初雪
碧天の美女ぶりに怖気を震った翌朝。
目覚めた瞬間に、昨日とは違う冷ややかさを感じた。小屋から外へ出ると、灰色の雲が重く垂れ込めていた。これは来るな、と思いながら白はかまどに火を起こし、豆の汁物を温め、平餅を焼いた。
小屋の傍の井戸から水を汲み、玄の水入れに流しいれる。少しだけ干草も与える。今日は雪が降るだろう。初雪だ。積もるのは今晩からになる。最後の牧場だ。
食事を済ませ、水で顔を洗う。明日からは湯で顔を洗おう。一番分厚くて温かい頭巾と肩掛けを外套の上から巻き付ける。思いつく限り、一番の厚着だ。
玄はおとなしくついてくる。最後の外出だとわかっているみたいだ。いつもより呼吸が深いような気がする。空気の冷たさを感じているのだろうか?
牧場へ着くまでに会ったのは、近い世代の人ばかり。伯母や慎さんみたいな親や祖父の世代の人は、雪が降りだすとあまり出てこない。若い世代は通行できなくなるまで積もらない限り、誰かしら外をふらつく。
だが、草場には人がいない。雪はちらちらと降るばかりで、まだ、本格的に積もる様子はないのに。子供が3人連れ立って毛長牛をつれてやってきて、帰って行った。
誰かと話したいとは思っていなかったが、誰もいないと思うとなぜか退屈だった。もう帰ろうかと思いだしたころ、ふわりふわりと舞う雪の向こうから、赤い外套が少しずつ近づいてくる。
喉が詰まるような『匂い』がその相手の素性を教えてくれる。吊り上がった目でじっと睨みつけてくるのは、幼馴染みの一人。村の同年代の人間はみんな幼馴染だ。だが、先日錫金で会った平蘭とは違って、この蘇順は今も変わらず白に敵意を燃やしているらしい。
成人前にもかかわらず、蘇順は髪を長く伸ばし、細かく編み込んでいる。いつもは耳飾りも大ぶりのものを身に着けているが、この天気で外してきたのだろう。思えば、蘇順は女らしい子供だった。走り回って戦いごっこはせず、おままごとでお母さん役をしたがった。白はすぐ敵役にされる戦いごっこも、女中役をやらせようとする蘇順も嫌いだったから、あまりそういう遊びには付き合わなかった。
昔話の戒日王のごっこ遊びでは、孫維扮する戒日王に助け出される明花姫になるために白を突き飛ばしたものだ。まだ五歳くらいだったと思うが、蘇順は孫維が好きだったようだ。孫維は白を好きだったわけではない。それでも孫維が白をいじめたりかばったりで複雑ながら強く意識しているのは確かだったので、蘇順は白が目障りだったのだろう。
数尺の距離まで近づいてきた時、その『匂い』の濃さに背筋に寒気が走り、立ち上がった。蘇順の表情は雪に紛れて読み取れなかったが、両手が後ろに回されているのが見える。泥濘を注意しているのか、ゆっくりとした足取りだ。『匂い』は今までに嗅いだことのない強さだった。
「久しぶりだね、白」白が玄の鼻綱を引くと、蘇順が声をかけてきた。「久しぶり。元気そうだ良かった。じゃ」返事は少し早口になった。
「待ってよ。話があるのよ」「こっちはないよ。寒気がするから、もう帰りたいんだ」蘇順が来た方向へ戻るのに、彼女の傍らを通るのは嫌だったが、ぱっと通り抜けてしまおうと小走りになる。
蘇順の動きのほうが速かった。白のほうに顔は向けず、後ろ手にしていた左手が鉈を握っているのが見えた。




