11 ライラ
世界には、表と裏がある。
穏やかな街並み。 変わらない日常。 何気ない会話。
けれど、その裏側では、 誰にも気づかれないまま世界を支えている者がいる。
ノエルは願う。平和な世界を。
―世界を旅する少女の物語―
窓から差し込む朝の光で、イリスはゆっくりと目を覚ました。
「……」
しばらくぼんやりと天井を見る。
静かな部屋。
けれど、昨日までとは少し違って感じた。
歪み。
世界が混ざる。
ノエルが当たり前のように対処していたそれは、イリスにとってはまだ現実感の薄い話だった。
「……」
本当に、そんなことが起きるのだろうか。
昨日見た光景を思い出す。
揺れる空気。ズレた景色。
あれを思い出すだけで、少しだけ胸がざわついた。
そのとき。
「起きてるー?」
部屋の外から、ノエルの声が聞こえた。
「……はい。」
返事をすると、すぐに扉が開く。
「おはよ。」
いつも通りのノエルだった。
その姿を見て、イリスは少しだけ安心する。
「朝ごはんできてるから、先食べよ。」
「……はい。」
食事を終えたあと。
イリスは昨日買った歴史書を開いていた。
「ファキリス建国以前――」
小さく読み上げる。
古い王族。
都市国家。
魔法体系の変化。
知らないことばかりだった。
難しい内容のはずなのに、不思議と読む手は止まらない。むしろ、知れば知るほど気になっていく。
静かな時間だった。
ページをめくる音だけが、小さく響く。
そのとき。
――コンコン
小さく扉が叩かれた。
「イリス、入るよ。」
ノエルの声だった。
「……はい。」
扉が開く。
ノエルは部屋の中へ視線を向け、机の上に開かれた本を見ると少し笑った。
「やっぱ読んでた。」
「……はい。」
イリスは本を閉じる。
ノエルは部屋へ入ることはせず、扉にもたれかかった。
「私はそろそろ店の方行ってくる。」
「ライラ、ですか?」
「うん。お店を閉めたままには出来ないからね。」
「……ノエル。」
イリスが小さく口を開く。
「ん?」
「ノエルは怖くないんですか?」
「何が?」
「歪みです。」
部屋が少し静かになる。
ノエルは数秒だけ考えてから、ふっと笑った。
「怖くないって言ったら嘘になる。」
予想外の返事だった。歪みを当たり前のように対処していたノエルなら怖いものなんて無いと思っていた。
「失敗したら終わるし。」
軽く言う。
けれど、その言葉は軽くない。
「でも、誰かがやらなきゃいけないからね。」
静かな声だった。
「……」
イリスは言葉を失う。
「じゃ、私は仕事してくる。」
ノエルは軽く伸びをする。
「イリスは好きにしてていいよ。何か困ったことがあったら言ってね。下にいるから。」
「……はい。」
イリスが頷くと、ノエルは軽く手を振った。
再び静かになった部屋で、イリスはしばらく閉じた本を見つめていた。
――怖いから止める。
簡単に言っていたけれど。
きっと、それだけじゃない。
そんな気がした。
ノエルが階段を降りる。
二階の静かな空気とは違い、一階には魔鉱石と薬品の匂いが漂っていた。
ライラ。
魔道具店であり、ノエルの仕事場。
棚いっぱいに並ぶ魔道具。淡く光る鉱石。
いつもの光景だった。
店の奥にあるアトリエへ入ると、机の上には修理途中の魔道具が置かれていた。
ファキリスを離れる前、そのままにしていたものだ。
「……これ、途中だったっけ。」
小さく呟きながら椅子に座る。
手に取ったのは、温度調整用の魔道具だった。
金属製の小さな箱型で、内部の魔力回路が熱で一部焼けている。
ノエルは工具を手に取り、慣れた手つきで分解していく。
カチ、と小さな音が響く。
細い回路へ魔力を流し込みながら、ズレた部分を調整する。
久しぶりの感覚。
けれど、手は自然に動いた。
――チリン
店の入口に付けられたベルが鳴った。
「……お客さんか。」
ノエルは工具を置き、軽く伸びをする。
立ち上がってアトリエを出ると、店内には一人の女性客が立っていた。
棚に並ぶ魔道具を、少し迷うように見ている。
「いらっしゃい。」
ノエルが声をかけると、女性は少し安心したように振り返った。
「あ、すみません。営業中でしたか?」
ノエルは軽く笑いながらカウンター越しに立つ。
「何か探してる?」
「えっと……灯り用の魔道具を。」
「あー、家用?」
「はい。」
ノエルは棚の一角へ向かい、小さな球状の魔道具を手に取った。
淡く青白い光が灯る。
「これとか使いやすいよ。魔力消費も少ないし。」
「綺麗……。」
女性は少し目を輝かせた。
ノエルはその反応を見ながら、小さく笑う。
「初級向けだから扱いも簡単。」
「じゃあ、それください。」
「はーい。」
ノエルは魔道具を布に包みながら、軽く視線を上げる。
「壊れたら持ってきて。」
ノエルは軽く笑う。
「完全に壊れてなければ、たぶんどうにかなるから。」
店の窓からは、いつも通りの街並みが見えていた。
穏やかな昼下がり。
ファキリスは、今日も変わらず静かだった。
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