第11話 ずっと、欲しかっただけ
ドアの前で、里奈は崩れるように座り込んだ。
「……ごめん」
小さな声。
さっきまでの棘が、嘘みたいに消えている。
夫は何も言わない。
「私、本当は妊娠してない」
静かな告白。
「最初から?」
私が聞く。
里奈は首を振る。
「ううん……最初は、本気で“できる”って思ってた」
夫を見る。
「あなた、不妊って言ってたでしょ」
夫は目を伏せる。
「だから、奥さんとはできないと思った」
その言葉に、胸が少しだけ痛む。
「私なら、支えられるって思った」
震える声。
「あなたが“父親になれないかも”って泣きそうな顔したとき、私が一番近くにいた」
夫の喉が動く。
「私となら、やり直せるかもって……思った」
沈黙。
「だから、妊娠したって言ったの?」
里奈は頷く。
「結婚したかった」
その言葉は、まっすぐだった。
「どんどん嘘が大きくなって、怖くなって」
涙が落ちる。
「だから、流産したってことにした」
夫は壁に手をつく。
「俺は……」
「あなたが父親になれないなら、私が“唯一の可能性”になれると思った」
里奈は私を見る。
「でも」
視線が、私のお腹に落ちる。
「あなたが妊娠したって聞いたとき」
声が崩れる。
「終わったって思った」
嫉妬。
敗北。
絶望。
「不妊なんじゃなかったの?」
その問いは、怒りじゃなくて、戸惑いだった。
夫は静かに答える。
「“難しい”って言われただけだ」
里奈は笑う。
泣きながら。
「じゃあ、私は何にすがってたの」
誰も答えられない。
「嘘つきだよね、私」
小さく言う。
「でも、本当に好きだった」
夫は目を閉じる。
「それだけは、嘘じゃない」
静かな空気。
私はゆっくり言う。
「好きなだけじゃ、奪えない」
里奈の肩が震える。
「わかってる」
立ち上がる。
「もう来ない」
ドアの前で止まる。
「……おめでとう」
本音と、痛みが混ざった声。
ドアが閉まる。
夫は長く息を吐く。
「俺、弱かったな」
私は首を振る。
「人間だっただけ」
里奈は間違えた。
でも、最初から怪物だったわけじゃない。
欲しかっただけ。
愛されたかっただけ。
それでも。
嘘は、誰かを壊す。
夫がそっと私のお腹に触れる。
「奇跡、だったんだな」
私は頷く。
ゼロじゃない確率。
壊れかけた信頼。
それでも残った、家族。
(続く)




