18.僕が僕である理由 2年目・12月24日(上)
・2011年12月24日(土)
件名:24日
送信者:時永
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お話したい事があるのですが、
午前11時に奥蜂駅の南口に
来れますか?
……これが、あの時来たメールの内容。
わたしは思わずため息をついた。
時永くんは毎回メールが簡素で短い。ともすればそっけなく見えるほどだ。
……とりあえず『奥蜂』という場所を知らなかったので調べてみると、いつもの駅から都心とは反対側に20分。更に乗り換え50分ほど揺られたところにある小さな駅らしい。
一応ギリギリ、都道府県でいえば同じ場所。
遠いといえば遠いけど、いけないというほどでもなく。わたしは普通に「いいよ」とメールを送信した……のは、いいのだが。
「…………。」
電車から降りたわたしは、思わずぼけっと立ち尽くしてしまった。
――「驚いた、こんな場所ってテレビの中だけかと……」
メティスの言葉に頷く。……古ぼけた木造の無人駅。
周りは1本の道路が通るだけで、あとは林。というか森……山?
駐車場はあるけれど、駐輪場はあるけれど。違和感しか感じないその感覚。
「ああ、わたしって、意外と都会っ子だったんだなー」……。
そんなことを思っていると突然。
「豊田さん!」
聞き覚えのある声に、ほっとようやく息をついた。
振り向くと、さびれたバス停の前で――時永くんが手を振っていた。
* * * *
「……驚いたでしょう、こんな辺鄙なところで」
乗り込んだバスの中、白い息を吐きながら時永くんが言った。暖房が効くまでに時間がかかるみたいで、さらに言うと誰も乗客はいない。
「ホントびっくりした。一応都内のはずなのに」
「都内なんて言えるのはいつものことながら、23区までですからね。……そういえば、豊田さんってどこ出身なんです?」
「え?」
時永くんは手をチョキにして、おどけたように口を開いた。
「この間、昼食をかけてジャンケンしたとき――この辺だと聞き慣れない掛け声使ってたでしょう」
……ああ。それで疑問を。
思えばめちゃくちゃ今更なことを聞かれて、気付くと言っていた。
「……豊島区」
「ん? 池袋とかその辺ですか、意外ですね。それこそ23区……」
「その後、泉区」
「……え?」
「23区じゃないよ、仙台」
きょとんとする時永くんを前に、わたしは指折り数え始めた。
「その後は埼玉県、愛知県。広島県……あと、熊本のちっちゃい島……また埼玉の……って、最後の埼玉は数ヶ月だから出身地じゃないか。今、東京都」
「……随分あっちこっち行ってますね……」
「親戚散らばりすぎだよね!」
なんて言いつつ。
「うちも親いないんだ、行方不明じゃなくて死んでるけど」
……ようやく、ドキドキしながら口に出すことができた。
「えっと……いわゆる、なんと言いますか」
時永くんは驚いたように聞いてきた。
「たらい回し?」
「そういうこと」
「……ドラマみたいだ」
「ありがと」
噴き出しながら言い返す。……なぜだろう、少し目が輝いて見えたから。
本当はそんなにドラマチックなものでもない。けど、人によっては確かに、一度は想定するシチュエーション。そんな感じだろう。
「あっ。来るまでに迷いませんでした?」
「大丈夫。困った時のボイスカーナビがいるから」
――「カーナビ扱い!?」
茶化して言うと、メティスから抗議の声が飛んだ。時永くんは少し考えて聞く。
「……それ、もしかしてこの間の?」
時永くんはわたしと喧嘩したあの日。クロノスが「誰か」と話してるのをちゃんと聞いていた。……その中に聞きなれない名前というか、登場人物がいたのを思い出したんだろう。
「うん、メティスっていうんだ。わたしにとっては……困ったとき助けてくれる、「お姉ちゃん」みたいな存在っていえば、いいかな」
「へえ……仲、良いんですね、そっちは」
クロノスと仲悪い時永くんからみたら、それこそ不思議な関係性なんだろう。一個ずつ噛み砕いて理解していく、そんな様子が何となく伝わってくる。
――「あの、そんな風に思ってるのなんて初耳なんだけど……」
嫌かな、メティス?
――「……いいえ、光栄だわ。驚いただけよ」
若干照れくさそうに茶化してかえってくる返事。わたしの表情から少しだけやりとりを想像したのか、時永くんはふふっと笑った。
……うん、今は聞こえてないみたいだ。
「……なんかいいですね。羨ましいな。あっ、ほら……こっちはその、あんな感じだから」
「わかる、仲良くしてるとこ想像つかないし」
「……ですよね」
……そのまま、20分ほど時間が過ぎた。
「随分遠いんだね」
「バスだと迂回するんで、こんなもんですよ。もう少しで着きます。一応、車で迎えにこようかとも思ったんですが……いつクロノスが来るかと思うとちょっと」
確かにそれは怖い。だってクロノスだ。分別のつかない子どもを運転席に乗せるようなものだろう。……いや、もしかして、子どもよりタチ悪いかも?
「っていうか、免許持ってるんだ!?」
「そっちにびっくり!? え、ええ……まあ。確かに教習所ではヒヤヒヤしましたが、一応高校卒業してすぐに取りましたよ。身分証明は持っておいた方が安心だし、あとこんなところに住んでたら、本数の少ないバスか自家用車しか交通手段がないもんだから……」
『――次は、小荷方5丁目。小荷方5丁目。お降りの方は……』
アナウンスが終わるより先に、手馴れたように時永くんは『ピンポン』と降車ボタンを押した。
* * * *
バスから降り立ったところはどうも、本当に山の中。知らない間に雪でも降ったのか、道の端には白い壁が出来ていた。
「……気をつけてください、溶けて氷になってるかもしれないから」
「ああ、うん」
――転ばないようにだろう、差し出された手を繋いだ瞬間、時永くんがつんつんとわたしを小突いた。
「ところであれ、見えますか?」
「どれ?」
「白いの。――あれが僕の家です」
そう言われて指差された方向を見ると。
「……うわっ」
林の間を縫うように伸びた車道の向こう。何かの建物と屋根、丸いものがチラチラ見えるのを見て、ようやくスケールがわかった。
一軒家ってレベルじゃない、これ、よく推理ものとかで出てくる豪邸だ!
――「予想してたけどやっぱでっか! この距離であれよ!?」
そうだ、メティスはどの程度か分からないけど未来が見えるんだっけ!?
時永くんは笑いながら言う。
「……大きいだけです」
――「これが大きいだけとな!?」
くねっと曲がった道の先には、背の高い門。……さびた洋風のそれは、やっぱり立派で、ひどくごつい。
「ところで、時永くん」
「はい?」
「何であの時、メールしたの?」
「…………。」
錆びたにおいと一緒に、辺りに響く重い音。
かんぬきがあくのを見ながら、時永くんは口を開いた。
「……“秘密”……」
門の中に足を踏み入れた時永くんは、その真っ直ぐな目をこちらに向ける。
「……これだけ僕のことを知ってる豊田さんになら、教えてもいいかなと思って」
あぁ、やっぱり秘密って言うのはクロノスのことだけじゃないんだ。
わたしはそう思って、深く息を吐いた。
* * * *
玄関を抜け、広間を抜けて……時永くんは最上階にある一室の扉を開き、中に入るように促した。パッと見、普通の書斎だ。
「時永くん、ここは?」
「……耳をすまして下さい」
……何があるっていうんだろう?
そう思いつつも言われたとおりにする。目を閉じて、音に意識を集中してみた。
すると、微かに……
ズッ、ズルッ……ズルッ。
「聞こえるでしょう?」
「……本当だ、何か聞こえる」
湿った音、何かが壁にぶつかる音。
何かがうごめいているような……そう、生き物がいるような気配がする。
「どういえば、いいのかな……」
時永くんは自分の家のことなのに、妙に困惑した顔をしていた。
「この部屋というか、壁の中にいるのは、ですね」
「モモンガとか、ムササビとか?」
「……いえ、そんな可愛らしいものでなく」
時永くんは机の上に投げ出されていた黒い本を本棚に直しながら――その単語を口にした。
「――『猛獣』です」
「猛獣ぅ?」
「この本棚の向こうには数年前、クロノスがこっちに送り込んできた猛獣がいるんです」
そう言って時永くんは、そこに至るまでの身の上話を語り始めた。
――1991年、5月12日。
とある養護施設に、1人の赤ん坊が届けられた。
身元は特定不能。名も、元の親に繋がる手掛かりも一切見つからないままだったその子は、施設の人間によってようやく「適当な名」を付けられた。
その名は『誠』……と言っても、大して深く考えた名前でもない。
その施設の人間にとっては、ただ、記号的な意味でのものだった。
噂を聞く限り、他の施設にはきっと「子供」を心から愛する人間がたくさん居たのだろう。だが運の悪いことに――その施設には、あまりそういう人間がいなかったらしい。
らしい、というのは……彼がもう、あまり覚えていないから。
時永くんは口を開く。
「……もう少し前までは人の名前なり、出来事なりを口に出せたんですが……」
……覚えていることは少しだけ。
いつも、自分のみが『窓際の本棚前』を占拠していたこと。
配膳されるコロッケの匂い。他人と関わるのが好きではなく、口をつぐみ続けた食事時。……楽しげにふざけ、遊び回る周りの子……自分だけが気付いたように思った、独特な大人の空気……「最低限の世話をされて、死なないように生かされている」、そう感じたつめたい空気。
「……今思えば、かなりひねた子だったんでしょうね。可愛げがなかったと言うか、全てにおいて悟った気になっていたというか……そんな感じの」
6歳になったばかりの時、彼はひょんなことから『養子』を探していた一組の夫婦に出会った。
“手がかからなそうだから”。そういう理由で選ばれた時永くんは、文句も言わず……ただ、ついていった。
「……正直に白状するなら、ですが」
時永くんは苦笑しながら言った。
「僕は出会ったその瞬間から、その『新しい両親』に対して、心の中で随分な不信感を持っていました。――2人とも、何でも軽々しくお金で解決する嫌味な癖があったからね。僕を引き取ったときも例にもれずだったことを覚えてるよ」
ただ、その表情は。
その、目は。――ただ、「嫌いなもの」を語る、それじゃないような気がした。
「……とんでもない人たちだったよ、全く。だってそうだろう……その人たちは、僕と少し似ていたんだ」
引き取った夫婦はどうも、超ド級に不器用な人間だった。
「言葉選びと感情表現が苦手な似たもの夫婦」……そう、当時の時永くんは感じたのだという。
「“金で何でも解決しようとする”のは、僕と同じく口下手だったからだ。何でもかんでも、それで話をまとめようとした。――なんて成金だ。子供心にそう思った。ただ同時に僕はこう思うことが出来たんだ。なんだかんだ言いつつ、結局この不恰好な夫婦は本気で、『子供』が欲しかったんだってね」
口の悪い夫と我侭な妻。
引き取った子供が元々捨て子だったということを知っていたから。
そして「自分たち」が誤解されやすい性格で、人に利用されたり利用することは数多くあれど、深いところでは他人に拒絶されることの多い生活をしていたから。
……だから、言われた言葉がある。
だから、接し方が硬くなかったことがある。
だから、恐らくは……
時永くんはぽつりと言った。
「……『可愛がられていた』のかもしれませんね」
不器用な大人たちはひたすら、暇があれば色々な場所に連れて行ってくれた。
しかし思い切りインドア派だった時永くんはときたま疲れて、うんざりしたようにこう言い放ったという。
――『どうせ僕のこと、人形としか思ってないんでしょ?』と。
「……都合の良い『子供』って名前の人形としか思ってないんじゃないのか、ってね。それだけ当時の僕は捻くれて、疑り深かった。でもそれだけ可愛げのないことを言ったのに結局、その仮の両親は僕をまた、金で売ろうともしなかった」
……人になかなか心を開かない。
そんな時永くんも時永くんなら、夫婦も夫婦だった。
夫婦は商売や駆け引きの才能は余るほど持っていたものの――いざとなると、普通の人付き合いに関しては、やっぱりトコトン弱かった。
「……両方決してただの口下手なわけじゃない。どっちかといえば口車に乗せるのは上手な人だった。仕事や日常をそれでどうにか、切り盛りしてたのは間違いないからね。ただ子供相手にどうにか話そうとするんだけど……いざ喋ろうとすると、話題が思いつかない」
懐かしそうに話していた時永くんは、そこで苦笑する。
「……結局話が一方通行。よく分からない僕は黙って頷くだけ」
そんな壊滅的な形の「家族」ではあったが、何もずっとギクシャクしていたわけではない。
少しずつではあったが、距離は確実に縮まっていった。
「……ある日、父親が僕に言ったんです。『もう仕事で使えないパソコンが1台ある』と」
元々細々したものが好きだった時永くんは、すぐに興味を持った。
既に2000年代前半……インターネットが急速に身近になりつつある時代だったし、父母もまったく機械に知識がなかったわけではない。
それでも何か問題が起きた時、2人はそれとなく、時永くんを頼った。
「おかげで『こういうことは得意だ』なんて……僕は少しだけ胸を張れるようになりました」
……殆ど無言で、喋っても一言ずつ。
誰が見ようとパッと見、まったく仲良さげには見えなかった。……しかし、それでも。少しずつ着実に、「距離」は縮まっていった。
「2人にとって、僕はただの『エラーに強い小学生』だったかもしれない。……ただの、『使えない機器を少しだけ直してくれる中学生』だったかもしれない」
……もぞもぞと音のする、暗い壁。
時永くんはそれをまっすぐ見ながらぼそりと呟く。
「……相手方にとってそうだったかもしれないように、僕にとってもその夫婦は『ただの居場所』だった。逆にいうと、『居場所』だとは思っていた……ああ、勿論、まず選択肢がないんです。いるしかないところだった。施設に戻る気もない、好きでそこに住んでいるわけじゃない、ただ、出て行く理由もない! ――半端に居心地が良かったのだけは、事実だったんです」
一家で休みに出かける以外の束縛は、さほどされなかった。
平日、学校の図書室にこもって少し遅くなったとしても……便の少ないバスを逃さない限り、叱られはしなかった。バスを逃しても舌打ちしながら養父が迎えに来たし、そういうときは帰り道にこっそりと焼き菓子だったり、家ではあまり出ないジャンクフードなりを渡された。
「……気にはかけてもらっていたのだ、そう今なら分かります。僕も少しは、2人のことを信用し始めていました。でも最後の枷が外れなかった。――どうしても僕は素直に笑いませんでした。素直に泣きもしませんでした、怒りさえしなかったんです。ただ……」
その、時永くんの中に少しだけ残っていた、『親への不信感』に着目してやってきた人物が居たという。
「……それがクロノス?」
――「でしょうね」
メティスが答えた。
――「クロノスにとって『人の意識を乗っ取る』っていうのは、隙がないとできないことなの。『自分がよく知っているものじゃないと動かせない』みたいな感じかしら?」
なるほど?
――「時永くんの持っている他人への不信感は、クロノスが持っているひとつの側面に似ているわ。『歩み寄らない』、『壁を作る』、『自分を、異端なものだと認識する』……」
殆ど同時に時永くんが頷く。
「……結果、気がついたら……僕は玄関口にハサミを持って立っていました。目の前には血だまりがあって、手には何かをえぐったような感触だけ残っていた」
記憶も自覚もなかったが、不思議と自分の体が「何をしたか」だけ把握できた。
「……養母を後ろから、遅れてやってきた養父を正面から、不意を打って突いたんです。えものはただの工作バサミでしたが、そこまでなるかと不思議なほど、『体の奥に手を突っ込んだ』――その動きだけが頭にありました。生ぬるい血の感触。それがいつまで経っても、右手にこびりついて離れない」
養母はすぐに動かなくなったが、養父の方の意識はまだあるようだった。
「その時、僕の右手には血まみれのハサミ。左手には別のものが握られていました。どうも少し前……僕自身が買ったらしい、妙な装丁の黒い本が」
――時永くんが指したのは、さっき本棚に押し込んだ黒い本だった。
もう一度よく見てみると、その本は開かないように何重にもテープで巻いてあるように見える。
「あれって……」
「布テープです、剥げたってかまいません」
……読書家の時永くんにしては考えられないような扱いだ。
「『猛獣』と同じですよ。あれはクロノスが持ってきたものです。しかも悪質なことに、誰にも怪しまれない状態でそれは届きました。……それを普段から使っていたネット通販で購入したこと、受け取ったこと、保管していたこと。僕は何一つ覚えていません。今だってぽっかり穴が開いたみたいに思い出せない。ただ、後で確認したら……」
――立派に、購入履歴だけ残っていた。
肝心の商品ページにとべば、サーバーエラーを吐き出していた。
「……だから僕は未だに、自分の記憶を鵜呑みにできません」
わたしは思い出した。
――初めて会ったとき、やたらとハキハキ、質問の多かった時永くんのことを。
「……どんな小さなことでも確認するようになりました。そうです。誰よりも質問が多くなりました」
「うん」
「それで下手を打っても、笑ってごまかすことくらいしかできない。……『覚えていない瞬間』があることに気付いてしまったんですよ。自分のことが自分で分からないんです。眠っている間に何をしているか、眠っていなくても何をしているか」
時永くんはそう言って、自嘲気味に笑った。
「――こんな穴だらけの人間、どこを信じればいいって言うんだ」
それくらい、時永くんが覚えていることは断片的だった。切り取ったシーンがチカチカと切り替わるように進んでいく物語。
……彼は世界に参加せず、見ているだけに過ぎなかった。「違う誰か」が紡いでいく、時永くん自身の物語。
「……養父の腹から手を抜いた『僕』は、その見覚えのない本をいかにも大層に抱え直しました。……そこに書かれた『何か』を言ったんです。そうしたら……」
この壁の、『猛獣』らしき何かが現れたという。
「そいつはその時、完全に透き通っていて――ただ、息遣いだけが目の前にありました。……ぐちゃりと養母だったものが食いちぎられて、ようやくはじめて、とてつもなく大きいものが目の前にいると知ったんです」




