第4話 お先にママになります♡
インターホンが鳴ったのは、午後三時だった。
カフェは定休日。
静かな部屋に、その音だけがやけに響く。
モニターを覗いて、私は一瞬、呼吸を止めた。
里奈。
ゆるく巻いた髪。
ふんわりしたワンピース。
片手には高級ブランドの紙袋。
まるで何事もなかったみたいな顔。
私はゆっくりドアを開けた。
「どうしたの?」
「ちょっと話したくて。入っていい?」
断れる空気じゃない。
彼女は勝手知ったる様子でリビングへ進んだ。
「体調、大丈夫? 妊娠したんでしょ?」
先に言われた。
私は一瞬だけ驚く。
「……誰から聞いたの?」
「彼から」
にっこり。
その笑顔が、昔と同じで、だから余計に残酷だった。
「奇跡だよねー。あの数値で自然妊娠とか」
喉が凍る。
どうして、知ってるの?
不妊の検査結果は、誰にも言っていない。
——夫には口止めしていたはず。
里奈はソファに腰を下ろし、お腹をさすった。
「私のほうが週数、少し早いみたい」
柔らかい声。
「やっぱり、体って正直なんだよね」
「……どういう意味?」
「だってさ」
彼女は首を傾ける。
「欲しいって思ってる人のところに、赤ちゃんって来るんだよ?」
心臓が跳ねる。
「あなたはさ、治療とか、義務みたいになってたでしょ?」
カチリ。
何かが噛み合う音。
「彼、言ってたよ? 最近、夫婦って感じしないって」
笑顔。
でも目は笑っていない。
「私といると、自然なんだって」
自然。
その言葉、昨日も聞いた。
私はテーブルの上のスマホをそっと裏返す。
録音アプリは、すでに起動している。
「……父親は、本当に彼なの?」
静かに聞いた。
一瞬、里奈の眉が動く。
でもすぐに笑う。
「なにそれ」
「医学的に、自然妊娠は難しいって——」
「ゼロじゃないんでしょ?」
かぶせてくる。
「奇跡、起きたんじゃない?」
そう。
ゼロじゃない。
でも。
同時期に、二人?
彼女は立ち上がり、私の耳元で囁いた。
「ねえ」
「彼、ちゃんと選んだんだよ」
ぞわりと背筋が震える。
「母親にしたい女を」
視界が白くなる。
でも私は、倒れない。
お腹に手を当てる。
守る。
「だからさ」
里奈は微笑む。
「お先に、ママになります♡」
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
静まり返った部屋。
私はゆっくりスマホを手に取る。
録音停止。
再生。
——“あの数値で自然妊娠とか”
——“彼、言ってたよ?”
——“選んだんだよ”
クリアに入っている。
私は深く息を吐いた。
感情は、まだある。
悲しい。
悔しい。
でも、それ以上に。
確信。
彼女は、何かを知りすぎている。
そして、焦っている。
私は弁護士から届いた返信メールを開いた。
——来週、面談可能です。
画面を見つめながら、そっと呟く。
「奇跡が二回も起きるわけないでしょう」
壊れるのは、どっちだろう。
お先に、ママになります?
いいえ。
お先に、終わるのはあなた。
(続く)




