恋する神様
加筆しました。修正もしました。
この話と、これの前の紅子のくだりと、第一部の亜沙里の初登場のくだりで、妖術という明確な表記はあえて避けましたけれど、まあ読めば分かると思います。
1
「あのね、ミドリちゃん」
「どうしたの? 摩魚ちゃん」
事務所の照明が、黄金色の髪をキラキラと輝かせていく。
潮干ミドリの美しさに、頬を赤くさせて息を飲む。
ダメだ。私にはあなたは“まぶしい”。
こうして会うたびに私を照らしてくれる。
私は、あのときからあなたが。
「こういった場を借りてってわけじゃないんだけど。もう会えないかと思っていたあなたにこうして会えたんだから、今度はいつになるのか分からない。だから今の私の気持ちを伝えておきたいの」
やや吊り上がった切れ長な目の中の黒い瞳が、照明の光を浴びて金緑色に偏光して輝く。マット系の赤色を引いた下唇を噛みしめて、言葉を続けていった。
「私、ミドリちゃんが好き。会ったときから、私にはあなたしか見えなかったよ。あなたと一緒にいるとね、将来のことがいろいろと浮かんでくるんだ。そして、いろんなあなたを受け入れられるよ。今のミドリちゃんも、前のミドリちゃんも、これから先のあなたも、その先もずっと。あなたことを忘れたことはなかった。ーーー私ね、前に男の人たちと付き合ったことがあったんだけど、駄目だったの。どうって分からないから具体的に言えないけど、駄目なものは駄目だったんだよ。私の隣が埋まらなかった。だけど今は、私にはあなたがいる。私の中にもあなたが常にいる」
「摩魚ちゃん……」
そう呟くミドリの手を取って、見つめた。
「私、ミドリちゃんと一緒になりたい」
「摩魚ちゃん。私、私ね……。私も……」
“姫様”のこの一大決心の告白に、ミドリは緑色の瞳を潤ませていく。歓喜で笑顔が明るくなっていき、目に涙が溢れてきた。そして、ミドリも同じ言葉を出そうと口を開いた、その直後、なにかを思いとどまって笑みを消して暗い顔になった。目の前の、海原摩魚の様子がオカシイ。
違う。そもそも、この人は。
「あのね……、ごめん……」
「……ミドリちゃん……」
榊雷蔵と響子を含めた、皆の空気が悪い沈黙になる。
驚きか失望か。
摩魚の目は大きく見開き、瞳が小さくなった。
下唇を噛みしめて、上着の胸元を強く握っていく。
怒りか?いいや、悲しみである。
泣きそうだった。
一瞬、“姫様”の目が黒眼と銀色の瞳に反転した。
そんな摩魚の手を優しく掴んだ、ミドリ。
「私はね。今の私のままじゃ駄目なんだ。あなたの想いと言葉は嬉しいけれど、このままの私じゃ駄目なんだよ。“こんな状態”の私があなたに想いを伝えても、なんの意味もないんだ。あの“女”、ハイドラから身体だけでなく、私のなにもかもを取り戻してからじゃないと摩魚ちゃんに伝えられないの。だから、だからね、それまで待ってて」
そして、頭を抱き寄せていく。
彼女の後ろ頭を優しく撫でながら、目線を先に。
ミドリのこの言葉に、摩魚は少しだけ沈黙したあと。
「分かった。あなたが帰ってくるまで、私待っているよ。いつまでも待っているから。ーーーそしてミドリちゃんが帰ってきたとき、話を聞くよ」
「そう。ありがとう。私、嬉しい」
声は摩魚に、目線はマキに向けていたミドリ。
美しい半人半妖の女に目付きが鋭くなった。
その当のマキは、目が据わっていて抜けた感じだった。
これは、妖術を使っている顔ではない。
妖術に操られている顔だ。
「まさか」と、気づく雷蔵。
「うそ」と、驚く福子。
この二人に向けて、ミドリは唇に人差し指を立てた。
そして、静かにその指で抜けたマキを指していく。
次の瞬間。
青白く光った手のひらで、雷蔵がマキの口を塞ぎ。
白銀に光った手のひらで、福子はマキの両目を覆った。
パアンッと弾ける音とともに、空気が明るくなった。
直後、両手で顔を覆って「痛ぁ……!」とマキが。
電光石火のごとく上体を起こして、青筋を立てた。
「もう! なんですの! いい加減にしてくださる!」
マキが正常に戻ったことを確認した。
臨戦態勢に入っていた残りの面々も、気を解いていく。
それから、抱き寄せていた摩魚を放して。
紙コップを再び手に取り。
「続き、飲もうか」
「え……あ……、うん……」
動揺したのか、顔中を真っ赤にさせてこちらも再び紙コップを手に取り、乾杯の仕草をした。正直、摩魚は先ほどまでの会話はスッポリと抜けていて、気づいたらというか目が覚めたらいつの間にかミドリの腕に抱かれていたといった感覚であった。さらに、熱を持ちはじめていく。これをミドリ越しから見ていた亜沙里が、とりあえず試しに摩魚の肩に手を乗せてみた。
「あ、戻ったみたいだね」
そして次は、頭を撫でていく。
「おお、おお。可愛い可愛い」
“にしし”と尖った歯を見せて笑って。
「今日の昼間、ミドリと同じことを“あなた”が私にしたね」
と、頭から手を放して再び紙コップを手に取る。
そして目線を摩魚に流して。
「あなたさ、可愛がるの上手いよね」
「……え」
「学年の先輩後輩関係なく、なでなで抱っこしていたよね。女の子限定だったけれど」
「あはは。だって親しみ感じるんだもん」
紙コップの酒を空にする。
残りのメロンソーダを飲み干す。
「男の子無理だったじゃん」
「あ……」
「覚えあるでしょ」
「ありまくりです」
指摘を受けて、赤面してかしこまる。
「でもでも、大学になってから少し変われたかな」
「そう? 私は高校までのあなたしか知らないし。デートや合コンしたことあるの?」
「男の人と? あることはあるけど。合コンはたいがい期待はずれだし。デートは怖い思いしかしたことなかったなあ。ーーーあ。確かに私、男の人は無理なところがあるかも」
隣の響子から鱒鰭酒をお酌してもらう。
笑顔で、ありがとうとひと言返す。
ヒメからジンジャーエールを注いでもらった亜沙里。
ありがとうございますと微笑んで返した。
「そうでしょ? あなたって、合同体育のときや学園祭のときなんかもクラスメートだけじゃなくて全学年の男子から距離をとっていたよね。だって摩魚は、同じ女子の友達はいたけれど、男子はひとりもいなかったからさ。ひょっとして、わざと作らなかったとかね。ーーーあと。私、洗脳されていたときと違ってね、今は頭が冴えちゃってさ。あのころのあのときのミドリや摩魚の行動や話しが、実際はこんな意味だったのかなと思えるようになったんだよね」
「うう……。男の子の友達はあえて作らなかったところ、当たっているよ。亜沙里って、意外とよく見ていたんだね」
「そう? 今思えばの話しだから。まあでも、ぼっちよりは良かったと思えるけれど。いたでしょ? 女の子の友達」
「いたよ。女の子には困らなかった」
こう微笑んで、亜沙里を指さした。
「へえー。やっぱりそうだったんだ。良かったじゃん」
自身が友達に入っていることに気づいていないもよう。
ガールズトークの脇で、雷蔵がニーナへとジンジャーエールを取ってくれと頼んだ。ヒメが1.5リットルのボトルを手に取り、笑顔でニーナに「はい、どうぞ」と渡した。それから、ニーナ、亜沙里、ミドリ、摩魚、響子、福子と、ジンジャーエールのバケツリレーが行われて、そして雷蔵に到着した。
「皆さんのご協力感謝します」
のあとに、紙コップに生ビールを半分くらい入れて、残りをジンジャーエールで足した。割りばしをマドラー代わりに使って混ぜていく。これを隣から見ていた福子。
「あら? 美味しい飲み方知っているのね」
「ええ、まあ。たまにです」
未使用の紙コップに割りばしをさして置いてひと言。
「カクテルは各自で作ってください。あと、この割りばしはマドラー代わりだから舐めないように」
いちおう、釘を刺す。
空気が良い方向に戻ったと判断しての呼びかけだった。
メロンソーダに焼酎で割って飲みだしたヒメ。
そして、いつの間にか酒の種類が増えていた。
ジンとウォッカとウィスキーを買ってきていたようだ。
そんな矢先。
「こら! ミドリちゃん!」
「あほか!」
海馬と雷蔵から注意を飛ばされた。
「え?」
なんと、潮干ミドリはマドラー代わりの割りばしを舐めていたのだ。それは、作ったカクテルでついた液体を、その舌で巻くように舐め取っていたからだった。まるでごく当たり前に日常的にやっていたかのように、極めて自然な動きをしていた。己のしでかしたことに気づいて、あ!と声をあげる。紙コップに割りばしをさしてテーブルに置いて、肩をすくめて「ごめんなさい。つい……」と顔を赤らめた。これを見ていた雷蔵はもちろんのこと、福子とマキと紅子と亜沙里たちも苦い顔をしていた。だが、摩魚は当然として、響子とニーナとヒメと、そして注意をした海馬までもがミドリのこの舐めとる仕草を見たときに、恍惚な感じで頬を赤らめていたのだ。
「さっきのミドリさん、エッチですね」
「でしょ。今の色っぽすぎるよね」
ニーナとヒメのひそひそ話しから始まり。
「エッチだよお、ミドリ」
響子、そして海馬へと続いた。
「やだ……。ミドリちゃんったら。ドキドキしちゃった」
「私、あなたと一緒にこれ使って飲みたい」
最後は、摩魚からの驚く希望。
当然、ミドリは驚きを見せるわけで。
「え……。マジ……?」
「本当だよ」
「ありがとう、摩魚ちゃん」
2
「そういえばさ。有馬虹子って、誰?」
「あ。そうそう、それ私も気になっていたんだよ」
「亜沙里ちゃんがくる前に、摩魚ちゃんが言い間違えたでしょう? 聞けるタイミングなら、今かなと思ってさ」
思い出したように切り出してきた、ヒメと紅子。
これを聞いて、思わず身を固くした雷蔵と響子と摩魚。
対称的に、ほくそ笑んでいたのが海馬。
他、福子とマキとニーナと亜沙里は互いに顔を見合せて、誰だろうね?誰かしら?と言葉を交わしていた。このように皆がそれぞれの反応を見せていた中で、潮干ミドリ精神体ただひとりが、あえて空気を読まずに口を開いてきた。
「有馬虹子。二二歳。スケイルオフィスに籍を置いている綺麗で可愛い女の子ですよ。虹子さん、住所は東京都だけど血は陰洲鱒町の人で、歯はそこにいる摩魚“さん”と海馬さんと同じ白くて四角いヒトの歯をしています。そして、金属アレルギーを発症しないおかげで、太さ1ミリ以下直径八〇ミリのリングピアスを愛用していてお洒落を楽しんでいますよ」
「ミドリちゃん、詳しいのね……」
感心していく海馬に、緑色の瞳を流して。
「だって彼女、私の友達だし。協力してもらったし、助けたり助けられたり。妹みたいに可愛いし。虹子さんのお母さんも綺麗な人だし。ーーー知りたいですか?」
最後のひと言のとき、緑色の瞳を紅子からヒメに流したあと隣に座る摩魚に移動させて、微笑んだ。教えて、とヒメの声を聞いたミドリは、一拍置いてから語り出した。
「有馬鱗子さんです。スケイルオフィスの社長で、朝のニュースバラエティ番組のワンコーナーで鱗子さんとして出演されていますよ」
ハッ!とした顔を見せたヒメと紅子。
声をそろえて。
「うそ! 鱗子ちゃんの娘!」
「そうです。二四年前に教団の生贄から脱出成功した人の娘さんです」
「凄いわね。その娘さんも、お母さんと一緒に働いているのね」
ヒメが笑みを見せて言った。
そしてミドリは隣に緑色の瞳を流した。
「さあ……。意外と近くにいるのかもしれませんよ」
これに、摩魚は脂汗を吹き出していく。
と、不意打ちがきた。
「有馬虹子さん」
「はい」
思わず返事してしまった。
周囲の目線に、ギョッ!とする摩魚。
そして、呼んだ相手を睨んでいく。
お前約束と違うぞ!と、目が訴えていた。
これに対して微笑みで返してきた海淵海馬。
「あなた、虹子さんだっけ?」
紅子の問いに椅子から立ち上がり、摩魚は否定していく。
「海原です。海、原、摩魚!」
両手を顔のところまで上げて、左右に振った。
「虹子さん可愛いね」
「ありがとうございます」
今度はヒメのほうから褒められて、思わず笑みを見せて会釈した。直後、我に還った摩魚は“とっさ”に片手を振って、否定していく。
「違いますよ。私は海原摩魚です。海原、摩、魚!」
「あなた、摩魚ちゃんでしょう?」
横から飛んできた福子の声に、ヘラヘラと頭を下げていく。
「はい、そうです。ありがとうございます」
「なら、いいんじゃない?」
ヒメのしめに、摩魚はニコッとする。
この“姫様”の満面の笑みに、雷蔵と響子とミドリを除いた他のメンバーが内心「可愛い」と感想を一致させた。安心したのか、摩魚はとたんに力が抜けて、椅子に腰を落とした。
ーあーーー! 疲れたーー!ーー
ミドリの肩に頭を預けて、黒い瞳で見ていく。
黄金色の髪の娘も、肩の摩魚に向けてニコッとした。
3
「お前さ。東京ではどうだったんだ?」
「お。彼氏。急にどうしたんだい?」
雷蔵から話を振られてのミドリの反応。
今は恋敵としては見ていなかった。
ジンジャーエールをジンで割った紙コップを片手に笑顔になる。
「東京? ずっと独り暮らしだったさ。なんでまた?」
「さっきの“あれ”、当たり前な動作に見えてな。ひょっとしたらお前ぼっち飲みしていたんじゃないかと思ってさ」
「鋭いね。私が入っていた芸能事務所は小さいながらも、ちゃんとそれなりの給料だったからね。独りで生活する分には困らなかったよ。母さんには内緒だったけれど、お酒の味は前から知っていたから、“あっちで”暮らすときはすぐお酒もそろえたよ」
「リエさんに黙っていたのか」
「お酒のこと?」
「ああ、そうだ」
「高校になったときからお酒は飲めていたよ。母さんにバレていたかまでは分からなかったけど」
「親は厳しいときもあったのか」
「逆に全然なかった。愛情たっぷり、タヱも私も可愛がられてましたよー」
半分ほどに減った紙コップに、ジンを足す。
対して雷蔵は、烏龍茶に切り替えた。
「じゃあもう“ソレ”。お前の性格だな」
「あははは。ねえねえ、彼氏彼氏。君さ、面白いこと言ってくれるよね。私を女て思っていないでしょ。響子以外の女に興味ないってマジなんだ。凄すぎなんだけど」
タバコを持った手でパタパタと雷蔵を扇いだ。
一服して灰皿に灰を指で落として、唇の隙間から煙を吐く。
鈍色の尖った歯を見せるように口角を上げた。
「他の女には無反応なの? “ソレ”」
緑色の瞳を下げて顎の先で、雷蔵の股の間を指した。
これにはさすがの響子も目を見開き驚く。
不幸なことに、福子とマキがミドリの目線を追った。
口角はあがっているが、眉間に皺を寄せていたミドリ。
「なんで黙ってんの? 私がいろいろ質問に答えてあげたら、その逆はなにもなしってどういうわけ?ーーーあのさ。大の女が恥を捨ててこうして聞いているんだよ。他の女、例えば私に勃つか勃たないか。あんたのチンポ、私で反応するかどうかさっさと答えてもらおうじゃないか」
「無理です」
「くぉら! 彼氏! お前いい加減にしろさ! こんなにたくさんのイイ女に囲まれておいて、お前響子ばっかり見ていたの知ってんだからな! 気づいていないとでも思っていたのかよ! あと、なんで私でチンポ立たないのか、なんで無理なのか答えろ!」
椅子から跳ねるように立ち上がり、タバコを持った手で雷蔵を指さしていった。そして、その当の雷蔵はというと。数秒ほど考えたあとに口を開いた。
「だってお前、精神体だろ」
「あ!ーーーそうか。それだ。そりゃ無理だわ」
力が抜けて椅子に腰が落ちる。
脚を開いて、両膝に両肘を乗せて頭を垂れた。
まるで力尽きたボクサーみたいである。
真っ白に燃えつきているみたいだ。
摩魚は心配そうに顔を覗き込み、肩に手を乗せた。
「お酒回った?」
「え? いやいや。生身じゃないから酔えないんだよね。大丈夫だよ。ありがとう」
“姫様”の気づかいに笑顔を取り戻して、頭を上げた。
「あのさ。じゃあ、生身じゃないなら脱げないんだ?」
胡桃をポリポリしつつ、亜沙里が質問する。
ミドリは灰皿でタバコをこねくり回して消した。
「着ている感じするけれど、脱げないの」
「風呂入れないじゃん」
「いや。私、生身じゃないんだよ? 風呂必要ないよね」
そう言うミドリの顔を見つめたあと、亜沙里はウェットティッシュで指先を拭いて紙コップにオレンジソーダを注いで、口へと運んでいく。その横で当のミドリはアーモンドを食べていった。三粒ほど噛み砕いたあとに、ジンで流し込んでいく。
「美味しい?」
「美味しいよ」
不意にきた亜沙里のひと言に、ミドリは笑顔で返した。
ニーナとヒメに笑顔を向けて、そして再びミドリを見て。
「お酒の味もタバコの味も分かるのに、エッチはできないんだ」
亜沙里の出した答えに、ミドリと摩魚が咳き込んでいく。
「ミドリもあれでしょ。男は無理だったよね。さっきあの兄さんに私で反応するかしないかと聞いていたけれど、もし仮に“そうなったら”嫌なんじゃない?」
摩魚を見たあと向こうの席の雷蔵に視線を飛ばして、そして亜沙里を見て語りはじめる。
「確かに、亜沙里の言うように私は男は無理。まあでも、人によるかな」
「へえー。男を受け入れる構えはあるんだ。意外」
ミドリの足元から頭まで上へと目線を這わせる。
「あなたのような綺麗な人なら、まあね。頼まれて断る男なんてそうはいないでしょ」
そう微笑んできた亜沙里に、タバコで雷蔵を指した。
数秒ほど会話が止まるも、再開する。
「あーー。でも、そっちが精神体とかいう状態だからあの兄さん断ったんだよね? 横取りした奴から取り戻してしまえば、ワンチャンあるんじゃない?」
「分からない。でも響子を通してなら可能性としてはあり、かな?ーーーまあ、こういう私もいまだに野郎との経験は無いんだけどね」
目をふせて笑みを浮かべながらタバコの煙を鼻から噴き出す。
なぜか得意気になっているミドリをジーーッと見ていた亜沙里。
ニーナとヒメにウォッカをお酌したのちに、話していく。
二人から「ありがとうね」と笑顔で手を振られてきたので、亜沙里も同じように返した。
「あのさ、ミドリ。ひと言あるんだけどさ。いいかな?」
「なあに?」
新しいタバコを指で弾き出して、咥えて火を点ける。
「あなた、町のマッチングイベントのときにさ。甚兵衛さんで私への当て付けのセックスしようとしていたでしょ? マインドコントロールされていたころはミドリが龍海を好きだと思っていたけれど、今思うとあれは違っていて、私と関係を持った龍海に嫉妬しての行動だったんでしょ。昔のあなたの恋敵は、私でなくて龍海。私に振り向いてほしくていろいろやってきたんでしょうけれど、残念ながら龍海一筋だから無理。ーーーちょっと前に、そこの摩魚にミドリを受け入れられなかったことを後悔しているんだねと言われたけど、結論から言わせてもらうと、恋人としてあなたを受け入れることができないわ」
鋭い眼差しで言い放った亜沙里。
これを聞いたミドリは、痛みを感じた顔をした。
黄金色の髪の美しい女の表情をうかがったあとに、亜沙里が再び言葉を続けていく。
「逆に、友達としてならいくらでもミドリを受け入れることができるよ。私があなたを好きなのは友達としてだから。ね」
こう満面の笑みを浮かべて、昔ながらの友の肩を軽く手で叩いた。これにミドリは頬を赤くして一瞬だけ驚きを見せたが、すぐさま微笑み返して嬉しそうに言っていく。
「ありがとう、亜沙里。あなたには好かれていないと思っていたから、嬉しい」
「いいえ、どういたしまして」
4
「ミドリちゃん。甚兵衛くんって、斑紋甚兵衛くんのことでしょ? あなたも知っていたと思うけど。彼、私の妹と許嫁なのよ。東京に発つ前、それを承知の上で当て付けを迫ったんだ?」
ニーナと紅子や海馬と話しを交わしながらも、しっかりと亜沙里たちの会話を聞いていた摩周ヒメが、親しい付き合いをしている仲の、しかも姪っ子のように可愛がっていたうちひとりのミドリ対して珍しく怒気をはらんだ顔と声を出してきた。長い脚を組んで、その膝に肘を乗せてタバコを肩の位置に上げて煙をゆっくりと天井に昇らせていく。ゆらゆらと昇る白濁の先端部は、急に横に引っ張られて換気扇にへと吸い込まれていった。摩周ヒメは、一升の酒を飲んでもちょっとやそっとじゃ酔わない女である。なので、目が据わっているのは明らかに潮干ミドリに対して怒りを抱いているものであった。対するミドリの性格も、母親のリエ譲りの好戦的なものであり、それは母以上のものだと町で噂されていた。だから、今のヒメが漂わせてきつつあるただならぬ空気に、ミドリが怯えるかと思えばそれは違っていて、逆に戦闘意欲を掻き立ててしまう結果となる。よって、ヒメから睨み付けられたらミドリは当然のごとく睨み返すのだった。それまで歓談やガールズトークで盛り上がっていた各々を互いに労う楽しい飲み会は、たちまち不穏な空気にへと変貌していった。
睨む目付きから、緩やかに弓なりに変えて口角を上げて鈍色の尖った歯をヒメに見せていく。
「そうでしたけど? 昔のことですよ。当時、甚兵衛さんは私に亜沙里がいると言ってくれて拒否したんです。けっきょくは“なにもありませんでした”けど。ーーーなにか問題でも?」
「ふふふ。あははは。はははははは……」
構えはそのままに、顔を伏せて笑いだした。
次は、面を上げて口を開けて鈍色の尖った歯を見せていく。
これに誰よりも一番に緊張していたのは、ニーナだった。
次に、強ばった顔で口を手で覆った海馬。
珍しいことに、厳しい目でミドリを見ていた福子だった。
他の女たちは、眉を寄せたり、口もとを指でおさえたり。
雷蔵は相変わらずで、静観の体勢に入っていた。
笑い終えたあと、一服して煙を桜色のリップを引いた唇から緩やかに吹き出した。灰皿に灰を指先で叩き落としたのちに再び肩の位置に上げて、鈍色の尖った歯を見せて口角を上げた。目もとは怒りそのもの。
「ガキが。ーーーなにか問題でも?じゃないんだよ。問題大ありなんだよ」
「繰り返しますが、甚兵衛さんと私は“なにもなかった”んです。大袈裟ですよ、ヒメさん」
動じる気配がないのは、ミドリの性格ゆえか。
しかし。
「“あんた”さ。彼に前戯まで要求と実行までさせておいて、それはないんじゃないの? ホタルと婚約を交わすまではお互いの貞操を守ろうって約束をしていたんだよ。挿入しなければセーフ、彼の“モノ”を手で立たせて出しただけだからセーフ、なにもなかった、じゃないんだからね。分かるなかな? “あんた”のおかげで甚兵衛くん初めてじゃなくなったんだよ? “あんた”がどう思っていたか私には分からないけどさ、好きどうしの二人を傷つけてしまったことくらい考えた?」
「それは……。でも私、イベントの前の日にホタルちゃんに話しは通したあとだったし。彼女も良いと言ってくれたから、とても、そんなふうには……」
ヒメの返しを聞いて、勢いが落ちてきた。
「ホタルが良いと言ってくれたのはね。“あなた”だからよ、ミドリちゃん。ホタルとマルは、町のいろんな人から可愛がってもらっていた中でもとくに“あなた”とタヱちゃんをまるで姉のように好いていたから、ホタルはそういうこともあって断われなかったと言っていたわ。その翌日、あの子が私に大泣きしてきたんだよ。今は二一歳だけどもね、あのときはまだ十五歳だったのよ。ーーー“あんた”それを知ってか知らずかあのあと東京に発ってしまうし。帰ってきたら帰ってきたで、生贄になって消えてしまうし。正直、ビンタの一発くらいしておけば良かったよ」
一服して煙を吐いていき、灰皿でこねくり回して消した。
「私があなたに言いたかったことは終わったわ。なにか他に言いたいことがあったら、身体を取り戻したあとで良いから私にではなく、ホタルと甚兵衛くんに言いなさい」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げていったミドリ。
これを見ていた摩周ヒメの顔は、穏やかさを取り戻していた。
「よう。叱ってくれる“おとな”がいてくれて良かったな」
「あのさ、彼氏さ。本っっっ当に君ってヤツぁさ」
屈託のない爽やかな笑顔で祝ってくれた雷蔵に、ミドリは赤面して鈍色の尖った歯を剥いて青筋を額に立てた。酔いのさめていた雷蔵は、見るからに調子が良さそうである。じゃあ、先ほどまで具合が悪かったのかと。べつに“そうではない”。なんか知らんがキラキラとしていた、とだけ言っておこう。
「本当に良かったね!」
「え? あ……、うん……」
摩魚が瞳をキラキラと輝かせて雷蔵に同意してきた。
ミドリのためになると思ったらしい。
「あんた可愛がられてばかりだったからさ。こうしてちゃんと言ってくれる人って貴重だよ? 本当に良かったじゃん!」
「あ、あんたまで……」
そして最後は、顔をキラキラさせた亜沙里でしめた。
恥ずかしさに戸惑うミドリ。
「ねえ、響子。あんたも彼氏を甘やかさないでさ。なにか言ってよ!ーーーって、あれ?」
「ん? どうしたの?」
隣の隣にいるかと思って覗き込んで呼びかけた響子の姿はいつの間にかなく、摩魚から不思議そうにされた。目線を先にやってみたら、そこには。福子と響子と雷蔵とマキの四人がソファーに腰を下ろしてくつろいでいた。ちゃっかり間に挟まってというか、彼氏こと雷蔵の隣に移ってご満悦である。おまけに、どうしたの?と顔に出してミドリに向けていた。これを見て、苦い顔をする黄金色の髪をした女。そして、自信あり気に親指で雷蔵を指して。
「あたし、一度も甘やかしたことないから大丈夫」
「な、に、が、大丈夫なんですかね?」
「あたしの保証付きだよ。大丈夫。当たり前だよね」
そう断言して、愛しの彼の逞しい胸板を軽く手の甲で叩く。
雷蔵、勝ち誇った笑顔で親指を立ててサムズアップした。
なんなんだ、このカップル。
となった顔をして、響子と雷蔵を見ていたミドリ。
両脇に座っていた女二人が、笑顔のまま福子は響子をマキは雷蔵を肘で軽く小突いた。仲良し四人組ができあがっていたとは。そして、叱ってくれた“おとな”ことその摩周ヒメはというと、いじられ始めた潮干ミドリをよそに、海淵海馬の隣に座っており、龍宮紅子が尾澤菜・ヤーデ・ニーナの隣に移っていて、こちらはこちらで席替えをしていた。
「はい、海馬さん」
「あらー。ありがとう」
ヒメからニコニコされながら、烏龍茶をお酌してもらった海馬が微笑んで礼を言った。まるで、美人ホステスから接客されている美人社長の絵面。あとは、ニーナから消火器…………じゃない、『赤龍』を注いでもらっている紅子がいた。それぞれがみんな楽しんでいる飲み会である。
そんなさいちゅうに。
「なあ。そろそろ最近のタヱさん見せてやれば?」
「そういえばそうだよね」
雷蔵から言われて思い出した響子が、スカートの後ろのポケットからチタンシルバーのスマホを取り出して、画面を操作していく。
「そうそう。これこれ」
愛しい姪っ子を見るような微笑みで画像を確認した。
気になった福子が、響子の頭の上からスマホ画面を覗いた。
「あら美人。えーと。どちら様?」
「やだなあ。タヱちゃんですよ」
雷蔵越しにマキへと手渡した。
以下、時計回り。
「え? やだ、美人。誰?」
「あら可愛い」
「あ。本当だ、美人ね。誰だろ?」
「可愛い。誰かな?」
「美人だね。てか、タヱちゃんは?」
「ん? タヱちゃんと似ているけど、美人だね」
「本当だ。タヱちゃんそっくり。可愛い」
最後はミドリに手渡されて。
「へえー。イイ女だね。美人美人。ーーーはい、ありがと。ねえ、今度この写真の子紹介してよ。気に入った。で、タヱちゃんどこよ?」
と、スマホを福子を経由して響子に返しながら聞いた。
受け取って後ろのポケットにしまい込みながら、響子がひと言。
「あ ん た の い も う と だ よ」
「は? 私の?」
「そうだよ。潮干ミドリの妹の潮干タヱだよ」
「…………。これ、整形どころじゃないよね? 本物だったら成長しているレベルなんですけど! あり得なくない?」
「あり得るみたいだよ。そのうち、リエさんと“あなた”と変わらなくなるんじゃ」
「はああ? それってヤバくない? 短期間で成長するってヤバくない?」
「なんだかよくわからないけれど。奇跡が起きているんじゃないかな」
「奇跡って、なんの?」
「あたしにもよく分からない」
「だったら、私もよく分からないや」
二人仲良く納得した。
様子を見ていた雷蔵が口を開く。
「俺なりの結論を言えば。奇跡というより鍛練の結果だね。ここ一週間以上一緒に生活しているけれど、毎朝顔を合わせるたびに胸回りと腰回りの無駄な肉が落ちていって、腰も前より絞れてきてだな、機動力と瞬発力が確実に上がっていることがひと目見て分かるんだ。丸みのあった顔もシャープになったし。あれは確実に強くなっている。あとな、少しばかり背丈が伸びたみたいだぞ」
残りの烏龍茶を飲み干して、紙コップを空にして続けた。
「タヱさんがどういう格闘技を使っているのかは、正直あまり見たことがない。だから興味があるんだ。暇ができたら、一度手合せしてみたくてね。俺の榊流格闘術と彼女の陰洲鱒町仕込みの格闘技のどちらが強いのか、試してみたい」
しばらくおとずれた静寂。
響子が微笑んで、隣の彼氏を手刀で指して。
「ほらね。彼も普通に他の女の子にも興味を持つのよ」
「え? “そっち”?ーーーいや。いやいやいや。興味の持ち方がおかしいよね? それもう、性的から遥か彼方離れた場所じゃん。武道家が決闘を申し込むレベルな感じだよね。ーーーあと、雷蔵くんさ。タヱちゃんを見る目が完全に師範代目線になってない? あの子、普通の女の子だよ?」
「うん。日頃の鍛練を怠らない強くなっている普通の女の子だな」
雷蔵の言葉に沈黙するミドリ。
この沈黙をどう取ったのか、雷蔵は言葉を続けていく。
「それと。俺はそこまで頑固じゃないから、奇跡と鍛練の両方を取ってもいいと思っている」
言い切った彼氏を再び手刀で指して微笑む響子。
「ね。雷蔵ってけっこう柔軟でしょ」
今度は明らかにミドリに向けてサムズアップした雷蔵。
ミドリは渋い顔をしていたが、尖った歯を剥き出した。
「彼氏馬鹿もここまでくると、天晴れね」
「榊の兄さん面白いね」
亜沙里が雷蔵を見てのひと言。
「うん。面白いよね」
摩魚は、隣の猫のように愛らしい友に同意する。
海原摩魚と榊雷蔵と瀬川響子は初対面ではない。
実は、三年前に一度この護衛人の二人は長崎大学にきたことがあり、それは虎縞福子からの依頼を受けたときのことだった。依頼内容の概要を記すと、八百比丘尼から人魚たちの“肝”が狙われているから長崎に在住している人魚たちの護衛も兼ねて私を護ってほしいとのことで、当時は福子とは初対面だった雷蔵と響子は、当然のように依頼人とその周辺人物の身辺調査をはじめたときに福子から親しい友人の名前に上がったうちひとりだったのが海原摩魚。次の二人目が、潮干ミドリ。で、大学に行って会って話しを聞いたのが、当時まだ大学一年生の摩魚。彼女はこのとき、同学年の海淵真海と一緒にこの護衛人カップルに福子についていろいろと話して答えた。摩魚にとっては、響子には当然のこと、雷蔵にも好印象を持った。自他ともに男性嫌悪のあった彼女は、生まれつき男にだけは平等公平に接することは無理であった。なので、気持ちを許した男にしか親しくなれなかったので父親はもちろんのこと、最近のだと、海淵龍海と有馬哲司とミドリの魔改造車を撮った男子学生と上げれば数えきれるほどに少ない。よって、このときのことはよく覚えていて、三年ぶりに連絡を受けて二人に再開するとなったときは嬉しかった。会って話しをするその理由は、半年前に有馬鱗子からの依頼に関連するもので、一昨年失踪した海淵真海と昨年失踪した潮干ミドリについて聞きたいと。そして、実際に来てくれた雷蔵と響子にいろいろ話したくてたまらなかったが、肩に例の痒みを覚えたーー虹色の鱗が出現した。ーーので、せっかく足を運んできてもらって悪いけれど、ちょっとその前にトイレに失礼しますと断って洗面台の鏡で肩をはだけて虹色の鱗を確かめた。と、ここから先のことはよく覚えておらず、目を開けたら病院にいたという。それから、退院したらしたで、誘拐されてしまい今に至るわけで。
逆に、響子とは昔から親しかった。
妹の“みなも”の級友だったこともあって、夏場の海水浴には響子を誘って妹とともに遊び楽しんでいた。摩魚から見ても、響子は可愛い妹も同然で好きである。そんな彼女が、みなもから「探偵事務所のところに嫁いだ(就職した)」と聞いたときは不安でならかったが、大学で久しぶりに会ったときの響子は実に幸せそうにしていたから、摩魚は大いに安堵して嬉しくなった。以上でこうしたことがあって、嫌悪を抱かない数少ない男のひとりでもある雷蔵と話したくて内心ウズウズとしていた摩魚。
“姫様”、下界の男と久々に言葉を交わす一大決心。
なぜか顔の位置まで挙手した。
「榊雷蔵」
「はい」
バチクソに緊張していたのか。
男をフルネームで呼んでしまう。
その相手は、怒ることもなく普通に返事をしてきた。
「うちの響子がお世話になっております」
頭を深く下げてしまう。
言った直後に後悔してしまった摩魚。
他の女性陣全員が手で口を押さえて吹き出した。
よりによって隣の響子も同じ反応を見せた。
「こちらこそ。ありがたいと思っています」
雷蔵も、摩魚へと深く頭を下げて返した。
この言葉を聞いた響子は、手で口を押さえたまま上体をあげて雷蔵を見たその大きな黒い瞳に、涙を溜めていたではないか。そして流れ出して、頬にいくつもの筋を描いて落ちていった。この娘は比較的アルコールは強い方だ。なので、急に溢れだした自身の涙に対して、これは酒のせいだとは思いたくはなかった。しかし、止まらない。なぜなのかは、響子自身にも分からなかった。それはやがて、抑えきれなくなってしまい声をあげて泣き出した。とどめなく流れ出てくる涙を手と指を使って拭っていく姿は、小さな娘のようだった。顔色を変えて、隣で泣く彼女の両肩を優しく両手で掴んだ雷蔵。
他の面々に顔を向けてひとつ断った。
「ごめん。ちょっとばかり席を外します」
そう言って、響子と一緒に立ち上がり、奥の洗面所へ足を運んでいく。その移動中に聞こえてきた二人の会話。
「悪いこと言ってしまったなら謝る」
「ううん。違う、違うの……。うれ、しい……!」
「そ、そうか。……まあ、とりあえず顔洗いに行こう」
「うえええん!」
5
「ああ……。やっば。今の見て、めっちゃ泣きそう」
こう切り出してきたのは、摩周ヒメ。
いつの間にかタバコ吸う手を止めて、両手で顔を覆っていた。
「ああ、ダメ……。昔思い出してきた。危ない涙出そう」
海淵海馬も両手で顔を覆っている。
「ああ、ヤバい。私もうダメかも。ダメダメ泣いちゃダメ」
そして、浜辺亜沙里も同じように両手で顔を覆っていた。
「私もう、限界なんだけど。堪えな。……あかん」
なんと、虎縞福子も両手で顔を覆っていたではないか。
「わたくしも泣かされそうで危ないんですけど」
マキも抑えきれなくなって、顔を両手で覆っていた。
「あのお二人、不意打ちはズルいです」
「うわあー。ダメだ。ビリーとのこと思い出してきた。ーーーこんな場で響子ちゃんに対する本心出してくるって、ズルいなあ雷蔵……」
ニーナも堪えるに限界がきていて、両手で顔を覆っている。
言葉が多いのは、泣くことから気をそらすためか。
なにかと大切な人との幸福な思い出があった面々は、今は嬉し涙に堪えることに必死であった。亜沙里なんかはとくに、つい先刻に龍海とプロポーズを交わしたばっかりだった。持てる気力で己の感情にできるだけ抵抗する。今は楽しい飲み会であって、お涙頂戴の場ではないと。女性陣の全員が全員ではなく、当然のようにアウェイも出てくるわけで。潮干ミドリと海原摩魚の二人は、取り残されたような心境を味わっていた。
そんななか。
「あ。紅子さん」
「どうしたの、紅子さん」
ミドリと摩魚が、紅子の様子に注目してしまった。
「あー、もう。今度はなに?」
顔を覆ったまま、ヒメは“手の空いている”二人に聞いた。
すると、そこには。
「紅子さん。泣いています」
摩魚の指す言葉の通りに、龍宮紅子がとどめなく涙を流している姿があったのだ。これを見ているのはもちろん、ミドリと摩魚だけである。あとは嬉し涙を抑えるために努力していた。そしてこの言葉を受けたヒメは、声を使って指示を出していく。
「どちらでもいいから、誰かその“女の子”を流し台に連れてって!」
「はい。私が」
そう言って立ち上がったのは、摩魚。
もらい泣きしている百二五歳の“女の子”こと紅子の肩を優しく抱いてソファーから腰を上げさせると、寄り添って二人一緒に流し台に足を運んでいった。“ぽつん”と独り残されたミドリは、相変わらずタバコを吹かしていた。周りを見るからに、まるでなにかしらの新興宗教の集会みたいな印象のあった、顔を両手で覆っている面々。実に静かである。ただいま別の話題に頭を切り替えているもよう。これを見ていたミドリは、ある種の不気味さを感じた。事務所の台所からは、紅子の泣き声と摩魚がなにかの鼻歌を歌っているものが聞こえている。ミドリは最後のひと吹かしを済ませて灰皿でこね繰り回してタバコを消すと、パイプ椅子から腰を上げて、自身も台所へと向かった。するとそこには、涙を流してすすり泣きをしている紅子の頭を抱いて、静かに鼻歌を歌っている摩魚の姿があった。よく耳をすませてみれば、多分これは子守唄か。紅子に寄り添うようにくっついて、流し台の縁に腰をかけて手をやって、泣いている大きな“女の子”の頭を撫でていった。
しばらく摩魚と二人で紅子を慰めていたら、あちら側の“会場”で各々が両手を天井高くあげて伸びをしていく声と姿を確認していく。どうやら己の感情に打ち勝ったらしい。そして、いつの間にか泣き止んでいた紅子がミドリと摩魚に静かに礼を述べて、顔を洗いはじめていった。洗い終わってハンカチで顔を拭いてジーパンの後ろのポケットにしまい込んだとき、鍛え上げて張りのあるお尻の後ろから着信音が聞こえてきたので、赤いスマホを取り出して発信者を確認して出てみた。このとき、ミドリと摩魚と二人の目に入ってきた待受画面は、可愛い笑顔の龍宮紅子にしか見えないようであったが、胸元に違和感を覚えた。しかも紅子は、ここに来てからというもの、泣いて顔を洗うのも二度目となるので化粧は完全に落ちてしまっている。落ちてしまっているが、その美しさには全く変化がなく、リップを引いていなくても薄いながらも艶やかで張りのある唇が魅力的であった。微笑んで電話に出る素顔の紅子に、摩魚は見とれてしまった。
「はい。紅子です」
『こんばんはー。乙姫でーす』
「乙ちゃん。お疲れ」
『紅ちゃんもお疲れ』
「婚約おめでとう」
『ありがとう。ーーーって、それ前の日も言ってたよ』
「あはは。おめでたいから、何度も言いたくなるよ」
『バイクオタクの私に、まさか婚約者ができるなんてね。このまま順調にいったら初婚だよ? 私のほうが遥かに年上なのに、幹弥さん受け入れてくれたんだよ』
「本当に良かったよね」
『うん』
しばらく会話を聞いていた摩魚だったが、電話の相手が紅子にとって大切な人だと思えたとき、話をまだまだ聞く気だった黄金色の髪の女の肩を軽く叩いたあとに腕を絡めて引っ張っていった。
6
「おーし! 己に勝ったぞー!」
「飲み会、再開だあー!」
涙を引かせて歓喜していく摩周ヒメと浜辺亜沙里。
伸びをして欠伸をした海淵海馬が、腕時計を見る。
「ごめんね、みんな。摩魚ちゃん亜沙里ちゃん。あと二〇分で私たちはお開きよ」
「えーー」
「そんなあ」
不満を洩らす摩魚と亜沙里。
「気持ちは分かるけれど、約束は約束よ。最初のうちは守らないと。ここで二〇分、帰りでだいたい三〇分。これで三時間ね」
隣のヒメが、缶ビール片手に赤い瞳の美人妻に話しかける。
「そういえば海馬さん、一時間以上前からお茶に切り替えていましたよね」
「そうそう。あの子たちを送らなきゃならないからね」
明日は日曜日なので、ヒメたちは近くのビジネスホテルに泊まる。しかし、海馬は摩魚と亜沙里を送っていかなければならないために、あまり酒を飲むことはなく、あとはお茶類とジュース類にしていた。アルコールを検知されて免停を食らったらもともこもないからだ。いまだに流し台で電話の相手と会話している紅子を黒い瞳で指した摩魚が、陰洲鱒の美しい女たちに聞いていく。
「あのー。戻ってくる前に、紅子さんがとった電話の相手を乙姫って呼んでいたんですけど。誰ですか? 待受画面も偶然見れたんですが、紅子さんに見えたけど紅子さんじゃありませんでした」
「待受画面の人、紅子よりおっぱい小さかった?」
「はい」
返事のあと、視線を亜沙里からヒメと海馬からマキと福子、飛んでのニーナから隣のミドリと自身の胸まで見たあとに再びマキの胸に目線を送った。そのあと再びヒメに向く。
「大きさ的には、マキさんくらいです」
「じゃあ、紅子の双子の姉妹の乙姫だね」
「そ、そんなんで見分けているんですか?」
「あの娘、一卵性双生児なの。百二五年前に御両親を亡くして孤児として私の父さんの弟夫婦に引き取られて育ったのよ。私は彼女より三年後に生まれたからさ、紅子たちのお父さんとお母さんの顔を知らないわけよ。で、最近、どうしても気になったから町にある石碑の貿易商館跡に行ってみたの」
「はい」
「そこはね、焼失した跡を弄くるようなことをしていなくてね、その周りを囲う形で枠を組んで、分厚いアクリル板で焼け跡を保護していたんだよ。けっこう広い商館だったみたいでさ、建物の名前は確か『龍宮商会』だったわ。その昔にね、町の人たちから龍宮城て呼ばれていたんだって」
「へえ……。綺麗な建物だったんでしょうね」
「うん。パネルに写真があって見てみたけれど、綺麗だったよ。まさに龍宮城」
そう言って、缶ビールを口に運んでいった。
ひと口飲み、再び話しを再開。
「でね、商館の写真の下に小さい写真が二枚あってね、それが彼女たち姉妹の父親と母親の顔だったの。しかも、そのお母さん綺麗な人だったわ」
「そうだったんですか。紅子さんたちは、親の顔を知っているんですか?」
「多分、知らないし覚えていないんじゃない?」
「え。それって、商館跡地に行ったことない……とか」
「興味を持ったことがないかもしれないわね」
終わりかけの二人の会話に、ミドリが口を挟んできた。
「彼女、その跡地を素通りしたり行ったりしたけれど、貿易の会社が陰洲鱒町にあったことじたいビックリしたと言っていましたよ。ーーーあと、勉強になったですって」
「なにそれ? なんか可愛いんだけど」
と、半笑いを浮かべたヒメ。
そんな会話をしているうちに、響子が雷蔵から肩を抱かれて戻ってきた。泣き腫らした目もとであったが、笑顔を浮かべている。ソファーの両端に移動した福子とマキはできた真ん中の空間を微笑んで指さして、座って座ってと護衛人カップルを招いた。この戻ってきた二人の様子を見ていた潮干ミドリは、己に感情の変化がおとずれたのを理解して、先ほどまで“やさぐれて”いた感じだった目付きがひとりの“女”の目に変わった。軽く喉を鳴らして、襟元を指先で整えたあとに両膝に軽く握った両手を乗せて、姿勢を正した。そのような変化に気づいた摩魚は、ミドリの目線を追って首を回した。そこには、ソファーに座り直して響子の頭を撫でていく榊雷蔵の姿を確認。雷蔵が笑みを浮かべての、響子とのやり取りが終わったのを確かめたミドリは、朱色のリップを引いた唇を開いていく。
「彼氏…………じゃない。雷蔵さん。あなたと響子は今、陰洲鱒町絡みで二つの依頼を受けていて大変なのは承知しています」
「どうしたんだい、ミドリさん? なにか思い詰めた顔だな」
「私が名前で呼んだら、ちゃんと私を名前で呼び返してくれるのね。あなたの“そういうところ”、良いと思う」
さっきまでの声のトーンも変わって、落ち着いたオトナの女になっていた。雷蔵と響子の二人は、精神体のミドリに変化を及ぼしたようだ。このミドリの言葉に、雷蔵は背筋を伸ばして向き合い話していく。
「そう言ってくれてありがとう。確かに俺と響子は今、二つの大きな依頼を抱えている。あまりにもスケールが大きいから、他に来た依頼は断っているんだ。大変なのは俺だけじゃない。響子にもそんな思いをさせたくないから、今の陰洲鱒絡みに集中させている。ーーー俺は独りっ子だが、響子は二人の姉がいる。その人たちにも心配させたくはない」
響子と顔を見合せてともにニコッと交わした。
そして、再びミドリに向き合う。
「話しがあるなら言ってみてくれ」
「ええ」
下唇を少し噛んで、言葉を続けていった。
「先も言った通り、二つの大きな依頼を抱えたのを承知した上で言います。ーーー私、潮干ミドリの依頼を受けてくれますか?」
「なんだって。ちょっと興味あるな」
「ふふ……。ありがとう」
「内容は?」
「女神ハイドラから奪われた身体を取り戻したい」
「できるのか? 相手は神だぞ」
「私だって潮干リエの娘。できないことはないわ」
薄い笑みを見せたミドリを見て、雷蔵は思い出した。
そうだった。
この美しい娘の母親は、海の深いところから“家出”してきた神であった。今は潮干リエだが、旧姓は宮帝螺リエと名乗り。本当は宮帝螺という旧支配者の神である。よってその娘のミドリだけでなく、タヱも半分は神で半分は人間という特殊な女だった。
「半分は神の血を引いているのよ。あの神の子ペルセウスだって成しえたんだから、私とタヱだってできる。ーーーただ、精神体の私には成し遂げるためには条件が要るけれど」
「なんだそりゃ。ますます興味がわいてきたよ」
「女神ハイドラを誘き寄せて奪還するためには、常に雷蔵さんと響子が一緒に行動してもらわないと駄目なの。私はあなたたち二人の強い光りに引かれて“ここ”に来ることができたから、逆に雷蔵さんと響子がいてくれないと消えてしまう」
「それ、厳しいな。俺たちで挟み撃ちできるのか?」
「二手に別れての戦闘は可能よ。だけど、二人一緒で私を連れてほしい。姿を現せている状態じゃないと、ハイドラに攻撃もできないし取り戻すこともできない」
「これは面白そうだな、響子」
こう笑みを浮かべて隣の彼女を見たら、響子も同じ表情をしていた。
「ふふ。常に二人一緒か。神様を相手に、あたしたちでどれだけ抵抗できるのかしらね?ーーーねえ、雷蔵。ミドリの依頼、受けてみたら?」
「お前も同じ意見で嬉しいよ」
そして二人はミドリに向いて、雷蔵が代表して言っていく。
「分かりました。その依頼、受けましょう」
この青年の答えに、ミドリは思わず泣きそうになる。
だが、グッと堪えて引かせた。
「引き受けてくれて、ありがとうございます」
と、深々と頭を下げる。
そして、面を上げて再び雷蔵と響子を見る。
「依頼の報酬はちゃんと考えているわ。私が東京でこれまで稼いできた分の貯蓄からと……。その、身体を取り戻したらのあとね……その…………」
頬を薄く赤らめて。
「私、あの、男の人を“知らない”から……、雷蔵さんに教えてほしい……なあと……」
このミドリの一大決心のひと言に、もちろん響子を含めたこの場に参加していた女性陣の全員が驚きとともに頬を赤くして口もとを手で押えたり、頬を両手で持ってキャーッとしたりしていた。そして、いつの間にかソファーに戻ってきていた紅子もキャーッと反応を見せていた。これに対して当の雷蔵はというと、とくに表情も変えずにただひと言だけを返していく。
「お断りする」
瞬間、ミドリの投げた空の紙コップが顔面にヒット。
投てきの勢いで一瞬だけ顔を仰がせて、すぐに伏せて鼻を押えていった。高い鼻筋に直撃したらしく、痛がる。パイプ椅子から跳ねるように立ち上がり、ミドリは力強く雷蔵を指さして声を上げていった。荒れ具合が、尋常ではない。
「おいこら! 雷蔵! お前、女ひとりに恥をかかせる気か! レズビアンの私がここまで守ってきたバージンを、信用するお前に捧げる言うとるんだぞ! 心の準備もしたんだぞ! 響子の大切な人だから頼んでいるんだぞ! そしてなによりも、雷蔵は私の友達だからと思ってのことだったんだぞ!ーーーそれを、それを、お前は……お前は…………」
力をなくしてパイプ椅子に腰を落とし、たちまち緑色の瞳が潤んでいく。そしてついに、それは溢れ出てきて頬にいくつもの筋を描いて顎を伝いスカートの上に落ちていく。子どもみたいに泣きたい気持ちと声を必死に抑えて、すすり泣くにとどめ、滴り落ちていく涙を手と指で拭いはじめていった。
「こんな、こんなこと、あんまりだよ……。やっと、やっと、母さんの気持ちが理解できたと思って、いた、のに……」
母さんの気持ちが理解できた、とは?
雷蔵のことを友達と言っていたミドリ。
程度の違いはあれど、母リエの男性嫌悪を引き継いでいた。
それと、同性愛の遺伝はリエ以上。
その母が男性である舷吾郎に惚れて結婚して出産。
惚れた理由は「強さ」を感じとったからだった。
では、ミドリは雷蔵からなにを感じとったのか?
それはミドリ自身の口から言わないと分からない。
はたして友達という思いにとどまっているのか。
雷蔵を見る目が“女”になっていたのは?
斑紋甚兵衛のときは自棄糞の当て付けだったが。
榊雷蔵には明らかに違っていた。
そして、必死に声を殺して泣き続けている。
両隣から肩を抱かれるミドリ。
「おい、兄さん。どうすんのこれ?」
「榊さん、ミドリちゃんが可哀相だと思わないの?」
亜沙里と摩魚から睨まれる。
タバコを灰皿で消したヒメは脚を組むと、ソファーに背を預けて雷蔵を睨んだ。百二二年生き抜いてきた威厳がある。次は、隣に座る福子から銀色の瞳を流されて目を合わせる。こっちも睨んできた。そしてマキからも睨み付けられて、最後は隣にくっついて座っている響子から目線を上げて睨まれた。
軽い溜め息をついた響子は、低いトーンの声を彼氏にかける。
「馬鹿。あんたさ、もう少し他の断わり方くらいできなかったの?」
パートナーから迫り来る威圧感に、雷蔵は思わず目を反らす。
「それは、護衛人と依頼人の規則に反してしまうだろ」
「今のミドリ。あんたのこと友達と言っていたけれどさ。あれは、あたしから見たらそれ以上だと思うんだけど。あの子はその感情を認めたくはないけれども、あたしとは違うベクトルで恋してしまったんだよ」
「それは困る。俺にはお前、響子がいるし」
「周りは“オトナ”の女ばかりじゃないんだよ。こうした事態にも対応することができるようにもなっておかないと駄目でしょーが。あんた、この仕事何年やってきたのさ? あたし一筋でガードが固いのは嬉しいよ。けれどもね、柔軟に応じてみせても良いんじゃないの」
「それはごもっともだけど、面倒は抱えたくない」
刹那、事務所内に叩いた音が響き渡った。
響子がソファーから立ち上がり、雷蔵をビンタしたからだ。
隣の彼氏を強く見下ろして、声を上げていった。
「あんたがそこまで大馬鹿だったとは思わなかった! 女ひとりに恥をかかせて泣かせておいて、その言いぐさはなんだよ! たまには規則を破る勢いでイイ女に対応してみせろよ! あんた、あたしが好きになった男だろ? 雷蔵らしくやってみせてよ!」
目を伏せて訴えを聞いていた雷蔵だったが、頬を痙攣させたと思ったら手で押えていき、右手で「ちょっとタンマ」のジェスチャーを響子に向けた。
「言いたいことは分かった。俺が悪かった。ーーーそれと、本気で痛い。冗談じゃなくて本当に脳が揺れた」
「え……、あ……。ご、ごめん……。氷、持ってくるね」
じぶんのやったことに我にかえった響子が、流し台のある部屋へと行き、ポリ袋に氷を詰めてタオルで巻いたものを手にして戻ってきた。少し涙目になりがらも、雷蔵の赤く腫れた頬に優しく自家製の氷嚢を当てて、再び隣に腰を下ろした。あるていど痛みも落ち着いたところで雷蔵は周りを見渡してみたら、響子以外の女性陣が笑いを堪えていたではないか。しかし、ミドリだけは違っていて、目もとの涙を指で拭いながらも視界に入れていたのは雷蔵と響子だけだった。泣くことをおさめて、鼻をすすり、頬を赤く染めていた。
雷蔵は氷嚢を頬に当てて、再びミドリを見る。
「ミドリさん。先ほどは俺が悪かった。ごめん」
頭を下げて謝罪したあと、姿勢を戻す。
「まずひとつ言わせてほしいのは、護衛人は依頼を受けた以上は依頼人と関係を持ってはいけないんだ。だから、あなたの依頼を受けたからには解決するまでは護衛人と依頼人の関係なんだよ。この場が俺とミドリさんが友達関係であっても、今からは俺は護衛人でミドリさんは依頼人だ」
「え? いいの? 私と雷蔵さん、友達になっていいの?」
「ん? そりゃな。飲み会をしているうちに会話して言い合いしている仲になれば、俺は友達だと思っているけれど」
「じゃあ、じゃあ、依頼が終わっても私と友達でいてくれる?」
ミドリの緑色の瞳が、キラキラとしていた。
この黄金色の髪の美女は、男性嫌悪を持っているはずである。
「私、雷蔵さんみたいな友達がほしかったんだ」
「それはありがたい。ーーーまあ、話しの続きをさせてくれるか」
「え……、あ……、うん……」
「よし。ーーーで。さっき言ってくれた報酬の件。あれは、君がハイドラから全てを取り戻してリエさんと舷吾郎さん、そしてタヱさんと再会してくれるならそれだけで充分。なにせ、神の子の依頼だ。俺と響子の人間が協力して成果を出せれば、見届けられればこの仕事を続けてきて良かったと思いたいんだよ」
「私からなにも取らなくて良いの?」
「良いんだ。なんといっても一件目に受けた依頼の報酬が大きいからだよ。教団の崩壊と陰洲鱒町のみんな、とくにミドリさん亜沙里さん摩魚さんなどの新世代の護衛を達成することができた場合、この仕事を続けてきたうちで一番大きな報酬を貰える。だから、これ以上の欲は出さないし俺と響子の二人には大きすぎるだろうな」
「三人! ここに依頼を受けた三人目がいるんですけど!」
魔女の尾澤菜・ヤーデ・ニーナが挙手して訴えてきた。
確かに、この魔女は雷蔵から人手の加勢を頼まれて来た。
歯を剥き出して、青年の護衛人に言葉を投げていく。
「あんた。最初に電話くれたとき、ギャラは三等分かと交渉したときにオーケーつったよね。さっきから話し聞いてりゃ、あたしが入っていないってのは、どういうこと?」
「わ、悪い。そうだった……! ごめん。本当に、ごめん」
片手合掌をして、ドイツ娘に謝罪する。
これを見たドイツの魔女は、笑みを浮かべた。
「あたしも、その、女神を相手に闘ってみたいな」
「ニーナさん! 私が困難している相手なのよ。あなたの命が危ない」
「ありがとうミドリさん。でも、三人一緒には行動しないから。あなたから取り戻された女神は、必ず摩魚さんを狙いにくるよ。それを予想して、あたしはその隠れ家に先回りして女神を海馬さんたちと迎え撃つ。心配はないわ」
ニーナの言葉を受けて海馬を見たあと、再び雷蔵を向く。
「大丈夫そう」
「ね。そうでしょう」
なんか知らんが納得したミドリに乗るニーナ。
「まあ、話しを戻すけど。ーーーもしも、ハイドラから全てを取り戻して依頼が解決したとする。そのあとは護衛人と依頼人との関係はなくなる。業務終了だから、俺はなにも君に関与しないしできない。しかし、友達関係は続く。あとはミドリさんしだいでいいと俺は思ったよ」
「え……。じゃあ、チャンスある?」
「ええと。君の気が変わっていなければ行動して良い、かな」
「二言はない?」
「お前、揺さぶってくるよな」
「雷蔵さん。さっき言った言葉、忘れないでね」
頬を薄く赤く染めたミドリの笑顔に、今度は雷蔵も含めた全員が魅了されてしまい、動きと表情を止めてしまった。隣の響子に黒い瞳を流したあと、再びミドリを見る。
「ああ。ーーーもし忘れていたら、なにか言ってくれ」
「分かったわ」
それから。
「さあ時間よ。摩魚ちゃん亜沙里ちゃん、私たちはお暇させてもらいましょう」
「名残惜しいけど」
「しょうがないね」
海馬の呼びかけに、摩魚と亜沙里が続いてソファーとパイプ椅子から腰を上げて事務所の玄関へと三人は足を運ぶ。それぞれが靴を履いたあと、これから残る面々へ手を振っていく。
「雷蔵くん、響子ちゃん、みんな。楽しかったわ。また会いましょう」
「皆さん、ありがとう。楽しかったよ!ーーーミドリちゃん、またね。おやすみ」
「楽しかった! みんなお疲れさま。ーーーミドリ、またね。おやすみー」
同年代の二人に返すミドリ。
「摩魚ちゃん、亜沙里。私も楽しかったよ。おやすみ。またね」
そう手を振って送り出した。
残る雷蔵たちもあとに続いて、お疲れさま、ありがとう、と言って三人を送り出していった。
それから。
あのあと、十分と経たぬうちに残りのメンバーも飲み会をお開きにして、摩周ヒメと龍宮紅子と磯野マキと虎縞福子と尾澤菜・ヤーデ・ニーナは各々が帰る準備とともに後片付けを手伝うことに入っていた。




