど男らしく中止ってこいつらさ……」
メティスの言いたいことも分かる。ここまで訳のわからない感じにゴネてる方が、よっぽど男らしさに欠ける気がすると思うのは気のせいだろうか!
なんて、思っていたら。
「いーえっ! クリスマスはあるべきです!!」
横の谷川さんが立ち上がった。
「元リア充が何いってんだゆっきー先輩!?」
「そうだー! 男をとっかえひっかえしてる谷姐は黙っとけぇ!」
「ボクたちはそんな破廉恥な人には屈しません!」
他に人がいないのをいいことに、ぎゃいぎゃいと騒ぎ立てる男の子たちも負けてはいない。……ついでに誰かが投げたお手拭きが宙をとび、時永くんがするっとかわした。
「……おっと」
ちなみに時永くんはお手拭きをかわした後も涼しい表情で、興味深げに後輩たちと谷川さんを見比べている。
……あれ、なんだかんだで楽しんでるな。
止められるのは、わたしだけか……。
「で? 破廉恥のどこが悪いって?」
時永くんがかわしたお手拭きは、ちゃんと谷川さん直撃コースだったらしい。
顔面から「ぺちゃん」と張り付くお手拭きを落とした谷川さんは、据わった目付きでのたまう。
「……ていうかあんたらね、ネガティブにも程があるってのよ。こーは考えられないワケ? クリスマスにかこつけてパートナーを会得するチャンスだと!」
「何をー!」
それに対し、佐田くんがビシッと反論した。
「オレ達非リアにとって、そんな前向きに考えられる時代はもう終わったんだ!」
「そーだぁあ! おれなんか中高で超モテるために運動系部活に入ったのにだなっ、クラスでいっつも単細胞扱いされッ」
「シャーラップ!」
ドゴッ、と落川くんが床に沈んだ。
……っていうかあの子、いつも友達から暴力受けててよく怪我しないな。
「……落川クンは本気で単細胞だから黙ってろ。お前は思考がシンプルであるがゆえに、ある意味モテる!!!」
佐田くんの無茶苦茶理論に、お手拭きを拾った時永くんが深く頷いた。
「ああ、確かに。初対面で20万のアクセサリーとか買わされそうだ……」
「そういう意味ですか成程、モテてる!」
七生くんが納得したんだけど――ちょっと待ってほしい。その落川くん、詐欺に引っかかってるのでは?
「そう、そこがキモなんっすよ時永さん! こいつの場合20万払えばチャンスがある!!!」
「……君もバカだよね佐田くん?」
わたしは思わず呟いた。
払わせてどうするんだね、助けてやれよ。
「ただ、チャンスのある落川はおいといて、オレ達にはもう青春を謳歌する時間が残り少ない……」
「いや、チャンスないから払っちゃったんだよ落川くん」
わたしが突っ込もうが聞いちゃいないだろうが、一応口をはさんだ。
佐田くんは渾身の一撃を叫ぶ。
「――ああ、もういい!! そうさ! オレたちはお付き合い回数ゼロのまま就職し、そのまま婚活しても数字は変わらず、1人孤独の中、滅んでいく運命にあるんだ……!」
なんてネガティブさだ。リアルで何気に恐ろしい未来がそこには紡がれている気がした。
七生くんが言う。
「ふふ……その点、谷川先輩は恵まれてますね……見た目だけでうじゃうじゃバカな人がたくさん寄ってくるんですから。……あ、チャーハンありがとうございます」
「谷姐の谷は谷間の谷!」
どさくさに紛れて何やらワケのわからない発言が落川くんから飛び出した末、当然のごとく谷川さんはスルーした。
「甘いわ君たち! 青春という言葉の意味を考えな! 青春というのは若い人間に訪れる何に対してもエネルギッシュでフレッシュな時期のこと! ……多くが単なる恋物語として誤魔化されるものの、本来なら何を中心に過ごしたって結局は楽しい青春になるのだっ!」
そして、谷川さんは佐田くんに負けない勢いでずびしっと人差し指をおったてた。
「……つまり、クリスマスに打ち込んで良いのは、恋だけではなーい!」
聞く限りではやたらとカッコいい台詞を吐いた谷川さん。ちょっと語る趣旨がずれている気がするが、まぁ間違ったことは言っていない。
メティスが粛々と突っ込んだ。
――「でも『本来は』なんて言うならまず、地球のクリスマスもそもそも恋愛イベントってわけじゃーないわけで」
うん、まともな人なら結論的にきっとそこへ行き着くよね。
「「…………。」」
しかしもはやまともな思考回路ではない落川くんと佐田くんは、返す言葉を探して黙り込む。七生くんは単におちょくる目的で参加しただけのよう。すぐに飽きた様子でチャーハンを黙々と書き込む作業に戻った。
「……よし、黙らせたところで時永くん」
「クリスマスは予定ありますよ?」
ちゃっかり話を戻そうとした谷川さんに、時永くんは間髪いれず爆弾発言を繰り出した。
「……は?」
反応が遅れた谷川さんの呟きと殆ど同時に、携帯のバイブレータが震えた。わたしの鞄の中のそれだった。反射的に送信者を確認する。
……送信者は。
「……あ、一応言っておきますけど、彼女はいませんよ?」
目の前にいる、『時永 誠』だった。
件名:12月24日
送信者:時永
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お話したい事があるのですが、
午前11時に奥蜂駅の南口に
来れますか?




