3話
門野美香を知らない人間は少なくともこの学校にはいないだろう。
容姿端麗、成績優秀。品行方正で教師からの評価も高く、そのうえ運動神経抜群で中学の頃には陸上部で全国大会に出場し、優勝したと聞く。
あらゆる分野において突出した才能を持った完璧人間。
こんな片田舎にあるちょっとした公立校にいること自体がおかしな存在。それが門野美香である。
そんなわけで、彼女はこの学校でも有名人なのだ。
だからこそ、目の前で起きていることが信じられないことで、俺は驚きを隠せなかった。
「良かった……このまま来ないんじゃないかと思っちゃいましたよ」
そう言いながら軽く彼女が笑う。それだけのことなのになぜか心がざわめいた。
その可愛さに俺はいつの間にか見とれてしまっていた。
「どうかしました……?」
「い、いやなんでもないよ。あはは……」
っていかんいかん。何やってんだ俺は。
俺が好きなのは先輩のはずだ。見とれちゃダメだろ。
ちゃんと彼女に向き直す。
「それで……この手紙を書いたのが、門野さんだったってこと?」
手に持っていたラブレターを見せる。
「そうです。私が書きました」
「じゃあその……伝えたいことってのは……なにかな?」
俺は手紙に書いてあった一番重要なことを聞く。
すると彼女は大きく深呼吸をしてから俺の方をもう一度見た。
なにか大切なことを言おうとする雰囲気。俺は息を飲んだ。
「先輩……実は気づいていると思うんですけど……私、翔太先輩のことが好きなんです。私と付き合ってください」
そう言って彼女は俺に手を差し出した。その手は僅かに震えていて緊張感が伝わってくる。
この手を取れば付き合うことができるということだろう。
「……」
心臓の鼓動が早い。
俺は人生で初めて告白された。それもあの門野美香に。学年一の美少女だ。
完璧美少女で、俺なんかよりもずっとすごい人。そんな人に好きだと言われたのだ。嬉しいに決まっている。
嘘告、とは言い難いだろう。こんな緊張している様子で、手も震えている。そんなふうに考えること自体が失礼な気がしてならない。
「ダメ……でしょうか……」
何も言わず黙っていると、顔を少し上げて上目遣いで彼女がそう言う。
答えを待っているのだ。
「お、俺は……」
答えは一つだけだ。
そのために俺はここに来たし、そう決めていたはず。
「……」
「そう、ですよね。いきなりそんなこと言われてもすぐに答えが出せるわけ、ないですもんね……」
「そうじゃなくて……俺は――」
好きな人がいる。
それを告げるだけでいいはずなのに。
喉からその言葉が出かかっていたはずなのに。
俺はそれ以上言葉を紡げなかった。
「わかりました。返事はまだいいです」
「……」
「なら、お試しでいいから私とデートしてくれませんか?」
「で、デート!?」
「はい、お試しのデートですけど。私と先輩の接点が少ないですし、一回ちゃんとしたデートをしてから返事を考えてもらえればと思って……」
それは一理ある。
付き合う上での相性とかいろいろある。いきなり付き合うってのはハードルが高い。
だからデートって発想はわかるんだけど、俺は――。
「今週の土曜日って開いてます?」
「開いてるけど……」
帰宅部で友達皆無の俺に予定など入っていることの方が少ない。
「なら、渋谷のハチ公前、14時集合でどうです?」
前のめりに迫られる。
いい匂いがした。綺麗な顔が近くて、思考が定まらない。
「わ、わかったよ」
「よかったです」
肯定するしかなかった。
「では、失礼しましたー!」
そのまま門野さんは教室を走って出て行った。
俺はその場に一人、取り残された。
しばらくして静かになったあとも俺は動けずにいた。
ふと呟く。
「やっちまったー……」
デートの約束をしてしまった。
告白の返事も全くできず、あまつさえデートの約束。
俺は何をやっているのだろうか。
これじゃあまるでキープだ。ちゃんと断らないから期待させてしまっている。
クズ男の典型だ。
門野さんは確かに美人だ。
でも俺は一度も話したこともなかったし、タイプでもない。
ちゃんと断るべきだった。
「俺は何がしたいんだよ……」
最近、自分のことがわからない。
俺は頭がおかしいのだろうか。
自分で決めたことすら守れていない。
「霙先輩か……」
あの人のことを想像する。
本当は自分でもわかっているのだ。
霙先輩と付き合えることなんてきっとない。
先輩には好きな人がいて、決意は固かった。多分その均衡は崩れない。
だからこそ、門野さんと付き合った方がいい。
でも本当にそれは正しいことなのだろうか。
好きでもない人と付き合う。それは俺の求めている恋愛なのか。
「わかんねぇ……」
恋愛はそれだけ難しいということだろう。
今も俺の心は複雑だった。
霙先輩に対する恋心もあれば誠実じゃない自分への怒りもある。
でも初めて告白されたという高揚感にも満ちていた。
「そろそろ……帰らないと」
いつの間にか外が少し暗くなっていた。
遅すぎると花梨も心配するかもしれない。
俺はゆっくりとその場を離れていく。
それにしてもなぜ門野さんは俺のことを好きになったんだろうか。
接点どころか一度も話したことがなかった。今日初めて話したのだ。
まさか一目ぼれなわけないだろうし。
「どこかで会ったことがある?」
まあそんなこと今はいいか。
土曜日は明後日だ。
そこで俺はちゃんと断らないといけない。




