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第1話「銀貨三枚の契約」

第1話「銀貨三枚の契約」


 月宮宗一郎が最後に見た数字は、証券会社のモニターに映る自分のポートフォリオの含み益だった。


 二十八歳。個人投資家として独立してから六年。中小型株とベンチャー企業への出資で、周囲から「相場の目利き」と呼ばれるまでになっていた。トラックに轢かれる直前、宗一郎の頭にあったのは家族でも恋人でもなく、「明日決算発表がある半導体スタートアップの株価」だった。


 我ながら報われない人生だったなと思う。


 ――だが、目を覚ました先は、病室ではなかった。


「……は?」


 宗一郎は木の梁が剥き出しの天井を見上げていた。藁を敷いた粗末なベッド。窓の外からは、聞いたこともない鳥の鳴き声。そして何より、部屋の隅に立てかけられた、明らかに実用品の「剣」。


 状況を理解するのに、宗一郎はさほど時間をかけなかった。数字を読むのが仕事だった男だ。目の前の情報から最も合理的な仮説を組み立てるのは得意分野だった。


「異世界転生ってやつか。ベタだな」


 不思議なことに、隣家の老婆――どうやら行き倒れていた宗一郎を数日間世話してくれたらしい――が話す聞き慣れない言葉は、なぜか自然と頭に入ってきた。理由はわからない。だが今はそれより優先すべきことがある。老婆の話を聞く限り、ここは中央大陸の辺境、レイフォード辺境伯領の外れにある小さな街――セーントルというらしい。


 貴族でもない。勇者でもない。魔法の才能があるわけでもない。


 老婆は別れ際に「これで当面をしのぎな」と銀貨三枚を握らせてくれた。この世界の金の価値がまるでわからず戸惑っていると、老婆は「銀貨一枚で銅貨十枚分、屋台の串焼きなら銅貨二枚もあれば十分だよ」と、拙い身振りを交えて教えてくれた。それでもなお、銀貨三枚が心細い額であることに変わりはなさそうだった。


 だが宗一郎は、絶望よりも先に、ある種の違和感を覚えていた。


 老婆の顔を見た瞬間、頭の中に、うっすらと文字のようなものが浮かんだ気がしたのだ。


 ――《穏やかな性根》

 ――《蓄えなし》

 ――《……》


 最後の一つは、像を結ぶ前に霧散した。瞬きをすると、すべてが消えた。空腹による幻覚だろうか。宗一郎はひとまずその違和感を頭の隅に追いやり、身なりを整えて外に出た。


***


 街を歩き出してすぐ、宗一郎はまた同じ感覚に襲われた。


 露店に並ぶ果物を見た瞬間、値札のように何かがちらつく。露店の主を見た瞬間も同じだった。焦点を合わせようとすると、その感覚はすぐに霧散してしまう。まるで、視界の端に何かが「見えかけている」のに、正面から見ようとすると逃げていくような感覚だった。


(これは……勘、というやつか? いや、それにしては規則的すぎる)


 前世で「目利き」と呼ばれた男の勘は、伊達ではなかった。宗一郎はすぐに気づいた。これは単なる直感ではない。何か特定のものを見たときにだけ、断片的な「印象」が像を結ぶ。今のところは、それが正しいのかどうかを確かめる術すらない。


(――使えるかもしれない。だが、これだけを頼りに動くのは危険だ)


 前世で痛いほど学んだことがある。直感だけで張った勝負は、たいてい高くつく。この「何か」がどこまで信用できるのか、自分の目と足で裏を取る必要がある。


 三日間、宗一郎は銀貨を切り崩しながら、街を歩き回った。商店を回り、商人たちの取引を観察し、ギルドの掲示板で依頼と報酬の相場を調べ、酒場で耳に入る愚痴を拾い集めた。


 そうして見えてきたのは、この街の――いや、おそらくこの世界の、金にまつわる構造そのものの歪みだった。


「――この世界には、まともな金融システムが存在しない」


 金の貸し借り自体はある。だが銀行はない。貸付は個人間の口約束か、高利貸しの胡散臭い証文のみ。株式も債券もない。商人は自分の商売の儲けを、自分の懐にしまうか、酒に消えるかの二択。「他人の事業に資本を預け、生まれた利益を分け合う」という発想そのものが、体系立って存在しなかった。


 貴族は目先の贅沢に金を溶かし、国王は戦争のたびに商人から法外な利率で借金をする。資本を再投資してさらに資産を増やす――そんな考え方も、未来の価値を今のうちに買うという発想も、この世界ではまだ体系化されていなかった。


 ――つまり。


「宝の山じゃないか」


 ただし、前世の株式や債券をそのまま持ち込めばいいという単純な話ではない、ということにも宗一郎はすぐ気づいていた。魔石の採掘権、冒険者という人材、商会の信用、貴族の土地、埋もれた魔法技術――この世界には、この世界なりの「資産」が転がっている。まだ誰もそれを資産だと気づいていないだけだ。


 そして、あの視界の端にちらつく「印象」――あれが本物なら、資産の見極めにおいて、自分は前世よりもさらに強い武器を手にしていることになる。


 もっとも、まだ確証はない。仮説は、検証しなければ意味がない。


***


 宗一郎が最初に検証の場として選んだのは、街の外れにある小さな鍛冶工房だった。


 通りすがりにその前を通ったとき、工房の奥で黙々と作業をしている初老の男の姿に、また例の「印象」がちらついた。


 ――《技術:高》

 ――《資金:不足》

 ――《将来価値:――》


 最後の項目だけは、何も像を結ばなかった。だが今度ははっきりとわかる。これは断片的な直感ではない。何かを「測って」いる。老婆を見たときに浮かんだ《穏やかな性根》《蓄えなし》も、思えば似た構造をしていた。ただ、その基準が何なのかは、まだ見当もつかない。


 半信半疑のまま、宗一郎は工房に足を踏み入れた。


「精が出るな」


 声をかけると、工房主――ガレンと名乗ったその男は、疲れた目でこちらを一瞥した。作業台には、見慣れない形をした金属の器具が置かれていた。柄の部分に、淡く光る小さな石がはめ込まれている。


「あんた、それは?」


「魔石を動力にした農具だ。……といっても、興味本位なら帰ってくれ。今は機嫌が良くない」


 完成すれば今の倍の速さで畑を耕せる、とガレンは投げやりに説明した。だが材料の魔石を買う金がなく、試作を重ねる余裕もない。既に二度試作に失敗し、街の商人たちからは「夢見がちな変わり者」という目で見られているという。


 宗一郎は、視界の端の「印象」と、この三日間で自分の目と耳で確かめてきた街の空気――両方を重ね合わせた。


(技術力は本物。問題は資金と、おそらく仕入れルートだ。……賭けてみる価値はある)


「なら、俺が出す」


 ガレンは鼻で笑った。


「兄ちゃん、見たところ路銀にも困ってそうな身なりだが」


「銀貨三枚しかない。だが、それで足りるところまで手伝わせてくれ。その代わり――」


 宗一郎は、前世で数えきれないほど交わしてきた契約の型を、この世界の言葉に置き換えながら口にした。


「完成した農具が売れたら――まず俺が出した銀貨三枚を、そのまま俺に返してくれ。その後に残る『純利益』の三割を、俺にくれ。俺はあんたに『金』を出す。あんたは俺に『未来の分け前』を渡す。それだけの話だ」


 ガレンは怪訝な顔をした。


「働きもしないで儲けの分け前だと? 物乞いと変わらんだろう」


「違う。物乞いは何も差し出さない。俺はあんたが今一番欲しいもの――『時間を買う金』を差し出す。あんたはそれがなければ、いつまでもこの試作品を完成させられない。もちろん、失敗すれば俺の銀貨三枚は消える。だが、それでも賭ける価値がある」


 前世で言うところの、ベンチャー企業への出資――宗一郎はそれを、この世界の言葉でこう名付けることにした。


「投資家、なんて言葉はまだこの世界にはないか。なら――『才の目利き』とでも呼ぶか。まだ誰も気づいてない才能に、先に金を賭ける。それが俺のやることだ」


 ガレンはしばらく黙り込んでいた。作業台の上の試作品と、目の前の得体の知れない若者を、何度も見比べていた。


「……銀貨三枚で、この馬鹿げた試作品に賭けてくれる物好きは、あんたが初めてだよ」


 しわだらけの手が差し出される。宗一郎はそれを握り返した。


 口約束でも高利貸しの証文でもない。

 「未来の利益を分け合う」ための契約。


 宗一郎の異世界での、最初の投資だった。


 握手を交わした瞬間、視界の端に、また何かがちらついた気がした。


 ――《将来価値:――》の項目に、初めて何かが浮かびかけた。だが、それが像を結ぶ前に消えてしまい、宗一郎には読み取れなかった。


 それが何を意味するのか、宗一郎自身にもまだわからない。だが、悪い予感ではなかった。

※本作品はAI(人工知能)を活用して執筆・作成された作品です。

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