怒り
茶碗を差し出されたことよりも、その蘇順から漂ってくる『匂い』に戸惑う。
蘇順はいつも白にはきつい『匂い』を発していた。香辛料のような辛みの強い『匂い』が基本で、それが時には燃え上がるように大きく、そうでなくとも燻り続けた熾きのように低いところをしつこく漂っていた。幼い頃は『匂い』よりも実行される嫌がらせのほうが厄介だったが、数年前から行動に出ることはなくなった分、『匂い』が濃くなった。
濃くなったのは思春期を迎えて、孫維を意識し始めたからだろう。孫維は兵士に憧れたりするような性格ではなく、どちらかというと穏やかで容貌も割と整っていたから、男の向いているのか女に向いているのか志向がわかりにくかった。ただ、村長の跡を継ぐことには前向きだったので、男になるんだと皆知っていた。だから成人を迎える結構前から孫維は男として扱われることが多く、成人前の子供たちの間でもそう認識されていた。
性を決めるには家を継ぐなどの状況が大きな決め手になる。貴族や継ぐべき家業があればそれが最優先される。それがない場合は、自分が就きたい職業などに有利な方を選んだりする。兵士なら男だし、裁縫などの腕を生かして縫子になるなら女だ。
そして自分が誰を好きになるかで性別を決めることも多い。孫維が男になるのはほぼ決定事項だったから、それに合わせて蘇順は女性になるつもりなのか、それともそもそも蘇順は女性的な気質があって孫維という男が気に入ったのか、その両方なのかは定かではないが、蘇順が孫維を気にしていて、白と孫維との微妙なつながりが気に入らないということは薄々勘づいていた。
それでも孫維が修行のような形で錫金の親戚のところへ住み込んだあたりから、白に対しての関心は薄れ、八つ当たりのような感情も見られなくなっていたのに、石虎のせいで襲われる羽目になったのだ。
昨日のことを思い出すとさすがに腹が立つ。そうなると今穏やかな『匂い』を発していることも腹立たしい。
少なくとも蘇順は玄を刺した。白が何かをしたとしても、それだけは絶対に許さない。
碧天が茶碗を取り、蘇順に目配せをする。蘇順はおとなしく下がり、板敷の隅に腰を下ろした。
碧天は白の手の平を上向かせ、そこに茶碗を載せる。白の手ごと、両手で包み込み、「白さん」と呼び掛ける。
「よく聞いてほしい。思うところがあるのは当然だし、無理もないが、今少しだけ、別のことを優先してもらえないか。私たちは囚われている」
自分の感情の『匂い』を嗅ぐことはない。それを幸いだと思った。それとも嗅げたらあまりの酷さにたじろいで、そう言う感情を消すように努めるだろうか。
碧天の『匂い』もわからない。碧天が腹の底で何を感じているのか、わからない。信用できるだろうか。でも、碧天の言うことは本当のことだ。
私たちは囚われている。




