第199話 時を繋いで
つい先日も本家の道場で佐久夜と手合わせしたはずの彼──宮守侑玖は、佐久夜をじっと見つめ、困惑するように眉を寄せる。
佐久夜と同い年の侑玖には、双子の妹、かごめがいる。
どちらも両親から能力を受け継いでいた。巫女の力は一代に一人だけだが、彼らは除霊などの力を、既に一族のために行使している。
彼らの他にも再従兄弟たちがいて、それぞれが親から引き継いだ能力を持っていた。
与えられた力を放棄して、逃げ出していたのは佐久夜だけだった。
佐久夜にとっては半年振りだったが、侑玖にとっては一週間と経っていない。
「……何があれば、そんなに急激に力の気配や気が変わるんだ?」
「まぁ、色々あってな。これからは、自分や自分の力と真面目に向き合おうと思ってる」
「……もう、怖くないのか?」
「怖い。正直、物凄く怖い。だから、手伝ってもらえたら嬉しいなーって思ってるから、よろしく」
「は? まさか、制御は──」
「……まだ、どこまでか試してません」
「えー…………」
「正確には、ヤトを憑依させるのだけは楽になってるみたいだ」
佐久夜の言葉に、妹のかごめがくすくすと笑う。
「──まあ、怖い目にあったら、そんな簡単に吹っ切れないよね。実際、自分で制御出来ないってのは本当に怖いし。でもさぁ、佐久夜の『気』は落ち着いて巡っているように見えるけど?」
「……自分ではよく分からないんだ。こっちと向こうの世界ではどうも感覚が違う気がするんだよね」
「そうなの? まぁ、考え込んで深みに嵌まるのは佐久夜の悪い癖だけど、たまに何も考えてないみたいに走り出すからなぁ……。感覚の違和感か、うーん……」
かごめの言葉に、佐久夜は苦笑する。
ぽやんとしているようでいて、かごめはとても周りをよく見ている。突っ走る鉄砲玉のような両親からよくこんな娘が育った、と親類たちは思っているようだが、かごめは母親の叔父である先代当主に懐いていて、彼の資質を受け継いでいるように佐久夜には思えた。
似たような事を向こうの世界でも心配された事が思い出された。何度も、一人で突っ走るなと止められた。
あの赤毛の、見た目はチャラいくせに真面目な男は、きちんとアシュレイを護っているのだろうか、と懐かしく思った。
──そういえば……
「魔法も、うまく使えなくなったんだよなぁ」
「…………は?」
従姉妹の呆けた顔を久しぶりに見た、と思った佐久夜は口角を上げて笑う。
「魔法っていうか……向こうの世界で、精霊召喚術って呼ばれてる魔法みたいな術があって。向こうだとそれがかなりの威力で使えたんだ。宝石が媒体になってて、それに力を込めたり、放出したりすんの。メイが作るような結界も含めて。その中で、失われた元素を周囲に満たす作業をしたんだけど……それがこっちでは全く発動しない」
「…………ほう」
侑玖が面白そうに片眉を上げる。
その表情は伯母にそっくりだった。
「火球とか氷柱とか竜巻とか鎌鼬なんかの力は使えるみたいだけど。ああ、当主様の電撃も出せたな」
「佐久夜が? その魔法を? 念動力じゃなく?」
「それが、向こうの魔法──精霊召還術は、念動力とは微妙に違うんだよね。念動力って向こうの世界では『混合魔法』みたいな扱いで、普通はそれぞれの元素に対応した力が使える。だから混合魔法みたいな能力は相当驚かれた。特に、雷撃は」
侑玖とかごめが、揃って顔を歪ませる。
火などを単体で使う能力は珍しくはない。
だが、それしか使えない、という能力はこちらでは逆に珍しい。
精霊召還術というからには『精霊』の力を借りるのか、と思ったところで侑玖が声を上げた。
「精霊が、いる世界なのか?」
「そう。目には見えないけど、気配は感じた。こっちの世界より、ずっと強い気配だった」
「精霊を召還して術を行使するから、精霊召還術?」
かごめも確認するように上目遣いに佐久夜を見る。
「そう。そんな術があるのか、って驚いた。術が発動しやすいようにって、元素を取り入れた宝石のついた、精霊召還具ってのも用意してもらった。でも最初は全く使えなくて、期待に添えない事が申し訳ないと思った。でも周りの人たちは凄く気長に根気よく教えてくれて」
「元素…………それで使えるようになったの?」
「うん、どうにか。精神的に追い詰められて無理やり引き出した感じかな。こっちの『気』の使い方と基本は同じなんだろうけど、私は力を発現させる方法が侑玖たちとは違ってたみたいで」
「『気』と同じ? でも元素って……」
「うん、意識した事がないから、わからなかった。でも、一族のみんなの力を思い出して『風を起す時の気』とか『水の結界の気』とか、『あ、元素ってこれかー!』って気付いた。何より精霊たちがめっちゃ話し掛けて来て驚いたけど。でも魔法が使えない間も、剣術と体術のおかげで卑屈にならずにすんだ。鍛えておいてもらって、よかったと思ったんだ」
控え目な笑みをみせる佐久夜に、兄妹は思わず顔を見合わせる。
同年代の一族の中でも飛び抜けた体術の技量を持つ佐久夜なら、多少鍛えた程度の成人男性でも相手にならない。
どれだけ暴れたのかと想像し、同時に遠い眼になる。
つくづく、この世界に戻って来てくれてよかった、と二人は思った。
「……これは、口止めされてたけどな」
侑玖が少し眼を伏せる。
伯母によく似たイケメンは、伯父に似て口数は少ない。じっくり考えてから言葉に出す性質だった。
続く言葉を佐久夜が待っていると、語られたのは意外な内容だった。
「佐久夜をこちらに戻すのは、本当は難しかったらしい。……ほら佐久夜は過去の世界に行っただろう? そこから未来に戻すのは……」
「時系列の逆説?」
「そう。だから佐久夜をほぼ元の時間に戻す事を提案して、上の──高次元の連中を説得したらしい。『自分が導くから』って言って。佐久夜が干渉したのはここではない世界だから大丈夫だろうと」
「…………誰が?」
「先代親方だ」
佐久夜は驚きに呆けた表情をゆっくりと戻す。
先代親方とは、一族の警備担当の頭だったが、佐久夜の父にノウハウを叩き込んで、その地位を引き継がせた人だ。
寡黙に微笑む先代親方の深い色の瞳を思い浮かべた。
少し浮世離れした父の、さらに上をいく不思議な雰囲気を持った先代親方は、佐久夜の体術の師だ。還暦を過ぎた彼に、佐久夜は今でも敵わない。
そんな師に手間を掛けさせたと知った佐久夜は、眼を伏せて眉を寄せる。
「……後で挨拶に行く。別邸に行くのは久しぶりだけど」
「そうだな。お礼は言っておけ」
「うん」
「佐久夜、向こうでお世話になった人たちには、きちんとお別れはしたの?」
かごめが少し首を傾げる。
「…………いや、急に戻されたから……」
「じゃあ挨拶しないで帰って来ちゃったの?」
「……うん」
泣き出しそうに笑顔を作る佐久夜を見て、かごめは戸惑った。飄々としていて、どちらかというと何かに執着するタイプではない佐久夜の辛そうな表情に、何とかしてあげたいと自然に思った。
うーん、と腕組みをして眼を閉じる。
意を決したように顔を上げ、かごめは宙に向かって声を出す。
「シェリー、声だけなら届くかな? できる?」
いきなり何を言い出すのか、と佐久夜が戸惑っていると、妹の意図に気付いたらしい侑玖が額を手で押さえた。
「メイ、お前……それはマズいんじゃないか?」
「一度くらい、許されてもいいんじゃないかと思うの。多分、今回佐久夜が召喚されたのは『上』の我が儘だから」
「そうだけどな……」
「今回の件、かなり丁重な詫びが届いたって聞いてる。うちにとっては『一晩』だけど、佐久夜にとっては半年も誘拐されてたんだし」
「…………」
侑玖は複雑な気持ちで黙った。
実際、佐久夜が戻った早朝、父と母は『大神さまに呼ばれた』と告げて一刻ほど、文字通りに姿を消した。
一族に連なる者を勝手に道具にされた事に、母は怒り心頭だった。
「じゃあシェリー、回路を繋げて。鳳凰、少し力を貸してくれる?」
不機嫌そうに宙に浮いている、シェリーと呼ばれた金髪の女性っぽい人影に気付き、侑玖は妹の要求が通った事を知った。これは『霊』ではなく、高位のエネルギー体で、母の眷属だ。
《かごめ、長い時間は無理です。音を伝えるだけの一方通行ですが、よろしいですか?》
「おっけー、おっけー。媒体は?」
《……こちらに》
諦めたように肩を落としたシェリーは、渋々といった態度を隠そうともせずに佐久夜の顔の高さに手を翳す。
何が起こっているのか分からずに呆然とする佐久夜の前に、光る丸い球体が現れる。球体は光を放ちながら形を変え、丸い鏡のような厚みのない形状になった。
口を半開きにしたまま瞬きを繰り返す佐久夜の視線の先に、何か人影のような物が映る。
見慣れていたその髪は、この世界にはない濃紺と珍しい赤、そして金銀コンビ。それに探求者と名高い国一番の術師の姿。佐久夜は思わず鏡に駆け寄った。
「アシュレイ! ドク! ディー! カート! ロイ!」
こちらの声は届かないのか、四人とロイスカーテは何かを話している。
懐かしい姿に、佐久夜は目頭が熱くなるのを感じた。
ふいに向こうの世界を映していた画像がブレる。
「んー、やっぱり難しいか……」
かごめがそう呟くのを聞き、佐久夜は驚いた顔で従姉妹を見た。かごめは汗だくになっている。顔色も悪い。
「ちょ……メイ、大丈夫か?」
「平気。──佐久夜、つくづく遠い所に居たんだね」
かごめの言葉に、佐久夜は喉がぎゅっと詰まった気がした。
──そう、遠い所だ。
「……もう二度と会えないって分かってたら、もっとたくさん話せばよかった」
「あの人達と?」
「うん」
向こうの世界に召喚されたのが変則だったのだから、おそらく二度目はない。何より、一族の巫女が許さないだろう。
未来で待っている、そう言えないほどの、長い時を隔てた世界。
すっかりノイズで覆われた光の鏡に向かい、佐久夜は告げる。心をこめて。
「みんな、ありがとう。私が少しでも、ミュートロギアの役に立てたなら嬉しいけど、最後までちゃんと片付けられなくてごめんなさい。でも──」
目尻に溜まった涙が頬を伝って顎先からぼろぼろと落ちる。詰まりそうになる喉を叱責しながら佐久夜は腹に力を入れた。
「私は、この世界での自分の役割をしっかり見定めて、それを果たすって決めた。だから、いつかまた、どこかの時間で逢おう」
届いたのかは分からない。
それでも、佐久夜は満足げに微笑んだ。
「メイ、ありがとう」
「どういたしましてー。役に立てたか微妙だけど……あの人たちに、いつかの未来で逢えるといいね」
察したように微笑むかごめに、佐久夜は笑ってみせる。目尻の涙を振り払うように勢いよく顔を上げた。
「そういえば侑玖は、幕末辺りの歴史が好きだったよね?」
自分とは違って、という言葉を飲み込む。
侑玖はちらりと佐久夜を見て、それがどうした、というように眼を細めた。
「高速三段突きの剣士に会った」
「………………なんだと……?」
「少し歳は経ていたけど、伝承以上だった。先代当主でも捌くのは難しいかもなって思ったぞ」
「……佐久夜、お前まさか──」
「模擬刀で、マジ助かった。掠っただけなのに、痣になってたし。因みに竹刀だともっと速くて──」
滅多に感情を出さない侑玖が佐久夜の肩をがっしりと掴む。
眼の奥に渇望するような炎が揺らめいて見える。
「佐久夜、ちょっと、じっくり付き合ってもらえるか?」
予想した通りの反応に、佐久夜は悪戯っぽい顔で、にっと笑った。




