13.プロセスコード
……夢を、見た。
自分がいる。
同じ顔の人間が、血だまりの向こうに足を踏み出そうとしている。
……声を枯らして、やめろと叫んだ。
人がいる。
人がいて、その手前……
目の前に、「怪物」がいた。
左足を踏みしめた。
……やめろ。やめるんだ。壊すんじゃない。
赤い血の透けて見える、それ。
ほとんどまだ形を成していないそれが、あの醜悪な肉の塊と重なる。
唸り声を上げた。「おなかすいた」と意味が通った。
……やめろ。
怪物を「自分」が撫でた。……ゆっくりと撫でて、放った。
……やめろ、行くな!
後を追う目の前の自分が、少しバランスを崩す。
……当然だろう、左足が地についたままだ。なのに「左足」を踏み出そうとした。
ああ、負けてなるか。
これだけは譲れない。譲ってなるものか。
足を踏み出すな、『時永 誠』。
忘れたか。
お前が欲しかったもの。手に入れたかったもの。
それはそこにある、充分だ……
「……忘れているのはお前もだろう」
声が聞こえた気がした。低い、冷たい、男の声。
「……お前は、何になりたかったんだ」
「……お前とは違うよ」
自覚する。
そうか、これは夢だ。
――ミコトがかつて「読んだ」、あの日の光景。
日記の中の「彼」が、ミコトの知る時永になった日。
彼女が読んだあの日の出来事と、それを見ていたクロノスの記憶が合致した夢。
「……僕は、与える者になりたかったのさ」
欲しかったそれを、与える何かに。
「多分だけど、君は……欲しがるだけ欲しがって、それが循環するものだってわかってなかった」
だからこそしっぺ返しを食らったんだ。
あの日、憎悪を振りまいた。
……さすがにもう、分かっててほしいね。
「夢の中だとはいえ……自分相手だから砕けた言い方するけども」
目の前のそれに向かって、口を開く。
そいつは、現実世界で……かつて、僕だったもの。
「――人に憎悪をぶちまけたら、それだけのものが返ってくるんだぜ?」
* * * *
……真っ暗な部屋。
地球の時永邸によく似た、「ミコトの世界」の時永邸。……殺風景だったそれには、多少の生活感がプラスされている。
例えば靴入れ以外何もなかった暗い玄関。そこにはパステルカラーの玄関マットがしかれており、少しだけ明るい印象になっていた。
学校用の革靴が2足分しか揃えられていなかったそこにはつっかけサンダルとかスニーカーが無造作に脱ぎ捨てられていて、傘立てには傘が収まっていない。というか、先ほどまで雨だったので風呂場に干してある。
そしてリビングルームに入れば、やはりイヌカイたちが知っていそうなそれとは違う光景が広がりつつあった。
かつてはテレビ、ソファとテーブル、よくてたまに「彼」の置き忘れた文庫本の滑り落ちているマガジンラックぐらいしか見当たらなかった家具。
来客時に使う必要最低限のものしか置かれていなかったそこには今、割とごちゃごちゃに「趣味のもの」、「嗜好品」。「その他諸々」が大量に置かれていた。
……例えば昨日の夕刊とか、ミコトが好んで読んでいる漫画雑誌とか。可愛らしい猫のマグカップ。テレビゲームの引っこ抜いたやつ。
「…………」
……ソファでうたた寝してしまってから、1時間。
頭に寝癖のついた時永はそれらを寝ぼけ眼で見つめ、ぱちぱちっと瞬いた後、ため息をついて苦笑した。
「ふ、はははっ……」
……馬越「さん」がいたならば、苦笑いして片付けていくに違いない、明らかな散らかりっぷりだ。
まあ、仕方がないだろう。こっちだって「前」から気が向いたときしかやらないし、更にはミコトの話だが、正直……片付けは苦手な部類なのではないだろうか。あんまり……実感をもっては知らないのだけれど。
ソファからむくりと起きあがる。
電灯をつけ、トボトボと歩き回った。ミコトの読んでいた漫画雑誌を手に取り、マグカップを流しに持っていく。
「……ミコト、風邪ひくよ」
同じくクッションソファに埋もれて寝落ちているミコトに声をかけ、無防備にも見えそうになっていたお腹の隙間に雑誌をのっけて、そこから立ち去ろうとした……その時。
「……メティスさん」
「?」
声が聞こえて、振り返る。……ハッキリとした人名に訝しげになりつつ。
「……外部から、接続」
ハッとした。
「……応答あり。エラー。クローズ状態。クロノスによってルートが閉じられています」
「……待て、それ……」
寝言にしては奇っ怪なアナウンスだが。感覚で分かる。分かってしまう。
「……誰かが無理やり、こっちに来ようとして……」
この「時永」は「ミコトの世界」の一部だ。
……だって彼は、ミコトの願いで生かされている。
すう、と聞こえた寝息。
瞼は少しも動かない。本来なら寝言なんて出るはずもない、ノンレム睡眠……彼女にとっては無意識の時間。
奇っ怪でかつ、機械的なアナウンスが瞬く間にミコトの口を通過した。
「扉を開けるにはコードが必要です」
「! ってちょっと待つんだ、待てったら!」
時永は慌ててミコトのほっぺたを、少し戸惑いがちに手を止め……すぐにぺちんと叩いた。
「ミコト……ミコト、目を覚ませ……!」
「コード」
「パソコンのパスワードを他人に教えるようなものだぞ!?」
叫ぶ。だが、届かない。
……当たり前だ。だって、彼の言葉が世界に届いた試しがあっただろうか。
クロノスの言葉は届く。次元を超えて、世界を超えて。青年だった頃の時永に確かに届いていた。だからこそかつて、己の魂は異世界の神に「いじくられた」のだ。自らの在り方を。精神をいじられたから『あの時永』は誕生した。
――かつての「少し気の弱い青年」とは違う、別の性格を持った生き物として。
「コード……自分の、在り方……」
クロノスがミコトの能力を得るための駒。……自覚症状はなかったが、事実と記憶を照らし合わせたらそういうことなのだとは察しが付く。
「それ言ったら君……っ」
「『世界に耳をすませ』」
「……クロノスに乗っ取られるだろ!!」
揺さぶり、口を塞ぐ。ミコトは目を覚まさないが……少しだけ、言葉が不明瞭になった。
「……『その』、『声』、『を聴け』」
……だが、まだ聞こえる。
「言うな」
「『軌跡をたどれ』……」
「頼むから!!」
ミコトは時永の手の下で、ハッキリと口にした。
自らの魂の在り方を表す……たった一つの解除コードを。
「『私は「ここ」にいる……いくつもの、物語を越えて』」
* * * *
「……ねぇ、イヌカイ」
「何だ?」
出発の朝、イツキは呟いた。
事情はメティスが説明しておいてくれるらしい。バイトは当欠だ。
あの後、ぼろっぼろに泣き腫らして帰ってきたイツキ相手にドン引きしつつ、イヌカイはかいつまんで状況を報告。メティスが補足で説明をおこなった。
クロノスが接触してきたこと。そして、ミコトのところに行く手筈が整いそうなこと。
「……で、メティス」
――『はい』――
イヌカイは静かに聞いた。
「結局……ミコトのところにいく『鍵』ってのはなんだったんだ?」
メティスは確かに口にしていた。「鍵」が必要だと。
今のままではミコトのところにたどり着けない。居場所は分かっても、鍵がかかっているようなものだったと。
――『恐らくなのですが、ミコトに現在地を喋らせるつもりかと』――
「現在地?」
ええ、とメティスは言う。
――『……イツキ、ミコトが消える間際、何か呟きませんでしたか?』――
「……そうだった」
イツキは思い出す。
彼女は確か、消える前。こんなことを口走っていた――
――「一緒に、新しい世界を、つくろう……?」
「一緒に新しい世界をつくろう、だっけ」
「あ、クロノスのやつも言ってたな、世界を創る」
イヌカイは頷いた。
……自分の世界を創る。確かに時永も同じようなことを言っていた。だからあそこまで暴走したのだ。
“自分が好き勝手出来る場所がほしい”。“何をしても怒られない自分だけの居場所が欲しい”。
……ああ、要するにこういうことだろう、「引きこもりたい」。
「……引きこもるなら引きこもるで、勝手にやってりゃいいじゃねえかよ」
――『そうではないでしょう。多分、関わりをゼロにしたいんですよ』――
メティスは言った。
――『どれだけ部屋にこもっても、どれだけ家にこもっても……どれだけ国にこもっても、どれだけ星にこもっても。結局私たちは自動的に何かに属しているし、属さなければならない。属さなければ生きていけないのです。それがきっと煩わしいのですよ、彼は』――
イヌカイはふっと思い返した。昨日の、クロノスの物言い……
……「たかだか人間風情が」。それから……
――「人間は汚いし、低俗だ。だがいくら低俗だからといって私一人で世界を統べることなんて不可能じゃないか?」
――「最悪庭師ぐらいは必要だろう。別の生き物が喋っていると思ったら僅かには許せる」
ああ、そうか、なるほど……時永の言っていたあれは。
――『そうですね、彼はきっとそう思っている』――
まるで思考を読んだように、メティスは呟いた。
そう、あの時永を操っていたのがクロノスだったとしたならば……あれは、そのままクロノスに通じる言葉だ。
――『人という生き物を好まないんですよ、彼は。自分より力の劣るものだから、どう扱っても構わないと思っているし、同じ生き物だと思われることを極端に嫌がる。同じ四肢が生えていて、同じ頭髪があるにもかかわらずね。神様なんてただの突然変異の人間だっていうのに』――
イヌカイは首をすくめる。
「……俺らだって変な格好してただけの人間だしな?」
「……あれ、人間って呼べる?」
イツキの若干顔を引きつらせながらの問いに、メティスは首をすくめた。
――『呼べるんじゃないですか? 見た目じゃなくて、中身だけは』――
裏も表も隠し事もある。ふざけたかと思えば急に真面目になる。
……彼女の見ているイヌカイとイツキは少なくとも、そういう生き物だ。
複雑怪奇で一言で言い表せない精神性。ふるまい。これがいわゆる「人間」ではなくて何だというのか。
メティスは苦笑いしつつ話を続けた。
――『何せ彼は、「そういう神様」です。自分を特別なものだと思い込んでいるし、実際に特別視されてきた。だからこそ……人と関わらなければ生きていけないこの神界のシステムに嫌気がさしている』――
「……なるほど」
――『私たちの能力は確かに色々なことができるけれど、限界がある。例えば私たちとて、物を食べなければ生きていけません。そして「食べる」には何かと関わりを持つしかない』――
買い物したり、金を稼いだり、人に貢いでもらったり。……神様とはいえ、少し人より楽なだけで。少し人に持ち上げられるだけで、根本的なそれは変わらない。
――『ミコトの能力は特殊です。……それらを恐らく、完全に消し去ることができる唯一の手段を持っている。既存の理ではないものを制定し、エネルギーの循環しない世界を創ることができる』――
「ああ、そういう……本当にやりたい放題したいってことだ」
イツキの言葉に声だけのメティスは多分、頷きを返した。
――『そう……つまり現状としてはこうですね。彼はミコトの能力を借りて一つの空間を、既に作っている』――
「あ、もうできちゃってると」
――『そしてその新しい世界に「管理者の椅子」があるとしたら、そこにはミコト自身が今現在は座っているということなんです。やりたい放題の世界を手にするまでに、あとは秒読みの段階。……あとの流れはクロノスが、ミコトをコントロールし続けるか。もしくはなんらかの形で「ミコトの能力」を剥奪するかのどちらかなのですが……』――
「ねえ」
――『はい?』――
ふっと気付いたように手を挙げたのはイツキだった。
「それ、さっさと渡しちゃったらどうなるのかな?」
「えっ」
イヌカイが予想外のものを見たようにイツキに向き直る。
「特にミコト自身は要らないわけじゃん。ガワは要らなくて、ミコトの能力だけがほしいんでしょ? クロノスがそれを手に入れられれば……安心してクロノスは引きこもり生活が送れるわけでしょ? ミコトはそれで帰ってくるんじゃないの?」
――『ミコトと切って離せるものだったらの話ですよね、それ』――
メティスは苦笑いしながらやんわりと否定する。
――『あれは、ミコトの個性のようなものです。持って生まれたもの。だからこそミコトという人間に、密接に絡みついている。だから多分……無理やり引っぺがしたら、死にます』――
「……マジで」
――『だからそうならないように、全力を尽くしてほしいわけですよ』――
パン、と手を叩いたような音。改めてといったようにメティスは話を軌道修正した。
――『とりあえず現状として、クロノスがミコトに作らせた、「新しい世界」。その世界は多分、まだ「ミコトのもの」なんです。あの言い方だったら恐らくね? いうなればクロノスでなくて、まだ彼女の庭。ミコトが「通っていいよ」といえば、他に問題や障害があったとしても強引に道が開くし門が開く。……だから彼は、イヌカイたちを中に誘い入れるためにミコトに「OKサイン」を出させるつもりなんでしょう。ですが……』――
「ですが?」
イヌカイは問い返した。
恐らくそこにトラブルのタネがあるのだろう。メティスは静かに言う。
――『彼の言った言葉……』――
――「耳をよくすますんだ。そのとき聞こえるだろう語句を、一字一句聞き漏らすな。そして口に出せ」
――『……「耳をすますんだ」までは分かるんです。サインが出るまで待てという指示だと。ただ、「そのとき聞こえるだろう語句を一字一句聞き漏らすな、そして口に出せ」……もしかしたらですが、これはミコトにそこまで心を開かれていないということかもしれません。信用されていないと。だとしたら、クロノスにはその世界内にいるミコトの声が聞こえないという推測が成り立ちます』――
「……なるほど。前にイレギュラーのタイオスたちが拒絶して、周囲にメティスの声が届かなくなったのと同じにか」
――『ええ、だから私がおうむ返しをしないとクロノス側にはサインの有無が分からない。ただ、タイオスの場合と違ってこの場合はミコト側が、クロノス相手のみに情報を渡すパスを外している。つまり拒絶しているのですが……多分、一方通行的にミコト側はクロノスの指示を聞いている。じゃないとそもそも連れ去られたりしませんしこんなことにはきっとならな……。あっ……?』――
「どした?」
――『今……気付いたんですが。もしかしたらクロノスは鍵と一緒に何か「知りたいこと」を喋らせるつもりかもしれません』――
「知りたいこと?」
――『例えばミコトの弱点とか』――
「……んなもんあるか?」
「えっと……」
イヌカイの問いに、イツキは首を傾げた。
……意外と思いつかない。
「……脇の下くすぐるとやたら後を引いて、笑いが止まらない?」
「いや、多分そんな微笑ましい弱点じゃねえな」
イヌカイはバッサリ切った。……言われればそうだ、意外と弱点がない。
あとはちょっと素直すぎて詐欺師に引っ掛かりそうなぐらいか。
――『……神視点ですが』――
「……神としてはと言いたいんだろうがすげえパワーワードだな神視点」
イヌカイは突っ込んだ。
何だろうか、メタ視点的な響きが凄まじい。
――『考えられる可能性としては一つ、ミコトの個人情報なんかも考えられます』――
「個人情報?」
メティスは頷く。
――『ええ、「何を起点にして」「何を軸に行動し」「どう今を生きているか」。そんなミコトだけの唯一無二の生き方、名付けるならプロセスコードです。その生き方、行動理論。その源泉を示す言葉があれば、クロノス側にとってはとても優位になります』――
「そうなの?」
――『心の内部構造を全部丸裸にするようなものですから、泥棒が間取り図を手に入れるようなものですよ。ミコトという人間を掌握するのもたやすくなる』――
「あ、なるほど。それを……ヤツはミコトに喋らせて」
――『私が復唱しなければミコトのところへ行けないように、クロノスが仕組んでいると』――
「……それ、もしかして詰んでね?」
イヌカイの投げ出したような問いに、メティスは少し笑った。
――『まあ……大丈夫、何とかなりますよ。勘ですけど』――
「勘かよ」
――『神様の勘、甘く見ないでくださいな? 私が嵐だといえば外は嵐の確率が高くなるし、晴れだといえば晴れになる。期待はさせますよ。どちらにしても私には多少、選び取る力があるということです。都合のいい未来をね。今の発言は乱数調整のようなものです』――
「ゲームか何かかよこの世界は」
――『さて、小説かもしれないですよ?』――
メティスは冗談をかましつつ、少し明るい声になった。
――『と、まあ、そんな話はさておき。細かいことは私に任せてほっといて大丈夫。あなたたちはミコトと会うことに集中してください。ミコトに今、かなりの影響を及ぼしているであろうクロノスは私の同行を認めないでしょうし、向こうに行ったら多分口出しができません。だったら……ここから先は、私の仕事』――
「なあ、メティス……」
イヌカイは途中まで問いかけて、飲み込んだ。……そういえば昨日もそうだった。何故、メティスはそこまでしてくれるのだろう。どう考えてもクロノスが嫌いだからというだけではない。何か、別の思惑があるような……
――『……さて、何故でしょうね。誰かの置き土産を片付けているようなものかもしれません』――
「置き土産……」
――『これ以上は言いませんよ?』――
クスッと笑ってメティスは言った。
そう、笑ったのだ。
あの謎の多い女神さまが、ふっと柔らかい声で。
……そんな昨日のやり取りを思い出しながら、イツキは外を眺める。
空がまだ、青色だった。薄暗い時間帯。
今は早朝。開店にもまだ早い。
店内に人の気配はなく、しんと静まり返っている。
「……このパン屋、また来ることがあるのかな」
イツキは口から少し、言葉を漏らした。……手には何も持っていない。だが足どりは少し重かった。
「さぁな。何にせよ、思ってたよりだいぶ短かったな滞在期間」
「そーね」
「!?」
予期せず、それに答えた声があった。
……店長だ。暗がりからぬっと出てきて2人は思わずぎょっとする。
「挨拶もなしにどこ行く、とかは聞かねーよお? ……ただね、ほれ」
包みが差し出された。色と形状的に、『たぶんパン』だ。
「今から『さようなら』なら、道中食えや、腹が減る」
「店長……」
「あのなあ」
店長はイツキにパンを差し出したまま、イヌカイを見上げた。
「お前ら見てて思ったこと、いくつかあるんだわ」
「……?」
「……そこのチビ助は知ってるだろーけど、おれはねえ……」
遠くを見つめていたような目が、手前にピントを合わせるような気がした。
「……逃げたよ」
言葉はネガティブだが、ある種、誇りのような口跡だ。
「自分では敵わないよーななんかから、逃げて、逃げて、逃げつづけて生きてきた。それがおれだよ。……そうするのが最適解だと知ってたからさあ」
知っていた。
いや、知っていたというより、学んでいた。
「……あんたらもてっきり何かから逃げてきたもんかと思ったら、違ったなあ? 立ち向かうやつの目をしてた。あんたらにとってー……ここはその、休憩地点だったんだなあ」
あのとき。2人をどうしようかと声をかけ回っていたメティスの話を、なんとなーく聞いた店長は、思い出したのだ。
この町に来た日、まだ右も左もわからなかったのを。
とにかくメティスが用意を手伝ってくれたから家だけは手に入れたが、その後が大変だったのを。
……仕事は、生活は、自力でつかんで行くしかなかった。
売れなかった。特色がないんだと思った。目立つようにとパンの色を変えた。変わるまでだいぶかかった。
……あの苦労は忘れないし、今ではそれでよかったと思っている。
だから重ねた。勝手に似たようなもんだと思っていたのだ。
発端となったメティスの相談は、すごくシンプルなものだった。2人訳ありの人間がいること。いつまでいるかは知らないが、泊まるところと働き口を探していたこと。
……結局のところ……店主はイツキたちのことを詳しくは知らなかった。
否、聞かなかったと言った方が正しい。
どうせどこかしらに同情してしまうと思ったからだ。
それに流され、先入観を持ったりするよりは……接して、目を見て、その直感で物事を判断したかった。
いるところがないから追い出されたようなやつらだと思っていた。だが一目見た瞬間、少し違うと気付いた。
「正反対のやつを泊めちまったなあ……」
そう思ったのだ。
「……でも、それはそれで良いと思ったんだなあ、直感的に」
違うからこそ、お互い何かが「見える」と思った。違うからこそ、わかるものがあるのかと思った。
そうしてなんとなく判断がついた。目の前のそれが、どういうやつか。
……チビの方は少し暗いが、根はのうてんきな楽天家なこと。
……ノッポの方はふざけているが、気ぃ遣いぃなこと。
そして両方、同じ「欠点」を持っていること。
欠点は裏返せばたいてい長所になる。
だから捨てろとは思わないし言いたくはない。……少なくとも、好ましくは思えた。多少眩しくも。羨ましくも。
……特に昨日、ソーセージをがっつくイツキから、なんとなく店主は読み取った。昔話を聴きながら軽く揺れる目を見て、悟った。
ああ、なるほどな、と底が見えたのだ。
こいつは……どうあがいたところで、結局聞いちまうらしい。
受け取ってしまう。同情してしまう。いや、多分同調という方が正しいか。
影響を受けやすい。とばっちりをくらいやすい。
人としてはとても、「弱いやつ」だ。脆くて不器用で、目をそらすような勇気もない。ただ、逃げ出すようなこともしない。
……弱くて、かたくて、曲がらない。曲げられもしない。曲がったら逆に、駄目なやつだ。
「会話からは何となくわかるがなあ。あんたらがどっから来たのかなんて聞かねーしよ、どこに行くのかも知らねーし、止める気もない。ただ、あんたら見てたら……」
……村が火に巻かれる前。チビ助に似た雰囲気のやつがいたよなぁ、とか。
あのヤンチャなやつがノッポそっくりだったなぁ、とか。
「……色々、考えちまうんだなあ」
全て消えたけど、燃えてなくなったけど……後悔だけは消えないから。
考えないように。なかったことに。
……いくらしたところで、逃げ切れない。
捨てても捨てても、そういう感情は結局どこからか生まれて、心の芯を叩いてくる。だからいくら面倒臭くっても、正反対でも。気づけば見てしまうのだ。
眺めてしまう。
見捨てていられる気もしない。だってそれは……自分があの火事の日に、どこかに忘れてきてしまったもの。
捨ててしまったところのような気がして、ならないのだ。
「……あんたらみたいなのは、たぶん、どちゃくそよえーよ、それもいー弱さだなあと思うよ。だからさあ」
いつもと同じにゆるい言葉で、「パン屋」は言う。
「この先迷ったら……こう思うといい」
歩く道は確かに、まるで違う。生き方も感じ方も古傷の向きも。
……それでも言葉ぐらいなら交わせるし、無駄にはならなかろう。
だって彼はそう思った。そう思ったから泊めたし、一日だけとはいえ働かせたのだ。
「……『見たいものを見られる、そんな道を選びなよ』。いつだってそれを考えられたなら、なんも間違えることなんかないんだから」
……イツキやイヌカイのようなやつはとても脆くて、立ち止まるのが早い。迷いやすい。
だが、迷うということは、必ずしも無駄なことじゃない。
無駄だと思ったのは「パン屋」があの時後悔したから。迷って何もせず、失敗したからだ。
……迷うということは、同時に「選択肢がある」ということに他ならない。
自分で生きる道を決められる、そんな力があるという確かな証明だ。
ひたすら流されて生きるのも良ければ、もしくはちゃんと決めて生きるのもいい。
……それであとで泣かなければ、どうだっていいしなんだって構わない。
普通はそうだ。迷えば迷っただけ、力になる。
それが人という生き物なのだと、「パン屋」は思った。
イツキは頷き、パンを受け取る。
「店長」
「あいよ」
「……行ってきます」
「ほいよ」
店長は一言言った。
「……いつだって帰ってこい、チビ助ども。全力で逃げたやつにはこれぐらいしか言えねーけどさあ……そこになんもないより、随分とマシだろお?」
多分迷うけど、足踏みはするけど。
それでも「こいつら」は立ち止まらない。考えちまうくせにノンストップだ。
だからこそ休憩場所は重要、必要なのだ。
……「パン屋」が子供のときは、休憩できるポイントなんてなかったのだけど。
だからこそ、ここまで考えずノンストップだったわけだけど。大変ではあったから。
にやっと笑う店長。
なりふり構わず頼み込んできた昔をふと思い起こし、メティスは言った。
――『あなたも、ちょっとは格好つけるようになったじゃないですか、「パン屋」』――
「…………。」
ふう、とイヌカイは小さく息をついた。……昨日は途中から別行動だったせいもあり、ちょっとついていけないところはある。
イツキほどの思い入れは持てていない。このパン屋の店にも、その店主にも。
……だが。
「……いい経験したな」
「……うん」
それでもイツキの顔を見ていたら、通じるものはあった。
「じゃあ行くか。こっちの『ホーム』もできたことだし」
「ねぇイヌカイ?」
「うん?」
言いたいことを言った店長は何かを猛烈にやり切ったような顔をして去った。手に枕……あれ、もしかして開店する気がない。仕込む気もない。普通に二度寝する気だ。
「これ、馬越さんも待たせてるし、パン屋さんも待たせちゃったよね」
「いいんじゃねえの」
今更早起きの弊害が出たらしいイヌカイは、ふわ、とあくびをかみ殺した。
「……帰る家がないより、100倍マシだろ」




