5章 第10話 死蝶は舞う
【死蝶は舞う】
シグトゥーナ村北部
死姫一行を発見したミョルニルは、
1等級という夢のため、無謀にも彼等に挑むつもりだ
勝算が無いわけではない……
だが、厳しい戦いになるのは明白だった
ニールはその両手に握るアーティファクト武器、
"ミョルニル"を肩に担ぎ、隠れもせずに堂々と歩いてく
死姫一行を肉眼で確認できた頃、相手も自分に気づいたようだった
死姫らしき女がこちらを指差し、
隣にいる金髪の男が馬車の中へと声をかけている
「はっ、今頃気づいたのか、巫女も大したことないね」
担いでいたミョルニルを軽く回し、再び肩に担ぐ
今から行くぞという意思表示だ
それは彼等に伝わったようで、馬車が止まり一行が降りて来る
ニールは鐘の音のようにうるさい心臓を一叩きし、
歯をギリっと噛み締め、笑ってみせた
その間、彼女は止まる事なく馬車へと向かっている
両者の距離が200メートルを切ろうという頃、
金髪の男が抜剣し、槍持ちの赤髪の男と並んで向かってくる
死姫は距離を保って魔法攻撃か……定石通りだな
ニールはミョルニルを担いだまま足は止めない
まだ魔法の射程範囲ではないだろう
彼女の右側に広がる林の中を馬で走るロワ姉弟を確認し、
1度頷く事で合図を出し、それと同時に駆け出した
林の中のロワ姉弟に死姫が気づき、
慌てて詠唱を始める……が、それではもう遅い
弟のエイグットは風の魔法使いである
風の魔法とは移動速度強化に優れているのだ
先制攻撃はエイグットだった
彼の放った地を這う竜巻は大地を削りながら直進し、
詠唱が間に合わないと判断した死姫は慌てて回避しようとする
が、彼女の足は草に絡まり動く事はできなかった
これは姉であるリグレットの生の魔法によるものだ
雑草に生の魔法をかけ、急速に成長させ、足に絡ませたのだ
獲った!
ロワ姉弟がそう思った瞬間、死姫の魔力が跳ね上がる
「冗談でしょ、何よこの魔力量!」
リグレットが愚痴をこぼすが、まだ状況が打破された訳ではない
弟のエイグットの風の魔法が死姫を捉えようとしていた
が……彼の地を這う竜巻は見えない壁に阻まれ飛散する
「ッ!はぁ!?」
噂で聞いた事がある
一定以上の魔力を持つ者だけが使える"魔法障壁"というものを
だが、それほど強力なものではないと聞いていたが……
そんなの大嘘じゃないの!
今のエイグットの攻撃は上級2章の魔法よ!
しかも私達はハーヴグーヴァの墨で強化されてる、
それを無効化できるものが弱い訳ないじゃない!!
そんな愚痴を心の中でこぼしながら、次の行動へと移る
「エイグット!」
「うん、やれるよ、姉さん」
二人が同時に馬を操り、一旦距離を取る
まるでダンスのようにピッタリと動きが揃い、
二人は同時に詠唱を始めた
「生命の産声よ!」
「種を運ぶ風よ!」
馬を並列させて走らせ、二人は手を繋いで詠唱を続ける
「嵐迅!」
「嵐迅!」
ゴオオオオという激しい音と共に、
ロワ姉弟の前方に巨大な地を這う竜巻が発生する
大地をえぐり、土や石を飲み込み、茶色い竜巻が死姫へと向かう
竜巻の中では白い雷のようなものが蛇のようにうねっていた
これは蒼天のシャルルの使う"風樹魔法"と同質の物だ
ロワ姉弟は生と風の魔法使いである
二人は属性融合をし、蒼天のシャルルが風樹魔法と呼ぶ、
この融合魔法を作り出していた
竜巻は勢いを増しながら死姫へと向かってゆく
だが、今度は彼女も詠唱をして待ち構えていた
「滅びの理りよ……」
死姫の目から光が消え、信じられない量の魔力が練られてゆく
彼女の前に出現した黒い玉は形を変え、
直径1メートルほどの円形の壁となる
それに身を隠すように小さくなり、彼女は手を前に突き出す
すると、黒い円形の壁は直進し、嵐迅とぶつかった
土砂を巻き込みながら勢いを増していた竜巻は、
黒い壁に触れるだけで消滅してゆく
まるで最初から無かったかのように跡形もなく……
「これが……破壊魔法ッ」
死の魔法の上級9~10章に存在する魔法だが、
死姫の使う"それ"はその比ではない威力がある
おそらく巫女特有の魔法なのだろう
チッと舌打ちをし、弟のエイグットに目で合図を出す
それを一瞬で理解し、エイグットは黙って頷いた
「風雷の繭をやるわよ」
「うん!」
エイグットは馬の腹を蹴り、一気に加速する
死姫から一定の距離を保ち、辺りをぐるぐると回っていた
対してリグレットは自身に魔法を重ね掛けしてゆく……
「始まりの命の泉よ」
生の魔法には1つ禁忌とされている事がある
それは過剰に回復魔法をかけてしまう事だ
過剰回復……その先に待つのは"死"なのである
そのため、複数の生の魔法使いがいる場合でも、
メインとなる生の魔法使い以外は補助に回るのが定例だ
「陽光の輝きを」
リグレットが使えるのは上級8章までの生の魔法、
弟ほどじゃないが、彼女もまた天才の分類なのだ
「癒やしの息吹よ」
次々と彼女は生の魔法を重ね掛けしてゆく
傷一つない彼女の身体は赤みを帯び、
目は血走り、歯茎から血が流れ始める
過剰回復の症状だ
ペッ!と血を吐き捨て、リグレットは続ける
彼女の身体に描かれている紋様の淡い光が次第に強まっていた
「根源たる生の灯火よ!根源たる生の焔よ!」
彼女の両手に青い炎が宿り、
その両手で自身の控えめな胸を力強く叩いた
「がはっ!」
血を大量に吐き出し、目からも血が流れ落ちる
赤く濁った視界でもなお死姫から目は離していない
彼女の操る破壊魔法がこちらに向かってくるのを、
リグレットはしっかりと捉えていた
「根源たる生の灯火よ!根源たる生の焔よ!!」
再び彼女の両手が青い炎で包まれる頃、
死姫の放った破壊魔法の黒い玉が迫る
そして、破壊魔法は彼女…リグレットを捉えた
『えっ?!』
声をあげたのは死姫だった
触れるもの全てに等しく破壊をもたらす黒い玉は、
リグレットに直撃したはずだった……が、
何と彼女はその破壊の玉を両手で掴んだのだ
「け…いさ……ん……通りッ!!」
青い炎に包まれる彼女の両手の皮や爪が消滅しては再生し、
肉がえぐれては再生するという尋常ではない現象が起きていた
普通の生の魔法ではここまでの回復量や速度はない
だが、彼女は過剰回復状態にある
現在進行形で回復魔法を連続で重ね続けているのだ
もはやこの回復速度は生の巫女に迫る勢いだ
本来であれば過剰回復により死が確定するのだが、
ハーヴグーヴァの墨という得体の知れない力により、
彼女はそれに耐えるだけの肉体を手に入れたのである
だが、いくら彼女の魔力や肉体が強化されようと、
内に秘める魔法が底を尽きれば終わりである
それを補うのがユニコーンの角だ
今の彼女の総魔力量は巫女にも匹敵するほどだった
死姫は破壊魔法を操作しようとするが、
リグレットがガッチリと掴んで離さないため、
即座に諦め、魔法を解除して再び詠唱を始める
破壊の玉が消滅した事により、
リグレットの手は即座に回復する
そして、彼女は死姫との距離を一気に詰めた
それを見た死姫は一瞬動揺するが、
リグレットが武器を持っていない事に気づき、
そのまま詠唱を継続しようとする……
リグレットはそれを見て"ニヤリ"とした
彼女は首から下げるユニコーンの角を握り締め、
思い切り引っ張り、紐を引き千切る
それを見た死姫の慌てる顔を見て笑い出す
「あはは!残念でしたー!騙されちゃった?」
リグレットは馬の上に立ち、馬上から飛び掛かった
詠唱が間に合わないと判断した死姫は転がるように避ける
リグレットの一撃はかわされ、着地で足が折れるが瞬時に治る
そのまま勢いに任せてユニコーンの角を振るうが、
死姫の動きは想像以上に早く、当たることはなかった
次第に距離が開き始め、リグレットは口笛で馬を呼び戻す
馬は? エイグットは? と辺りを見渡すと、
その視界はぐにゃりと一瞬歪む
何とか倒れずに済んだが、2歩3歩とふらついた
くっ……過剰回復と魔力の使いすぎかしら
テンションが上がっていて気づかなかったが、
この僅かな間で冷静になり、
肉体が発する悲鳴に気づいてしまったのだろう
再びエイグットと馬を探すと、
私の馬は死姫の仲間の褐色で長身の男? に殺されていた
「一蹴り……ね、やるわね」
あの妙な男は蹴り1撃で馬の首を折ったのだ
あまり相手にしたくない近距離タイプの敵だろう
死姫と長身の男が合流し、
姉御が相手をしている二人の方へと駆け出していた
『エイグット!逃がすなっ!!』
叫んで気づいた事がある
私は何故これに気づかなかったのか……
エイグットの魔力が尋常ではない領域に達している事に……
「エ、エイグット……」
あれは人が耐えられる量なの……?
ううん、今の私達なら…いけるはず!
頭を2回振り、不安をかき消す
そして、尋常ならざる魔力の方へと目を向けた
「ひっ…」
咄嗟に出たのは小さな悲鳴だった
自分の知る弟とは違う何かだったからだ
エイグットの馬は倒れており、その心臓を抜き取る彼がいた
更にバイコーンの心臓を握り潰し、
その鮮血を全身に浴び、そして二つの心臓を喰らっていた
彼の全身に走る紋様は赤く光り輝き、
華奢な弟の肉体は、鍛え上げられた戦士のように変わっていた
弟は何かを呟き、その身体はふわりと僅かに浮き上がる
そして、大地は炸裂し、弟は砲弾のように死姫へと向かった
「は、はやっ?!何あれ」
リグレットは我が目を疑っていた
弟がいくら優れた風の魔法使いとは言え、
あんな速度で移動できるのだろうか
それにあの見た目……大丈夫なのかな……
姉の心配など知らぬ弟は、風の刃を連続で放つ
岩が両断され、木が倒れる……が、
死姫や褐色の男には当たらなかった
またあの魔法障壁か!
リグレットは弟の戦いから目を逸らさず走る
見れば見るほど弟の変わりように変な汗をかくが、
あの死姫と長身の男を圧倒しているからよしとしよう
急いで合流しないと……ッ!
・・・・・
・・・
・
ロワ姉弟が死姫に奇襲を仕掛ける頃、
ニールは高鳴る胸をどうにか抑えながらミョルニルを回していた
暴れたい、暴れたい、早く暴れたい!
ロワ姉弟の攻撃が始まり、死姫が対処を始める
計算通りだ、よくやった!とニヤリと笑い、
眼前に立ち塞がる二人の男に目を向けた
金髪の方は片腕にプレートを着込み、
片手長剣以外の武装は見当たらない
見た所あの腕で防いで戦うスピードタイプだ
と、いう事は奴が"疾雷"だろうな
赤髪の方は軽装に槍というオーソドックスなスタイルだ
だが、あの顔は見た事がある
騎士団の特攻隊の1人だったか
まずは赤いのを……だな
目標を決めたニールはミョルニルをくるりと回し、
大地にズドンと突き立てる
両者の距離は残り40メートル
ニールは奴らが来るのを待つと行動で示していた
これは彼女達の作戦なのである
出来る限り死姫から引き離すためだ
両方を同時に相手にすれば勝機は無いと分かっている
無謀な賭けに出てる彼女達だが、
ミョルニルというチームはそこまでバカじゃない
勝てる確率を上げる努力は怠らないのだ
『かかってきなッ!』
ニールが大声を出し、ミョルニルを肩で担ぐ
彼女の眼は二人の男の動きを見逃さんと言わんばかりに動き、
細かな仕草すら眼で追っていた
そして、赤髪の男が槍を突き出すように構える
ニヤリ
ニールは思わず笑みが出てしまう
予定通り、予定通りすぎて笑えてくる
さぁ、来い! いいぞ、来い!
大槌を掴む手に汗が滲み、ホットパンツの臀部側で拭き取る
代わりに手に唾を吐きかけ、平に伸ばすように塗り、
大槌を両手でしっかりと握り締め、力を込めた
槍使いの初撃が迫るが、それを大槌の棒部分で力強く弾き、
軌道を大きく下へとずらし、槍は地面へと刺さった
それと同時にニールは回し蹴りを槍使いに入れており、
赤髪の男は槍と一緒に吹き飛んでゆくが、
受け身をとったようで、すぐに立ち上がっていた
チッ……浅かったか
そして、ついに目の前に"疾雷"が迫る
ニールは大槌をゆっくり回転させ始め、
疾雷の動きに集中し、タイミングを図っていた
残り5メートルという所で、疾雷が仕掛けた
5メートルとは本来は片手長剣の間合いではない
槍でもその距離はまだ間合いとは言えないだろう
だが、奴は疾雷……噂通りのバカみたいな間合いだ
初動から信じられない速度で動き出した
異様な上体の反り具合を見てニールは理解する
これが"疾雷の突き"ってやつだ……と
ニールは大槌の回転を早め、タイミングを合わせる
が……疾雷の突きは予想を遥かに超える速度だった
突きはニールの左胸の革当てをかすめ、
左の二の腕を貫通する
「ぐっ!」
は、早ぇ! 見て反応なんて出来やしねぇ!
即座に後ろに飛び退くが、疾雷の二撃目が迫っていた
「チィッ!」
大槌の棒部分で軌道をずらし、再び左腕に疾雷の剣が刺さる
そのまま両者の額がぶつかり睨み合った
「よぉ、疾雷さん」
「何故襲う」
「へへっ、こっちにも事情があんだよ」
左腕の怪我のせいで冷や汗が流れる
だが、今は痛みは感じていなかった
それほどニールは興奮しているのだ
「その腕ではもう勝機はない、武器を置け」
「は? このウチに降参しろって? ふざけんなよ、テメェ」
ニールは奥歯に仕込んでおいた薬を噛み砕く
刹那、彼女の左の拳が疾雷のみぞおち辺りにめり込んだ
「かっ……げほげほっ」
疾雷は少量の血を吐き出し、苦しいようで顔をしかめている
もう一撃、左の拳を叩き込もうとするが、
それは奴の銀の腕に防がれ、両者は距離を取った
「はっはっは! 驚いたか? なぁ!」
先程ニールが噛み砕いた薬は強化魔法薬の一種で、
たった3秒しか効果の無い物だが、
即効性があり、左腕を無理矢理動かせたのだ
だが、もう効果は切れ、左腕はまともに動かなくなっている
仕方ねぇ"アレ"を使うか
ニールは大槌を大地に突き立てて叫ぶ
『はばたけッ!!』
その瞬間、彼女の背から巨大な黒い羽が生えた
黒い羽には鮮やかな紫の筋が走っており、
その様はまるで美しい蝶のようだった
「アーティファクトか」
疾雷が槍使いと目を合わせ、頷き合う
作戦会議か? いいぞ、好きにやんな
ウチは待たないがな!!
黒い羽が羽ばたき、それと同時にニールが走り出す
狙いは赤髪の槍使いだ
右腕一本で振るう大槌は常人では考えられない速度だった
槍使いは何とか回避するが、
大槌が上段から大地を叩きつけられ、
飛び散る大量の土砂が槍使いを襲う
「ぐあっ!」
大槌が叩きつけられた地面は直径1メートルほどが凹み、
遅れて蝶の羽のような形で地面がえぐれる
再び大槌を持ち上げようとした時、
横から鋭い突きが迫る……疾雷だ
だが、ニールはそれを避けようとはしなかった
完全にとらえたと思えたその一撃は、黒い羽に阻まれる
羽は彼女を包むように形を変え、突きの軌道は逸らされていた
「へぇ、アンタのもアーティファクトか」
距離を取った疾雷に向けて彼女は言う
この黒い羽に触れた物はミスリルだろうと無事では済まない
そう、この黒い羽はリリムの使う破壊魔法に近いものなのだ
だが、アーティファクト武器とは基本的に破壊不可能な物である
遥か昔に製造方法は失われた謎の多い金属が多い
その中にはこの死の羽を受けても壊れない物があるのだ
『アシュ! あの羽に気をつけろ! 武器をやられるぞ!』
へぇ、よくあの一撃で気づいたな
やはりコイツは侮ってはいけない、ヤバい奴だ
「んなのどうしろってんだよッ!」
槍使いが文句を言っている
どうやら奴の武器はアーティファクトじゃないらしい
チラッとロワ姉弟の方を見る
どうやら死姫を圧してるようだ
なら、こっちも負けてらんねぇよ…なぁ!
『舞え!死蝶ッ!!』
大槌に描かれる蝶のような紋様が紫に輝き、
ニールは一直線に槍使いへと駆ける
「ちょ、俺狙いかよッ!」
槍使いが逃げ惑うが、はばたく度に距離は縮まって行き、
ニールが大槌を振りかぶる
『ちっくしょぉぉっ!!』
槍使いは叫び、一瞬動きを止めた
そこへ強烈な一撃を振り下ろす……が、その一撃は空振っていた
「な、なに?!」
奴は槍をしならせ、上へと飛んだのだ
その予想外の動きに驚いていると、
再び疾雷の突きがニールの背後に迫っていた
羽を動かし、それをガードするが、
今度の突きはそうはいかなかった……貫通されたのだ
「なッ!」
羽を貫通した突きは動かない左腕に刺さり、
熱く激しい痛みが襲ってくる
『ぐああっ!』
大きく羽を動かし、ニールの身体は僅かに浮き、
10メートル近く一気に距離をとった
痛みで意識が一瞬飛びそうになる
血も失い過ぎている……
ちっ……このままじゃダメだ、殺られる
一旦大槌を地面に置き、右手で胸当てを力一杯叩いた
何かが左胸に刺さる感触がし、ズキッと痛む
もちろんニールはそれが何だか知っている
"竜の逆鱗"だ
「アンタ強ぇよ、認めてやる」
ドクンッ
視界が一瞬グラっと揺れ、片膝をつく
ドクンッ
瞬きをする前と後で、彼女の世界は変わった
ドクンッ
数百メートル先にいるリグレットのまつ毛の一本まで見える
ドクンッ
音が、匂いが、光が、全てが新鮮だった
ドクンッ
「おおおおおおオおオォぉォォ」
ドクンドクンドクンドクンッ
「コいツは……すゲぇ」
ニールは笑っていた、溢れ出る力に笑っていた
気がつけば左腕は自由に動かせるようになっており、
五感は異常なまでに研ぎ澄まされている
疾雷と槍使いの鼓動まで聴こえてきやがる
そして、大槌……ミョルニルを手にした瞬間、
彼女は自身の力を改めて思い知る
軽い……軽い……!!
片手でぶんぶんと振り回せる
以前の両腕よりも遥かに早く、である
これが"竜の逆鱗"の力か……
「なんだ、その眼は……」
疾雷が言う問いの意味が分からない
眼? 何の話だ?
「……自分では気づいてないのか」
「何言ってンだ、時間稼ギか?」
何かおかしいな、舌が上手く回らねぇ
左腕の傷口も変な鱗みたいのが生えてやがる
まぁいい、今はそんなのは些細な事だ
今は暴れたい、潰したい、壊したい
「アシュ、下がってろ」
「あぁ……気ぃつけろよ」
ウチの中で暴れる蛇がいるみたいな気分だ
気を抜くとすぐに爆発しちまうような、
力が溢れすぎておかしくなりそうだ
早く吐き出さないと、この力を
じゃないとウチがおかしくなっちまう
羽を動かして、一気に攻めるか
そう思い、自身の背から生える羽を見ると、
そこには以前のような蝶の羽ではなく、
巨大な蝙蝠のような翼が生えていた
「な、なんダ、こりャ」
試しに動くかやってみると、
以前よりも自然にはばたかせる事ができ、
その力強さは蝶の羽の比較にならず、
完全に浮遊する事すらできた
「おいオい、こイつはすげェな」
翼を動かし、彼女は空高く舞い上がる
『ははハ!!』
上空から見下ろす
視界にエイグットの豹変した姿が入り、
一瞬眉間にシワを寄せるが、今はそんな事はどうでもいい
暴れたい、潰したい、壊したい……殺したい
渦巻く業火のような感情の波が押し寄せ、
一瞬でも油断すると破壊衝動に持っていかれそうになる
壊せ、殺せ、殺せ、殺せ………いいぞ、付き合ってやる
ニールは大槌を両手で握り締めて滑空した
目標は三度も左腕を貫いた男……疾雷だ
上空からの一撃を疾雷は転がるように避けるが、
大槌が叩きつけられた地面は炸裂し、
大地は砕け、1メートル以上陥没する
その衝撃に巻き込まれた疾雷はゴロゴロと転がってゆき、
剣を杖にしてヨロヨロと起き上がっていた
「ははハは! なんダこりャ!! すっゲぇな!!」
いける! いけるぞ!!
この状態はとんでもなく魔力を食うけど、
なんだこの異様な魔力は、いくら使っても底が見えやしねぇ
ニールは空を飛びながら連撃を食らわすが、
疾雷は既の所で全て回避してく
何度かそのような攻防が続いた時、
疾雷はバランスを崩し、後ろに倒れ込んだ
チャンスッ!!
『死ネぇぇぇェぇぇッ!!』
渾身の魔力を込めた一撃を振り下ろす
疾雷はそれを剣を盾にし、銀の腕で受けた
バコッ! と激しい音を立て地面が陥没し、
疾雷は潰れるかに見えたが、信じられない事に奴は耐えていた
いや、耐えただけではない
奴は攻撃が当たる直前に剣と腕の角度を変え、
ミョルニルの一撃を受け流したのだ
大槌は大地に突き刺さり、その衝撃で大地は割れる
疾雷は受け流し切れなかったようで吹き飛ばされ、
何回転もしてから止まり、少量の血を吐き出していた
丁度その頃、死姫と褐色の長身の男? が合流し、
長身の男が即座に疾雷に回復魔法を始めていた
「チッ、奴が生ノ魔法使イか」
死姫を追うようにエイグットらしき男が飛んでくる
「あっちもすげェ事にナってんナ」
ニールは笑っていた……この異常を楽しんでいた
だが、それも長くは続かなかった
「なンだ……こノ嫌ナ感じハ……」
辺りを見渡すが特に何も無い
死姫や疾雷も特に変わったところはない
なら、この胸騒ぎはなんだ
言いようのない不快感が彼女を襲い、
落ち着きないように辺りをキョロキョロと見渡していた
そして、彼女の視線はある一点に向けられた
それは、遥か遠くの雲の上……
人間の眼では見る事は叶わぬ距離、
ニールの眼にはそれが映っていた
「なンだ……ありャ……」
身体が警告してくる、早く逃げろ……と
何かに怯える子供のようにガタガタと震え出し、
おぞましい感覚がとめどなく流れ込んでくる
何かマズそうだな……チッ、これからだってのに
『エイグット! リグレット! こっチ来い!』
彼女の咆哮にも似た怒鳴り声が響き、
暴れていたエイグットはピタリと止まり、
二人はニールの元へと走った
疾雷たちは様子見をしており、追撃してくる事はなかった
おそらく回復の時間を稼ぎたいのだろう
正直、その時間を与えてやるのは得策ではないが、
"アレ"はそれどころじゃない
「オい、エイグット、お前大丈夫カ?」
「だ、ダい、丈夫」
筋肉が膨張し、片目が白くなっている彼は、
とても大丈夫そうには見えなかった
「エイグット……」
心配そうに声をかけるリグレットの状態もかなりのものだ
目や口から血が流れ、両手は酷い出血跡がある
これが巫女一行と殺り合う代償か……
「チッ」
舌打ちをし、二人に状況を説明する
ロワ姉弟はそれを聞いて目を丸くし、空を見上げていた
「姉御、ホントなの?」
「あァ、間違イねェ」
「どうするの? 死姫は諦めるの? ラシュフォードは?」
顎に手を当てて考え込むと、
喋りにくそうなエイグットが口を開いた
「いのチ、あ、あっての、物種でスよ」
「……だな
もし"アレ"がここに来たら逃げるぞ」
「了解」
「りょ、りょうカイ」
三人は拳を合わせ、一度大きく頷く
再び遠くの空を見上げ、ニールは額の汗を拭っていた……




