エピローグ
「もう国宝の腕輪を使った悪戯はしないわ。だから怒らないで!」
「絶対に見つかるような事はしないと約束なさったのに誰より目立ってどうするのです?あの場で貴女を弑する者が居てもおかしくなかったのですよ」
「でも…ノアが居たじゃない」
「でも…ではありません!私でも数には敵わない。それを貴女は簡単に正体まで明かして…」
馬車に揺られながらノアに説教を受ける事、小一時間。
「あの場に居たのはノアだけじゃ…」
アレクサが涙目になって反論するところで、馬車の扉が開きドレス姿の学生が飛び込んできた。
「お前は…走行中の馬車に乗り込むなとあれ程…」
ノアが床に座り込むドレス姿の学生を睨みつける。
学生はサーモンピンクの髪を彩る髪飾りを荒々しく取り外すと、アレクサの前にドカリと座りこんだ。
化粧はそのままなので美少女に見えるが、動作は男性そのもの。
「女性のふりはもう懲り懲りだ。気持ち悪くて仕方ない!」
「おかえりなさいメアリー」
ようやく助けが来たことにホッとしてアレクサは微笑む。
「メアリーじゃない!俺はマリだ!!」
マリはムッとして身を乗り出し、馬車の背に両手をついてアレクサを閉じ込めると目を細めた。
庇護欲をそそる可憐な美少女はそこに無く、その瞳は熱を帯び色気が溢れている。
「大義名分を与える為に努力したご褒美は無いの?今回は本当に頑張ったんだからね」
「流石はわたくしの夫ですわ」
アレクサ。アレクサンドル皇帝は後宮を持っている。
そこには既に数名の夫がおり、ノアとマリもその内の一人。
本来であればオリヴァーもその一人になる予定であった。
「お疲れ様でした」
アレクサはマリの首元に腕を回し優しく抱きしめ、その髪を撫でてやった。
ノアが深い溜息をつくまでそれを堪能したマリは、アレクサを解放してからまた正面に座った。
「あの第二王子がセフィリアに懸想してたのは報告してたよね。アレクサの狸芝居に笑いを堪えるの大変だったんだから」
「ふふっ、わたくし達が去った後はどうなりましたか?」
「ああ、あの後は…」
◆ ◇ ◆ ◇
「オリヴァー!!何て愚かな真似をしてくれたのだっっ!!!」
扉が閉まると同時に国王が叫んだ。
オリヴァーは跪いたまま動こうとしない。
アレクサには既に複数の夫が居る。婚約といってもオリヴァーがアレクサの目に留まる事は無く、夜会にも参加する事は無いと考えていた。
セフィリアへ求婚しても国内での出来事。国王を説得出来ればアレクサとの婚約を解消する方法はいくらでもある。オリヴァーはそこまで考えてセフィリアへ求婚した。
「どうしてアレクサンドル陛下が…」
国王が自らを罵声する声を無視してオリヴァーは呟く。
「……まさか……」
まさか全て計算だったのでは?王太子の婚約破棄からオリヴァーの求婚までがアレクサのシナリオなら――
オリヴァーは王太子の腕に抱かれるメアリーを見る。
視線に気付いたメアリーは怯えた様子で王太子に縋り付いた。
「メアリーが怯えている。お前が起こした事態をメアリーに転嫁するな」
元々は王太子の責任では無いか。オリヴァーは歯噛みするが、何も言えず視線を逸らした。
「オリヴァー殿下」
静かな声にオリヴァーは顔をあげた。
「セフィリア…」
僅かに微笑むセフィリアがオリヴァーに手を差し伸べる。
「わたくしを庇って下さりありがとうございます」
立ち上がったオリヴァーにセフィリアは礼をした。
当たり前の事だ。オリヴァーにとってセフィリアは大切な女性。彼女の悲しむ姿は見たくない。
「セフィリア?」
先程までの微笑みを消したセフィリアは、感情を伺わせない氷のような瞳でオリヴァーを見ている。
「オリヴァー殿下。わたくしを好ましく思って下さるなら…正しい手順を踏んで欲しかった。オリヴァー殿下がされた事は、王太子殿下がなさった事と変わりございません。皇帝陛下には既に夫君がいらっしゃる。だからわたくしに求婚して良い。そんな理屈は通りません」
「違うセフィリア…私は…」
「わたくしはオリヴァー殿下と名前を呼び合う関係ではごさいません」
それは明確な拒絶。
オリヴァーはセフィリアの冷えた視線から逃れるように後ずさる。
王太子に裏切られたセフィリアにとって、婚約者が居る身で求婚することが許容出来るものではない。
オリヴァーは自身の行動がいかに浅はかだったかを後悔した。
その様子を見ていたローゼンシュタイン公爵は軽く息を吐くと国王に向き直った。
「国王陛下。息子が望む事を叶えてやるのが親の役目だ。申し訳ないが諦めてくれ――でしたな」
ローゼンシュタイン公爵は続ける。
「では私はこうお答えしましょう。『皇帝陛下の望みを受け入れるのが属国の役目。残念ながら諦めて下さい』――と」
「其方は私を裏切るのか?」
「裏切るも何も、護るべきなのはこの国の民であり王ではございません。帝国の直領となる事で民を護れるのならば、私は爵位を失っても構わない」
ローゼンシュタイン公爵は国王に一礼すると、セフィリアを伴って会場を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇
アレクサは目を輝かせて両手を打ち鳴らした。
「素敵ですわ!セフィリア様もローゼンシュタイン公爵も!!わたくしの目に狂いはありませんね!」
ニッコリ笑うアレクサに、ノアとマリは同時に溜息をつく。
そもそもの始まりが、国王の代理で帝都にやってきたローゼンシュタイン公爵にアレクサが興味を示した事だった。
「彼にあの国を治めてもらいたいです!」という発案――思いつきからノアとマリはアレクサの手足となり情報収集や潜入まで行ったのだ。
「でもさぁ。真実を知ったらローゼンシュタイン公爵が怒りそうだよね」
そうマリは心配するが、アレクサはそうならない確信があるのか平然としている。
「あの国王と王太子に上手く国を治める能力が無い事がいけないのです。いずれにせよ近いうちにあの国を潰そうと考えていました。血を流さずに済んで良かったとローゼンシュタイン公爵も考えるでしょう」
そうなのかなぁ、とマリはまだ不満気だ。
確かにここまで上手くいくとは思わなかった。
本当であればマリがオリヴァーを誘導してセフィリアへの気持ちを吐露させる予定だった。冷静なオリヴァーが自ら告白するのは想定外でつい笑い出してしまったのだが。
「わたくしが決めた事です」
そう言って微笑めばマリも引かざるを得ない。
「わかったよ。そうだノア、暫くアレクサに会えて無かったから帰ったら独占するからね。邪魔するなよ」
ノアはピクリと眉をあげると、すぐ無表情になる。
「それは陛下が決める事であって私に決定権は無い。それに戻れば我々には手の届かない身分を持つ方がいらっしゃる」
暗に独占は無理だと言われ、マリは口を尖らせた。
「クソッ」と腕組みをして明らかに不満気だ。
「公爵家の次男坊と、三男坊。侯爵家や他にも。……ねえアレクサ。本気で第二王子を後宮に迎え入れるつもりだったの?俺とノアだけじゃ満足出来ない?」
「諦めなさい。陛下は必要ならご自分をも道具とするのを厭いません。後宮は政の為だと知っているでしょう」
ノアの冷たい一言にマリは天を仰いだ。
「分かってるけどさぁ…俺の順番はいつ来るんだよ…」
「ふふっ、そうですね。帰国したら数日、マリと一緒に過ごしましょう?」
アレクサが微笑むと、マリの表情がパッと明るくなる。
「約束だよ!」
「今回の功労者はマリですから。約束します」
大喜びのマリは、無表情のノアに勝ち誇った顔を向けてから目を閉じた。
「…ああ疲れた。暫く寝るから国境付近についたら起こして」
言い終わるとすぐに寝息が聞こえ始めた。
気が抜けた穏やかな顔をしているマリを見て、ノアは困ったように肩を落とした。
「皇帝陛下の御前で…しかし、余程気を張っていたのでしょう」
「うん。マリは良くやってくれたわ」
アレクサは対面に座っていたノアに向けて、手の動きだけで隣に座るよう指示する。
音を立てず隣に座ったノアに、アレクサが寄り掛かった。
「お休みになりますか?」
先程まで無表情だったノアが柔らかく微笑んだ。
アレクサがノアを見上げると、お互いの手が自然に重なる。
それからノアの耳元に顔を寄せたアレクサは、「あのね」と囁く。
「…これから先、誰を迎える事になっても…わたくしはノアだけだよ」
そう言って、薔薇色に頬を染めたアレクサは恥ずかしそうに笑った。
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