27話 邪神の決断
邪神はアウロラの首に手を当て、禁固を破るように時間をかけて慎重に概念の枷を破壊した。
アウロラの首に刻まれていた黄金のタトゥーは跡形もなく消えた。
これでアウレリウスの枷は失効した。
【この者を放つ】
眷属からも放ち、人格を変えない方法で法術回路も神術でひっぺがす。
以前、アウロラにできないとは言っていたが、(簡単には)がついていた。
こうしてアウロラの聖女としての能力は完全に消え失え、邪神との因縁は絶たれた。
邪神はイリアからも法力を奪い取る。
イリアの不運もまた法術回路のバグからくるもので、法術回路そのものを禁じれば彼女の命を脅かす不運からは解き放たれる。
「これで神族から的にされることはないだろうし、神殿も諦めるだろう」
「……邪神さん。こんなの嫌です」
「邪神様」
アウロラとイリアはたまらなくなって邪神に抱きつく。
何とはなしに、邪神はしがみついてきた二人の頭を両手で撫でる。
「あまり近づくな。俺の神気があんたらにつくと危険だ」
感情を持たず愛情を知らない邪神だが、別れは名残惜しい。
「どうか負けないでください」
「普通にやれば負けはせんが……約束はできん。どうなるかな」
相手は主神だ。
数千からの配下を持ち、有形無形の手段を使う。
邪神の世界を破壊すれば目的を達成できることから、直接邪神を襲わないかもしれない。
純粋な力の勝負にならない限り、邪神には分が悪い。
ただちに終末を起こせという命令にどう応えれば回避できたのか。
正解は分からない。
「支度して早く出て行け」
二人はうなだれながら部屋に戻り、荷物をまとめる。
僧衣と杖はもう必要ないので置いていく。
邪神と共に作ったあれやこれやの品を集めながら、二人は感傷にひたる。
「この三ヶ月、最高だったよね……」
「本当に楽しかったね。こんなに濃い三ヶ月はなかったよ」
忘れがたい思い出がアウロラの胸に去来する。
世界各地を尋ねて、様々な体験を積み重ねた。
職業体験は美容師、メイクアップアーティスト、靴職人、インテリアコーディネーター、マッサージ師、教師、農家、大工、営業、作曲家、探検家、司書、保育師など多岐にわたる。
最初は不器用だったアウロラも、きめ細かな教育とサポートを受け、見違えてできることが増えた。
もともと器用だったイリアは、さらに専門的なスキルを手に入れた。
荷物をまとめる手が止まる。
出て行きたくない。
しかし、出ていかなければ邪神の足枷になる。
支度のできた二人を、邪神が玄関まで見送る。
「本当にこれでお別れなんですか?」
「また会えますよね」
「すまないが、それどころではないんだ」
無防備な二人を擁していては、邪神の弱みとなってしまう。
人間と馴れ合っているという情報が主神オメガのもとに上がってしまったようだが、ヴァッソはまだそれが誰なのか特定できていないようだった。
まだ気づかれていないうちに、二人を遠ざけるほかにない。
「……ですよね」
「この家を一歩外に出たら、もう俺のことは見えなくなる。達者で暮らせ」
「私達が生きているうちに会えますか?」
「また俺を見つけろ」
アウロラはもう、どうやって邪神を追跡できたのか思い出せない。
法術回路を剥がされる前はあれほど感じていた邪神の神気も、今は全く検知できない。
「もう、聖女ではないので見つけられないかもしれません」
「そうだな」
「邪神さんが迎えに来てくださいね」
「ああ。覚えていたらな。これを持っていけ」
今度こそ餞別といって、数年は働かずに暮らして行けそうな金額の金貨をくれる。
「こんなに……」
「どうせ俺には必要ない。新しい仕事が軌道に乗るまでの生活費の足しにしろ。それから、これも」
二人には自作だという掌サイズのフォールディングナイフを一本ずつ渡し、使い方を説明する。
「これは切りたいものを切るが、切れすぎる。ここぞという時に使え」
柄の部分がアウロラとイリアを認証するので、他人は使えない構造になっているとのこと。同じ形状をしているので、見分けがつくようイニシャルをつけてくれている。
邪神が使い方を示すために軽く振っただけで、窓の外の大木が切れた。
まさに神アイテムだ。
「ありがとうございます……!!」
「さあ、もう行け」
邪神は踏ん切りのつかない二人のために容赦なく背中を押した。
アウロラとイリアはバランスを崩して玄関から一歩外に出る。
すぐに振り返ったが、そこに家はなく、鬱蒼と生い茂る山の木々が横たわるのみだった。
「邪神さん……消えちゃった」
「認識阻害で見えなくなってしまったのね」
見えないだけではなく、拠点ごと消えてしまったようだ。
あれだけ見慣れた立派な家庭菜園も、きれいさっぱりなくなってしまっている。
アウロラもイリアも聖女ではなく一般人になったので、二度と邪神は見つからないだろう。
迎えにきてくれるという言葉も、気休めのような気もする。
山頂にぽつんと、二人は取り残された。
「アウロラ。私達、これからどうするの?」
このまま聖女は足抜けする。
神殿には戻らない。
それは二人の中での決定事項だ。
アウロラは躊躇いながら見通しを述べる。
「私、決めたの。邪神さんから教わったことを生かして、お店をつくりたいんだ」
「どんなお店?」
悲しみと寂しさを紛らわせるために、アウロラはわざと明るく将来の夢を語る。
イリアも笑顔でアウロラの話に耳を傾ける。
「雑貨屋さんのある小さなカフェ。海の見える丘でね、ガーデニングとかもやりたい」
「いいね! 私も手伝っていい!?」
「勿論! 私達、何だってできるようになったよね」
法力はなくなっても、戦いに明け暮れ傷ついていた聖女を続けるよりはいいかもしれない。
聖女ではなくとも、取り柄はある。
邪神が取り柄を見つけ、教育してくれた。
アウロラはやっとそんな心境になることができた。
邪神が職業選択の自由をくれ、硬直していた思考を解放してくれたのかもしれない。
追っ手から逃れるために地方神殿のある町を避けて、二人は目的地を目指そうと考えた。
「アウロラとイリアだな!?」
背後から男たちの叫び声が聞こえる。
二人の体がびくっとこわばる。
十名程からなる追っ手の騎士団に発見された。
法力を持たない身で、大剣を携える騎士団の何と恐ろしく見えることか。
「聖騎士?」
法術を使える聖女は女性のみで男性はいないのだが、聖女の子は加護によって卓越した身体能力を備えている。
聖女を母に持つ騎士は聖騎士と呼ばれている。
騎士団を率いているのは、ヨハネと呼ばれるルシアナの腹心だった。
イリアが大神殿に召喚されたとき、確かルシアナが命じていた。
「やばっ!?」
邪神とともにいたので気づかなかったが、ヨハネたちは殆ど至近距離まで来て二人を探していたのだ。
ルシアナの性格の苛烈さからして、アウロラを連れ帰らないという選択肢はないのだろう。
「捕まったらどうなる? 破門?」
「破門で済むわけないかも。邪神様と通じたということで拷問は確定ね」
イリアはルシアナの容赦なさを思い出す。
「いやー!」
「アウロラ、聞いて。作戦があるの」
イリアは聖騎士が近づいてくる前にアウロラに耳打ちをする。
アウロラは彼女の言葉に頷きを返すと、二人は口を揃えて聖騎士に告げた。
「投降します。抵抗しません」
「ほう。素直だな。それが身のためだ」
二人は手錠で拘束され、腰縄をつけられ、馬車の内部に拘束された。
御者は一名。馬車内部での見張りが二名。
絶体絶命と思いきや、アウロラとイリアは邪神に教わったことを思い出しながら拘束されていた。
縄で縛られるときは一部をたるませて、引き込んでおくのだ。
手錠で拘束されたときは、ヘアピンをシムとしてこじあける。
アウロラは右から左に流していたが、イリアがメモを取ってまで邪神の蘊蓄を聞いていた。
イリアがまずヘアピンで手錠を解錠し、アウロラの手錠も簡単に破る。
後ろ手にされているので、見張りからは死角が生じる。
イリアは邪神から渡された金貨を対角線上に折ったハンカチで器用に包み、即席の棍棒を作る。
敵の頭を殴打すると、簡単に意識を失った。
イリアは魔物との戦闘こそ苦手だが、対人戦闘は心得ていた。
叫ぼうとした相方にもアウロラが一蹴をくれる。
アウロラは言わずとしれたフィジカルモンスターだった。
アウロラとイリアはロープの両端を短めに持ったままロープを後部へ放り、先端を木枝に引っ掛けて二人同時に飛び降りて馬車から脱出した。
木枝を中心に慣性を利用してロープで振り子のように放物線を描き、森への中と着地する。
痕跡を残さないよう、ロープを回収し腰に巻き着けておく。
森の木々に紛れれば、敵を巻くことができる。
「森の中なら、逃げ切れるはず」
「サバイバル実習で習ったもんね」
次の休憩時間で馬車の荷台がもぬけの殻であることに必ず気付くだろうが、アウロラたちがどこで降りたかわかるまい。
探検家体験をしたときに、サバイバル実習もやらされた。
邪神から教わった逃走のためのライフハックが生きる。
まっすぐではなく、行き当たりばったりに進む。
カムフラージュにその場にある小枝や草を身につける。
邪神からもらったナイフはどんな太い枝も紙のように切れる。
切りたいと思ったものを軽く、簡単に切ってくれた。
周囲の環境から目立たないよう、肌を隠す。
草が踏まれた方向から逃走経路を割り出されるので、別の方向に草を倒して進路を偽装しておく。
その偽装も、複数箇所用意しておく。
どの足跡も途中で途切れるように。
進路に向かうには、草を逆方向に倒しながら歩く。
足跡が残らないよう、岩があれば岩の上を。
一度身を隠してしまえば、発見することは難しい。
騎士団は馬を降りて森に入っても、足跡に騙されて反対方向に行くだろう。
いくつか分散して捜索を始めたら、しめたもの。
勝手に時間を消費してくれよう。
邪神の無駄に長い蘊蓄と、寄り道ばかりの実習がここまで使えるとは。
「邪神さんは私達がどんな目にあっても助けにこない」
「逃げ切らないとね」
今後、主神との間での争いが終わるまでアウロラたちと関係を持つようなことはしない。
死んでも無視すると告げられている。
彼に迷惑をかけないためにも、逃げ切らないといけない。
◆
邪神は二人を送り出すと全世界にある拠点を畳み、宇宙空間に転移をかけた。
変装を解いて、万能神エルとしての荘厳なる姿に戻る。
彼は瞑想し、宇宙の彼方に存在する主神オメガの気配を探る。
アウロラたちの住まう世界を破壊させないために、たった一つ確実な方法がある。
主神を倒し、主神を襲名すればいい。
神は不死身だが、元素レベルまで破壊されれば再生に数百年から数千年単位の時間がかかる。
そうすれば主神は代替わりしたとみなされ、すべての神々が新たな主神に従う。
オメガもそうやって先代を倒した。
主神が何も破壊するなと言えば、どの世界にも終末は起こらない。
「気は乗らないが、やるか……」
骨折り損で済むか分からない。
人間との約束など、反故にしたほうが楽だ。
たった二人の人間のために、管理者としての万能神が持ち場を離れるなどあってはならない。
それでも、彼は日和らなかった。
「あと256年、約束したからな」
彼女たちが懸命にもぎ取った時間だ。
約束は必ず果たす。
世界の保守とクロージングを行う神は、基本的に持ち場から離れない。
過去の慣習から、オメガはエルが移動しないと思い込んでいる。
だからこそ、奇襲が効く。
エルは熛至風起の決断で、オメガに奇襲をかけることを決めた。




