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妊娠したのは親友でした。でも父親は─  作者: 熊猫ぱんだ


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第3話 愛していたからこそ

 家に帰ると、静まり返ったリビングに彼のジャケットが置かれていた。


 いつもの場所。


 いつもの匂い。


 胸が、少しだけ痛む。


 私はそっとそれを持ち上げ、ハンガーにかけた。


 三年前の冬を思い出す。


 不妊治療の帰り道。


 雪が降っていた。


『ごめんな』


 駅前のベンチで、彼は小さく言った。


『俺のせいで』


 私は首を振った。


『二人の問題でしょ』


 本当は、怖かった。


 でも彼のほうがもっと傷ついていると思った。


 だから私は笑った。


 あの日、彼は私の手を強く握った。


『絶対、諦めないから』


 あの言葉を、信じていた。


 


 キッチンの椅子に座り、スマホを開く。


 里奈のアカウントは、鍵がかかっていた。


 けれど、もう感情は揺れない。


 私は静かに検索窓を開いた。


「出生前親子鑑定」


 いくつかのサイトが表示される。


 妊娠中でも可能。


 母体からの採血で、父親のDNAと照合できる。


 費用は高い。


 でも、払えない額じゃない。


 カフェの売上データを頭の中で計算する。


 いける。


 私は次に弁護士事務所を検索した。


 無料相談。


 不倫案件多数。


 証拠の集め方。


 慰謝料相場。


 淡々と画面をスクロールする。


 まるで他人事みたいに。


 


 リビングの棚には、旅行の写真が飾られている。


 沖縄の海。


 プロポーズされた夜景。


 小さなアパートで始めた新婚生活。


 お金がなくて、コンビニのワインで乾杯した日。


 あの頃の彼は、優しかった。


 いや。


 今も、優しい瞬間はある。


 昨日だって、私に怒鳴らなかった。


 ただ、目を逸らしただけだ。


 それが一番、残酷だった。


 


 私は写真立てを伏せる。


 まだ嫌いになれない。


 だからこそ、白黒つける。


 もし本当に、里奈の子が彼の子なら。


 私は身を引く。


 でも。


 もし違うなら。


 彼は、何を失うことになるのだろう。


 


 スマホが震えた。


 夫からのメッセージ。


『今日は里奈のところ行く。体調悪いらしい』


 胸が、ぎゅっと締めつけられる。


 それでも、指は震えない。


『わかった。気をつけて』


 送信。


 既読。


 


 私はクラウドを開き、不妊治療データを再確認する。


 検査日。


 数値。


 医師の所見。


 すべてスクリーンショット保存。


 さらに外付けストレージへバックアップ。


 深呼吸。


 


 私は立ち上がり、冷蔵庫から麦茶を注いだ。


 グラス越しに、自分の顔が歪んで見える。


 泣いていない。


 怒ってもいない。


 ただ、静かだ。


 


 愛していた。


 本当に。


 だから、嘘なら許さない。


 守るのは、この子と、事実だけ。


 


 私は弁護士事務所の予約フォームに入力した。


 名前。


 電話番号。


 相談内容。


 ——夫の不貞および親子関係確認について。


 送信ボタンを押す。


 画面に表示される受付完了の文字。


 


 その瞬間、やっと実感した。


 私はもう、待つ側じゃない。


 証明する側だ。


 


 窓の外で、夜風が揺れる。


 彼が帰ってくる頃には、私はきっと、いつも通り微笑んでいる。


 温かい夕飯を出して。


 体調を気遣って。


 何も知らないふりをする。


 


 愛していたからこそ。


 全部、確かめる。


 そして——


 事実で終わらせる。


(続く)


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