第200話 ここから先へ
「……え? 夜刀が召喚出来なかったの?」
「そうなんですよ、マジで最初はどうしようかと。こっちだと、夜刀の刀身ごと召喚するじゃないですか、なのに、向こうではどんなに呼び掛けても夜刀の声が届かない。まあ、距離的にも時間的にも当然かもしれないですけど」
「…………そうだね」
「向こうで日本刀っぽい剣を作ってもらっても無理で、まあ、ようやく最終的には喚び出せたんで、向こうの力に馴染んだからかなとは思うんですが」
「……それで、念動力も使えないのに、魔法使い相手にバトルしたの?」
「はい。あまりにびびって私、逆に無表情になってたみたいです」
「はぁ……で、精霊召還術とやらを使ったと」
「こっちに戻ったら威力は落ちてるし、一部は使えなくなってましたけどね」
佐久夜の話を相槌を打ちながら聞いていた彼女の師匠──柊耶は、困惑したように表情が強張る。見知らぬ遠い星に突然連れて行かれ、唯一の武器も手元にはなかった。
魔法なんてモノがある世界で、本来の力を制御出来ないと一族でも評判の弟子──佐久夜がどれ程苦労したのかと苦い気持ちになる。
「でも危険な野生動物なんかも居たんでしょ? じゃあ、最初は体術だけで頑張ってたってこと?」
「そう──本当に師匠のお陰です。軍人にも負けませんでした」
「……えー……戦闘職を倒すために教えた訳じゃなかったのに」
「でも通用しましたよ。まともに組み合ったら力じゃ敵わないから、必死でした」
それはそうだろう。佐久夜はごく平均的な背丈しかなく、筋肉量もプロのアスリートには及ばない。
それにしても、と柊耶は長い溜め息を吐き出す。
「まさか、太刀を用意させるなんて……」
「うん、ラッキーでした。私の前に転移していた武……剣士がいて、日本刀の事を話したデータが残っていました」
「玉鋼を用意出来たのか……佐久夜は鍛刀地にもよく行ってたもんね。……刀があれば、夜刀を召喚出来るかもって思ったの?」
つい、と佐久夜が眼を逸らす。きゅっと引き結んだ口元で、佐久夜の本音が洩れて見える。
少し呆れたように肩を竦め、彼は佐久夜の頭に軽く手を乗せる。本当に無事に取り戻せて良かった、と大きく息を吐く。
ほんの数日前とは違い、佐久夜の気は劇的に変化した。そこに居るだけで、周囲の邪気を遠ざけている。
気付く者のうち、ある者はその光に惹かれ、またある者はその光を嫌うだろう。それは『何となく』というあやふやな感覚で周囲の者を振り分けてしまう。
(元々、感知できないくせに邪気を纏った連中を嫌い、そんな輩から喧嘩を売られるような子だったけど……)
佐久夜の周辺は、一族の眼が光っている。
わざわざ手出しするような邪霊は滅多にいないが、人間は別だ。愚かにも、光や力を妬んで難癖を付けてくる者は少なくない。
──さて、どうするか……
濃い色彩の瞳孔が佐久夜を見つめ、すっと細められた。
「……ん? 佐久夜が来ていたのか?」
弟子の気配の残滓に気付いた相棒に、彼は思わず口元を緩める。
たった一晩で変化した弟子に気付くとは、さすがは先代の当主を務めた男だ、と感心する。
「侑玖くんが言っちゃったみたいで。わざわざお礼を言いに。面白い話は聞けたけどね」
「あー、……お前も佐久夜の夢に干渉したんだろう? その時、向こうの様子は窺えなかったのか?」
「憶えていない深い眠りの時にね。だから忘れているはずだし、そこまで干渉は出来ないよ」
「そうか。──で、どうだった?」
御礼を言うためだけに、わざわざ訪ねてくれた愛弟子の背中を思い出しながら、彼は不機嫌そうに視線を上げる。
そこには白い髪と薄い灰色の眼をした、白い服の女が浮かんでいた。静止、と浮かぶ女に眼で告げ、視線を相棒に向ける。
「完全に発現しているし、本人は無意識で制御してる。……あんなに慎重に覆い隠していたのに。本人に自覚は全くないけど」
「……マジか……。系統は?」
「不動明王の気配と、多分父方の念動力と母方の呪力、それと──」
「……まだあるのか?」
「あの娘は、祝詞を操れるんだ。自分を通さずに神霊から借りられるように、って僕が教えた。加えて夜刀を憑依させられる素質があるからね、自分の意思を保ったままで神霊を降ろす事も可能だと思う」
「……侑玖やかごめと比べて、どうだ?」
「二人がかりでも、佐久夜を封じられないと思う」
それはつまり、一族直系の兄妹よりも個々の能力では上回っているということだ。
ふむ、と腕組みをして考え込む先代当主から視線を外し、彼は床から浮いたまま留まっている白い女を見つめた。
「さて。無事に佐久夜を戻せたのはいいけど」
白い女が項垂れるように俯く。
「エンキから聞いた。佐久夜はずいぶん危ない目に遭ったようだね」
『……申し訳ございません。かの地がそれほどまでにエンリルに干渉されているとは思わず──』
「言い訳は不要だよ。僕に黙って佐久夜を勝手に連れ出し、君たちの都合で危険に晒した。おまけに抑制していた佐久夜の能力を開花させるとはね」
返す言葉もなく、女は頭を垂れる。
自分たちの都合のみで佐久夜の力に頼ってしまった。能力が完全発現したのは偶然だったが、それも彼は気に入らないらしい。
霊や念を相手にするのは、危険を伴う。そんな稼業に捲き込みたくないと考えるのは当然だろう。
目の前で不機嫌な顔を隠そうともしない男が怒るのも無理はない。そして、この男を怒らせてしまう事が自分たちにとって最大限に忌避すべき事項だった。
「別に、僕はこんな世界に思い入れはないけどね。だけど僕の周りの親しい者たちに手出しするなら、容赦はしない。サナートが止めてなければ、そっちの次元に介入してもいいと僕は思ってるんだよ?」
今度こそ、女は狼狽えた。
この男が高位の次元に介入すれば、その次元は無事では済まない。最悪、消滅して全次元のバランスが崩れてしまう。
それでもこの男なら、三次元の空間だけを護る事もやってのけるだろう。
女は、神と呼ばれる高位生命体ですら不可侵の男をそっと見つめた。
早急に、男が納得する条件で交渉する必要がある。
それは、とてつもなく難しい任務だ。
全ての物を、光や時間すら飲み込む深淵に抗う術などないのだから。
* * * * * *
佐久夜はことことと煮込んでいた鍋の火を止める。
社長業で多忙な母は、今日は帰りが遅くなるらしい。
未だにどうやって帰って来たのかは思い出せないが、佐久夜は父の助言に従い、一族の組織に正式に属することとなった。
以前はどんなに説明されても理解出来なかった事がすんなりと身体に馴染む。『気』を巡らせること──それは、元素を指先で操る作業に似ていた。精霊の気配を追った感覚を思い出せば、力の流れを肌で感じる事が出来た。
あの世界では無限に感じた夜刀の憑依は、この世界では制限があるようで、あまり長時間は体力と気力が続かない。それでも、以前よりは随分と楽になっていた。
ぼんやりとビーフシチューの入った鍋を眺める。
少し作り過ぎたかと思ったが、今日は父が最近採用した部下で、特に将来有望な新人を連れて来ると言っていたので、大丈夫だろう。何人来るかは聞いていないが。
自分にとっては優しい父だが、身体を鍛える事に関しては容赦はなかった。師匠よりはマシだったが、何度も吐きながら必死に食らいついた。
その父が、珍しく『凄く見込みがある』と嬉しそうに話していた。
父がそこまで言う人材は稀で、佐久夜も興味が湧いた。ちょっと手合わせする機会があればいいのに、と楽しみに思った。
手早く用意を整えながらパントリーを覗き込む。
料理をしながら次の手順を考えていると、余計な事を考えずに済む。手際よく進めていたせいで、ほとんど終わってしまった。途端に切ない気持ちが浮かび上がってくる。
(遠すぎだよなぁ……)
距離も時間も、佐久夜にはどうあっても辿り着けない遠い場所。
二度と会えないと思えば余計に顔が見たくなった。
写真すらなく、あの世界から持ち帰る事が出来たのは、この身体と小さなダイヤの粒。それも、組織の情報部門で解析中で手元にない。
従兄妹たちに話したように、こちらに戻った佐久夜はもう向こうで精霊召喚術と呼ばれる力は使えなかった。炎や氷は操れるが、元素の補填は出来ないし、結界も脆弱だ。おそらく、まだこちらでの『気』の操作に慣れていないからだろうと父や伯父からは言われたが──
この世界では元素を補填する必要はないが、唯一聴こえていたルークスの声も届かなくなった。それは向こうの世界と完全に断ち切れたように感じ、思わず胸元を掻きむしりたくなった。
こちらでは必要がないから、その力が消えたのだろうか?
佐久夜の話を細かく聞き取りした組織の情報部門は、興味深そうに精霊召喚術の仕組みを解析する事にしたらしい。
最初に試したのが元素を集める事だったのだが、発動しなかった事でまた役立たずに戻ってしまったのだろうか、と思って泣きそうになった。
今では笑える話だが。
向こうの世界とこちらでは、理が違う。そう割り切ってしまえば、気持ちは一気に軽くなった。
少なくとも、念動も結界も使えるようにはなっている。笑える程に弱いが。
──出来る事を、探せばいい。もう、逃げない。
しばし思い耽り、気分転換にコンビニでも行こう、と財布を掴んだ。
鍵をポケットに突っ込み、バックベルト付きのサンダルを履く。
玄関のドアを開けると、まさにドアホンを押そうとしていた人影と眼が合った。
「あ……すみません、木花さんのお宅、ですよね?」
少し長めの洗い晒しの髪の男だった。
佐久夜より頭一つ以上高い背の、その顔を見た佐久夜は声も出せずに硬直する。
「えっと……俺は、親方、じゃない……木花さんのお父さんの部下で、先に行っててくれって言われて…………え? あの、どうかしました?」
ぼろぼろ。
大きく見開いた佐久夜の眼から涙が溢れる。
──嘘、だろ?
泣きながら笑う佐久夜に動揺する青年は、佐久夜の記憶とはその髪も眼も色合いが違う。彫りの深い顔立ちも、今はこの国でも違和感がない程度にやわらいでいる。
それでも佐久夜にはすぐに分かった。
──また、逢えた……
前世の記憶など持っているはずはない。
彼に告げるつもりもない。
ふと、伯母の言葉が頭を過った。
「いらっしゃいませ。はじめまして、佐久夜と申します」
「あ……あの……はじめ、まして?」
戸惑うような青年の表情が妙に懐かしく感じた。
約束を守ってくれていたんだ、と思う。いつか自分の元へと辿り着くと。
この世界に、居てくれた。
もう一度、最初から始めよう。
佐久夜は口の中で小さく呟く。
(ただいま、ディー)
──Fin──
拙作を見つけて下さって、ここまでお読み頂いて、ありがとうございました。
感謝を込めて、皆様が心穏やかに新たな年を迎えられますことをお祈りいたします。




