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問題編 #2

「学ー」

 一階からの母の声で、長瀬は目を覚ます。掛け時計を見る。5時21分。

 早えーよ。そう突っ込みたい衝動を押さえて、眠い目を擦りながら着替えて一階のキッチンへ下りる。

「もう、ママ、起こすの早すぎるよ」

「何いってんの、今日は友達が来ているのよ!あんな早く来るなら前もって教えなさいよ!」

 母は少しイライラしている。

「えっ?」長瀬は驚く。


 長瀬が支度を済ませて玄関に行くと、そこには是永が立っていた。

「是永」

 是永の小柄な体、ぶにっとしたその表情、しかもこの人が自分に告白と来る。

「な、何でわざわざ呼び出しにくるんだよっ」

 長瀬は必然的に顔を真っ赤にした。

「ごめん、無理矢理呼び出して」

 是永は頬を赤らめてうつむく。

「いくら何でもこの時間は‥‥」

「じゃ、あの、うん、あのっ、一緒に行こう」

 是永は長瀬を無視してしどろもどろにそう言い、長瀬に右手を差し出す。

「あのな、是永・・・」

 長瀬は顔を真っ赤にしてしばらく考え込んでいたが、歩き出す。

「あのっ、手は」

 是永が長瀬の後ろから尋ねるが、長瀬はきごちなく首を横に振る。

「いや、いい」


 是永は終始黙ったままである。長瀬も、恥ずかしさからそんな是永に一声もかけられない。

 2人ともお互い黙ったまま、校門の前まで来てしまう。

 早朝であり、さすがに校庭には全く誰もいない。いるとしたら、校庭の隅っこにある、登校下校の人には決して見向きもされない、かの小さな木の集まりくらいだろうか。

 そのうちの一本、幹の赤っぽい木の下に立って、是永はやっと口を開いた。

「あ、あの」

 一番低い枝でも人の身長を少しばかり越えているような、大きな木である。初夏ということもあり、葉も元気よく繁っている。

 しかしその木には見向きもせず、是永はただうつむいていた。長瀬もどきどきして、是永の頭のつむじばかりを見ていた。

「好きです、長瀬君のこと」

 是永のそれは、非常に小さな声であった。


 6時34分。

 2人の次に教室に来たのは、羽生であった。

「あら、長瀬君に北条く・・・あれ」

 羽生は自分の席に荷物を置くと、長瀬とその右隣に座っている是永の前まで回る。

「今日は早いのね」

「お、おはよう」

 そう言って是永は、机の下にぶら下がっている長瀬の右手をぎゅっと握る。それを見た羽生はにっこりして、「じゃあ私は生徒会に」と言ってそのまま教室を出ていく。それとすれ違いに、奥田が入る。

「よう」

「おはよう」

 奥田と長瀬がそう言葉を交わすと、是永はさらに強くぎゅっと長瀬の手を握る。

「おはっ、あっ珍しい、今日は早いんだな」

 井伊が教室に入ると、是永はいきなり立ち上がり、長瀬の頭をぎゅっと抱きしめる。

「私の、私の長瀬君は渡さないんだから」

「井伊男だぞ」

 長瀬の冷静な突っ込みに、井伊は笑い出す。

「あはは、こいつは傑作だ」

 他の生徒たちも続々と入って来るが、三ツ矢が2人の前に来たとき、是永の緊張は頂点に達する。

「私の男は、誰にも渡さないっ!」

 そう言って椅子に座っている長瀬を抱き押し倒す是永を、周りはくすくす笑いながら見ていた。

「お、おい、是永」

「今から私のこと、長読って呼んで」

「落ち着けって!」

「やた」

 そう答える是永。周りの雰囲気に耐えられなくなり、長瀬は怒鳴る。

「もうお前なんか嫌いだ!」

 周りはしんと静まり込む。

 是永は顔を真っ赤にしてぼろぼろ涙を流してゆっくりと立ち上がって、そのまま教室を駆け出してしまう。

 周りの冷たい視線が、床にあおむげになっている長瀬に降り注がれる。

「あれ・・・僕のせい?」

「当たり前だろ」

 後ろから、隣の席の北条の声。

「今すぐ謝って来いよ」

 長瀬は、しばらくの間固まっていた。


 長瀬は廊下に出ると、すぐさまそこを歩いている生徒を掴まえて尋ねる。

「是永、知らない?」

「あっちに行った」

「ありがとう」

 東側へ歩いて行くと、端の図書室の入口の手前に階段、そしてトイレのドアが並んでいる。長瀬は、とりあえず階段を下り始める。

 2階には1年生と3年生、3階には長瀬ら2年生の教室があり、2年生は何かというと下に行くことも多いのである。


 一方、さっき長瀬がスルーした3階の女子トイレの中では、羽生が手を洗っていた。

 ポケットから取り出した紫色のハンカチで手を拭い、自分の長髪を撫で、さてトイレから出ようとドアノブに手を触れた矢先。

 ドアが勢いよく開き、是永が真っ赤な顔で泣きながら、3つあるうち一番奥の個室に駆け込む。

「長読!」

 羽生もびっくりして、その個室を開けようとするが開かない。鍵がかかっている。

「何があったの、長読!」

 しかし聞こえるのは是永の泣き声ばかり。

 ドアを叩こうとして羽生はぴたりと手を止め、そのままトイレから出る。同時に階段のほうから長瀬が走って来たので、叫ぶように長瀬を呼ぶ。

「長読、泣いてるよ!このトイレで」

「えっ」

 長瀬は慌てて、トイレに入ろうとする。その服を引っ張り、羽生が一言。

「ここ、女子トイレよ」

 長瀬はため息をついてドアの隣の壁にもたれる。

「ちょっと見てみるね」

 長瀬にそう言って羽生は、トイレに入ってゆく。長瀬は、羽生を見守ることしかできなかった。


 羽生は、ドアのすぐ横の窓にぼんともたれ、ドアの向こうの人に話しかける。

「長瀬がいるよ」

 しかし個室の中から聞こえるのは泣き声ばかり。

「長瀬が、謝りたいって」

「ううっ・・・、頑張ったのに」

 羽生は微笑してそのままトイレから出てドアを閉める。

「あのぶんじゃ泣き止みそうにないわね、HRまで待ったら?」

 その言葉に長瀬は唇をかむ。不安そうな顔つきをしていたが、羽生が「見ていてあげるから行って」と言うと「じゃあ僕がここにいるから羽生は行って」と譲らない。

「長読が長瀬の顔見てまた泣いたらどうするの」

 長瀬はそれを聞いてしばらくしてから、その場を去った。


 結局、是永が羽生とともに教室に来たのは、HRの2分前。是永は席に座る前に、北条を隔てた席に座っている長瀬に微笑む。

「ごめん、私がやりすぎた」

 そう言って、座る。北条がぽんと長瀬の肩を叩く。

「よかったな」

「うん、おーい長読、僕も悪かった」

 長瀬の謝罪に、是永はにっこりと手を振る。

 その直後に、田代があらい息をついて教室に入って来る。

 いつも遅刻した時も平然とした顔をしている田代であったが、この時は違った。

 顔が真っ青。手が震えている。

 穏やかな教室の雰囲気は一変した。生徒らは、一気にそちらに注目する。

「死んで、る・・・」

 しばらくの沈黙の後、田代がやっと口を開く。

「どうした?田代、落ち着け!」

 井伊が叫ぶ。田代は戦々恐々とした顔で続ける。

「菅野が、死んでる」

 生徒らは騒ぎ出した。

「静かにしなさい」

 田代の後ろに立った、背の高い透き通った神田先生の声。生徒らは先生の次の声に注目したが、発されたそれは平凡であった。

「何かと見間違えたのですね、田代君、座りなさい」

 田代はさらに語気を強める。

「本当です!俺、見たんです!菅野が、あの日本兵の森の前で死んでいるんです!」

「それが遅刻の言い訳ですか」

 先生がそう言うと、教室からは一時の沈黙の後、どっと笑いが起こる。田代は、もうどうにでもなれと叫んで、教壇を一蹴りして席に向かう。それを見とがめるように田代を睨んで、先生は出席簿を開く。

「田代は昼休みに職員室に来なさい。では出席を取ります。井伊君」

「はい」

 出席取りも進んで行って、川野の番になった時。

「川野ー、休みですか?全く連絡もなしにうちのクラスは・・・」

 神田先生は愚痴をこぼしながらも続ける。


「今日は・・・川野君と奥田君と菅野君がいないですね」

 ため息をつきながら出席簿を閉じた先生は、教室から出て行ってしまう。

「おい田代」

 長瀬が、後ろにいる田代を向く。田代はまだ震えている。

「お、俺は違うんだ、菅野がメールよこすからいけないんだ」

「何があった?」

 北条が尋ねる。

「今朝さ、7時過ぎに菅野からメールが来てさ、用があるからあの木の下に来いってさ、で行ってみたらさ、あのさ、た、倒れて・・・」

「落ち着いて、先生来てるわ」と羽生。見ると、いつの間にか英語の先生が教壇に立っていた。

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