1.出会った頃 1年目、秋から春。
・2009年 11月21日(土)
――「ここで、本当にいいの?」
「うん、わたしはここに決めた!」
暖房の効いた大学の講堂から外に出ると、一気に冬が到来した気分になる。
それほど空気が冷たい。
――「だからって、ねぇ」
「何? 文句でもあるの、メティス?」
わたしは、頭の中でぼやく女性の声に聞いた。
――「志望校の欄にこの学校だけ記入する人なんて、美郷以外にそうそういないと思うけど……」
「まぁ、『滑り止め』ってやつで、自分の実力よりランクがすっごい下の学校も視野に入れる意義はね、充分にわかる気はするけどね……ただ、わたしは1つに目的を絞らないと集中できないタチだから、逆にそういうのは向いてないっ」
“合格できなくても逃げ道があると思うから合格できないんだ!”
そんな持論を大威張りで展開する普段のわたしを知っているからか、すぐにメティスはため息とともに返してきた。
――「わかってるわよ、一度言い出したら聞かないってことくらい。あなたも相当頑固な子だからね」
「ご理解ご協力、感謝しまーす。本当に困った時は頼りにするからね」
――「はっはー、悪いわね、カンニングの手伝いなんか真っ平御免よ」
「ええー。こういうときにやってくれての神様でしょ、後ろから指示して確実に勝利をもたらす……暗躍する見えない助っ人! なんかカッコいいと思わない?」
――「囲碁でもやってみてから言いなさいよ、そんな漫画みたいな台詞」
……さて、どう考えてもこの人だけがこの「私の現実世界」の中でファンタジーだけれど、こういうのも一応物語調だからして逐一説明しなきゃいけないと思うのがちょっとめんどうくさい。
ま、そうだね。
端から見れば恥ずかしいことなんだろうけど、わたしには小さい子によくある現象らしい、いわゆる「見えないお友達」というものがいる。
それも他の子は大きくなるにつれて徐々にいなくなるだろうに、わたしの場合、聞こえてくるようになったのはここ数年だ。
そう、ここ数年……ずっとどこからかちょっと反響して聞こえてくる、謎の声……それがメティスだ。
初めて喋ったのは中学に入るか入らないか……それくらいだった気がする。
始めこそ、このちょっと不思議な“自分だけにしか聞こえない”らしい声に戸惑ったりもしたけど、今ではもうすっかり慣れて親友同然……いや、もしかしたら姉妹の感覚かもしれない。しっかりもののお姉ちゃんとずっと音声通話しているような感覚だ。
そうは言っても、未だにわたしはメティスのことを詳しくは知らない。
……だって正直言って、今更あまり興味がないから。
確かに初めて喋った時なんかは驚いて、正体を聞き出そうとした。けどその時はきちんと答える気もなさそうだったし、その後実害なんかまるで皆無。
むしろ目覚ましがわりになってくれるし、なんかめちゃくちゃ便利。
とどめは怪しむわたしにメティスが言い放った、この一言。
――人は孤独の中では生きられない。そのことを教えにきたんですけどね。
その言葉を聞いて、わたしはふと思った。
……あぁ、「神様」が助けに来てくれた、と。
小学6年生の頃までは確かにいたわたしの両親は、もういない。死因はなんでもない、ただの運が悪かっただけの交通事故。
共働きで忙しかったお母さんとお父さんは、元々わたしを連れてスキー旅行に行くはずだった。そのために休みを合わせたし、わたしも張り切っていた。
あのときわたしが風邪を引いたりしなければ。
……寝込んだりしなければ、あるいは。
あ――ううん、大丈夫。これ以上は書かないよ。
その後、日本中に散らばった親戚を転々としていた当時のわたしは正直どう振舞っていいか分からなかったし、精神的に酷く乾いてしまって泣くこともできなかった。疲れ切っていた。だから思ったのだ。
“もしもこの人が本当に神様であるならば、きっとわたしを救いにきてくれたのだろう”と、そう都合の良いように。
つらいこと、悲しいこと……全てを一気に経験したばかりの当時のわたしには、“神様”なんて存在に疑いなど持つ余裕はなかった。
「溺れる者は藁をも掴む」。
きっと、そんな心理状態だったのかもしれない。
「あのーっ! すみませーん!!」
と、思い返してたところでふっと気付いた。
――「美郷、呼ばれてる」
「うん、気付いた。なんだろう?」
遠くから大声で呼びかけられているのに振り向くと、男の子が走ってくる。
あ、あの子だ。
……さっきの説明会で、ちょうど隣の席だった男の子。
名前は……なんだったかな?
手で隠されちゃったから見えなかったけど、確かあの席順は予約したときの「名字」から決められてたみたい。あいうえお順。わたしの逆側は確か、通路を挟んで高幡さんと谷川さんとか言ってた気がするから、たぶん、わたしの名字と同じ「と」から始まる名前か……
それに順ずる字の子だろう。
男の子は息を切らして駆け寄ってくると、わたしにぜえぜえ言いながら何かを手渡した。
「すみません、ペン、返すの忘れてて」
「……あっ」
あーっ、そうだ! 何か忘れてると思ったら!
わたしはそそくさとペンケースを取り出す。危ない、確かそれ、前に九州でお世話になった友達がくれたやつだ。
いや、別にいいんだけど。
思い出なんてまた、作ればいいし。
なくしたって換えはきく――そう思わなきゃ、やってらんないし。
「ごめん! ホントなら貸した側が気付くべきだったのに! なんだったら、持っててくれたままでも別に良かったんだけど」
「そんなわけにはいかないですよ、それに」
「それに?」
「……側面」
側面? 疑問に思いながらコロンとペンを転がした。すると、うっすらと……
『みさと、トウキョー帰ってもガンバレ! あんり☆』……
「……」
……わたしは笑った。
「あの、すみません……まさかとは思いますが……」
「あっはっはっは」
「き、気づいてなかったんですか……」
わたしはわざとらしい笑い声をやめて、ちいさく呟いた。
「……フッ、その『まさか』だぜ……」
「そんな……」
男の子は消え入りそうな声ながら、割とハッキリ呟いた。
「……くっそ薄情なっ……」
――「もっと言ったげて眼鏡の青年!!?」
ギャオンと女神の声が耳の奥で轟いた。
――「執着心のなさが異常なのよこの子! 自覚すらしてない! あるのも嫌だけどないのはもっとマズいってことをっ……教えてあげっ、て……くだ……うん……ああ」
いきなり声量がしぼんだメティスは呟いた。
――「そっか、今見たら同類だったわ……」
え?
――「限りなく……同類だったわ、この、眼鏡……」
……何か知らないけど失礼だよメティス?
「……いやあー」
とりあえず呟く。
「き、気づかなかったなー」
「……ずっと使ってたんですよね、気づかないものですか?」
「……はは、握り口だからね、すまんね! 九州時代の親友!」
「いや僕に言われても困ります」
……なるほど、それは借りパクしたら一大事だったかも。主にこの子の罪悪感が。
「友達からもらったものでしょう、それ」
「まあね」
「……そんなもの、借りたままにはできません」
――まっすぐ、真剣に言うような目が、なんとなく印象的だった。
「それは、ちゃんと大切にしてください。僕には重すぎます」
……ああ、それは、確かに。
何か、根本的なところがカチッとハマる。
そんな同調の仕方をしたような気がして、思わず頷いていた。
そもそもわたしだって全部に「薄情」なわけじゃない。
「大事なもの」は「大事」。
そう思う気持ちくらいある。
……ただ、怖い。
「でも、そうですね。貸してくれて助かりました」
……一度でも懐に入れたら、もう戻れないんじゃないかって。
もう一度、その感情を。
大切なものを、目の前から掠め取られていくんじゃないか……。
――「美郷?」
「え? ううん、こっちこそ……」
大げさに頭を下げてくる男の子に、わたしは慌てて返した。
「わざわざ返しに来てくれてありがとう。気難しいのかなと思ってたけど、けっこう優しいんだね」
「!!」
何故だろう、びくっと彼の体がオーバーに震えた気がした。
うん? なんだろう、特に嫌なこと言ってないよねわたし? っていうか……
「…………。」
……何、この反応。
ちょっとわたしにビビってる?
「……」
もむもむと口を結んだその様子は、迷子の野良猫みたいだった。それも人間に噛み付く直前の。
――「まるで不審人物を見るような目だけど、私と話してるのバレたんじゃない?」
ええー、それは困るなぁ。いや、別にいいけど変な子だと思われても。
……だって変な子だとは思うし実際、我ながら。
「……ところで、急かしちゃった気がするんだけど、もう帰るの?」
「え、ええ……はい」
確かこの子、説明会の間すごかった。
「……目ぼしいものはあらかた、全て聞き終わりましたからね」
さっきとは少し様子が違う。得意げに眼鏡が光った。……うん。そうね。
すぐ隣に座っていたこともあって、ちょっとびっくりしてしまったんだけど――今でこそ「うだつの上がらない表情」をしているそれが、説明会が始まるといきなりキリッとしたんだった。
頼りなさげなそれが、まるで別人のように。
まず異様に細かかった。……学部毎の学費の具体的な数字や振込方。
休学、復学の仕方。それをする人の多さ。学食の売り。
生協の売店はどんな感じか。
構内にある本屋の規模は?
ロッカールームのセキュリティ等は何か対策を取っているのか?
文化祭で力を入れているところは?
最寄駅はモノレールの大学駅が徒歩30秒であるのは、さっき使ってきたので分かる。だが他路線の方にも構内直通の送迎バスが走っているとのこと。
それは具体的にはどの路線のどの駅を経由するのか?
駅以外での途中下車は可能か。
……等々、などなど、諸々。
パンフレットに意外と詳しくは書いていなかった箇所、穴という穴を全部つついていっていた。
あれは……そう、言うなれば質問魔だ。
説明会で彼の質問した内容と回答をずらっとメモしていくと、事前に調べてきたネットでの情報が食い違っていた部分も意外に……というか、ほぼそんな感じで割と多かった。
多分これ、事前にばっちり調べてきている。
それもわたし以上にちゃんとぴっちり調べておきながら、不自然とか疑問に思った箇所をずらっと詳細にピックアップしてきたんだろう。
そこに恐らく本日ゲットしたパンフレット情報を普通に反映。
質問内容を一部変更。
多分――そんなところだ。
彼が担当の先生をハチの巣にしてくれて助かった。やっぱりインターネットは便利だけど、鵜呑みにはするものじゃないよね。
……そんなわけで、彼がいて本当に助かったのだ。
具体的に「ここ」での大学生活を頭の中でふわふわと思い描けたのは実際、ほぼほぼ彼の功績だと言ってもいい。
「……それに、電話でも聞けますし」
うっわまだやる気だこの子。
というか、何をそんなにガッチガチになっているんだろう。
「すごい気合だね……」
「ちょっと恥ずかしい話なんですが……実は、自力で学校探しするのが初めてで。加減が分からなくてああなった感じというか」
加減が分からないとかいうレベルじゃなかった気がする。
あれはプロだ。その道のプロ。
メティスの呆れたようなツッコミが来る。
――「どの道よ?」
「ってことは今までほとんど受験とかして来ずにエスカレーター式だったんだ」
「そうですね」
この辺りに公立でそんな学校がないのは、なんとなく知ってる。
あんまり詳しくはないんだけど、この辺でエスカレーター式というと恐らく……ちょっと南の方にある聖山だっけ? とかいう中高を除き、9割方は大学付きでかつ、学費がお高めの私立校だ。
もしかして、どこかのおぼっちゃま校だったんだろうか?
「いつから同じ学校だったの? 小学校? 中学校?」
「小学校からです……母がちょっとブランド名にうるさくて」
あ、やっぱり。イメージは間違ってなかった。
この子多分、ちょっといいところ行ってる。
「そのまま上に行こうかとも思ったんですが」
「ですが?」
「……進学テストに見事、ごろごろーっと落ちまして」
広い世界を知りたくて、とか漠然と思い描いてた答えを覆された。
何だこの子。割と切実な問題だった。
「……意外と君ってさ」
「なんですか」
「勉強机の引き出しから出てきた『未来科学の化身』に居候されてるような子?」
……がくっ! と細い首がもげそうな感じに倒れた。
「――まあ、その、素直に言ったらどうです? 某猫型ロボットに人生をのっとられかけてる小学生の名前を」
「見た目のイメージはちょいと違う気もするんだけどね」
「っていうか、眼鏡しか共通点ありませんよねそれ!? ……一応言いますが、成績だけで言ったらぜんぜん悪くないですよ」
「そうなんだ」
「ただ成績じゃなくて、『体調』が悪かっただけというか……試験中に人知れずこう……」
難しそうな顔をした彼は、一瞬間をおいて『こてっ』と手を動かした。
「……ストン、と意識がブラックアウトしました」
……何かしらの原因で気絶してるじゃん。
いや体調悪いってレベルじゃないというか!
――「……ああー」
いやメティスもああーじゃないから!
憐れみの声を出さなくって別にいいから!
というか病院行こうよそれ。試験どころじゃないよ……。
わたしはひたすら目の前の、「ナチュラルに面白い男子高校生」に突っ込もうかどうしようか迷いつつ、目の前に見えている駅を指さした。
「……とりあえず立ち話もなんだし、駅まで歩きながら話さない?」
「……そうですね」
「このまま途中まで一緒に帰ろ」
ぽん、と肩を押せば、やっぱりびくっと動いた。
うん、やっぱボディータッチが苦手派か。なんかすまない。
「こっち来たってことはバスじゃなく、駅使って帰るんだよね?」
「そうですね、多分」
……心を開かれてない感がちょっと辛ーい。
「……まだ聞いてなかったけど君、名前は?」
「……いいですよ。時永です。――『時永 誠』。」
少し考え、頷いた時永くん。名前ぐらいは教えてくれるようで助かった。
……っていうか、今気づいた。
よく見るとこの子、思ってた以上に整った顔してる。
王子様系っていうのかな。儚げでひょろりとした細身。少しなよっとしたイメージはあれど、不思議と女の子に影から見守られるタイプ、というか……
「……漢字、聞いていい?」
問い返せば、目を伏せていたそれが少し上を向く。
「……はい。時が永らえるで時永、で……下の名前が……どう説明しようかな」
ちょっと口ごもった時永くんは、宙に漢字を書いた。
「……言偏に、成る。えっと、それで分からなかったら……一部のゲーム好きから猛烈に当たりがキツい名前と言いますか……」
ごめん、一発で分かった。――だってそのアニメ序盤だけ見たもん。
「……もしかして、アニメ化して最終話が話題になったやつだ?」
「そうそう、アニメ版最終話で殺されて、ファンが大歓喜したクズ男が――ええ、ちょうど僕です」
「そういう自虐ネタをちょっと嬉しい感じに言わないでくれる!?」
うん――わかった、今ちょっとネガティブな子なのは把握した!
そう思いつつ、わたしは早々に頭の中を切り替えた。
「なるほど。言を成す。嘘偽りのないって意味の、誠くん。……うん、いいね、誠実の誠!」
「…………。」
「何? どした?」
時永くんはまた何やら難しい顔をして。それからちょっと困ったように笑った。
「……すみません、実は……あまり好きじゃないので」
「自分の名前が?」
「いや、響きは別に。ただ自分の名前の意味というか……口頭で説明するときのあれがあんまり好きじゃなくて」
首をすくめながら、控えめに彼は呟いた。
「だいたい皆『誠実の誠』っていうでしょう。……どうします? そんな名前の僕がもしですよ? 誠実さの欠片もない悪魔みたいな男だったとしたら?」
「何、そんなこと?」
ちょっとくだらない理由にわたしは少し笑ってしまった。だって。
「……別にいいんじゃない?」
彼は少し驚いたように眉を上げる。
「……軽く言いますね?」
「名前なんてそんなもんよ?」
誰にだって悪いところはある。
清廉潔白な人なんてどこにもいない。
「それをいうならわたしの名前もそうだよ。そこまで立派じゃない」
……名前なんて、多少負けてるくらいが普通なんだ。
「豊かな田んぼで豊田、濁音の方。美しき故郷って書いて美郷。……うん、わたし『豊田 美郷』。よろしく!」
「豊かな田んぼに、美しき故郷……あ、いいな」
ぽろっとこぼれるようにわたしの名前への「ご感想」が呟かれた。
「良い漢字ですね」
「でしょ? それで本題なんだけど……わたし、そんな綺麗な名前に見えるかなーあ?」
軽くおちゃらけて変顔しながら呟けば、ぷっ、とようやく笑顔が見れた。
ちいさく噴き出したのだ。
「綺麗というよりは……そ、そうですね。豊田さん、小柄な人だし、髪の毛ふわふわしてるし、可愛い?」
「本気にするよ?」
「絶対しないでください」
「豊臣秀吉にどぶガエルの産卵してる田んぼ、不美人の美に西郷どんって言ったほうが百倍マシでしょ?」
「ん――ふ、ふふ!」
お次は声に出して笑ってくれた。
「……よ、よくそこまで180度、印象を変えられますね!?」
「当然でしょ!」
……多分だけど、普段は結構笑うよね、この子。
「わたし――人を笑わせるの、得意だよ?」
「ああ、うん……それはなんとなく分かりました」
ちょっとだけ苦笑いっぽくなる時永くんに、なんとなく思った。
……なるほど。
きっとこの子、今の今まで笑うつもりじゃなかったんだ。
人前で笑ったりはしない……「愛想笑いくらいにとどめてあとは離れよう」。
それが見て取れちゃった気がして、わたしはちょっとだけその子に興味を持った。だって――ちょっとだけ似てるからだ。昔のわたしに。
「それはそれでインパクトのある自己紹介になると思いますが……僕の好みとしては正直、最初の方がいいですね」
「あ、やっぱり?」
時永くんの言葉にしれっと返す。
興味を持ったそれを悟られないように。逃げられたりしないように。
「……やっぱりも何も」
そう言った時永くんはふと別の方向を見た。視線を追ってその方向を見ると、そこにあったのは見事に紅葉した楓の木。
千切れるように風に舞う赤い楓。……枝先は一見、消え入りそうに見える。目の前の時永くん同様に儚くて、細い。頼りない。
しかしその本体。
真っ直ぐしゃんと空に伸びた、堂々とした幹はなんというか――
「……すごいね」
見事なもの、だった。
「……これ、自生してたやつですかね?」
「さあ」
思わず口をぽかんと開けて、でも――うん、一瞬後に笑っちゃう。
この学校、なんだか自分に合ってる気がする。雰囲気だけだけど。
「こんなところに誰が植えたんだろう」
青い空に散っていく赤。思わず目を細めてわたしは言った。
「さぁ? ……でも、綺麗だね」
――あの快晴の秋の日。それが彼と出会った最初の日だった。
* * * *
・2010年4月7日(水)
「あれっ、時永くん」
「あ、お久しぶりです」
どうも、と遠慮がちに呟く彼と次に会ったのは、あれから随分とんで春の話。
初めて会ったあの大学のど真ん中にある、『噴水広場』でのことだった。あの楓のすぐ奥……校舎の反対側。
「やっぱこの学校来てたんだ」
「第一志望は落ちましたけどね。通ってみたら先生も丁寧だし、結果的には良かったかと……」
ああ、そっか。
この子もやっぱり、この学校よりもっと上のところを目指してたんだ……
「悪かったね、君の滑り止めオンリーで受験してて」
「あれっ……ということは」
向こうもその意味に気づいたらしく、くすりと笑った。
「……意外だな。豊田さん、頭良さそうだからもっと上を目指してたのかと」
「『確実に合格できる学校しか狙わない』、『狙うからには1つに絞って徹底的に策を練る』をモットーにやってたからね!」
ふふん、とわたしは胸を張った。
「学校に受からなくて泣く人いるでしょ! あれはね、“合格できなくても逃げ道がある”と思うから合格できないというのがわたしの持論なのだっ!」
ふざけ半分、ビシッとカッコつけての大胆発言に彼は「へえー」と微妙な反応を返す。
「なるほど、それも一理あるかもしれない」
――「いやそこ、地味に納得しない! 当てはまる人と当てはまらない人がいると思うから!」
メティスのツッコミが脳内に響き渡るが、きっと彼には聞こえていないだろう。
多分。いや恐らく。そう思いたい。
「ところで時永くん、もうご飯食べた?」
「え? いや、まだですけど……」
「じゃあ誰かと一緒に食べる約束とかしてる?」
わたしが聞くと、時永くんはひょこ、と音がしそうな動きで首をかしげた。
「いえ……」
「だったら!」
“あ、嫌な予感”。そんな心の声が聞こえた気がした。分かりやすい。……時永くん、本当に考えてることがモロに出る。
「せっかくだし今から行こうよ! 裏門近くのラーメン屋さん、メチャクチャおいしいんだよ!」
「えーっと……」
「断る理由」を探している。必死に頭を動かして。
……だがさせるか。
せっかく説明会の時の顔見知りと会えたんだ、もったいない!
「あ、あの……」
「なんかある?」
「……」
人との縁は有効活用するものだ。
特に出会ったばかりの人ほど逃しちゃいけない。
「ほら! 悩んでるんだったらはーやーく!」
ぎゅっと掴んで、引っ張る。……こうなりゃ強制連行。
「……ちょっ、とっ!?」
ととと、と引きずられるように歩き出した時永くんは困惑しきりだった。
弱ったようにアワアワと目を動かしている。
――「うわあ。いつものことながら……グイグイ行くぅ……」
ひいたようなメティスの声がしたけど、当然だろう。
だっていつもわたしはそうだ。ペンの話もそうだけど、わたし、一度別れた人間にはあまり執着心を持ち越さない。だってそれは「過去のこと」だ。
わたしにとって大事なのは、今。
今、やらなきゃいけないこと――今、しとかなきゃダメなこと!
「この時声をかけてれば」とか、「あの時こういってれば」……それを残したままでいられない。
明日でいいじゃん、とか言ってられるメンタルは、まだしていない。
……確かに、そうだね。
考えてみるとトラウマなのかもしれない。
明日そこに、「仲良くなれたはずの人」がいないかもしれない。
そう思うと、気がせいてしまう。
仲良くなれたかもしれないのにチャンスを逃して死ぬよりは、嫌われて死んだほうがまだいい。
グイグイいって嫌われて。村八分にされて――それで、「やっちまった、たっはっはー」と笑う。
わたしにとってはきっと、そっちのほうがマシなんだ。
だって友達にもまだなってないんだから、嫌われたらそれまでだもの。
今押さなくて、あとで「あー! ああしとけば今頃ー!」なんて後悔するのだけは絶対嫌だ。
「へーい歩いた歩いたー!」
「あ、あの……!」
迷惑げに何かを言いたげなそれ。……ああ、嫌なら嫌って言え!
ぎゅっと目をつむる。目をつむったまま、彼の服のすそを引っ張る。ああ――ああ! わたしは傷つかないぞ!
いくら拒絶されようと、いくら、嫌なこと言われたって!
文句を言おうとしたような、戸惑っているだけのような。
煮え切らない、そういう態度に、反応に……わたしは強気に返した。
「早くしないと、席取られちゃうぞ!」
「……僕に」
ようやく決まった声が聞こえた。「嫌だ」「待て」という意味のそれ。
「僕という個人に、選択権はないんですか……!」
……うん。合格。よく言った。
半ばそれを待ってました。でもね。わたしはこう返す。
「うん……ないっ!」
「は?」
……さすがに、今まで。
「……ないって言った、文句あるっ??」
――「美郷ぉ、あなた、さあ……」
ここまではしたことがなかったように思う。
でも、今思えば何を思ったのかな……わたしはその時、のっけからフルスロットルでひどいわがままを言ったのだ。
「だって予定、ないわけじゃん!」
「はあ」
「つまり、時永くんの気がのらないってことじゃん!」
「は、はあ……」
「じゃあのっけてあげる!」
内心、ぷは、と噴き出してしまった。何言ってるんだろう、わたし。
「気持ち、のっけてあげる! ……のっかんなかったら次から来なくていいから! どうかな?」
……だって慌てている割に。勢いに流されている割に。なかなか否定形を言わない時永くんの様子が何だか変で、おかしかった。「そういう気分じゃない、いい加減にしろ」と言えばわたしはひいたのに。
「なんでそこまで僕とお昼を……」
「仲良くしたいじゃん?」
「えっ……?」
いかにわたしがやりたい放題の自覚があるとはいえ、本気で押すわけない。
ちゃんと断られたら。殴られたら。暴言の一つでも吐かれたら!
「うんそっか、ごめんね!」――そう言ったはずだ。
だからこそ、ふざけた調子にした。
でも言わない。いや、どうも言えない。
……それは優しいというより、気が弱いというより。何か別の感情のような気がした。
「仲良くなりたいって言ったの。同じ学校だよ? ここでまた出会ったの、何かの縁だよ?」
「…………。」
時永くんが黙った。「今、何言ったのこの人?」みたいな表情で。
……わたし、そんな変なこと言っただろうか。
だってこんなに変わった印象の男の子を、わたしは知らない。
最初の説明会でのチキチキした質問魔っぷりからは想像がつかないほど、再び出会った時永くんはひどく脆そうな雰囲気をしていた。かすれて消えそうな雰囲気を放っていた。
……なんだろうか、どうにも根本的に居心地が悪いというか、ここにいてはいけないものというか。
肩身が狭そうな、というか。
浮いている。場違い。そんな雰囲気を出していた。
……わたしだって、何度もリセットがかかった。引っ越すたびに。親類の家を転々とするたびに。
正直幾度となく経験した。
学校が変わった直後は、大抵うまく溶け込むのが遅れる。
妙なところに飛び込んじゃったような気がして、当人にはどうにもできない。
たぶん、そんな感じなのかなって。見たことのない場所で。自分がいなくても完成されている社会のど真ん中で――異世界のど真ん中で、ひとりぼっちになっているような。
「…………。」
「…………。」
暫くの睨めっこ。……ただ、段々と彼の眉毛が情けない方向に曲がっていくのだけは分かった。どうにも硬かった表情が仕方なさそうな顔に変わり、息を吐く。
「……わかりましたよ、行けばいいんでしょう」
やりぃ、と親指を立てながら――わたしは彼の、先ほどまでのいやに「消極的」な儚さを思った。
うん……わかる気がするんだ。なんとなく。
手を伸ばした先がどこにもつながっていかないような。紐から手がはなされちゃった風船みたいな。
わたしも……きっと、たぶん同じ。勿論それは気のせいかもしれない。話してみたら違うところばっかりだと思う。全部が全部、同じなわけがない。
でもね、時永くん。
だからこそ、「もうちょっと話してみたら仲良くなれそう」。
そう思ったんだよ。
……ただの勘、なんだけどね?
【(現時点での)キャラクター紹介】
・豊田 美郷
星移大学1年生。
時永くんは「小柄」と言っているのだが――だいたい、身長157cmくらい?
実はミコトとそんなに変わらずだったり。
一見ポジティブな人間に見えるが、何のことはなく――その正体は生い立ちに「少し重めなトラウマ」がある、強がりさん。
自分だけに聞こえる不思議な声、メティスと仲が良く、暇なときは頭の中で漫才を繰り広げる程度の仲。
そんな自分を「かなりの電波」と自覚しているのだが……
実は単に相手が『遠距離通話が得意な女神さま』なだけであり、美郷当人を表すなら「ごく普通の変人」というのが適切。




