人魚姫、日並と銭樺と仲良くお昼をとる
1
月日を戻して。
八月の三週目の頭。
時間帯は昼過ぎくらい。
場所は、大村市。『格さんうどん』大村市支店。
店舗駐車場には、シルバーのシトロエンと青紫色のランボルギーニミウラと葡萄色のBMWが仲良く並列して停めてあった。長崎市と違って大村市は広いために、店舗駐車場も土地を確保できればかなり広々としたスペースを持つことができる。よって、この全国展開している格さんうどん大村市支店も例に漏れず、うどん屋をL字で囲う形で駐車場があった。店舗はもちろん歩道沿いに面して出入口と大きめなガラス窓をデザインした壁があり、あとの残りは通常サイズのガラス窓のある壁がL字の駐車場に面していた。そして、駐車場に面した窓際の席には、蛇轟秘密教団の実質的支配者の鯉川鮒をはじめに、院里学会の上位学会員の片倉日並、陰洲鱒町町議会議員議長の鯛原銭樺の三人が仲良くテーブルを囲って昼食をとっていた。しかも、鯉川鮒から日並と銭樺の女三人が三人ともにミドルのポニーテールにして“うなじ”を惜しげもなく見せていた。
この女三人が集まったのは、緊急でだった。
窓を背にして座る、日並は、青紫色のスマホの画面を見たあと静かにテーブルに置いた。彼女の隣では、銭樺がゴボウ天うどんをすすっていき、向かい合わせの席には、鯉川鮒が大盛の素うどんをすすっていた。鯉川鮒の席からちょうど駐車場を見れて、愛車の様子も確認できた。天かすを大盛三匙追加して、刻み一味唐辛子を二振り加えて、鯉川鮒は素うどんをすすっていく。気持ちいいくらいに啜る音を鳴らして、うどん麺を口に入れて咀嚼していく鯉川鮒。銭樺も、ゴボウ天を口に放り込んで衣を噛み砕く音を立てながら、天かすを二匙追加して、七味唐辛子を一振したあと両手で器を抱えると、鰹だしの“おつゆ”をひと口飲んだ。そして、器をテーブルに置いた。そしてその隣では、鱒のカキアゲうどんにひとつも箸をつけていなかった日並の姿が。
チラッと横目で見たあと、銭樺は白菜漬けを口に運ぶ。
シャリシャリと噛み切りながら、お隣さんに喋りかけた。
「食べないの、それ?」
「え?」
注文をしていたことに、ようやく気づいた日並。
目の前で、うどん麺を“もぐもぐ”としている鯉川鮒からは。
「ソレ、この店の“売り”だぞ」
「分かってるわ、分かってる」
と、なんだか元気が不足している印象の日並が、割り箸を手にして取り皿に鱒のカキアゲをよけて、うどん麺を口に運んでいった。両手で器を持って、“おつゆ”を堪能していった鯉川鮒は、テーブルに器を置いて口を開いた。
「私と銭樺を呼びつけたのは、お前さんじゃろう。要件を言うてみい」
とは言ったが、だいたいは予想がついていた。
口内で磨り潰した麺をお茶で流し込んだのちに、日並は意を決して切り出していく。
「祐美と文雄君が、現行犯逮捕されたのよ。そして、ミドリちゃんが復活しちゃった」
「知っておる」
「知ってる」
親しい二人からの、同情なしの無情な返事。
当然のように言葉を失う日並。
とりあえず、鱒のカキアゲにかぶりつく。
バリバリと衣を噛み砕く軽快な音を立てて、味わう。
「美味しい…………」感極まる。泣きそう。
「で。“それだけの理由”で私と鮒さんを呼びつけたの?」
美しい狐顔の美女だが、なんだかちょっと怖い。
銭樺のあとに、鯉川鮒も続いた。
「どっちも名前も顔も出とらんし、お前さんとこのが警察機関の上層部にもいる証拠であろう。ーーーしかし、ミドリのは素っ裸晒して驚いたわ。気のきかんテレビだな」
「うちの日出美も逮捕されたのよ。麻薬所持と使用で……」
低い声で、日並が追加情報を出した。
これにたちまち、鯉川鮒と銭樺は仲良く声をあげた。
「うっそー!」
「曾孫息子の公彦君も仲良く“お縄”にされたそうよ……」
公彦君こと、十田公彦。
院里学会の創始者であり教祖でもある十田耕作が曾祖父。
片倉日出美とは婚約までしていた。
これを機に、捜査の手は片倉日並だけではなく、院里学会の現教祖まで及ぶことになると考えられる。ただしこれは、今のこの美しい三人の権力者が綻びから崩壊をはじめた場合に限るが。だが、先の鯉川鮒の言ったように、上位の学会員は警察を含めた司法機関のトップにまで入っているために、あまり期待はできない。
なので、このことをよく知っていた鯉川鮒。
「どちらにしろ、日出美ちゃんも晒されることはなかろう。テレビだけでなく、ネットニュースにも名前も顔も出さずに終わるよ」
「ありがとう、鮒さん」
「それで。大村“くんだり”まで私たちを集めたのは、あれか。メディアから逃げるためか」
ちょっとムッとしていた“人魚姫”。
再び、うどん麺をすすっていく。
“もぐもぐ”と咀嚼していき、あるていど磨り潰して。
「まさか、私と銭樺に慰めてほしくなったからか……?」
その黒眼の中で輝く銀色の瞳で、日並を睨みつけた。
これに対し、口へと運んでいた鱒のカキアゲの箸を止めた。
「悪いけれど、それは思い違いよ。私が娘たちにどう思っているかなんて、二人とも知らないわけないでしょう」
「なら、どうしたいんじゃ?」
「なんとしてでも娘たちの顔と名前は出させない。出してやるものか。ーーー鮒さんと銭樺を大村まで呼んだのも、コバエのような報道陣から遠ざけるためよ。学会員ではないマスコミもいるから、油断はできない」
「懸命じゃな」
「懸命ね」
と、鯉川鮒と銭樺から微笑まれた。
銭樺は残りのゴボウ天を口に入れて、咀嚼していく。
鯉川鮒も、素うどんの麺をすすっていく。
日並は、鱒のカキアゲの二口目を味わっていく。
首謀者の美女三人が、それぞれのうどんを堪能していたころ。
格さんうどんの後ろの立体駐車場の三階では、前四輪後ろ二輪に魔改造された暗緑色に塗装されたトヨダAAが待機していた。黒鉄色のフロントバンパー、ちょっと分厚いルーフ、ジェット機の噴射口を二つ生やした車体後部、車内を這い回るレースカー並みのパイプフレーム、潰した後部座席からはエンジンが見えて後ろの噴射口に繋がっていた。左右の袈裟からのシートベルトでしっかりと身体を固定して、駐車場のフェンス越しから『格さんうどん』の三台の外車を伺っていた黒髪で三角白眼の美女がいた。なにやら計算式を書いたメモ紙を手にして、確認していく。
「よし……。いくか!」
メモ紙をダッシュボードにし舞い込み、ハンドルのボタンを操作したあと、左右の丸いフロントライトが開いて、銃口が飛び出た。そして、フェンスごとコンクリート壁に銃弾を数発撃ち込んだあとに、ロケットエンジンを点火して、ギアブレーキを下ろして、クラッチとアクセルを吹かしていった。二つの噴射口から青色と黄色の炎を噴き出して、加速していく。魔改造された車体は、駐車場のスロープを利用して、フロントバンパーで破壊して飛び出した。車体は宙を舞い、ドライバーは滞空を味わっていく。それは緩やかな弧を描いていき、暗緑色の鋼の塊が頭を傾けて外車の三台を目掛けて突っ込んだ。
格さんうどん店内の窓際席。
次のを啜ろうと、うどん麺を持ち上げていた箸を止めた鯉川鮒が、たまたま外が気になって目を向けたとき、窓に映ったその景色は、己の愛車と仲良く並列している“協力者”二人の愛車も狙って落ちてくる謎の暗い緑色の塊を目撃してしまい、ゆっくりと口が開いていった。同時に、やや吊り上がった切れ長な黒眼と銀色の瞳も見開いていく。その異形の車は、車体下面を使って、並列していた葡萄色のBMWと青紫色のランボルギーニミウラと銀色のシトロエンの三台を目掛けて着地した。その瞬間、破壊音と打撃音とを豪快に立てて、ルーフは大きく凹んでフロントからサイドとリアまでのガラスは破れて弾け飛び、車体フレームも醜く変形して押し潰されて、ボンネットが開いてエンジンが顔を見せてフロントライトは眼球が血管や神経系組織のごとくケーブルを引いて飛び出し、BMWのシャッターグリルとランボルギーニのフロントバンパーが衝撃で吹き飛び、トランクルームも開いてしまった。この不幸な出来事は、瞬く間に起こり、一気に惨状に変えた。そして、後ろから響いた破壊音に、思わず背筋を伸ばした日並と銭樺は同時に箸を止めて振り向いて、鯉川鮒に向き直った。それからまた、二人一緒に今度は勢いつけて後ろを振り向き、窓越しに起きていた惨状に目と口を開いていく。
「うわあああああーーーーーー!!」
ほぼ同じタイミングで、三人は腰を上げて絶叫した。
バキバキミチミチと駄目押しして破壊しながら、憐れな愛車たちからエンジンを吹かして降りていく、暗緑色の塊。その得体の知れない車体に楽しそうに近づいてきた、蜂蜜色の髪をした美女が、うどん屋の女三人に笑顔で手を振っていく。次は、そのドライバーの美女も同じように微笑んで手を振ってきた。それから、蜂蜜色の髪の美女は暗緑色の車体に乗り込んで、ドライバーとともにさっさと駐車場から退散していった。
顔中に青筋を立てていく日並。
歯を剥き出して。
「おのれ……、昇子……。あんにゃろ……!」
「やっぱりそうか! 今のは昇子ちゃんだったのか!」
「運転してたの、臼田幹江だわ! 絶対そうよ!」
鯉川鮒と銭樺も続けて、声をあげた。
あと少しで食べ終わろうかとしていたが、それどころではない。箸を置いて、女三人は席から跳ねて駆けていき、駐車場へと飛び出した。ちなみに、途中カウンターに足を止めた鯉川鮒は三人分のお代を支払っていた。完全に力が抜けて、ふらふらと我が愛車に歩み寄ってきた三人。うちひとり、鯉川鮒は、骸と化した愛車のフロントに膝を折ってしゃがみこみ、黒眼と銀色の瞳をうるうるさせて、愛おしそうに“頭”を撫でていく。
「嗚呼……。私の……、私のシトちゃんが……。私のシトちゃん……」
数々の思い出が、頭によみがえっていく。
葡萄色のBMWの前に、銭樺も同じようにしゃがんで両手で顔を覆っていた。ただし、日並だけは違い、両手の拳を力強く握りしめていった。
「なんなの……、今の化物……? あんなの知らなかった……」
「シトちゃん、ごめんね……」
なぜか愛車に謝りはじめた鯉川鮒。
涙で顔を濡らして、化粧が落ちかかっていた銭樺は立ち上がり、力強く日並のもとに歩いてきて止まった。
「あんたの娘、なにしてんのさ!」
「分かるわけないでしょ!」
「分かるでしょ! 私たちへの反抗を始めたんだよ!」
この銭樺の叫びに、日並は細い切れ長な目を見開いていく。
その後ろでは、鯉川鮒がゆっくりと膝を伸ばして立った。
「許せん。許せんぞ、小娘ども……!」
顔中に青筋を立てて、その美しい顔を鬼のごとく変えていた。
パールホワイトのスマホを帯に下げていたポシェットから取り出して、どこかに電話をかけていく。
「私が部下たちにワゴン車をまわすように言うから、お前さんたちはタクシーを捕まえてくれ!」
「わ、分かったわ」
「そうね、そうする」
日並と銭樺は“人魚姫”に同意していった。
2
場所を、㈱長崎大黒揚羽電電工業に戻す。
榊雷蔵は、集まっていたメンバーに事の顛末を説明していた。
以下、要点だけを話した。
海原摩魚は突き飛ばされて大怪我した。
その影武者をつとめてくれたのは、有馬虹子。
誘拐されて軟禁生活を送っているのも、有馬虹子。
摩魚を怪我させたのは、片倉祐美。
摩魚は昏睡状態に入ったが、上手くいけば今日退院する。
以上。
「ええ……。じゃあ、私と磯辺さんが会ったのは、虹子さんだったんですか」
「そうだね」
驚愕していく潮干タヱに、雷蔵が同意した。
「私と潮さんが会った女の子も、摩魚ちゃんじゃなかったんだ」
「虹子さんです」
驚きに洩らしていく潮干リエにも、瀬川響子は同意した。
そんな中に、タヱの黒いスマホに着信が入った。
ちょっとすみませんと断り、電話に出ていく。
「はい、潮干タヱです」
『あら。ミドリさんの妹さん?』
「はい、そうです」
『臼田幹江です。今、片倉昇子さんと一緒に車の中にいるんだけど、足止めは大成功したとお姉さんに伝えておいてください。よろしくお願いします』
「分かりました。姉にそう言っておきます。お疲れさまです」
『はい。お疲れさまです』
やり取りを終えて通話を切り、ミドリに顔を向けた。
「姉さん」
「どうしたの?」妹に微笑む。
「今、臼田幹江さんから、足止めは大成功しましたって」
これを聞いたとたんに、たちまちミドリの口角は吊り上がっていき、白い歯を剥いていった。そして、拳を天井高く突き上げて。
「よっしゃーー! 第一段階成功!」
「ねえ、ミドリ。足止めって、まさか、さっき言っていた……」
「首謀者三人の愛車をブッ潰すことよ」
母親からの質問に、ミドリは自信たっぷりな笑みで答えた。
「やらせたのか! 本当に女優に地上げ屋の真似事をさせたのか!」
驚愕していく黄肌潮。
稲穂色の髪の毛の美女に、ミドリは親指を立てた。
「これで、反撃の足がかりができたわ」
このミドリを見ていた八爪目那智が、咳払いをひとつしたあと言葉を出していく。
「ま、まあ……、なにはともあれ……。首謀者たちの移動手段が潰れたおかげで、組織がとる行動を遅らせることもできた。指揮を一時的に麻痺させれば、しばらくは私たちのものだ。ーーーというわけで。雷蔵、最後の一枚だ。引け」
先輩の指示に頷いた雷蔵は、部屋番号が書かれた紙を一枚取った。
直後。
扉を勢いよく開けられたと思ってら、長身の細い影が入ってきた。
「私も加勢します!」
「福子!」
「福子!」
「福子さん!」
「福ちゃん!」
「福子さん!」
新しく登場してきた美しい女に、リエと黄肌潮とタヱとミドリとマキとカメが驚いていく。そして、雷蔵と響子もビックリしていた。
「どうしたんですか?」雷蔵が代表して聞いた。
「私も“ちょっと前まで”は陰洲鱒町の住民だったのよ。それだけで充分な理由でしょ」
なにか、満たされているかのような笑顔。
虎縞福子、参加。
相変わらず、ワインレッドのカッターシャツに黒い膝丈スカートが似合う美しい人魚である。すると、好青年の手元に気づいた。
「雷蔵くん。それ、なんか書いてある?」
「『CLUB LUNA LION FISH』です」
「その紙、私が引き受けるわ。ちょうだい」
「その前に、もうひとつ理由を聞かせてください」
「鯉川鮒が経営しているお店だから。ーーーいいかしら」
「どうぞ」
と、福子に手渡して、響子と見合って微笑む。
この後輩の行動に、さすがにカチンときた那智。
「おい、雷蔵! なにしてんだ! その人は戦闘は」
「そこのソバージュの美人さん」
「はい」思わず返事した那智。
「心配してくれて、ありがとうございます。けれど私、こう見えても戦争経験者なんですよ。少しくらいのドンパチはできます」
「そ、そうなんですか。でも、気をつけてくださいよ。このクラブには、五人の鱗の娘が“お勤め”として派遣されています。しかも、全て個室。あとから私たちも応援をよこします」
「ふふ。ありがとう。期待していますよ」
これを見ていたミドリが、毒のスペシャリストに聞いていく。
「福ちゃん」
「なあに?」
「今も、なにかしているの?」
「サバイバルゲームを“少々”」
得意気にそう微笑んできた。
これに魅了されていくメンバー。
この空気をぶち壊す感じで、雷蔵が割って入った。
「ヘッドショットおばさん。と、呼ばれているそうですね」
「しばくぞ」
たちまち顔と額に青筋を浮かべた福子。
構わず続けてきた雷蔵。
「やだなあ。三年前に“あなた”の依頼を受けたときに聞いた情報ですよ。参加者が口をそろえて言っていたんです。福子さんが参加したら、強すぎてゲームにならないって」
「ま、まあ、確かに。最近、めっきりゲームのお誘い来ないなあなんて思ってたから、そういう理由だったのね……」
申し訳なさそうに後ろ頭を掻いていく福子。
気を取り直していく八爪目那智。
「なににせよ、主要メンバーの半分がそろった。そして、各々の役割が手元にある。鱗の娘たちを救出してくれ」
と、皆それぞれ出かける前に。
「預かっていた“コレ”、返すね」
「あ。ーーーありがとう!」
そう母親のリエから、かつて愛用していた修復したダークグリーンのヘアバンドを受け取ったミドリは、じぶんの頭に着けたのちに満面の笑顔を見せた。




