2.
準備する物自体はそう多くない。金も必要ない。狂った世界になったとは言え、護身の道具も必要無い。必要なのは、地図、携帯食料、飲み物。最低限とするならば、その程度だろう。
携帯食料でさえも、そう大して必要無い位だ。食い物は、新鮮な、いつまで経っても腐らない、そしてタダな物がどこにでも転がっている。
でもまあ、カセットコンロは持って行こうかと思った。一人で自転車で帰らなければいけない。距離は直線距離でさえも、200キロ以上あった。もう、ネットも使えない。調べる事は出来ない。多分、1.5倍位は走る事になるんじゃないか。その距離を自転車でどれだけの日数を掛けて走れば辿り着くのか、それもわからないけれど。
ホームセンターに入って、荷物を揃え、そしてママチャリとは比べものにならないような値段のロードバイクを引っ張り出し、そして籠を付けた。正直似合わないが、そもそも似合う似合わないとか言う価値観さえも、それは人が大量に居てこそ存在する価値観だ。
僕が似合う、似合わないと言おうとも、それはもうただの名残でしかない。
「名残でしかない……」
名残でしかなくなったものばかりだ。吐き気がするほどに。頭痛がするほどに。馬鹿らしいほどに。
ある程度荷物を選別してから時計を見た。明かりを持って行く必要さえない。この世界はずっと薄暗い。これ以上明るくなる事も、暗くなる事も無い。
馬鹿らしい。糞ったれ。昼の12時。こんな時でも、腹は空く。
気分は最低最悪のままだ。食う気は起きない。でも、食わなくてはいけない。
帰ると決めたのだから。前を向いて、進まなければいけない。
とにかく、帰るまでは。
カセットコンロを一つ。スーパーの前の駐車場にまで食材と共に持って来る。包丁やらはホームセンターから持って来た。
駐車場には疎らに車が止まっている。鍵を見つけた車に一つ二つ乗ってみれば、エンジンこそ点いたが、呪いに掛かったように前へ進む事は無かった。
手に持っていたりと、僕の体に直接連続していても、その時が動く範囲から外れたら途端に動きが鈍くなる。棒とかでも振り回せなくなる。
全くもって、不便だ。そして、平和だ。銃なんてものの有効性はこの世界ではほぼ無くなった。撃ってもすぐ目の前で止まるだけだ。昔みたいに刃物で殺し合うしか出来ないし、槍とかも使えないだろう。
それにしても馬鹿らしい平和だ。戦争の根源が二つも無くなった。武器も、人間も。
残ったのは、何も無い。ただ、止まった世界。
溜息を吐いて、何度も吐いて、飯を作る。料理は趣味だ。それに、こんな時の止まった世界で、電気もガスも止まって、カップ麺すらカセットコンロとかを使って身を近くに置いてないと食えなくなって、そんな状態で食えるような適当な物しか食えなくなったのにも飽き飽きしていた。
それに、大学生として、ここに丸二年と少し位過ごして来た訳だ。こんな事で去るなんて微塵も思っていなかったが、これは、この大学の土地での最後の飯だ。
予算は無限大。気分は酷いが、今は、最低最悪じゃない。
まあ、凝ったものを作る気分でもないが。
国産の鶏もも肉二枚に塩コショウを振って、油を敷いたアツアツのフライパンに乗せる。上に適当な重石を乗せて、鶏もも肉を押し付ける。
油が跳ねるが知ったこっちゃねえ。
パリパリになるまで焼けたら裏返して、白ワインを適当に掛けて、後、適当に洒落た水煮の野菜でも入れて、蓋をして白ワインが煮詰まるまで待つ。
煮詰まるまで、寿司でも食ってる。
そして、煮詰まってきたら、蓋を開けて、もわっと水蒸気が出て来た所で火を止める。
いい感じだ。
フォークで食う。油と煮詰まった汁を、パンで救い取って食い千切る。
気分は晴れないが、マシにはなったか。
腹も膨れた。
「……………………行くか」
行くべきだ。
コンロやらは放置していく。リュックの中に新品が入っている。フライパンも。飲み物も。
籠には地図やらが入っていて。まあ、後、自分が持って行きたいようなものを適当に。その程度の物しか持って行かない。持って行く必要も無い。
自転車の鈴を鳴らした。誰も応えない。
僕は、自転車に乗った。
走り出した。
ぐるぐるぐるぐると足を回す。速く走れば疲れてゆっくり走れば自分自身にイラついていく。早く帰りたいその気持ちと体力がミスマッチしている。とてもミスマッチだ。
自分の体力の無さを恨みながら、それでも前へ進む。結局、それしか出来ない。
自分を罵倒しながら、イライラしながら、前へ進むしか出来ない。イライラを解消してくれる何かはもう無い。ゲームだって、解消してくれないだろう。音楽だって解消してくれないだろう。孤独を解消してくれるのは、結局の所話し相手でしかない。
引きこもりだって、ネットに繋がれてない引き込もりが居るだろうか。居ないだろう。居なかっただろう。
引きこもりが出て来たのは、引きこもれるようになったからではないのか。引きこもっても、その中でネットを介してコミュニケーションが出来たからではないのか。顔を見て直接強い感情に当てられずにその中で引きこもっている自分自身は感情をぶちまける事が出来たからじゃないのか。それをコミュニケーションというかどうかは、甚だ疑問ってやつだろうが。
結局のところ、人間ってのは一人じゃ生きていけない生物だってのはほぼ完全に当たりだろう。一人でも生きていける、こんな世界でも変わらずに生きていけるような本物の変人も少なからず居なくはない気はするが、それでもそれは例外だ。アウトオブエクスペクテーションってやつだ。
僕はそんなアウトオブエクスペクテーションじゃないけれど、アウトオブエクスペクテーションになっちまった訳だ。糞ったれな事に。泣きたい事に。泣いたけど。糞もしたな。ビデオ店で。オナニーもした。学校の屋上で。今もまだ、精液は宙に舞っている。時を失った精液。何か笑える。
2リットルの水が尽きた。ペットボトルはどうするか。ゴミのポイ捨ては嫌いだし今までした事も……全く無いとは言えないけれどほぼ無い。でも、ここは敢えてポイ捨てをする事にした。遠くに投げれば、宙に浮かぶ。それは、僕がここに居たという証になる。尿意も湧いて来て、思い切りぶちまけて尿もまた空中で静止した。
汚えサインだ。笑い事に出来れば良いのに。
くそったれ。
「ああああああああああああああああ!!」
唐突に叫んでも何にもならない。反響すらない。くそったれ。
自転車にまた乗る。近くにコンビニを見つけて、ミネラルウォーターで贅沢に手を洗い、そして贅沢に適当に物をつまんで、そしてまた贅沢に汚れた手をミネラルウォーターで洗った。
レジを蹴飛ばして盛大に音を立てて、そして唐揚げを頬張って外に出た。
ミネラルウォーターを補充する目的で入った事を思い出して、一つリュックに入れに戻った。
もう一つのレジも蹴飛ばした。
相変わらずの、くそったれな朝日。止まった世界。
「走らなきゃ……」
嫌な世界。




