第38話
車列はやがて高速道路を降り、山間部へ入っていった。
街灯が減っていく。
代わりに、深い闇と木々の影が窓の外を流れ始める。
深夜二時過ぎ。
普通なら人気などない時間帯だった。
だがメリーは、窓の外を見ながら静かに眉を上げた。
「……結界」
ぽつりと呟く。
御門が視線を向ける。
「分かりますか」
「かなり大規模ですわね」
空気が違う。
山そのものへ幾重にも術式が編み込まれている。
認識阻害。
侵入遮断。
霊脈制御。
空間歪曲。
しかも単一術式ではない。
数百年単位で継ぎ足され続けた、“積層型”。
現代魔導理論ではまず作られない構造だった。
「……興味深いですわ」
メリーの声色が少しだけ低くなる。
研究者の顔だった。
「効率性は低い。ですが長期維持性能が異常ですわね。術者依存率を下げ、土地そのものへ循環を馴染ませている……なるほど、霊脈文化圏らしい発想ですわ」
御門は軽く息を呑んだ。
ここまで正確に看破されたのは初めてだった。
祓魔師達の結界技術は、本来外部解析されることを想定していない。そもそも現代探索者は魔素を“出力”として扱う者が多く、環境融合型術式への理解が浅い。
だが。
この女は違う。
構造そのものを見ている。
しかも恐らく、既に半分ほど理論を逆算している。
(危険すぎる……)
御門は改めて思う。
知性が。
理解力が。
あまりにも規格外だった。
一方。
メリー本人はかなり楽しくなっていた。
(面白いですわねぇ……)
久々だった。
未知の体系に触れている感覚。
異世界では魔導文明の発展が極端すぎたせいで、最終的には効率化一辺倒になっていた。高火力、高速演算、大規模制圧。戦争継続のため、術式はどこまでも合理化される。
だが日本の祓魔術体系は違う。
遅い。
非効率。
だが、優しい。
土地と共存し、人を守るための術式だった。
それが妙に胸へ引っ掛かった。
「……会長」
瀬波が小声で言う。
「なんか今、すごい優しい顔してますけど」
「そうかしら?」
「研究者モードの時、だいたい怖いんで逆に分かるんですよ」
「失礼ですわね」
メリーは紅茶を一口飲む。
「わたくし、今ちょっと感動していますの」
「感動?」
「“守るための技術”が、ちゃんと現代まで残っていたので」
その声音は静かだった。
橘が少しだけ目を細める。
この人は。
本当に“失われたもの”へ弱い。
だから学術院を作った。
だから教育へ拘る。
だから、人類を育てようとしている。
強すぎる力を持ちながら。
その本質だけは、どこまでも“次世代へ残したい人”なのだ。
車はさらに山奥へ進む。
やがて。
不意に空気が変わった。
重力感覚がズレる。
景色が歪む。
普通の人間なら気付かない程度の揺らぎ。
だがメリーは即座に反応した。
「空間位相転換」
「……ええ」
御門が短く答える。
「本部は通常空間から半分ズラしています」
「大胆ですわね」
「昔はもっと深く沈めていました」
「今は?」
「魔素濃度上昇で維持が難しくなりました」
メリーは納得したように頷く。
世界の魔素環境が変わり始めている。
それはつまり、古い術式基盤にも影響が出始めているということだ。
そして恐らく。
それこそが、祓魔師達が表へ出始めた理由。
隠れ続けられなくなった。
世界そのものが変質し始めているから。
次の瞬間。
景色が切り替わった。
瀬波が思わず息を呑む。
「……は?」
山奥だったはずだ。
だが目の前に広がっていたのは。
巨大な和風建築群だった。
神社。
寺院。
古い回廊。
石畳。
灯籠。
だが単なる歴史建築ではない。
空気そのものが違う。
霊脈。
結界。
術式。
土地全体が巨大な魔導基盤として機能している。
そしてその中心。
山そのものへ食い込むように建てられた、本殿に似た巨大建築。
古く。
静かで。
なのに圧倒的だった。
「……これはまた」
メリーが小さく笑う。
「随分と“神秘側”ですわね」
御門は車を降りながら言う。
「祓魔師総本山、《境界楼》です」
夜風が吹く。
灯籠の火が揺れる。
その瞬間。
本部内にいた術者達の気配が、一斉にこちらを向いた。
ざわめき。
警戒。
困惑。
そして。
恐怖。
メリーは理解する。
視えているのだ。
自分の“中身”を。
「……歓迎されてませんわね」
「当然です」
御門は疲れたように言った。
「貴女みたいなのを連れて来たの、たぶん百年単位で初めてです」
「光栄ですわ」
「褒めてません」
その時だった。
本殿側から。
ゆっくりと、一人の老人が現れる。
白い和装。
長い白髪。
杖を突いた細身の老人。
だが。
出てきた瞬間、空気そのものが静まり返った。
祓魔師達が一斉に頭を下げる。
「……総代」
御門が呟く。
老人はゆっくりとメリーを見る。
その瞬間。
老人の目が、わずかに見開かれた。
驚愕。
そして。
理解。
「……なるほど」
老人は静かに呟く。
「“門を越えた者”か」
その言葉に。
メリーの赤い瞳が、静かに細まった。




