13
翌朝。
牧野林家の朝ごはんはパン。おかずは目玉焼きだったり焼いたソーセージだったり。付け合わせにトマトやレタスやキュウリ。
パパとママはコーヒー。レンとリンは牛乳。
リチャードはレンの部屋で一緒に寝た。お客用の布団を一式運び込んだ。
「……ベッドじゃない……」
リチャードは呆然とつぶやいた。やはり西洋風の人。床で寝るという発想はないらしい。
「安心しろ。踏みはしないから」
たぶん、そういうことじゃない。
「おれの部屋なんだからな。リチャードは居候だ。ベッドは譲らん!」
リチャードは不承不承布団に入った。土足ではないし、素足で歩いているからギリセーフといったところだろうか。
その割に、朝起きてきたリチャードは案外すっきりとしていた。
またレンのTシャツとハーフパンツを借りて着ている。日中用のカーゴタイプのパンツだ。パジャマとは違う。
「よく寝てたぜ。疲れたんだろうな」
レンが言った。
「はい、思いのほかよく眠れました。ぼく、布団は硬いほうが好きです」
あまり褒められた気はしない。お客用の、あまり使っていない軟らかい布団のはずなんだが。
「そう、よかったわ」
ママは今日も上機嫌だ。
牧野林家は住宅街のど真ん中にあるから、夜は静かだ。車の通りも少ない。
ずっと遠くの方から、バイクの爆音が聞こえるけれど、安眠が妨害されるほどじゃない。それから風向きによって、電車の音が聞こえることがある。リンは深夜の静寂の中、かすかに届くその音が好きだ。銀河鉄道みたいで、ちょっと遠い気持ちになる。
家族も寝静まり(ほんとうに寝ているかどうかは定かじゃないが)たった一人の時間、というのも特別だ。
「リチャードは嫌いなものある? アレルギーとか」
ママが聞いた。
「あれるぎー」
「食べたら具合が悪くなるものよ」
「……ピーナッツを食べると、頭痛がして体がかゆくなります」
「あらそう、じゃあピーナッツは抜きね。まあ、ごはんに使うことはないから安心して。お菓子は気を付けてね」
「食べなくていいのですか」
「食べちゃダメよ」
「そうなのですか」
「アレルギーだからね」
「あれるぎー」
「下手したら死んじゃうから」
「え!?」
「体に合わない食べ物ってあるのよ。リチャードみたいに頭痛を起こしたり蕁麻疹が出たりね。ひどいと呼吸困難を起こして死んじゃうのよ。だから、絶対に食べちゃダメ」
「そ、そうだったんだ」
「アレルギーって知らなかった?」
「はい、はじめて聞きました。我慢して食べていました」
「わー、そうだったんだ。これからは食べちゃダメよ」
「はい、教えてくださりありがとうございます」
リチャードはピーナッツアレルギーだった。
それでー、とママが冷蔵庫を開けて見せる。
「お昼ごはんはリンが帰ってきたら用意するからね」
冷凍チャーハンだが。あと、朝とおんなじサラダ。
「牛乳やジュースは好きに飲んでいいわよ。あとアイスもあるし、プリンもあるから。あとこっちにポテチやクッキー」
食料のありかをリチャードに教えている。
「それから、ピンポンが鳴っても出ないでね」
「ぴんぽん」
あー、といってレンが玄関に走っていって、外からチャイムを鳴らした。
ピンポーン。
リチャードがびくっとした。
「これね。ヤバいヤツも来るからね。出なくていいから」
「わかりました」
「クマよけスプレーは玄関に置いてあるから」
レンが持ってきた。防犯用に買ったヤツだ。
「クマよけ?」
リチャードが赤いスプレー缶をしげしげと見ている。
「ヤバいヤツが無理やり入ってきたら、これをシューッとするんだ」
「しゅー?」
「あれ? スプレー知らん?」
リチャードはこっくりとうなずいた。
「そっかー、知らんかー」
レンはそう言って、洗面所から制汗スプレーを持ってきた。
「これとおんなじだよ。ほら、シュー」
「わあ」
リチャードがいちいちびっくりする。
「やってみ」
渡されると素直に受け取るリチャード。おそるおそるボタンを押した。
シュー。
「はあ、いい匂いがする」
シトラスだね。レンがにやりとした。
「ちょっと腕上げてみ」
レンのまねをして素直に腕を上げたリチャードの腋にシュー。
「ひゃあっ! つ、冷たい!」
「気持ちいいだろう? クマよけは使っちゃダメだぞ。のたうち回って苦しむからな。なにしろクマを撃退するヤツだからな」
「これはクマに使うもの?」
「うん。あと敵にも使う」
「敵。魔物?」
「いいや、一番怖いのは人間だ」
「……そうなのか」
「ヤバい人間が来たら、これを吹き付けろ。そうやって倒すんだ」
「うん! わかった!」
ほんとかな。ちょっと不安だなと、リンは思った。