第十八講 師匠の悩み
【本日の講義内容】
・才人の悩み
俺は悩んでいた。
期末考査初日まで、あと五日というところまで来ていた。が、その日が近づくに連れ、俺の悩みは増していった。俺のことではない。颯夏のことだ。
まあ、他人の俺がそこまで気に病むことでもなさそうだが、少し心配になっていた。やつが勉強しているところを、まだ見たことがないのだ。
家に来ても小説関係の作業をやるばかりで、一週間前になった頃、そろそろ試験勉強の話をし出すかと思えば、一向にそんな気配はない。颯夏が狙っている《スパーク文庫大賞》の〆切日がテスト前日ということも問題の一つだ。他人事ながら気がかりになってくる。
そんな感じで、休み時間、俺は席に着いて一人気を揉んでいると、廊下から一際高い声が俺に向けてかけられた。
「あっ、小説家くん! 何してるの――――っ!?」
あの鼓膜を破るほどの声の主は、顔を見なくてもわかった。
目をそちらに移すと、手を振りながら二人の女子が寄ってくる。同じクラスの、御代早久と郷実菜子である。
「悩み事?」
落ち着いている方の郷が、早くも俺の懊悩に気づいたらしく、そう声をかけてきた。
「まあ……ちょっとな……」
「小説のこと?」
「……そんなところ」
「東光くん、いつもそんなこと考えてるのっ!? ヤバあ――――――――い!!」
相変わらず、御代の方は賑やかだ。人目も憚らないほどの大声に、嫌気がさす。
「うるせーな。今、忙しいんだよ。あっち行けって」
「え――っ!? 話しかけただけなのに! ねえ、実菜子、ひどくないっ!?」
室内がすでに騒がしいとはいえ、御代の声はよく通る。間近で騒がれると、本当に耳が壊れるんじゃないかと思うくらいやかましい。
さらに、御代は怒ったように若干頬を膨らませ、こちらを睨むように見ながら言い募る。
「私、東光くんの小説が読みたいから、声かけたんだよっ!? クラスメイトだし、まだタイトルもペンネームも聞いてないから、教えてもらおうと思って!!」
これが、彼女らが俺に話しかけてきた所以らしかった。俺は、心の隅で泣きそうになった。こんなに貴重な人材を突っ撥ねようとしていたとは、何たる愚かだったことか。自分の小説の新たな読者になってくれると、自ら申告してくれたのにもかかわらず、追い払えるわけがないではないか。
「あ……ありがとうな。……えっと、ペンネームは藤咲ユキオ。まだ一冊しか出せてないけど、著作は『まぼろしのファンタジア。』っていうライトノベルだ」
御代の隣でそれを聞いていた郷が、驚いたようにわずかに目を見開いた。
「あ、私、それ読んだことあるよ」
「えっ? お前、興味ないんじゃないの?」
「お兄ちゃんが読んでたから、貸してもらったの。面白かったよ」
有り難きお言葉。これなき誉れと言ってもいいだろう。やはり、読者から生の声を聞けるのが、絶妙にたまらない。だが、郷の次の一言で再び俺の意気は萎えてしまった。
「まあ、客観的に見てそう思ったけど、私個人の感想としてはそうでもなかったかな」
「どっちだよ……」
「なんだ〜、実菜子、読んでるじゃん〜」
御代は友達に先を越されたのが悔しかったのだろうか、今度は唇を尖らせて文句を言う。
さらには、
「しかも、『まぼろしのファンタジア』っていうの? なんかそのタイトル、ダサくない?」
と、作品にまでケチをつけてくる。
「でも、ライトノベルってそういうのばっかりだよ?」
すかさず、郷もフォローを入れてくる。なんというか、俺にとってこいつの方が気が合うんじゃないかとすら思える。
御代は笑いをこらえるように手で口を押さえ、「くっくっ」と声を漏らしながら、
「あと、ファンタジアじゃなくてファンタジーじゃないの?」
そんなことを言ってくる始末である。もはや、手に負えない。
「あのさ……ファンタジーとファンタジアの違い、わかります?」
念のために尋ねておくと、御代は笑うのをやめ、焦ったように目を泳がせた。
ほら、やっぱりわかってやしない。高校生にもなれば、小さい頃からの積み重ねがこうして明確な差となってここまで顕著に現れるのだろう。
しかし、御代は「謎はすべて解けた」と言わんばかりの得意気な顔で、声を張り上げた。
「わかった、ファンタジアの方は炭酸でしょ!」
「それファンタ!」
呆れ返る俺の声と郷のそれが、見事にハモった。
昼休み、俺は弁当を持って校舎の裏に出ると、コンクリートの壁にもたれかかるようにして座り込んだ。教室では周りが騒がしくて、ろくに考え事もできない。ここなら静かだと思い、俺は高校生活初の「屋外飯」を決断した。
まあ、静かだと言っても、頭上からは教室での喧騒が忙しなく聞こえてくるのだが。ただ、周囲に目を配れば誰もいないので、俺は安堵しつつおもむろに弁当を広げた。
が、予定外にも、そこにある声がかかった。
「東光くん?」
聞き覚えのある、本日も何度か聞いた声であった。俺は声のした方を向くと、裏口から古代が上履きを履いたまま出てくるところだった。
古代は、何の邪念も抱いていないように微笑を湛えつつ、こちらに歩み寄ってきた。
「今日は、教室で食べないの?」
「まあな。うるさいし」
俺は、そのうちどこかへ行くだろうと適当に受け流した。しかし俺の読みは外れ、それどころか、古代が俺の隣に腰を下ろしたのだ。虚をつかれ、俺は座ったまま半歩横にずれた。古代は、何も持参していない。
明らかに、俺に話があるといった顔を向けている。
「……何だよ?」
無意識のうちに、そう尋ねていた。だが、ここはきいておいて正解だろう。だって話もないなら、ここにいる意味がないじゃないか。
古代は表情を崩さず、やおら口を開く。
「颯夏くんのことなんだけど」
これまた予想外。俺のことではなく、颯夏のことで相談に来たのだという。
二の句を継げずにいる俺に構わず、古代は続けた。
「思ったんだけど、彼、小説家目指してるのよね。毎日、東光くんの家に行って、小説のこと色々勉強してるんでしょう?」
「ま、まあ……最近はな。それがどうしたんだ?」
古代の意図がよくわからない。そりゃ、あいつの事情については彼女も知ってるだろうし、家に来たこともあるから、颯夏がどういう話を書いているのかも知っているはずだ。それなら、何をそんなに気になることがあるんだ?
「でも、もうすぐ期末テストじゃない? 彼、勉強してるのかなって思って。他人の私が心配することじゃないとはわかってるんだけど、やっぱり気になっちゃって」
なんと。俺がまさにこれから考えようとしていたことだった。もしかして、古代もあいつのことを心配してあげてるのか……?
古代はさらに、こんな提案を持ちかけてくる。
「夢を持つのはいいことだと思うよ。でも夢にかまけて勉強を疎かにしちゃったら、後悔することになる気がするの。だからここは東光くんから、テストが終わるまでは活動をやめるように言ってみたらいいんじゃないかな」
だが、これには俺もすぐに同意できた。いや、話を聞く前からそうしようかと思っていたのかもしれない。ただ、颯夏が今度の賞に向けて粉骨砕身しているのだ。ここ最近はサボることもなく、真面目に取り組んでいる。俺も、それは認めてやっている。
しかし言われてみれば、テスト勉強に関してまだ何の教科にも手をつけていないとすると、さすがにヤバいと思う。ワークなどから直接出題されるとはいえ、うちの学校のテストはそんなに甘くない。それは中間時にも身をもって思い知らされている。
「わかった、言ってみる」
返事に躊躇はなかった。そして、彼女に感謝した。
古代は頷いて、「じゃあね」と立ち上がり、校舎に戻っていった。その後ろ姿を見て、古代がここに来たのは偶然ではなかったのだと悟った。
とりあえず、俺はその場で弁当を五分で平らげると、それをナフキンでまた雑に包んで立ち上がった。直接、颯夏の教室へ行こうと考えた。善は急げというし、どうせ教室に帰る途中にやつの教室の前を通るから、時間短縮にもなる。
意を固めて、いざ行かんと足を踏み出そうとした時、拍子抜けするほど呑気な声が俺の頭上から投げかけられた。
「師匠〜、何してるの〜!」
俺は振り向く気も起きなかった。何せ、俺を「師匠」と呼ぶのは一人しかいないし。
ゆっくりと上を仰ぐと、ほぼ真上の三階の教室の窓から、颯夏が身を乗り出すようにして手を振ってくる。なんとも、先ほどの意気込みを削がれたような気分になったが、これはこれで運がいいんじゃないのか?
俺は、ここに颯夏自身を呼び寄せることを思いついた。
「新米、話があるんだ! ちょっとここまで降りてこい、なるべくはやくな!」
「なんで〜!?」
上から颯夏が問い返してきた。それでも、どうにか呼べないものかと俺はいっそう声を張り上げる。
「いいから! はやく来い!」
「わかった!」
颯夏もすぐに承諾してくれたのか、大声でそう返してきた。これであとは俺の意向を伝えるだけだ。
時間はまだある。焦って直近の賞を狙わなくてもいい。今は勉強に専念し、執筆に関しては夏休みなどを利用してコツコツやっていけばいいのだ。
きっと彼もわかってくれるだろう、と俺は再び窓の方を見上げると、思いも寄らない光景が目に飛び込んできた。
「はあっ!?」
思わず、声が裏返った。
颯夏が、窓枠に片足をかけているではないか。
「おいおい、何してんだよ!」
俺が叫ぶ間に、颯夏はもう一方の足も窓にかけ、勢いよく大窓の下枠を蹴った。
「ひいぃ!」
颯夏は宙に身を投げ出し、真っ直ぐこちらに降ってくる。俺は咄嗟に弁当を放り出して両手を掲げた。その刹那、颯夏は抱きつくように俺の胴体に両腕と両足を回した。その衝撃で、俺は頭から後ろへ倒れてしまう。どうにか受け身をとろうとするものの、気がつけば両手を颯夏の背に回しており、即座には対処できなかった。
俺は為す術なく背中から倒れた。
一瞬、世界が歪んだ。
ギュッ、と目を瞑り、再び開けると灰色の校舎の屋上から羊雲が現れては青空を駆け抜けていく。
地面に両手をつき、再び昏倒しそうになるのをこらえながら、ふらついたままの上体を起こす。それに合わせて、颯夏も起き上がった。
「どう? すぐ来たでしょ?」
あっけらかんとした颯夏の言葉に、俺は我に返り、同時に目を剥くと罵声を発した。
「ばっきゃーろう!! なんで、あんな危ないことすんねん!!!」
「だって、師匠がはやく来いって言ったから」
「いや、誰も飛び降りろなんて言ってないだろ! 普通に階段使って降りてこいや!!」
怒鳴り散らすと、ちょっと気が和らいだ。
颯夏も反省したのか、目を伏せ、
「ごめん……」
と、謝ってくれた。少し、言い過ぎたかもしれない。
「まあ、次からはするなよ。じゃないと、命がいくらあっても足りないからな」
実際、今さっきの出来事で寿命が十年は縮んだような心地がした。
「それで、師匠の話って?」
不意に、颯夏が尋ねてきた。
そうだった、と俺は口を開きかけると、言葉に詰まった。いや、正確に言おう。何のために颯夏をここに呼んだのか、全く思い出せなかったのだ。さっきの衝撃で頭を打ったのか、視界が安定しない。
「あ……いや、お前、小説は進んでるか?」
なんとか誤魔化しつつ、俺は立ち上がる。
「あとちょっとで出せるよ」
颯夏も笑顔で答えると、立ち上がってズボンについた砂埃を払った。
「そうか。じゃあ、頑張れよ。あと、結果が悪くても、あまり気にしないようにな」
俺の煮え切らない態度に、颯夏はしばらく首を傾げていたが、
「今日か明日中には出せると思う」
と自慢げに言い、背を向けた。
その後、二人で校舎に戻ったが、教室前で別れるまで、俺はとうとう彼に何を言おうとしていたのかわからないままだった。まあ、そのうち思い出すだろうとその時は深く考えなかった。
翌日、颯夏から応募用の原稿を賞に送ったという連絡が入った。そこで、俺はようやく昨日の颯夏に言うべき事柄を思い出したが、時すでにお寿司であった。
【まとめ】
今回は特に思いつきませんでした。スマン。
【用語解説】
・藤咲ユキオ:イントロダクション参照。
・ファンタジア:幻想曲。
・時すでにお寿司:「時すでに遅し」に同じ。




