1-10 新たなる魔法少女? 誕生
ユリアの部屋に荷物を運んで、翔斗たちが次にやってきたのは、住宅街から少し歩いたところにある裏山である。
裏山に足を踏み入れると、すぐに足下は舗装道路から土を固めただけの道路へと変わる。二人はその道を進み、木々が並んで入り組んだ緩やかな坂道を登り、その先にある開けた空間で二人は立ち止まっていた。
この場所は普段から人の出入りがほとんどないところで、事実周囲に翔斗たち以外の気配はいっさい感じられない。葉の擦れる音が心地よく、豊風市に残された数少ない自然を堪能できる場所だといえるだろう。ここならどんな邪魔が入ることも、人目につくこともない。
裏山の頂上まで登ると街を一望でき、そこから街並みを見下ろすのは中々に絶景だ。そういった感性があまりない翔斗ですら、その景色守りたいと思うほどだった。
もっとも、今立っている場所からは周囲の木々が邪魔で街並みを伺うのは不可能だし、そもそもそんな景色を見せたいがためにユリアを連れてきたわけではない。
人目に付かない場所で何をやるのかと言えば、わざわざ言うまでもなく、そんなことは決まりきっている。
時刻は午後三時、春の日差しは西に向かってはいるものの、まだまだ空を明るく照らしている。
「ねえ翔斗クン、始めるよ。準備はいい?」
「ああ、問題ない。そのために、わざわざここまで来たんだからな」
「それじゃあ、まずは力を抜いて」
言われた通りに深呼吸をして、翔斗は全身から力を抜いた。
さて、二人が何をしようとしているのかといえば、魔法の練習である。
ユリアのパートナーである以上、少しでもユリアの力になりたいと考えた翔斗は、こうしてユリアに訓練をしてもらうことになったのだった。
「魔力ってのは、魔法を用いるために必要な力だけど、それだけじゃ魔法っていうのは使えないんだよ。人間の体内には魔法を用いるためのスイッチがあるんだけれど、通常っていうか、何もしない状態だとそれがオフになってるの。スイッチがオフの状態じゃあ、魔力が体内に留まったままになってしまって、魔法は使えない」
「じゃあ、まずはそのスイッチを入れないと駄目ってことか?」
「まあね。そのスイッチって、魔法が暴発して自分の身体を壊さないように普通はオフになっているものなんだとか。人間の脳みそには使われていない部分があって、その部分が魔法を司るものであり、その部分を活性化させることによってスイッチが入るとか……。まあ、諸説はあるけれど、そんな難しい理屈は今どうでもよくて、大事なのはどうやってそのスイッチをオンにするかってことだよね」
「そうだな。難しい理屈を並べられても理解できそうにないし、それでいいよ」
「スイッチの切り替え自体はそんなに難しいことじゃないんだよ。ボクの魔力を翔斗クンに送り込んで、一度魔力の流れを作ってあげればいい。そうすれば勝手にスイッチがオンになって、翔斗クンも自分の魔力を利用して魔法が使えるようになるって寸法だよ」
そこで一旦言葉を句切って、ユリアはいつもよりも真剣な表情になった。
「それじゃあ、翔斗クン、ちょっと制服のズボンが汚れちゃうけど、ちょっとボクに背中を向けて座ってくれる?」
言われた通りに、翔斗は雑草が生い茂っている地面に膝を付けて座った。
「これでいいか?」
「うん、それじゃあ、今度は目を瞑って」
目を閉じて、少し待っていると、ユリアの小さな手のひらが翔斗の頭の上に乗せられた。
(なんか、頭を撫でられているみたいだな……)
そう考えて、なんだか気恥ずかしくて、くすぐったい気分になっていると、
――その瞬間だった。
「…………ッ!!」
脳天に稲妻が舞い降りたような衝撃に見舞われた翔斗は思わず、言葉にならない声を漏らした。
ただそれは苦痛とかいう類の衝撃ではなく、難しい数学の問題が自力で解けたときのような、そんな心地の良い刺激だった。
身体中から得体の知れない奇妙な感覚が沸き上がってくるのを感じる。
やがてその感覚が徐々に薄れていくが、しばらく経ってもぼんやりと残っていて、完全に消えることはなかった。
「うん、成功かな。もう目を開けてもいいよ。どう? 気分が悪くなったりしてない?」
目を開けて視界が開かれると、ユリアが少し心配そうな表情で見下ろしていた。
「……ん、いや、とくに問題ないかな」
立ち上がって簡単に身体を動かしてみるが、これといった異常は見当たらない。ムズムズとした感覚が消えないことを除けば。
「うん、それならよかった。それじゃあ、これ、ボクからのお祝いだよ」
ユリアが手渡してくれたのは、昨夜ユリアが振り回していたステッキをミニチュアにしたようなペンダントだった。
「えっ、これって……、ユリアが使ってたヤツじゃ」
昨夜、ユリアが変身を解除したときに、あのステッキがこのペンダントに変化する瞬間を翔斗は見ていため、それを受け取っても良いのかと躊躇った。
「あっ、それは予備だよ。ボクが昨日使ってたのはこっち」
そう言って、ユリアは胸元から、翔斗に手渡そうとしたペンダントと同じものを取りだした。
「そういうわけだから遠慮しなくていいよ」
(お揃いのアクセサリなんてものを持っていると知られたら、また純太に変な勘ぐりをされそうだな)
とはいえ、ユリアがそんなことを気にしている様子もないのに、自分だけが意識しているというのは何とも情けないというか滑稽だ。よって、翔斗もできるだけ気にしないようにしながらそれを受け取った。
「それはね、自分の魔法を補助してくれているデバイスと呼ばれているものだよ。まあ、魔法少女が手にしているステッキって考えたら、イメージは簡単に沸くでしょ? それを使わなくても魔法は使えるんだけれど、やっぱりデバイスがあったほうが魔法は安定するからね」
「なるほど。とてもわかりやすい説明ありがとう」
どうして異世界人であるユリアと、魔法少女の認識のイメージが、こうも被るのか甚だ疑問ではあるが、今さら気にするところではないだろう。
「それじゃあ、次は変身だね。変身はデバイスの力を借りるために必要な儀式で。変身することによって、デバイスの力を引き出すことができるんだ。それじゃあ、デバイスに魔力を送ってみて。そうしたら、デバイスが反応して変身ができるようになるから」
「ちょっと待て。なんだか嫌な予感がするんだが、まさか俺も変身したらユリアみたいな、魔法少女っぽいフリフリのスカートになったりしないだろうな」
「ふふっ、もし翔斗クンが望むのなら、その姿にはなれるけど、基本的にデバイスはその本人は思い描いた衣装チェンジするんだよ。それがボクの場合はあの姿だったっていうわけだね」
「それを聞いて、少し安心した」
「魔法っていうのは魔力も大事だけれど、それ以上にとにかく強固なイメージを保つってことが大事なんだよ。イメージが強固になれば、それだけ魔法も強力なものになるからね。どんな魔法を使うにしろ、その魔法をしっかりとイメージしないと駄目だよ」
先輩であるユリアの言葉に、翔斗は真剣な表情を作って頷いた。
(変身かあ、せっかくなら格好いい衣装がいいよな)
「とりあえず、イメージを固めるから、少し考える時間をくれ」
しっくり来るものが決まらないため、翔斗は熟考することにした。
(騎士とか戦士っぽい服もいいな。甲冑っていうのが、なんとなくそそられるよな)
そして束の間の時を経て、徐々にイメージが固まってきた。
「よしっ、決まった。それで、どうすりゃいいんだ?」
いざ自分が魔法という不可思議なものに手を届くのかと考えると、思いがけずにテンションが上がり、自然と翔斗の声は普段よりも弾んでいた。
「まずは身体の中を蠢いている魔力を感じ取って。今の翔斗クンなら、その流れも手に取るようにわかるはずだよ」
目を瞑って意識を自分の内側へと向ける。
落ち着かないような感覚を受け入れて、全身を流れている魔力を身体全体で感じ取る。
「そしてその魔力を、デバイスを手にしている手――翔斗クンの右手に集めて」
自分の身体を動かすときに、いちいち理屈を考えたりしないのと同じように、翔斗は直感的な感覚で、体内で脈動する魔力を右手一点に集中させる。
すると、右手が熱を帯びたようにぽわっと温かくなったように感じた。
「その調子だよ。それじゃあ、これからボクが言う言葉を復唱してね」
集中しているせいで声が出せないので、翔斗は首を縦に振って返事をした。
「我が呼び声に応じ、契約のもと、その力を解き放て」
「我が呼び声に応じ、契約のもと、その力を解き放て」
「我が手足となり、その力を貸したまえ」
「我が手足となり、その力を貸したまえ」
「起動開始(セーット、アップ)!」
「起動開始(セーット、アップ)!」
詠唱完了と同時に、右手の魔力を解き放つ。
途端、右手から淡い光が漏れ出したと思ったら、その光が翔斗の身体を包み込んだ。
(これが、魔法の力……)
翔斗は、視界が白一色で満たされている空間に夢心地のような感覚で浸っていた。
『マスター登録を完了しました。これより、あなたを新たなマスターとして認識します』
どこからともなく聞こえてきた機械的な音声。それがさっきまで手にしていたデバイスのものであるということを理解するのに少しばかり時間を要した。
やがてその光がゆっくりと消失し、視界には元通りの裏山の景色が広がっていた。
そしてそこには、イメージ通りの西洋の騎士のような甲冑に包まれた翔斗が――
「あれ……?」
翔斗は言いしれない違和感を覚えて、思わず声を上げた。なんというか、妙に股間の辺りがスースーするというか、物足りない感じがしたのだ。
翔斗の正面ではユリアがどこか気まずそうな、というか、笑いを堪えているような表情で、翔斗から顔を逸らしていた。
「翔斗クン、あの……、これ……」
ユリアは横目で翔斗の全身を眺めて、申し訳なさそうな表情を作って、ポケットから手鏡を取りだした。
「…………?」
その反応の意味がわからなかったが、翔斗は素直に手鏡を受け取って自分の姿を確認すると同時に、ユリアの反応を理解した。
「…………な、なんじゃこりゃああああああああああああああーーーーー!!!!!!」
裏山全体に響く翔斗の声。
その声が大気を震わせて、周囲の葉っぱが震えた。木の枝の上で羽を休めていた小鳥たちも、驚いて一斉に飛び立っていく。
なんと、手鏡に映っていたのは、可愛らしいフリルがついたピンクのドレスを着た男子高校生だった。さらに極めつけに、真っ赤なリボンがちょこんと頭に乗せられている。どっからどう見ても、そこに映っているのは不審者以外の何者でもなかった。
果たして、不審者の名は綿谷翔斗という。
いわゆる魔法少女スタイルというやつで、その不審者は昨夜ユリアが身につけていた衣装とまったく同じものを身に纏っていた。
「おい、これはどういうことだ?」
思わず声を荒くして、ユリアへと詰め寄る。
傍から見ると、不審者が美少女に詰め寄っているという、とても危ない構図に見えるが、翔斗本人は、そんなことを気にしてはいられないのだ。むしろ体裁を特に気にしているからこそ、自分の装いについての説明を求めているわけである。
「ありゃりゃ~、どうしちゃったんだろ。おかしいな、こんなはずはないのに」
原因を思案するかのように、ユリアは翔斗の全身をまじまじと眺めた。
ただでさえ恥ずかしい格好の上に、下半身がスカートということもあり、無遠慮に視線を浴びせられると、どうにも心許なくて余計に身体が熱くなる。
女子たちは普段からこんなものを身につけているのかと、ある意味で尊敬の念を覚えると同時に、知らなくてもいいはずの事実を知ってしまった翔斗だった。
「と、とりあえず解除方法を教えてくれ。いつまでもこんな羞恥プレイはあんまりだ……」
泣きそうな表情で告げると、ユリアが翔斗の心情を察してくれたのか、丁寧に変身の解除方法を教えてくれた。
その手順に従って変身を解除すると、この空間から変質者が消え去った。
「ったく、とんでもない目にあったぜ」
涼成高校の男子用の制服に戻った翔斗が、自分の装いを確認してぼやく。
「えーっと、多分ね、さっき翔斗クンのスイッチを入れるときにボクの魔力を流したでしょ。そして手渡したデバイスも元々はボクのものだったわけだし、そのへんの作用が働いちゃって、ボクと同じ衣装になっちゃったんだと思う」
「理屈はどうでもいいんだ。そういうことなら、もう一回変身すれば今度はちゃんとできたりするのか?」
「いや、実はね……」
ユリアは苦笑いをして視線を泳がせている。
その表情だけでユリアの言いたいことのおおよそは見当がついたのだが、その見当が外れていることを祈って、翔斗はユリアの話の続きに耳を傾けた。
「変身したときに、『マスター登録完了』っていう、デバイスの音声を聞いたと思うんだけれど、そうなっちゃうと詠唱が必要なくなる代わりに、それ以降は衣装が固定されちゃって、他のものにチェンジできなくなっちゃうんだ」
「それじゃあ、新たにマスター登録する方法は?」
「デバイスは魔力の質で個人を認識するから、翔斗クンの魔力の質そのものが変わらない限りは……」
「つまりは……?」
「ボクと同じ格好で戦ってもらうしか……」
「くっ……」
そんな辱めを受けるくらいなら、いっそのこと魔法を使ってユリアをサポートする役から降りるなんて選択肢もあったのだが、ここに来て乗りかかった船から降りるなんて選択肢は翔斗の頭には思い浮かびすらしなかった。
「……やるしかないのか?」
先ほど鏡で見た自分の姿を思い出して、吐き気が沸きそうになるが、そこをグッと堪えて翔斗は唇を噛みしめて拳を握りしめた。
「まあ、そうなるかな……」
気まずそうな顔をしているユリアは、翔斗と視線を合わせようとしない。
(とりあえず、あんな格好をしている最中は、絶対に知り合い、とくに純太には会わないようにしないとな……)
こんな事態でも、すぐに思考が切り替えられるようになったのは、まさしくユリアに毒されている証拠だと言えるだろう。
翔斗にその自覚があるかどうかは、また別の問題になるのだが。
――それはともかく、ユリアと並ぶ、新たな男の娘魔法少女が、こうして誕生したのであった。