花嫁は新雪の上で幸せを紡ぐ
最初にカロリーナとアスワドがいちゃいちゃしています。
季節が巡り、また雪が降りだした。
窓の外に見える初雪を仰ぎながら、カロリーナはため息をつく。窓に息がかかり、白く濁る。すぐに消えてしまう丸く白い円をぼんやり見ていると、背中から抱きしめられた。
優しいぬくもりに驚くことなく、顔を上にあげれば、愛しい黒い瞳と目があった。
「うかない顔をして、どうしたのですか?」
体に馴染んだ黒にもたれながら、カロリーナは膨れっ面になる。
「マーディとジョルジュのことよ。一緒に暮らしてはいるけど、結婚はしないから、どうしてかなと思っていたの」
「ああ、そうですね」
「マーディもジョルジュを信頼しているし、ジョルジュだってマーディにぞっこんでしょ? なんで結婚しないのかしら」
心が伴わない結婚の虚しさをカロリーナは知っていたが、二人はパートナーと呼べるほどの距離感だ。添い遂げればいいのにと思ってしまう。
「私、マーディの花嫁姿を見てみたいわ」
褐色の肌にまとう白い衣装は、さぞかし、きれいなことだろう。彼女のベールを持ち、赤い絨毯を共に歩いたら泣いてしまうかもしれないが、それでも見てみたい。
マーディが幸せな花嫁になる瞬間を、アース・アイに焼き付けておきたい。
「そうですね」
アスワドはカロリーナの声を聞きながらも、気のない返事をする。カロリーナの細く白い首に顔をうずめて、冷たい唇をつけてきた。くすぐったくて、カロリーナが吐息をもらす。
「もう……アスワド、聞いているの?」
「聞いていますよ」
「っ……嘘。聞いてないでしょっ」
「聞いています。二人ともいい大人なんですから、ほっとけばいいのです」
「んっ、ほっとけばって……」
カロリーナの熱を帯びた彼の唇が耳の裏にあたる。ふるりと震えたカロリーナの耳に、小さな笑い声が響いた。囁かれた甘言に、カロリーナの頬に熱が帯る。このまま流されてしまいそうで、カロリーナはむくれた。
「もお、私はマーディの幸せを願っているのに……」
「なら、余計に見守りましょう。二人には二人の幸せのかたちがあるのですから」
カロリーナは膨らました頬を元に戻した。代わりに唇を尖らせる。
「そういうものかしら……」
「ええ、そうですよ。それよりも……」
アスワドがカロリーナを抱きしめながら、厚手のカーテンを手でつかむ。しゃっと、カーテンレールから音がでた。雪が見えなくなり、カロリーナは部屋に閉じ込められてしまう。
──あ、これって……
カロリーナの体が火照りだす。きっと、目が合えば、求められていると実感してしまう。
急に恥ずかしくなり、彼と目が合わせられなくなった。ドキドキと高鳴る心臓を押さえようと、カロリーナはナイトドレスの裾を掴んだ。
皺ができるほど掴んでいたというのに、アスワドは指の隙間に、自分の指を滑り込ませた。緊張して震える手をすくいあげて、手の甲に熱くなった唇を落としてくる。
白く薄い皮を吸い上げられる。カロリーナの口から高い声が出た。
騎士が姫に献身を捧げるキスではない。
これは、夫が妻を求める口づけだ。
カロリーナが見上げると、夜の色の瞳に射ぬかれた。
「カロリーナ。夜は、私のことだけを考えてください」
二人っきりになった夜だけに言われる呼び捨て。
カロリーナはもじもじと体を揺らしながら、上目遣いで問いかける。
「アスワド……もしかして拗ねている?」
「そうですね。……拗ねています。口を開けばマーディさんとジョルジュさんのことばかりですからね」
くすりと笑った彼は、カロリーナを軽々と横抱きにした。広すぎるベッドに運ばれて、そっと置かれる。そのしぐさは丁寧なのに、彼の声には焦燥感がまじっていた。
「貴女は最近、私をお忘れのようだ」
「そんなことないわよ?」と、言おうとしたら口を塞がれてしまった。口づけの合間に嘆願される。
「今夜は寒い。貴女の熱を私に分け与えてください」
ずるい言い方だ、とカロリーナはむくれそうになる。マーディたちのことを彼ともっと話したいのに、流されてしまう。
「お願いです。カロリーナ」
切なくささやかれると、断れるはずもなく。カロリーナは彼の首に細い腕を回した。
「アスワド、私の熱をもらって」
次の瞬間、背中を強くかき抱かれた。
灯りを落とせば、全ては夜の中。
雪にも、誰にも知られることなく、二人は同じ体温になった。
*
同じ日の夜、マーディは暖炉の前で椅子に腰かけ、うたた寝をしていた。ジョルジュが彼女に近づき、肩に毛布をかける。衣擦れの音に目をさますと、ジョルジュが困ったように微笑んだ。
「起こしてしまいましたか?」
「いや……」
マーディは寝ぼけ眼のまま首をふった。かけられた毛布をみて、目尻をさげる。
「毛布、ありがとう」
「いえ、今宵は寒いですからね。雪が降りだしましたよ」
ジョルジュが窓辺に立ち、しめきられていたカーテンを開いた。真っ黒な窓に白い雪が舞ってる。しんしんと降る雪をマーディは眺めて、やがて笑みをこぼした。
「雪を見ても、もう寒くないんだな……」
曇天が憎くて、雪が冷たくて、何度もマーディの心は凍えた。カロリーナたちに心は溶かしてもらえて、寒さはなくなった。彼女たちといれば、心は穏やかな春のままだった。
今はどうだろうか。
彼女たちと離れたというのに、心は寒くならない。毛布をかけてくれる人がすぐそばにいるからだろう。
マーディは部屋に飾られた肖像画を見つめた。ローザ、カロリーナとアスワド夫妻。そして、リリルカ、セージュ。四枚の肖像画は尤も使う部屋にかざりましょう、とジョルジュが提案してくれて、マーディのすぐそばにある。五人の笑顔をそれぞれ見て、マーディは微笑を浮かべた。
──カロリーナ様たち以外に大事な人はもう、いないと思ったのにな……
どうやら、もう一人大切な人ができていたようだ。雪の日に実感して、マーディはその人の名を呼んだ。
「ジョルジュ」
彼は窓から視線を流して、まっすぐマーディに近づいた。椅子のそばに立って、腰を屈める。
「どうしましたか?」
マーディは近くなった彼の体にもたれかかった。甘えるしぐさをされて、ジョルジュは驚きながらも両手でマーディの体を支えた。
「一日……いや、数秒でいい。私より、長く生きてくれ」
大切な人を亡くす瞬間を、もう見たくはない。わがままな願いを口にした実感はあったが、マーディの心からの祈りだ。
彼にしか言えない、願いだ。
ジョルジュはひゅっと息を飲んだ後、決意を瞳に宿して、マーディを守るように背後から抱きしめた。
「努力します」
はいと、言わないところが現実的でいい。その言葉ひとつで、約束が果たされたような気がして、マーディは幸せそうに笑った。
「もし、長く生きられたら、貴女の墓標には私と同じ名字を刻んでもいいですか?」
それはマーディが亡くなった後、夫婦になってもいいか、という問いかけだ。マーディは目を臥せて笑顔で尋ねる。
「なんだ、私と結婚したいのか?」
「はい。結婚したいです」
すぐさま返されたストレートな答え。
「そういうことを望んでいないかと思っていた」
「貴女が望んでいなさそうだったので、口には出しませんでした。でも、一緒に暮らすようになったら、欲がでました」
ジョルジュはマーディの髪を愛しそうに梳きながら、穏やかに語りだす。
「私は貴女の一番、大切な人にはなれないでしょう。五番目か、六番目ぐらいには、大事な人に思われているという自覚はありますが」
マーディは思わずふきだしてしまった。
彼の言うとおり、自分の一番大切な人はジョルジュではない。もし、カロリーナと彼のどちらかしか助けられないのだとしたら、迷わずカロリーナを選ぶ。リリルカやセージュも同様だ。アスワドは自分でなんとかしそうなので除外する。
「よくわかっているな」
笑ってしまっても、ジョルジュは愛しげに目を細めた。
「貴女のことを見ていましたからね」
ジョルジュの手が止まる。血に染まっていないきれいな手がマーディの顎をとらえ、上を向かせる。穏やかだが、男の目をした彼と瞳が合わさった。
「貴女の一番になれないのなら、貴女の名字を私にください。……約束が果たされた後で、いいですから」
太陽に焦がれた雪がするプロポーズだった。
切望されて、マーディはふっと笑みを落とす。
「気の長い話だな」
「そんなことはありません。私は結構、欲深いと思います。約束が果たせるかどうかまでは、マーディさんのそばに、ずっといるつもりですから」
離れませんよ、と囁かれた声はひどく甘やかだった。この年になって、と思いつつ、マーディは頬に熱が帯びるのを感じた。
「私を呼び捨てにできたら、夫婦になろうか」
「え……?」
「私を名前で呼んでくれるか、ジョルジュ」
ジョルジュは薄く開いていた口を閉じた。でも、すぐに彼は口を開く。
「マーディ」
「早いな」と、マーディが笑う。彼は子供のように顔をくしゃくしゃにして「欲が深いですから」と笑った。
二人は抱き合い、共に居る喜びに浸った。
その夜、寄り添うようにして二人は眠りについた。
マーディはその晩、夢を見た。
金髪の女性が満面の笑顔で自分に話しかけている夢だ。
彼女の口が開く。
マーディは瞳を潤ませながらも、笑顔になった。
「……えぇ、幸せになりますよ、ローザ様」
彼女はぴょんっと跳ねて、パチンと両手を叩いた。薔薇色に染まる頬を眩しげに見つめて、手を伸ばす。
彼女は幻想だったのか、すぐに消えてしまった。
何も掴めなかった手のひらを見つめる。
マーディは涙を飲み込んで頭をさげ、目を覚ました。
瞳を開くと、目映いばかりの陽光が差し込んでいた。ジョルジュは起きていた。彼はベッドに背を預け、本を読んでいた。本を閉じて、サイドテーブルに置くとマーディの額に挨拶のキスをする。
「おはようございます」
朝から甘い。でも、心地よい甘さだ。
「おはよう、ジョルジュ」
マーディは体を起こし、彼の肩に頭をのせた。
彼は少し驚きつつマーディの肩を抱いた。
窓の外は、新雪で真っ白に染まっていた。
晴天の空の下、銀世界がきらめいている。
「きれいだな……」
「そうですね。青空の下で見る雪が、私は一番、好きです」
「私も好きだよ」
雪化粧をした大地もいいものだ。
初めて、そう感じた朝だった。
新雪が積もった晴天のとある日。
教会では、新たな夫婦が誕生した。
式に参列したのは、カロリーナの家族のみ。厳かな雰囲気で式は滞りなく進んで──なかった。
カロリーナが号泣していたからだ。
花嫁になったマーディが、苦笑するほどの泣きっぷりだ。
「うぅっ……マーディが、マーディがぁぁ……結婚、してっ……結婚してっ……」
真っ赤になったカロリーナの目元に、マーディは白いハンカチをあてる。
「そんなに泣かないでください」
「だって、だってぇ……嬉しいんだものっ……」
そう言う、マーディの瞳にもきらりと光るものがあった。
カロリーナがこんなに喜ぶのなら式を恥ずかしがらないでやってよかったと思う。
「マーディ、きれいだね。ジョルジュともっと仲良くなるんだね」
にこにこ顔でセージュが言うと、リリルカが得意気な顔でいう。
「違うわよ、セージュ。仲良しじゃなくて、らぶらぶっていうのよ」
「そうなんだ。マーディとジョルジュは、らぶらぶなんだね」
満面の笑顔でいわれて、マーディは照れ笑いを浮かべた。
夫婦の誓いをしたとき、ジョルジュの瞳に涙のまくが見えた。マーディはすんと鼻を鳴らし、誓いのキスを自ら彼の唇に押し付けた。
教会の外にでると、参列者が待っている。
外は白銀の世界で、薄着のドレスでは寒い。ジョルジュはローブをマーディに羽織らせ、肩を抱き寄せた。
「おめでとう!」
先に外にでていたリリルカが地面の雪を手で集めて、空に向かって舞わせる。ライスシャワーの代わり。雪の国特有の祝福のしかただ。
「マーディ、ジョルジュ、おめでとー」
セージュも小さな手を赤くしながら、雪を青空に向かって飛ばす。新雪が太陽の光をあびて、きらきら輝いた。
「マーディさん、おめでとうございます。ジョルジュさん、マーディさんを頼みます」
アスワドが大きな手のひらで雪を集めて、高く高く、白い光を飛ばす。
「ええ、もちろんです」
ジョルジュが笑顔で答えた。
「マーディ……」
カロリーナがローザの肖像画を抱きしめながら近づいてきた。震える唇を持ち上げて笑顔を作る。泣きすぎた彼女の目は赤く、頬も鼻も、真っ赤だった。
「マーディは今、幸せ?」
肖像画の彼女とカロリーナの声が重なる。
でも、これは夢ではない。
マーディが小さく息をのむと、肩にあったジョルジュの手が背中に回される。軽く押されて前にでる。マーディの足は進み、肖像画ごと、カロリーナを抱きしめた。
あふれるほどの気持ちを彼女に伝える。
「もちろん、 幸せですよ!」
そう言ったマーディの笑顔は、銀世界に負けないくらい輝いていた。
これから厳しい冬になろうとも、マーディの心は、もう凍えないだろう。
彼女の未来を照らすように。
国中が、白い祝福に包まれていた。
end
後日談の冒頭で書いたとおり、この話は本編読んで感想をくれたある方がいなければ、生まれなかった話です。あの時、マーディの幸せを気にしてくれてありがとうございます。二年以上、経ってしまいましたが、この話を書けて、とても良かったです。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!マーディはパートナーを見つけられました!万歳!




