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第6話 廃墟を掘り続けた老人、三十年の地図

地下に潜る日が続いていた。


水が出たとはいえ、地下回路の全容はまだ見えない。地図の空白を埋めるために、毎日壁に触って歩く。もう不審者とすら呼ばれなくなった。住民の反応が「また壁だ」くらいまで下がった。慣れとは怖い。

中央区画より南東の深層だけが、地図の上でぽっかり空白のままだった。崩落で通路が塞がっている。

朝、起き抜けのレンは地図を見ながら、隣のニコに聞いた。


「ニコ、南東の地下に行ったことあるか」

「あるよ。でもなんか音がするの。ごりごりって」

「ごりごり」

「うん。ごりごり」

「ごりごり…」


嫌な予感だ。だが気になる。

意味もなくごりごりするものなんか、だいたい面倒なものか、面白いものだ。バナナを食べるB型の可能性もある。


「行くか」

「行く!」


ニコの記憶を頼りに、南東の地下通路へ降りた。崩落箇所を迂回し、半分腹這いで瓦礫の隙間を抜ける。ゴーグルに蜘蛛の巣が三回張りついた。三回目はさすがに心が折れかけた。


「なんでいつも顔からいくんだよ……」

「そう。それはおにいサンの顔が、前にあるから——」

「名言っぽく言うな」


通路が急に広くなった。

天井の高い空間。壁面に蒼と黄の二色の回路紋が走っている。空気が少し乾いていて、土と石の匂いが強かった。


壁の前に、誰かがいた。

大柄な人影。ゴリラではなさそうだ。


灯りもつけずに地面へ掌を当てている。百八十を超える体格。頑丈な骨格。白髪混じりの茶髪を後ろでまとめ、ベストを着ていた。廃墟にいるのに妙に小綺麗だ。


——ドゥーラだ。

テルラ・ノヴァ出身の地の民。地面に掌をつけて祈る所作は、テルラ・ノヴァではよく見る光景だ。


「——誰だ」


男が振り返った。動きが速い。六十代に見えるのに体幹がぶれない。

レンの灰色の作業着を一瞥して——驚かなかった。


「管理局の技術官か。レン・メーダ」

「え、俺の名前知ってるの?」

「朝から晩まで壁を触って回る若造がいると、嫌でも耳に入るものだ。独り言も多い。回路に『いい子だ』と話しかけてただろう」


まずい。全プロフィール筒抜けじゃん。


「……あんた、蛇口のそばに飯を置いてくれた人だろ」

「何のことだ」

「根菜の蒸し焼き。ドゥーラの土窯蒸しだ。ドゥーラっぽい人は他に見かけてない。うまかった」

「ふむ。味が分かるのか。ただの変人ではなかったか」

「いや分かるし!『何のことだ』はどうなったんだよ!」

「聞こえなかったな」


すっとぼけジジイ、滅!と言いかけてやめた。


「名前は」

「ゲルトだ。——お前の地図を見せろ」

「ん、唐突だな」

「三十年ここにいる。壁を触って地図を描いている若者が来たら、見たいに決まっているだろう」


隠す理由もない。レンは鞄から地図を出して広げた。

ゲルトが覗き込む。

目つきが一瞬で変わった。すっとぼけジジイの顔が消える。

完全に技術者の目だった。


「回路の生き死にを、色分け……」


指先が地図の上をなぞる。


「精度は悪くない」

「悪くないどころか最高だろ」

「二週間でここまで描いたのか」

「そう」

「……なるほど」


ゲルトはしばらく黙っていたが、やがて懐から紙を取り出した。

古い紙だった。何度も折り直した跡がある。角は擦り切れ、繊維が毛羽立っている。端には土の染み、薄くなった線の上には何度も書き足した痕跡。長く使い込まれた記録の匂いがした。


広げると、地図だった。

レンの地図と逆だった。

南東の深層が精緻に描き込まれていて、中央区画が空白。足元から外へ向かって掘り進めた人間の地図。しかも、一日二日でできる密度じゃない。


「……これ、全部あんたが?」

「三十年間だ」


さらりと言う。


「三十年、掘って、測って、書いた。壁の厚み、通路の傾き、土圧、崩落の癖、土系回路の残骸。土系の術者だからな。形だけなら大体読める。だが、わしには他系統の流れまでは分からん」


レンは地図を見た。細かい。執念みたいに細かい。三十年という時間が、そのまま線になっている。


「重ねていいか」

「構わん」


二枚の地図を重ねた。ニコがおもしろそうに横から覗き込んでいる。

レンの回路線と、ゲルトが三十年追ってきた地下の形が、空白を挟んでぴたりと繋がった。


「——繋がってる」

「……やはりか」


ゲルトの指先が止まった。


「三十年、この先を見たかった。一人では辿りきれなかった」


レンは地図を見たまま言った。


「なんでここに一人でいる」

「テルラ・ノヴァを追われた」

「何したんだよ」

「三代則を破った」

「三代則?」

「新しい工法は三世代、六十年の検証を経てから正式採用する。ドゥーラの掟だ」


ゲルトは地図から目を離さずに続けた。


「わしは待っていたら間に合わんと思った。回路のほうが先に死ぬと分かっていた。だから通そうとした。結果、工匠議会の全会一致で追放だ」


色なしで中央を追われた自分と、掟を破って故郷を追われた老職人。

似ているな、とレンは思った。思ったが口には出さなかった。そういうのを口にすると、だいたい気まずくなる。

代わりに、地図の上へ指を置く。


「ゲルトさん。手伝ってくれないか」

「手伝うも何も、お前のほうが後から来たのだが?」

「それはそう」

「勝手にしろ。わしも勝手にする」


これまでのことを踏まえると、「勝手にしろ」は恐らく「協力する」という意味だろう。知らんけど。

ただその声には、六十年ぶりに“都市を造る側”へ戻れる人間の熱が、隠しきれずに混じっていた。


その日は図面の統合作業を行い、作戦と作業は次の日から始めることにした。




翌朝。

蛇口のそばにはまた器が置かれていた。

蓋をよく見ると、文字が見えた。


『勝手に食え』


彫られていた。

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