8話「旅立ち」
早朝に目が覚めたジンは昨夜寝泊まりした小屋を出て軽い鍛錬をしていた。それ自体は日課のようなものだが、昨晩はあの後あまり眠れなかったので、陽が昇ってきたあたりで寝床を抜け出して身体を動かすことで気を紛らしていた。 そろそろ切り上げようかと考えてきたところで、後ろから声が聞こえてきた。
「おはようございます。朝から精が出ますね」
「あ、おはよう、シノ」
クサナギ・シノ、これから自分と旅路を共にする彼女は旅支度を済ませたのか昨日からちょいちょい見かける白鞘を腰に差している他、風呂敷を右肩から斜めがけしている。こうして見ると旅の女剣士というイメージにぴったりだな。
「あの、何か?」
「あ、ごめん。絵になるなぁと思って」
「そういうものでしょうか…」
マジマジと見ていたらシノから訝しげな視線と疑問の声が返ってきた。一瞬自分の装いに目をやるシノだったが、あまり気にする様子もなく、すぐに本題に入る。
「そろそろ出発しようと思いますが、よろしいですか?」
「いいけど、どうやってここから出るの?」
「少々お待ちを」
そう言って目を閉じたシノは何もない方に向かって右手を差し出す。その直後、彼女の右手付近に人一人が通れそうな大きさの空間の歪みが出現した。
「ここから出られます」
「えーと、これは?」
「昨日も言ったように心苑とはエーテルによって構成される特殊な空間です。持ち主が織り成す一種の心象世界とも言えるでしょうか。私はここの管理人なので、ある程度この空間そのものに干渉することができます。ここから出る方法はほかにもありますが、やや面倒ですので無理矢理こじ開けました」
シノが「ささ、どうぞお先に」と言わんばかりに僕が先に出るように手招きしている。うーん、やだなぁ、こわいなぁ。つい昨日時空の歪みみたいな穴を通ってこの世界に来てしまったこともあり、若干トラウマが刺激されしまった自分がいる。しかし、女子の前で弱みは見せたくない男子の性から僕は意を決して目の前にある空間の歪みに足を踏み入れた。
空間に入った直後は昨日鳥居を潜った時と同様に光の靄がかかった風景が広がっていたが、すぐに視界が開けて青白い光を放つ結晶が目に入ってきた。どうやら古城に戻ってきたようだ。後ろを振り向くと昨日見た鳥居と空間の歪みがそこにあった。やっぱりシャン、って音が今にも聞こえてきそう。
ほどなくしてシノが空間の歪みを通ってやってきた。僕がいるのを確認した後、彼女は空間の歪みに向けて右手を差し出す。それと同時に空間の歪みは消失した。
「ところで、心苑の入り口が鳥居なのはどうして?」
「心苑は私の故郷では神域として扱われています。鳥居は神域とこの世界を隔てる門、あるいは結界という位置付けなのです」
「…」
「どうかしましたか?」
「いや、僕がいた世界と同じだなと思って」
「…なるほど。それは興味深い。もしかしたら我々の先祖もジンやリンのように世界を渡ってきたのかもしれませんね」
シノは真剣とも冗談とも取れるような口調でそう呟いた。
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古城の外に出た直後、僕は腕を上空に向けて伸ばして深呼吸をした。シノと二人で立ち止まったまま高台の空気を吸っていると昨日僕をここまで運んでくれた青白い竜が飛んでやってきた。
「昨日あの竜にここまで運んでもらったんだ」
「あれはペイルといってこの地を守護する竜です」
ペイルが目の前に降り立つとギャッギャッと鳴きながらじゃれてきた。それは別にいいんだけど、顔を舐めるは勘弁してほしい。ペイルはひとしきり僕の顔を舌で堪能した後、今度はシノに頭を垂れる仕草をした。
「久しいですね、ペイル。元気でしたか?…おや、この傷は」
ペイルの頬が少し腫れている。ああ、これは昨日僕が蹴っ飛ばした時のやつだな。それをシノに伝えた途端、彼女は汚物でも見るかのような蔑んだ目を僕に向けてきた。
「見損ないました。こんなに愛らしい子に対してなんてことを…」
「えぇ…襲われたのはこっちなのに。ちょっと理不尽じゃない?」
それに愛らしいかなぁ?どちらかと言うと猛々しいという言葉が似合いそうだけど。ただ、今それを口にするほど自分も鈍感じゃない。ここはおとなしく受け入れておこう。
その後、シノはペイルとひとしきり戯れていた。彼女が言う青白き竜の愛らしさにひとしきり癒やされて機嫌も直ったのか、ペイルの背中に乗ったシノが自分に呼びかける。
「さぁ、下に降りますよ。ジンも乗ってください」
「うん」
僕は軽く飛んで巨大なペイルの背中に乗り込む。ペイルの背中は僕たち二人が大の字で寝転んでゴロゴロできそうなくらいには広かった。
「ペイル、麓までお願い」
「ギャッギャッ」
大空へと飛び立ったペイルの背中からはクリスタルガーデンだけではなく、その先にある山脈や広大な平野に森林、果ては海まで見渡すことができる。お、北西の方には島がいくつも見えるな。なんだか本格的に冒険が始まったようで気分の高揚が隠せない自分がいる。
しかし、その高揚感は瞬く間に霧散した。ここは上空、しかも結構な高さで風も吹いてるからものすごく寒いのだ。吹雪いていない分昨日よりもマシだけど、身体がガタガタ震えている。見かねたシノが僕に声をかけてきた。
「あの、大丈夫ですか?」
「うう、なんとか。シノは平気なの?」
「火属性のエーテル障壁を身体の周囲に軽く展開して防寒しています」
「シノは光だけじゃなくて火の属性も扱えるんだ。すごいね」
「こうやって日常生活に役立てることができる程度ですよ。昨日の戦いでお見せした通り、私の本来のエーテル適性は光ですので」
師匠曰く、「個々人が扱えるエーテルの属性や数には個人差があり、大抵の人は7つある属性のうち1つしか使いこなせない。複数の属性を扱えたとしてもそれらを同等の精度や練度で扱うのは困難を極める」だそうだ。学術的にはエーテル適性と呼ばれていて、例えばシノは光のエーテル適性を持っているということになる。
「ジンはやはり無属性に適性があるようですね」
「うん、リンや師匠と同じだね」
「無属性の性質についてはご存じですよね?」
「他の属性と比べて高出力、あと適性を持っている人が少なくて希少とかだっけ?」
それからしばらく僕とシノは寒空の下で…いや、この場合は上か?それはさておき、時折シノによるエルトラントの地理について解説を挟みつつ、僕たちはエーテルや今後の実戦訓練に関する談議に花を咲かせていた。いつの間にか時間も寒さも忘れてしまっていたけど、後から思えばこういった話ができるのはリンと師匠くらいだったから単純にうれしかったのかもしれない。




