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没落聖女に、もはや恋は似合わない  作者: 風谷 華
第一章

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4 再会

 今日もカイルは、帝國カフェーでエルザが来るのを待っていた。

 もしかしたら、彼女はもうこのカフェーには通っていないかもしれない。

 そう思う日もあった。


 カイルは長身で、帝国風のスーツを纏っている。しかし仕立てのよい服の下に、その体つきは砂漠で鍛えられた人間のものだった。


 砂漠の夜を思わせる黒髪は短く整えられ、琥珀色の瞳は帝国の商人が「あの目に見られると、嘘がつけない」と言うほど静かで鋭い。


 日に焼けた褐色の肌は、どれほど上等なスーツを着ていても、帝国貴族には出せない独特の雰囲気を纏わせていた。


 砂漠の民らしい、隙のない身のこなし。


 しかし今この瞬間——その体が、かすかに、止まった。


 カランコロン、と真鍮の鈴が鳴って、

 エルザが、入ってきたのだ。



 エルザは二十年前から面影は変わっていた。でもすぐにわかった。淡い綺麗なプラチナブロンドの髪。白磁のような肌。薄いグレーの瞳。細い指先は昔と違って荒れていた。


 カイルの心臓が、一拍、余計に鳴った。


(二十年待ったのに、まだこんなに緊張するのか自分は)


 内心そう思いながら、表面上は穏やかに微笑んだ。長年の商売で鍛えた顔だ。


「ヴァイスベルク嬢」と彼は言った。「お久しぶりです」


「……カイル、さん」


「エルザさん、覚えていてくださったんですね?」


「覚えていますとも」エルザは少し硬い声で言った。


「よろしければ、こちらの席にどうぞ」カイルは丁寧にゆっくりと言った。


 エルザは座った。向かいの椅子に。


 ウェイターが「黄金霞」を運んできた。カイルはエルザのカップを満たして、自分のカップも満たした。


「どうぞ」と言った。「今度は飲みかけではありません」


 エルザの顔が、かすかに変わった。


 カイルは急いで付け加えた。


「あ、怒らせようとして言ったわけではないんです。ただ——その、覚えていたので。あのお茶のことを」


 エルザはしばらく沈黙した。


「……カイルさんは、どうして?」


「覚えていないと思いましたか?」カイルは正直に言った。「あなたのことは一生、忘れません」


 エルザがまた黙った。


 そこへカイルは、思い切って言った。


「エルザさんにまた会えて、嬉しいです」


 エルザが目を上げた。


「嬉しい、ですか?」


「ずっと、会いたかったんです。夢が叶いました。ドゥラン商会を大きくしてきた甲斐があった」


「もしかして、あなたがこのカフェーを買収した、あのドゥラン商会の代表ですか?」


「ええ」



 長い沈黙があった。エルザは「黄金霞」を一口飲んだ。


 その目が、少しだけ、お茶の甘さで柔らかくなった気がした。



 しかし——エルザの胸の中は、柔らかさとはほど遠いところにあった。


 向かいに座る男を、エルザは静かに、しかし鋭く見ていた。


 十二歳のとき出会った、あの石段に座っていた少年。ぼろぼろの作業着で、砂埃をかぶったまま、扉の向こうの香りを嗅いでいた少年。あのとき自分は、飲みかけのカップを差し出した。施しだと思って。慈悲だと思って。


 その少年が今、新興連合最大の財閥を率いている。


 帝國カフェーを、「買収した」。


 エルザが生まれたときから通っていた場所を、あの石段の少年が手に入れた。


(嫌だ。この人を妬んでしまう醜い自分に向き合いたくない。逃げたい。)


 そう思ってしまった。認めたくなかったが、思ってしまった。


 しかしその感情は、すぐに別の何かに塗り替えられた。嫉妬より、もっと重くて、もっと静かな感情に。


(この人は、自分の力でここまで来た)


 帝国の地脈も、名門の家柄も、魔力も、何も持たずに。砂漠の村から出てきて、石畳の上を歩いて、字を覚えて、算術を覚えて、一から積み上げてきた。


 一方で自分は何だったのか。


 エルザは生まれながらに魔力を持っていた。名門の家に生まれた。帝国最高峰の教育を受けた。「帝国の宝」と呼ばれながら、その「宝」が生まれ持ったものであることを、一度でも立ち止まって考えたことがあったか。


 なかった。


 ただ与えられたものを、自分の功績のように纏っていた。


 そして今、その全部がなくなって——三十二歳の自分に残っているものは何か。

 元聖女という肩書きが邪魔して、何か仕事を見つけようとすらしていない。


 この向かいに座る男が、何もないところから積み上げてきたものの、どれほどに相当するというのか。


(私は、恵まれていた)


 それだけだ。ただ、恵まれた土地に、恵まれた家に生まれただけだ。努力したわけでも、這い上がったわけでもない。


 あの石段の少年に飲みかけのお茶を差し出したとき——自分はその差を「優しさ」と呼んでいた。しかし本当は、その差が「当然のものだ」と信じていただけだった。


「……カイルさん」


 エルザは、自分でも気づかないうちに口を開いていた。


「はい」


「あなたは今、ここのオーナーなんですね」


「ええ」


「石段のところで出会ってから、きっと、すごく努力されたんでしょうね」


 カイルは少しの間、黙った。それから、静かに言った。


「あなたは覚えていてくれたんですね。石段でのことを」


「……覚えています」エルザは答えた。声が、思ったより低くなった。「あなたのことが、ずっと、頭の片隅に残っていたので」


「なぜですか」


「わかりません」エルザは正直に言った。「ただ——あのとき、私はひどく傲慢だったと、今になって思うから、かもしれません」


 カイルは何も言わなかった。


 エルザは続けた。


「あなたの前にいると——恥ずかしくなります。自分がどれほど中身のない、空っぽな場所に立っていたかを突きつけられるようで」


 テーブルの上の「黄金霞」が、湯気を静かに立てていた。


 かつては何も考えずに飲んでいた茶葉が、もう手の出ない高価なものになっている。


 しかしそれより、向かいに座るこの人が、一から積み上げてきた二十年の重さが、今のエルザには、眩しくて、直視しがたいほどだった。


(この人の前で、私はまだ、あの石段の上にいる)


 施す側として。上に立つ側として。


 しかしもう、施すものは何もなかった。


 残っているのは、かつての傲慢さへの後悔と、それでもここに座り続けている自分だけだった。


「エルザさん」


 カイルが、静かに言った。


「あなたを傲慢だったとは、思っていません」


「……でも」


「あのとき、あなたは立ち止まってくれた」カイルは続けた。「帝都に来て半年、誰かが私のために立ち止まったのは、あれが初めてでした。飲みかけでも何でも——あの一杯が、私には本当に、温かかったです」


 エルザは目を伏せた。


 その言葉が、優しすぎて、余計に胸に刺さった。


 あの施しを、この人は二十年間、温かかったと覚えていてくれた。


 飲みかけのお茶を渡した、失礼な私に感謝してくれている。


(私、このまま落ちぶれたくない)


 でも何をすればいいのか、エルザにはまだわからなかった。


(魔力のないエルザは、ただのエルザでしかない。私では、カイルさんのようにはできない。)


 ただ、向かいのカップに満たされた「黄金霞」の香りが——あの夕暮れの石段の香りと同じで——それだけが、今夜のエルザの胸に、静かに染みていった。

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