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時、巻き戻った後4

本による情報収集についても考えてみますが・・・。

うーん、地元の施設や人とか経由での情報交換についてはこんなもんかなあ。

後の情報源と言えば・・・本か。

えーと、たしかもう時期的に、本でのコード共有はだいぶ進んでいたはずだよな。


最初のコンピュータ雑誌は俺が幼児のころには出版されている。

工学社の月間I/Oの発刊がたしか1976年、俺が3歳のころの話だ。

んで、月刊アスキーと月刊マイコンが翌年だったっけ。

え?月刊RAM?ごめん、熊本で見たことないのでこれだけ解らないです。

まあ、どの本もたくさんソースコードが掲載されていたので、分厚いことで有名だった。


特に、月刊I/Oは、別の会社名義で掲載したプログラムやコンテスト受賞作品のプログラムが入ったフロッピーやカセットテープを通信販売していた事でも有名で、俺も何冊も持っていた。

(そう、このころの記録メディアはカセットテープだった。

え?カセットテープってなんだ?そうかあ、若い子だとわからんのか・・・。

えーと、CDの前の音楽メディアで磁気テープを使った・・・。

いや、目の前の薄い板やキーボード付きの箱に聞いてくれ。その方が早い。)


なぜ掲載プログラムやコンテスト受賞作品の保存メディアを売ってたのかって?

それには事情がある。


今と違ってインターネットなどない時代だ。完成済みのプログラムを入手する手段もあまりない。

従って、雑誌に掲載されたプログラム(なんとコンテスト作品もソースコード公開が前提だった)は自力で入力して使えるようにするのが当たり前だった。


しかし、人間がする事なのだ。ミスもある。

そう、自分で入力しても、確実に実行できるようにはならないのである。

雑誌に掲載されていたプログラムは、短いものでも数ページ、長いものだと10ページ近くは続いていた。

そのうえ、プログラム自体も入力ミスを見つけやすいBASICによるものだけではなく、独自の言語や、マシン語でのプログラムも含まれている。

特に面倒なのが、マシン語のプログラム部分で、アルファベットと数字の羅列が延々続くものなので入力ミスをしやすく、また、間違えた部分を見つけるのも至難の業だった。


もっとひどいのは掲載ミスである。

まれに掲載されているプログラム自体に不備があり、そのまま打ち込んでも動かないものがあったのである。

子供としては必至である。何しろ、大切な小遣いで買うものだ。

必死で打ち込んでも動かない。何度確認しても間違いない。でも動かない。

で、翌月号を見ると、読者ページの隅とかで掲載していたプログラムに不備がありました、xxx行を下記のように書き換えて実行してください、とかやられるわけである。

がっくり来る。途中まで入力していたメディアも残っていない。

たいていは動かない段階でカセットテープへの保存を辞めちゃっているので、また一から入力しなおしである。

雑誌自体も毎月買えるとは限らないから、掲載ミス自体に気づかない可能性すらある。

小中学生なら切れても仕方ない、というか切れてしかるべき状況だと言える。


また、実行できても正しく動くとは限らない。

雑誌の記事なんて、モノクロ印刷されたスクリーンショット数枚が関の山だ。

コンテストの作品でも扱いは軽い。本誌や別冊の一部でカラー画面が数枚、実際の記事やプログラムの掲載部分はモノクロが普通だ。

明らかにおかしい(自機が画面外に出て行って戻ってこないとか)ものは打ち間違いを探すことも出来るが、敵の移動コースや表示パターンがおかしいとかの場合、入力しただけの人間がそのミスに気づく可能性は少ない。

何しろ、どういう動作が正しいのか判断材料がないのだから。


そういった事情で、何時間も、下手するとカセットテープに保存・読込しながら数日かけて入力したプログラムが結局実行できなかったり、謎のクソゲーだったりという事もままあった。

そういう経験を当時のマイコンキッズたちは必ず何度かは経験している。


そういうときにプログラム入力済みで、ロードするだけで実行できるメディアが売っていればどうか?

買うだろう。誰だって買う。金さえあれば俺も買ってただろう。

だって買ってくればコンテスト受賞作のゲームがすぐ遊べるんだぞ?


そりゃ、雑誌側も保存メディアを売ろうとなるのは当たり前だと思ったもんだ。

当然、それなりに売れていたものだと理解している。

一読者にしか過ぎない身では、どれくらい売れていたかは知る由もないのだが。



余談はこの辺にして、話を戻そう。

その後、しばらく間が開いて1982年に俺もだいぶお世話になったマイコンBASICマガジンが創刊される。

これが俺が小学3年生の頃。

自慢じゃないが前の人生では何冊も購入した。

友達のうちでSharpのX1やMSXを触らせてもらって、雑誌のプログラムリストを打ち込んで遊んでた。

保存先はやっぱりカセットテープだった。

(本当、あの頃の影さんとつぐ美ちゃんには本当にお世話になったなあ。)


時代的に考えると、ゲーム作って名前を売るなら、やはりこの辺の媒体になるだろうか。

サークル情報とか、交換ページなんかも役に立つはずだ。

そして、重要なのが広告ページ。


そうだな、雑誌を使って成り上がるのならこんな感じだろうか。


例えば、コンテスト上位作品を自社販売してくれる月刊I/O辺りへソフトを投稿して賞を取り、

賞金とソフト自体の売り上げでもって立ち上げ資金を稼ぐ。

コンテスト周期も短かった気がするからうまくいけば回数も稼げるし、賞さえ取れば別冊とかで

紹介された上に、雑誌でソフトを売ってもらえるってのは悪くない気がする。

そのうえで、広告費分が稼げたら今度は雑誌広告を打ちながら別のソフトも販売する。

そういう路線ならそれなりに成功の道筋が見えなくもない。

実際、札幌の某社も月間マイコンへゲームの広告を載せてから通販で大きくなったって話だったしな。


まあ、そのためにはまずは8Bit系のパソコンでゲーム作れないと話にならないが。

逆に、8Bitマシンが入手できればこの路線はありと言えばありだ。


ただ、この時代、パソコンゲームで大きく成り上がるのは結構難しいんだよな。

なにしろ2年も前の1983年にはファミコンが発売されてしまっている。

そう、ゲーム市場的にはパソコンの天敵、ファミコンの登場である。


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