終章-2 桜の木の下で
授業が終わると、帰宅部に所属している翔斗は、何をするでもなく帰路に就いた。
自宅に帰って荷物を置いてから、なんの当てもなく散歩に出掛ける。こんな優雅な時間を過ごせるのは、帰宅部の特権というやつだろう。
足の赴くままにふらっとやって来たのは、初めてユリアと出会った、あの桜並木である。桜の花はとっくに散ってしまってはいるが、そこにそびえ立つ木々が桜の木であるという事実は変わらず、この場所が桜並木であるという事実もまた変わらない。
桜が咲いていた時ですら、ほとんど人の気配はなかったのに、桜が散った現在となれば、さらに人気が少なくなっている。
「…………!!」
だからこそ、居並ぶ桜の木の幹に背中を預けている美少女がいれば、自然とその横顔を目で追ってしまうのは当然と言えるだろう。
上品な感じの白いワンピースを身につけているその子は、翔斗の存在に気づいたのか、顔の向きを変えてこちらに視線を向けてきた。
その赤い瞳と交錯した瞬間、翔斗の世界は完全に停止した。その衝撃は、しばらくの間呼吸の仕方すら忘れてしまっていたほどだった。
「…………ユリア?」
やっとの思いでその名前を呟くと、その美少女――ユリアは小さく口元を綻ばせた。
「だだいま、翔斗クン。もしかして、ボクがいなくて寂しかった?」
ずいっとこちらに顔を寄せて、相手をからかうように口元をつり上げるユリアは、翔斗がよく知っているユリアそのものだった。
「ユリア……だよな? どうしてここに……?」
「ふふっ、それは追々説明するとして――それにしても、こうしてこの場所で翔斗クンと会うのは二回目だね」
「あはは……、なんだ、知ってたのか? それとも最初から気づいていたのか?」
「気づいたのは、翔斗クンがこの場所で会った女の子の話をしたときかな。それでビビッと来てね。ちょうどボクがこの世界にやってきた当日の話だったから、けっこう印象に残っていたんだよ。そういえば、この場所で男の子を見かけてその子と目が合った覚えがあるなあって」
「そうか……」
その話をユリアに聞かせた時は、その女の子の正体がユリアだとバレないように必死だったのに、いざこうしてユリアにその話をされても、それほど恥ずかしい気持ちはなかった。
もっと恥ずかしいことに、ユリアとこうして再開できたという事実で、胸が一杯だったからかもしれない。
「ところで、ボクの部屋はどうなってる? まだきちんと残ってる?」
「ああ、ちゃんとそのままだよ」
冷静に考えれば、ユリアはたった二週間留守にしただけなのだから、その間に部屋が撤去されるなんてことはあり得ない。
それにユリアは、十年分くらい家賃を前払いをしたと言っていたはずだから、たとえ数年間留守にしても何も言われないだろう。いや、そこまでいけば、別の意味で心配をされて、管理会社のほうから連絡をしてくるかもしれないが。
「そっか。それはよかったよ。それじゃ、帰ろっか。翔斗クン」
いつもそうしているみたいに自然な動作で、翔斗の手を掴んで、ユリアはツカツカと歩き始める。
「ちょ、ちょっと待て。手を離せ」
顔を赤くして抗議する翔斗だが、自分からユリアの手を引きはがそうとはしなかった。
ユリアもそんな翔斗の心境を見抜いているのか、鼻歌交じりの軽い足取りで歩いていき、翔斗の抗議を取り合おうともしない。
春特有の爽やかな風が二人の間を駆け抜け、木々に連なっている葉たちがざわめいている。
「それでね、ボクがこうしてまたこの世界にやってきたのは、もちろんとある任務があってのことなんだけれど――」
言いながら、前を歩くユリアが、身体を曲げて翔斗の顔を覗き込んでくる。
整いすぎたユリアの顔が目の前に現れて、思いがけず翔斗の鼓動が早くなる。
「実はね、この世界にすごい才能を持った魔法使いがいるっていう話でね。今回の任務は、その人をなんとか魔法協会の一員として引っ張って来られないかな、ってことなんだよね」
「そうか。なんか随分と漠然とした話だな。ま、俺に出来る範囲なんてたかが知れているだろうけど、それでいいのなら、今回も手伝ってやるよ」
「えっ、あ、うん。ありがとね。でも、その魔法使いって――――」
最後のほうは小声になっており、その声は翔斗の耳まで届かなかった。
「ん? すまん、なんて言ったか聞き取れなかった」
「あっ、気にしないで――でも、もしかしたら、今回の任務少し時間かかっちゃうかもしんないよ。それでも大丈夫?」
「ま、いいんじゃねえの。どうせ、俺はやることなんかねえし」
歩き始めた二人を照らす太陽は、その再会を祝福するかのごとく燦々と輝いていた。
「ふふっ、翔斗クンならそう言ってくれると思ってたよ」
そう言って、ユリアは翔斗の前に躍り出て立ち止まると、スカートを翻しながらその場で一回転して、可愛らしい右手を差し出してきた。
「ねえ、翔斗クン。これからもよろしくね」
「ああ、よろしくな」
翔斗もユリアの手を掴んで、二人は再会を確かめるようにがっちりと握手を交わしたのであった。
二人を見下ろす澄み渡った青空は、地平線の彼方まで続いていた。
それこそ、この青空は異世界にだって続いているのだろう。だって、こうしてユリアと再会できたのだから。
――そしてこれからも、男の娘である魔法少女とともに、日常的ではない日常が続くと思うと、自然と心が沸き立つような思いに駆られる綿谷翔斗であった。
これが翔斗の望んでいた高校生活なのかはわからない。だけど、間違いなく翔斗はこれから続く三年間の高校生活に対して、大きな希望を抱いていた。
ここまで目を通していただきありがとうございます。
これで翔斗とユリアの甘い物語は一段落となります。
私自身も二人のやりとりや掛け合いを紡ぐのはとても楽しかったので、また機会があれば二人の物語を紡ぎたいと思います。
長い挨拶をしても仕方がないので、このあたりで失礼いたします。
重ねてになりますが、ここまで目を通していただきありがとうございます。




