杜の交渉
衛は呆然とそれを見ていた。
そもそも怒った石虎が、碧天たちに詰め寄るのではないかと案じていたのだ。普段は気やすい振る舞いを見せているくせに、今までそういうことは時々あって、その度に石虎を取り押さえたり宥めるのは衛の役目だった。今回もまた、と思ったのだが予想が裏切られたために、衛の動きは止まってしまった。
立ち上がった碧天は別人のように見える。衛のところからは顔が背けられていて、表情はわからない。ついさっき言葉を交わした時と、女らしい服装も同じ、髪形も同じだが、雰囲気がまるで違う。体つきも、なんだか大きいような気がする。
碧天は、地面に落ちた内刃の剣を左手で拾い、二三度振り下ろした後、腕を上に戻すときに柄から手を離した。剣は中空でくるりと回り、左手で再び柄が握られた。
「やばい」衛の傍で杜の低い声がした。振り向くと杜は目を細めて、じっと碧天を睨んでいる。「あれは誰なんだ」
言われた意味が分からず「誰って、商人だそうですが」思い浮かんだ答えをそのまま繰り返すと、杜は声を潜めたまま言った。「あの仕草だ」顎で示されるが、それが左手で剣を投げる一連の動作を指していることはわかるが、なぜやばい、という言葉になるのかがわからない。
「近衛で採用されている剣術の流派は知っているか?あれは、その流派で、初歩の演武のさわりにやる動作だ。ああやって剣の使い勝手を確認していくんだ」「そうなんですか。近衛の演武なら、王都では有名なことなんでしょうね。王都から来たらしいので、知っているんでしょう」「あの流派は、必ず左手から始めるんだ。あいつは、左利きか?」
「わかりません」頭を振った後、昨日碧天が右手で白の傷を縫ったことを思い出す。
杜は独り言のように呟いた。「両手で同じように武器を扱って戦えるようにするんだそうだ」言い終えると、衛の反応を待たず、碧天のほうへ数歩進んで両手を肩の高さに挙げた。
いつの間にかこちらに向き直った碧天が、左肘を脇にひきつけ、剣を握った掌を斜め上に向けた。
「あんたの邪魔はしない。見逃してくれ」と、杜は言った。
「仲間を見捨てるんですか」碧天は落ち着いた声で言い、右手で後ろの石虎と杜の後ろを指さした。
「仲間じゃない」杜は両手を挙げたままだ。「ここで初めて会った連中だ。ここが避難所だと指示してきた仲介屋が一緒だっただけだろ。あんたらの事情も知らないし、こいつらの事情も知らなけりゃ、関わる筋合いもねえよ。俺の荷と毛長牛さえあればいい」
「仲間を呼ばれると困るんですよね」碧天は軽く首を傾げて微笑んだ。途端に女性に見えてきて、衛は拳を握り締めた。
「仲間なんかいねえよ。いたら一人でここに来ねえ」「ここで合流するのでは?」「だったら、ここで黙って待つだろ。一度ここから出る意味がない」「油断を誘うためとか」「あんた、全然油断してないだろ。そんな予想されてる時点で油断は誘えん」
碧天の目が笑いを含んだまま、衛に向けられた。「衛さんは?それでいいんですか?」




