10.おぼえていますか
「はあ――――……」
オレ、【植苗イツキ】は極大のため息を吐いた。
ああ、もう。まったく……。
「イツキクン、死ぬほどお疲れデス?」
「今まで精神力削ったの、誰のせいだと思ってんの……!」
他人を思いっきり呼んだくせに、お尻の防御力が紙装甲だったミコトの方をチラッとみる。
いやまあ、助けを求めてくれるのはいい。
非常にありがたい。
けれど。
……けれどね、ミコト?
もう少しくらいでいいからさ。
一般の女の子らしい羞恥心をもっていてもいいと。
そう、思うんだ。
「ハハッ、キミの☆フッ☆無駄に☆フッ☆華麗な☆ ……ツッコミ力のせいじゃねーデスか?」
「はっ倒したい」
無駄なコサックダンスはさんでゲラゲラ笑いながら言われたけどもさ。突っ込むのはしょうがなくない? このノリ。オレは正面のアポロンを見る。
「ところで、何でいきなり出てきたの……」
「OHイツキクンが疲れてる……」
「元凶うっさいよ」
推定・敵対人物相手になんかもう、投げやりな対応になっちゃったけど仕方がない。なんか、遭遇の仕方がバカな展開すぎて、気が抜けちゃったんだよね。
「……ああ、その……。覚えてくれているとは光栄だ……?」
うん、アポロン当人もちょっと気まずかったでしょ。知ってる。
「ヘイヘイヘーイ。忘れようもねーデスよね変質者! 現実世界で顔を隠すのは犯罪者だと相場が決まってマっ! ゴッッッ!」
ハイ、堪忍袋の緒が全自動カット……。
「ァァアア!!」
結果的に――顔面めがけて、オレのつるがクリーンヒットした。
「Fooooo――――!!!!」
「イツキー!? ゴロゴロ転がるくらい痛がってるよ!?」
「っていうか、得意げにすんなよリオさん。お前がそもそも犯罪者なんだけど!?」
地面上で乱回転してるリオさんはほっといていいから!! 下半身出てるミコトは身支度を完璧にしなさいよって!!
――なんて思っていたら。
ぴくっ。
仮面で上半分が見えないアポロンの口元が、無音で跳ねた。
「……ほら、アポロンもお前が言うなって言ってんじゃん」
「えええなんデスか! アレの目元分かんねーのによく断言できマスね、この上半分お子様プレートぉ!?」
――ぴくっ。
アポロンの口元がまた跳ねた。
「いや上半分なに!?」
スルーしよう。こいつ、笑ってませんかとか思ってしまったけど見なかったことにしよう!
「上半分お子様プレート、下半分不毛の大地!」
「いや、その……なんだ」
見なかったことにしたいアポロンの口元の痙攣が止まらない!
「表情筋が死んでいる自覚はあるが。……なんだその喩え方……?」
「当人が真面目に突っ込まないでくれる!?」
……えー、さっきからとりあえず、リオさんをしばくのは左手首の先にまかして、オレ本体はミコトを隠すためにお決まりのポーズしてるんだけど。
そう、制服スカートの下が『見ちゃダメ』状態だったミコトに背を向けつつ、その他2人との間に立って――――両手あげて、バンザイ。
でもなんか、これすんごいやり慣れた感が出ちゃうんだよな。そう思いながら今度は真横をみると、ミコトの持っていた剣がいつの間にか地面に刺さっている。
――チリリリ……
オレと同じく視界を遮っているつもりらしい。
どうも刀身が震えて、小さな金属音を立てているようだが……。
――チリリリリディディディディリリリリリリ!!
そっとリオさんが手を近づけてみると音量が跳ね上がる。
これ、威嚇か警告音の類のようだ。
「はっはあー、ミコトちゃんの作った『理想の世界』がスッゲー爆縮したヤツでシタっけ。何デス? 『なかったこと』にされたヤツの怨念か残留思念でもまだ中に残ってマス?」
――ディリリリリリリ!!!!
「お化けかなんかが取り憑いてるってこと?」
「あ」
リオさんはパチンと指を弾く。
「――――怨念がおんねん」
「やっかましい」
オレが眉を寄せながら突っ込んだその瞬間だった。
――チリッ。
剣がぴたりと止まり……突然震えを強くして。
「えっ。……いや、待ちなよ剣さん。何して……」
―― お か わ り い た だ け た だ ろ う か 。
「……」
ブルブルと刺さった辺りの砂が文字を作った。
「何を『定食屋でモリモリ食べてる最中』みたいなことを言うとるんだこいつは……?」
アポロンが呆然と地面を見た。
うん分かる……普通はたぶん、そんなリアクションになる……。ってか。
オレは黙って「かわ」の上に大きくペケを書いた。
……たぶん、誤字ってる……。
「ヘイお子様殿下! 『何言ってんだお前』みたいな反応してマスけど、そもそも言葉を使う武器に突っ込んでくだサイね。ねーからこんなん!」
【お子様殿下】の表情は読めない。
だが。
「あの、笑わないで……?」
「すまん……」
「ウケてると思って調子乗るから、この不審者」
「だろうな……分かる……」
意外と表情分かりやすいんだよ、この人!!
そう思っていれば「ぴくっ」。口元がやっぱり動いた。
というか! ……薄々思ったけど、やっぱりこの王子オレと似たような立場だ普段!?
この笑い方、ウケてるんじゃなくて同類見つけた時の笑い方だ!?
――ジリ、プシュン!
「……で、無いの、言葉喋る武器?」
「ねェデスよ、テメーらのSF世界じゃあるまいし!」
「SFて。いや、神界のノリとしては反論もできんのだが」
いやアポロン、「SFて」じゃない。
まあ、うん。……異世界ファンタジーはともかくとして、地球の現実が異世界人にサイエンスファンタジー呼ばわりされてんの、何気にオレも初めて見たんだけど!
「というか、ミコトを恨んで誰かお化けになってるとしてもあそこにいたっけ、こんなお茶目な人……?」
プシュン、と空気の抜けるような音を立ててゆっくり傾いていく剣は、明らかにしょげていた。
自分の誤字に。
……『おかわり』じゃなくて『おわかりいただけただろうか』ならホラー番組の決まり文句だ。お化け扱いされてジョークを発したに決まってる。
「いたじゃねーデスか、眼鏡とタコとムーンサルトばばあ」
「ムーンサルトばばあって誰!?」
いやタコは分かる、タコは分かるんだけど絶対ちょっと違う。佐田さんみたいな全力全開のおちゃらけ感じゃない、言葉が普通に喋れたとして、表情一切変わらず地味にくだらないことを言い出すタイプだこれ!
「あ……あの……」
ミコトがようやく声をかけてきた。
「もしこのお喋りが私待ちなんだとしたら……もうだいじょうぶ、というか」
「ミコト、パンツ直すついでに着替えでもしてた、この長さ?」
「いや、気になりすぎてずっと見てた」
「……はよ言えくだサイ」
剣にもう一度ちょっかいを出そうとしていたリオさんがピタリと止まる。……やめてね。おふざけ合戦する不真面目な仲間、基本いらないよオレ。
「……ふう……では、話を戻すか……」
「戻してくれるんだ?」
オレは万歳と仁王立ちを解除した。瞬間、アポロンは拳を突き上げる。
「ええい……鎧泥棒は貴様らか!」
「うわホントに話戻した!?」
「ハイ王子サマ! 誤解デス小生デス!」
「ああああそうです誤解ですこの人です!!」
「イツキ!?」
オレはリオさんの胸板をバンバン叩いた。
――話が早くて助かる。要はアレだ、暑い時期に目の前に現れた冷え冷えのコンビニぐらいの助かり感だ。
「成程、要は全部悪い大人の仕業であって若い子らは無関係なんだな!?」
「無関係です! 助けてください! 本当に話が早いなこの王子!」
「……ふぇ!?」
で、身支度万全のミコトが「誰もリオさんをかばわない!?」みたいな衝撃を受けてるけど当たり前だよ。反社会的人物像なのは事実だもんコレ。
「はああ、全く……」
やれやれ、とリオさんは肩をすくめる。
「若いモンはなってまセンね? 小生みてーな【タダの不審人物】を疑うトカ」
「いや疑うどころか今自白してなかったか」
「言ってた『小生デス』って」
本当にアポロンと気が合うなオレ!?
立場が立場じゃなかったら握手してるよ!
「って、だッから何でソッチと仲いーの!? イツキクンイツキクン! 君、コッチ側デスよね!? メティス陣営デスよね君!?」
「それはもう、ひねくれ放題な貴様より彼の方が話通じるので、だな……」
「テメーには聞いてねえんですよ顔面お子様ランチ!」
プレートからランチになっちゃったよこの人。
「……それはもう、アポロンと同意見なんですけどリオさん」
「『それはもう』でオソロやめてくんないデス!? もしや、小生の癒しってこの世にミコトちゃんだけだったりしまセン!?」
「り、リオさん、心配しなくても私、味方だよ?」
……まあアポロン。難しい立場というか、指名手配してる側だろうしなあ。
そう思いながら横目で見上げた。
背丈としてはイヌカイと大差ないが、少しこちらの方が痩せている。
魔法なのか超能力なのか分かんないけど、そういう戦い方する人ってこういう体つきになるんだろうか。普段の運動の質の違いかもしれない。
殴る蹴る主体のイヌカイと遠距離攻撃型のアポロン。
――ん? なんでイヌカイと体つきの比較してるんだ、オレ?
「ああああもー! テメーら頭がコンクリ太郎か何かなんデス?」
「頭も皮膚も木だから硬いよ、悪かったね。というか、聞いた感覚からしてだいぶ気安いけどアポロンさんあれと知り合い?」
「いや、名前は知らん」
リオさんを指しながら聞けば、アポロンは眉をひそめながら言った。
「ただ、最初は門の外でゴザを敷いて雑貨屋を開いていたのが、数ヶ月後には城内部の食堂前にゴザを敷いていただけだ」
「フッ、一日5センチずつずらしていったんデスよ☆」
「もう最初に敷居を跨いだ瞬間に片付けようよこの怪しいおじさんを!」
なんでこの怪しいアラサーおじさんはちょっと得意げなんだよさっきから!
「で……貴様ら」
「ハイ?」
「もう1人いただろう。【犬飼 元】はどうした」
「……えっ」
もしかして知らないの?
イヌカイが捕縛されたの。
そう思った瞬間。グイっと肩が掴まれる。
「……ソレは」
リオさんが前に出た。
「アンタが、一番ご存知ではないんデショーか?」
リオさんの手がふらっと動いた。力は入っていない。ただ、オレたちをそれとなく守るように、相手を牽制するように軽く手が上がる。
――敵味方の線だ。アポロンとリオさんの間に、殺気の線が一瞬で引かれたのが分かった。
「うっ、ちょっとカッコい……」
「ミコトは黙ってようか!?」
真似しちゃダメだからね!?
というかなんでさっきからこの汚ねえおっさんに惹かれがちなのこの子は!?
「だーってイツキ……! 海外ファンタジーの王道っていうと主人公はこういう感じだよ!」
「オタク的なお約束感じてテンションあがってんの、この状況で!? 信じらんないんだけど!?」
いやまあ、そうだけど! 汚ねえ痩せこけたおっさん主役の海外文学意外とあるけども! ええい、変に図太いなこの子は!
「能天気ぐらいがちょうどいーんデスけどね、キミらは」
苦笑いしたリオさんは相手に向き直る。
「で、いいデスかアポロン王子? ――もしかしてアンタ、現状が把握できてなかったりしマス? あそこに投入されていたのは専ら王都勤務の兵士たちのみ。小生にはそう見えマシたが、如何でショ?」
「よくわかるな。顔を全部記憶しているのか?」
『何かあったな』と察したらしい。アポロンもアポロンで自分のミスを把握している。
たぶん、『下手なことを言ったのがまずかったな』と。
オレはギュッとミコトの手を握った。
さすがに流れが不穏だ。すぐに逃げられるようにしとかないと。
「ええ、ま……王都を張っていればよく見かけるような顔ばかりだったものデスから」
「なるほどな……やはりただの行商人ではないらしい」
「ええ、勿論……小生を相手にするのであれば、高くつきマスよ。お客さん?」
「……ふん」
――ズサッ。
2人が動いたのはその直後……。
「太陽光撃[tiya gikoukeo]!」
瞬間的には前に出たリオさんが早い。火花が飛び散った瞬間――沈黙をはさまず竜巻が激突する。
「突風[otpupu]!!」
――って、近すぎる!
風圧を感じた瞬間、オレは後ずさりを開始した。
風といえば引力。さすがに佐田さんのときの二の舞は御免だった。
……どんだけごろごろ転がり続けたと思ってんのあれ!
巻き込まれる前に退却だ、砂埃巻き上げてるし視界が悪くなる!
「あ……あのっ」
その時だ。
……しっかり握っていたはずのミコトの手が、するりと抜けた。
嘘でしょ!? 今のタイミングで話しかけるとかある!?
「ちょっとストップ!!」
声を上げたミコトの手元にあったあの剣が一瞬だけ膨れあがり……
「え」
思わずオレは目を丸くした。
……土埃色の突風と白い火花を、剣が「ぴゅっ」と吸い込んだんだ。
それも、一瞬で。
「えっ、食べた?」
――けぷっ。
剣がゲップのような音を発した瞬間、リオさんが気の抜けた声を出す。
リオさんとアポロンの前に割り込むように、ミコトは剣を構えてプルプル震えていた。
「……」
アポロンは低く構えていた体を少し起こす。今しがたまであったのは確かに殺気だった。リオさんが火花をぶつけると同時に、アポロンはアポロンで負けもせず視線のみで彼を射抜いている。けれど。
「……」
「ミコト!」
アポロンのやる気が不自然に削げているようなのを見つつ、オレは慌ててミコトに駆け寄って……手首をぺちんと叩いた。
「ほぎゃ!?」
「しっぺぐらいさせなさい!!」
「やだイツキクンめっちゃ保護者……トゥンク……」
「鼓動を口から吐くな変態!!」
大丈夫。ケガした形跡はない。むしろ今のでよく無傷だった。
「ソレでミコトちゃん」
リオさんは首をすくめた。
「……いきなり制止して、どーしまシタ?」
「……いや、あの……なんか、謎に止められる気がして……」
「勢いで止めないでくれない!? あと飛び込んでからビビるのやめてくれる!?」
なんなのこの猪突猛進系女子高生!?
イノシシか何か!?
「……」
アポロンが興味深そうにミコトを見やる。
ミコトは静かにその様子を見返して――口をひらいた。
「ねえ、王子様」
「……」
「アルテミスさんのこと、どう思ってますか?」
アポロンはキョトンとした顔をした後――何かに思い至った様子で。
「…………。誰のことだ?」
* * * *
不自然にも涼しい、ヒヤッとした空気の監獄塔。
無理やりに2つに割った牢屋の中で。さっきまで塔の中をロッククライミング……いや、ボルダリング状態だった俺は頭を抱えた。
……今しがた、聞こえたアルテミス姫の発言。
「ハジメさん?」
「……――――」
俺は、思わず息を吐いた。
……『外に、私として、出てみたい』……。
――「……だって自分は、もう違う」
妙な『響き方』をしたのは気づいている。
物の見事に、異様なスピードで「昔」を思い出してしまったのは分かっている。
妙に心を揺さぶられたのは、おそらくミコトと同種の能力のせいだろう。
彼女がきっと、そういう力を持っているせいだ。
……今はそうだ。出られている。
……人のように振る舞えている。
それは今から思える【結果論】だった。
外から聞こえてくる声を聞きながら。
話したことのない、ミコトの声を聞きながら。
たぶん俺は非常に暗い、異様に重い。
そんな、八つ当たりじみた羨望を持った。
今更ながらうっすらと理解する。
たぶんそれが――【本来の俺】のものだ。俺自身が実際に持っていた、ミコトへの悪感情。
羨望も嫉妬も、出会ってから霧散した。
ミコトの些細な一言で。子供らしい裏表のなさで。
あの理想の世界でそうだったように。
ミコトが作る平和だったもしもの世界で――本来の記憶を剥奪したり、偽物の記憶を植え込んだりしたように。
ミコトが操作したのは俺の思考だ。
知っている。
最初は薄々と……あの世界でハッキリと自覚した。
見知らぬ大きな生き物に、そして年上の大人に嫌われたい子供なんているはずもない。だからほだされたし、愛着をもった。
「…………」
……俺はたぶん、影響を受けている。
「ど、どうした? 出来もしないようなことを言って怒らせてしまったか?」
「……イラついてるってのは道理だが対象が違う」
他者の思考の方向性と、どうにも受け入れ難い現実を……恐らくは少しずつ、自分が分かる範囲で緩やかに、自分好みに変えてきたのがミコトだ。自分が生きやすい形に、周りを操作してきたのがあの子だ。
……けれど。
アルテミスをみて漠然と思うのは。ミコトよりも影響を及ぼすのが限定的で、どヘタクソなこの姫様を見て思うのは。
……ミコトの【気分】で動かされたところで、結果的にこちら側が後悔したことは一度もないということだ。
そう、たったの一度も。
『機械仕掛けの神』という言葉がある。
どんなしっちゃかめっちゃかな状況だとしても、最終的には「哀れに思った神様がどうにかしてくれました」なんてとてつもなく強引にハッピーエンドにしてしまう、舞台上の神様だ。ご都合主義のハッピーエンド。
あの子はそう。よく似ている。
……自分の尺度ではあるけれど、他者の幸せを願うのがミコトだ。
生を願う、動を願う。安穏を、焦燥を、その人がその人らしく生きられるよう、世界に祈って命を下す。
影響されて変わるのは人のさがだ。俺を結果的に外に連れ出したのは――ミコトへの、この愛着だ。
思わず呆れた。自分に――それから、過去の自分やミコトに妙に似ている、目の前のお姫様に。
「……怒りゃ、しねえよ。そもそもワガママを通すのがあんたの特技だろーが。……出来ないとかそういうのは俺の問題だ。……ええと。室内の照明、そっちの出入口に2つと、仕切りの上に1つであってるか? あとさっき図解のときに出てきた補助のカンテラ。アレも含めて4!」
あってるよ! ――そんなふうに甲冑ウーマンが腕で◯を作る。
出入口の光は甲冑ウーマンの頭の上で煌々と光り輝いていた。
「……すまんが、消してもらえると助かる。全部だ」
さすがに覚悟を決めたい。俺は大きく息を吐いて首元のベルトを掴んだ。……一応言うが、こいつの意味合いを忘れたことはない。
――『そのベルトにはあなたたちをあの姿に固定している力を弱めるように細工をしてあるのです』
【人の姿】に久々に戻ったときの、メティスの言葉。――言うなればこれは逆変身ベルトで。これを外すとまたあの姿になってしまう。
――『だからそれをつけている限り、あなたたちはその人の姿でいられますが……高められていた能力も、イヌカイの場合半分ほど、イツキの場合はまったく人間と大差なくなります』
……つまり、俺は今弱体化している。
ガチで人間だった頃よりはそりゃあ、訳の分からない動きもできるが……たぶん、グレイブフィールに襲われていたときのアレほどじゃない。
今の俺に必要なのは単純な指先の力じゃなく、壁に体をつっぱって持ち堪えられる体格とジャンプ力、脚力だ。塔の壁を壊すことも考えたが何か妙な感覚がする。具体的には喋り声の反響が不自然だ。
……壁に何らかの対策が取られているのかもしれないが、俺には技術的なことは分からない。
「……」
俺の本性なんざどうせ変わらない。
この姿だって『見た目のごまかしがきいている』だけで。重さ、体格、視覚情報。
俺の自覚と他者からのその他諸々がごまかされているだけで。
「死ぬほど見苦しいもんが見えちまうからな。できれば真っ暗の方がいい」
……人間とは違う、デカい犬のままだ。
「だからできるか? 部屋ン中真っ暗」
「……だ、そうだ」
突然、聞き慣れない女の声がした。
「コガイス、灯りを消せ」
「はっ!? しかし……」
出入り口付近からコガイスと呼ばれただろう男の声が答える。
あれ、この男。もしかして外にいる見張りか?
ってことは今の女の声が……。
「聞こえているな? レト班コガイス。無論、私がやっても構わない」
フルフェイスヘルメットの向こうから声がする。一言も喋らなかった全身鎧の女騎士。目の前の甲冑ウーマンの声だコレ。
「……上官に伝えろ。コンセンテ国軍アルテミス班、クリュティエはこれよりコンセンテ国軍を離反する」
「アルセイスもです」
「オレイアスもでーす!」
「……お前ら今日非番では!?」
「有休消化とかウソだし」
「弟風邪ひいてねえし」
なんか男の声の向こうに増えた。え、これもしかしてさっき言ってた週3勤務と週4勤務の子?
「ということだ。私達3名が今から潔く職務放棄。なんなら全員が反逆を企てていたということになるが、君はどうする?」
……どこかで聞いたような羽音がした。
「おや耳聡い。国家転覆罪で総員解雇ですねえアポロン殿下? ……さあ。君からも裏付けの知らせが必要だろう。早く行け」
コガイスが消えたのか、フッ、と灯りが消えた。
「……これでいいだろうか?」
「……なんか、すまん」
……めっちゃ喋っている。
完全にルール違反しているのだけはとりあえず見てとれた。
「いえ。……解毒剤はオレイアスが用意したようなので」
「毒盛られてんのお前?」
「術式との組み合わせなのですが、意味のある言葉を職務中に喋ると1分から3分で体が痺れる類の仕掛けが」
「人権」
ヘルメットを指で叩くそれに思わず単語で突っ込んでしまった。
内部になんか仕込まれてるらしい。
……だからか、灯りを消せって向こうに言ったの。
変なところで動けなくなる可能性があるせいか。
「ちなみに今喋れるならもう一つ聞くぞ。この『妙な壁』、どこまでだ?」
「ご明察。場所にもよるだろうが地上5メートル付近までだ。平たくいうと壁の中に空間断裂がある」
……マジかよ。
宇宙かなんかあんの、この壁ん中。
「下手に出ようとするとカマイタチ現象だ。貴方が壁を壊すつもりなら即座に止めていた」
「……そこの出入口も?」
「ああ。そこは解除可能だが専用の術士がいないと駄目だ。入るのは楽でも出るのはキツい。少なくとも私達では」
なるほど。甲冑ウーマンがフルフェイスヘルメットなのもそれが原因の一つにありそうだ。本気で防具を兼ねている。
「……じゃあやっぱ、あの換気口周辺だな。壁崩すなら」
「逆に、貴方に問いたい」
灯の消された暗闇の中――夜目のきく、俺の視界。フルフェイスの向こうから、聞き慣れた呼称が耳に届く。
「……信用していいね、犬飼先生?」
メティスの言っていた一言を思い出した。
――『私たちが異世界の夢を見るのも、違う世界にて存在する、元々自分と同じだった魂の欠片に無意識につながってしまう、つまり「リンク」してしまうせいだと言うのが通説です』
……この世界の人々は特殊な夢をみる。
地球での日々。自分とタイプの似た、ありきたりな人物の一生を、ほぼ毎日。
地球人類も、神界の人類も同じものを身に宿している。目に見えない特殊な臓器――魂の欠片を有していて、それがなぜか地球と神界に分かれて存在している。
――『そのリンクしている対象の地球人を、私たちは「影」と呼びます。違う世界に自らの影法師が落ちているようなものだと捉えて』――
……この甲冑ウーマン。
聖山学園の夢を見ていたらしい。
それも13年より前の。
「……当然だ、任しとけ」
俺はそいつを後ろに向かせた。
何も見えていなさそうなアルテミス姫の肩を守るようにもたせ。
「えー出入口の2人! 今から奥の手でまず真ん中の格子すっ飛ばす! 危ねえからどんな音がしてもこっちくんじゃねえぞ!」
……いや、これ以上ないほど痛いわあんなん。そう思いつつ13年前を思い出す。
物理的に体が膨れ上がるんだぞ。脊椎からもう一個要らん器官が伸びるんだぞ。
二度とやってたまるか。
そう思っていたはずだったし、そもそも俺はあの姿が好きではない。どれかというと大っ嫌いだ。嫌なことを思い出す。
そもそもが月一で我を失っていたのが俺だ。おかげで昼に見える白い天体が丸くなってくると、夜のうちはできるだけ寝て過ごすのが鉄板になった。……時永の演出なのか偶然なのかはしったこっちゃねえのだが、夜間、満月の光を視覚が認識すると体がもう1段階変わるし、思考力が低下して性格が変わる。
懐いているらしきイツキや馬越さんに大はしゃぎで突撃するし、大嫌いな時永の気配を感じると猛スピードでキャンキャン言いながら逃げ出す、だいぶ短絡的な思考回路。
後で記憶のフィードバック自体はあるが判断力がほぼないので基本珍妙なふるまいをしている。個人的にはただの痴態だ。恥ずかしいったらない。
だが。
ベルトを首に嵌めてからは一応、それはない。なので安心をしていた。
――だが。
「…………頭きたんだから。俺しか、やっぱいねえんだから」
言い聞かせる。
一年前。グレイブフィールを前にした時のように……思い起こす。
あのとき、ミコトは何も知らなかった。
イツキは身動きが取れず。今よりずっと泣き虫で。
満足に動けるのは、結局馬越さんくらいなもんで。
ガキ二人を前に強がって、時永に向かっていけるのは……自分くらいで。
だから、結局のところ……あの時と何も変わらない。
「ああ、挙句の果てにだ」
諦めて上着とシャツを脱ぎ捨てた。
……首のベルトの金具に手をかける。
「……先生呼びされたら、しょうがねえ……!」
さすがに頼られれば弱いのだ。あれは、いつかのバスケ部を思い起こさせる声だった。
自分が人間だった頃に聞いた、誰かの声。
――「犬飼先生なんか朝から疲れてます?」
思い起こしたのは、ミコトの世界でも聞いた一人の声だった。
「……はあ……」
気が重い。ただ、『悪い重たさ』ではないのが痛いところだった。
ああ、腐ってもそうだ。
「……仕方ねえから動けよ、俺の体……?」
俺は結局――【犬飼 元】なのだから。




