第十九講 初めの一歩から
【本日の講義内容】
・凹んだ時の対処法
期末考査から数週間。授業が終わり、明日からは長い夏休みが控えていた。教室中を見渡せば、浮足立ったように陽気な声が飛び交い、解放感に満ちている。俺も例外ではなかった。
勉強とは名ばかりの監獄から解き放たれ、己の小説の執筆に専念できるというものだ。
しかし。俺には悩みの種もあった。無論、颯夏のことである。やつとは期末テストの前日に話して以来、特に会話らしい会話をしていなかった。試験期間が終われば真っ先に寄ってくるかと身構えていたが、そうではなかった。試しにやつの携帯に連絡を入れてみたりもしたが、返事はすげないものだった。
また、俺が懸念していることはもう一つあり、本日の午後、颯夏が応募した小説の新人賞の一次選考通過作品が発表されるのだった。これが俺の不安に拍車をかけていた。もしかすると颯夏も、そのことで気を揉んでいるのではないかという気がする。
ここは、結果が出るまではそっとしておくのが賢明だろうか? もちろん、受賞はできなくても、一次選考くらいは通ってほしいな、というのが正直なところだ。ただ、そんなに甘くはないということも大いに理解している。
今回、颯夏が応募した《スパーク文庫大賞》には毎年、5000作品近くが送られてくるという。俺も過去に何度か応募したことがあるが、皆口を揃えて言うのが、一次を突破するのにも相当な覚悟が必要ということだ。以前、颯夏も言っていたように、一次選考時点で応募総数の約10分の1にまで減らされるからだ。
ひいて言うと、並大抵の努力では受賞はできない、ということにもなる。
颯夏はどうだろう。あいつも本気で小説家を目指している、と思いたい。でなければ、わざわざ俺に弟子入りを申し出ようなどとは考えないはずだ。単なる遊びでやってるなら今すぐにでもぶっ飛ばしてやりたいが、おそらくは違うだろう。
もしも落選してしまったら、やつは落ち込むかもしれない。そういう時は何と声をかければいいだろう。いつも通りで大丈夫だろうか? 拒否権なしで強制的に師匠に仕立て上げられたとはいえ、あいつは俺にとって初めての弟子なのだ。だから、できるだけ力になって、時には励ましてやりたい。まだ落選が決まったわけではないが、その場合はそうしよう。
……なんてことを考えている俺の隣の席で、「はぁ~~~〜」と、おおっぴらにため息をつくやつがいた。もはや隠す気もないくらい、はっきりと。
振り向いてみると、隣席の御代が机に両肘をついて手で顔を覆っていた。何やらこいつも悩みを抱えているんだな、ということが一目でわかる。
ここは、声をかけるべきか? まあ、全く話したことがないわけじゃないし、ため息の理由も気になるといえば気になるから、話しかけてみよう。……俺的には、苦手なタイプだけど。
「どうしたんだ、何かあったのか?」
さり気なさを装い、声をかける。相手も、俺が話しかけてきていることに気づいたらしく、こちらを向いてくれた。その顔は、彼女に似合わず、沈鬱としている。
いつも、ギャーギャーギャーギャー騒いでいるやつとは到底、思えない。
「東光くん……聞いてくれる?」
「お、おう……」
妙に深刻そうな声だったので、俺は咄嗟に身構える。どうせ大したことじゃないだろうとか思っていたが、彼女の表情から察するに、余ほど思いつめているようだ。俺でよければ相談に乗るよ、とか適当なことを言いたいが、話も聞かぬうちにそんな無責任なことは言えない。
もしかして、失恋か? いや、それならまだいい方だ。家族が事故に遭ったとか、大切な人が死んでしまったとか、そういう系の重い話かもしれない。
その場合、俺はなんて言えばいいんだ? 俺にも通じる話ではあるものの、あまり思い出したくないようなことも思い出してしまいそうだ。
……と悩んでいると、きいてもないうちから、あちらから勝手に話し出した。
「私、夏休み、補習あるんだよ〜。この間のテスト、悪かったから……」
そっちかよ。俺のさっきまでの気苦労はいずこへ? まあ、軽い話に越したことはないし、彼女にとっては深刻なのだろうけど。
「勉強は、ちゃんとしてたのか?」
「うん、だから余計にショックで。何がいけなかったんだろう?」
話を聞いていても、いつもよりテンションが数段階は低いということがわかる。だからここは俺もアドバイスくらいはしてやらないと、という感情が生まれる。
アドバイスと言えるかどうかは不明だけど。
「そうだ。この間さ、山田と田中をうちに呼んで勉強会っぽいことしたんだけど、今度、お前もよかったら一緒に参加しないか?」
颯夏も別用件で来ていたが、説明が面倒だったから、あえて黙っておいた。
御代は意外そうに目を丸くして、
「本当?」
と、俺を見つめてくる。めちゃくちゃ期待されてないか、これ? 逆にプレッシャーなんだけど。まあ、言ってしまったからには今更訂正するのも野暮というものだ。有言実行、これが俺のモットーだからな。
「おう。まだけっこう先だけど二学期の中間前とか、お前の友達……郷とかも誘ってさ、みんなで勉強会! みたいな……」
「実菜子は来ないんじゃないかな。賢いし」
「そ、そうか……? でも、友達同士とかで教え合ったりすれば、勉強も楽しくなると思うんだけど」
「そうだよね。東光くんのおかげで、ちょっと元気出た! ありがとっ!」
御代は子供のように純然たる笑顔を浮かべた。それを見て俺は急に恥ずかしくなり、咄嗟に彼女から目をそらした。それでも、御代からいつもの陽気さが戻ってよかった、とも思った。それから彼女は特に話しかけてこず、この会話はこれで終わった、らしい。
颯夏を励ます予行練習にもなったかな? あいつも相当落ち込むだろうから、今みたいな何気ない感じで、気さくに話しかけてあげよう。
……って、なんでまだ結果も出てないのに落選する前提で考えてるんだ、俺は。通った方がいいに決まってるじゃないか、と自分自身を内心で叱咤した。
しかし、その自己叱責も結局は無駄だったことをこの数時間後、俺は知ることになる。
終業式もホームルームも終わり、俺の学級は解散となった。夏休み中、文化祭のクラス対抗合唱コンクールで歌う課題曲の歌詞を覚えてこいという宿題が今日になって追加されたので、教室内は一時、ブーイングの嵐となったが、今ではそれも治まり、皆は各々帰りの用意や部活に行く準備に取りかかっている。
そんな教室の風景の中に紛れ、俺は時計をチェック。発表は正午だった。スマホの操作にも今はすっかり慣れ、インターネットブラウザを起動するとすぐ《スパーク文庫大賞》のホームページを開く。
正午を過ぎれば、教室の中にはほんの数人の生徒しかいなくなる。山田や田中が帰らないのかと声をかけてきたが、俺がしばらく教室に残ってると素っ気なく返事をすると、二人もそのあと何も言わずに出ていってしまった。
気がつくと、俺は教室に一人になっていた。一次選考を突破した作品は、大賞の特設ページにて公開される。ちょうど十二時に、それは発表された。
俺は指を滑らせながら、画面を凝視する。ちなみに、颯夏のペンネームは本名だ。俺は一つひとつ、そこに表示されている作品群を入念に確認していった。
そこに、新米颯夏の書いた小説はなかった。
俺はがくりと肩を落とし、ひとつ息を吐く。そして立ち上がり、バッグを持って教室を後にした。そのまま、颯夏の教室に直行。まだいるかもしれない。
中を覗くと、彼のクラスも伽藍堂であり、もぬけの殻だった。もう帰ったのだろうか。そう思ったが、まだ思い当たる場所が校内には一つだけあった。あそこにいるかもしれない。
俺は引き返し、あるところへ向かった。この高校は三階までしかないが、その三階からさらに上に上るための階段が一箇所だけ設置されている。俺はそこから階段を上り、突き当たりの扉を開くと、外から涼やかな風が流れ込んでくる。
屋上のベンチに、誰かが座っていた。風に紅茶色の髪が揺れている。俺はそいつに後ろから近づき、声をかけた。
「おい、新米」
颯夏は振り向いた。その顔はどこか物悲しそうな、引きつったものであった。
「どうした?」
理由は聞くまでもなかったが、俺の口から言うことは何故か罪深きことのように思えた。彼が賞のことで落ち込んでいるのだということはわかっていた。それなら、やはり自分の口から切り出すよう促すべきだ。
颯夏はしばらく目を伏せて口を引き結んでいたが、やがてこちらに顔を向けるなりゆっくり口を開いた。
「俺、ダメだったよ」
「落ち込んでるのか?」
「そうじゃないんだけど……」
「いや、どう見ても凹んでるように見えるんだけど」
「わかってたんだ」
颯夏の淡々とした口調は、どこか諦観したような調子があった。颯夏は表情を変えず、俺を見つめたまま、続けた。
「文章も、締め切りに間に合わせるためにろくに考えて書いてないし、ストーリーも今思えばかなり適当だったし、説明不足なところも多かった。あれで一次選考通過できるわけないんだって、ちゃんとわかってた。でも、悔しい。わかってたはずなのに……なんでこんなに悔しいんだろう?」
徐々に、颯夏の声が震えていくのがわかった。それでも、俺は教えてやらなければならない。こいつの感じていることは、何もおかしいことじゃない、ごく普通のことなのだと。
「それが応募するってことだ。自分ではどうせ無理だろうって思ってても、どこかで期待してたんだよ。みんなそうだ。俺も昔、そうだった。自分に何が足りてないのか、必死に考えたりもした」
颯夏は黙っていた。いつもはすぐ反論してくるくせに、打ちひしがれたような目でこちらに視線を送っているだけだ。
「これでわかっただろう。ネットとは違うんだ。ネット小説は正直、読者のせいにできることもあるけど、新人賞に応募するとなれば、それなりの覚悟が必要だ。見向きもされない作品、審査員の目に留まらなかった作品は、必ず何かが欠けている。それだけのことだ」
俺の話を聞きながら、颯夏も無言のまま幾度も相槌を打っていた。その顔は今にも泣き出しそうだ。そんな颯夏に、ちょっと意地悪な質問を投げかけてみる。
「……どうだ? やめたくなったか?」
十数秒の沈黙の後、颯夏は俺と目を合わせつつ、弱々しい声で答えた。
「わからないよ」
「新米、お前は言ったな。自分の好きな小説を書くのと、ウケるために嫌いな小説を書くのと、どっちがいいのかって」
そう言いながら、俺は彼の隣に腰かけた。
颯夏は何も返すことなく、ただ俺を見つめている。俺は一度、言葉を切ると、静かに深呼吸をし、なるべくハキハキとした声で語を継いだ。
「いいことを教えてやろう。作家に重要なスキル……もちろん、文章やストーリーを構築する能力も大切だが、それ以上に必要なものが【諦めない心】だ。これがないと、いくら自分の書く物語が面白いと思ってても、長続きはしない。それも、自分の作品の何が悪かったのか、と悲観的に考えるだけじゃダメだ。俺には可能性がある、悪い部分を改善することでもっと面白い話を書けるようになる……そうやって自分を励ますんだ。これが、レジリエンスだ」
「レジリエンス……?」
颯夏は、覗き込むような瞳で俺を見てくる。
「そうだ、レジリエンスだ」
俺はそう繰り返した。
最後に、
「大体、マイナス思考にばっかり考えてても仕方ないもんな。俺の隣の席のやつも期末の点数が悪くて落ち込んでたけど、すぐに明るくなったし。誰しも、前向きに考えることが大事なんだと思う。だからお前も、こんなことで諦めんなよ。諦めずに書き続けて、自分の『好き』を追求していけばいい。まだ先は長いんだしな」
と言って、締めくくる。
そこで、颯夏にもやっと笑顔が戻った。
「……そうだよね。諦めたくない、絶対に。だから、俺は書き続ける!」
「そうだ、その意気だ!」
「だいたい、俺の小説を『つまらない』と思う審査員が悪いからね」
「わかってないじゃないか! 全責任を審査員に押しつけるんじゃない!」
「レジリエンスさ」
「そんなレジリエンスない!」
こういう激励の場は誰かに見られると滑稽に映るかもしれない。ただ、俺はこいつに諦めてほしくなかった。それは別に、今までの俺の労力が無駄になるとか、そっちから弟子入りしてきたくせに諦めるのかよなどと思ってるからではない。
けれども、俺だってそうして成功したのだから、颯夏にも可能性は十分にあると思う。それを証明してほしいからだ。決して才能とか、運とか、そういったものだけで人の将来が決まるとは思えない。思いたくない。
だから俺は、こいつをいつか小説家としてデビューさせたいのだ。それが最近になってようやくわかってきたような気がする。俺が本気なのだから、当然本人にも本気になってもらわなければ意味がない。
俺はこの日も颯夏と一緒に帰ることにし、その帰途、夏休みの約束をした。夏休暇中にも、時間を縫って颯夏を家に呼び、創作に関する指導をしてやるつもりだ。
四月の段階ではあれほど嫌がっていたのに、この意識の変わりように、俺自身が一番驚いていた。
【まとめ】
自分自身を励ますことが大切! 以上!
【用語解説】
・クラス対抗合唱コンクール:完全な思い込みなのですが、私の印象では高校の文化祭において一年は合唱、二年は演劇、三年は模擬店なんですよ。
・レジリエンス:自己回復力。あったらいいなぁ。




