第六話「みち。」
死んでる——
その事実は私には重く、受け止められなかった。あんまりにも美奈が、普通すぎたから。
でもお姉ちゃん、もしかしたらって、どういう事なんだろう。お姉ちゃん、いつもその先は言わない。
入学の時だって、私の事情、肝心な部分は私の口から言わせてくれてたし。
私、やらなきゃ。
図書館に着き、私たちが車から降りると、
お姉ちゃんはウィンドウを開け、真剣な口調で言った。
「じゃあいずみ、あなたたち、しっかりね。本当に、何かあったら連絡するのよ。取り返しのつくうちにね。」
「うん、お姉ちゃんありがとう。」
「美桜さん、ありがとうございます。」
「まっ、やるだけやってみるか。もう今日は時間も無いしな。」
「う、うん。何から調べたらいいんだろ?事件……。」
「そうね、やっぱり新聞、あとはデータベースかしら。」
「どうやって調べるんだ?手当たり次第か?」
「馬鹿っ。そんなんじゃ日が暮れるわよ。何か絞らないと。最上さん、美奈さんとの会話で何かなかった?」
「美奈、二、三年って言ってた。あとは……なんで学校に居るのかな?」
「美奈さん、学校で……ころ——亡くなった?」
死んでいると実感したとはいえ、言葉にするには重く、沈黙が落ちる。
人の死なんて、私たちには、まだ。
図書館の中に入ると、まだちらほらと来館者が残っていた。黒髪のワンピースの女性、少し服のよれた男性、スーツ姿のきちっとした男性、そして司書の女性。
私たちは室内の角、パソコン優先席に近い閲覧席に座った。
「最上、他になんか言ってた事とかねぇか?」
「う、うん。あと旧校舎。あそこを一緒に通った時、美奈なんか、寂しそうな、でも懐かしいような顔してた。」
「ああ?どういう感じだ?」
「昼とかよく居るって。落ち着くって。」
「落ち着く……何かしら?」
真也くんが頭を掻きながら、呟いた。
「なんかよぉ、あいつって、多分……。」
「何よ真也、言いなさいよ。」
「いや、あいつ……男が苦手、じゃねぇな、怖いんじゃねぇか?」
「えっ、でも私、男の子だよ?」
「だって最上さん、見た目が女子だもの。」
「あ……だから初めて会った時……。」
「うん?ああ。男らしかねぇもんな。」
「えっあっう、うん。」
照れ臭そうにするいずみに、青野がぽつりと呟く。
「そんな事……。」
「あん?」
「あ、今は良いのよそんな事。それより、美桜さん、事件って言ってた。事件よ、事故じゃない!」
「なるほどな、何か……されたってことか。」
いずみは、胸を掴むように押さえた。
心臓が……痛む。
「でも待って、近くで……もし、もし、ころ、こ、殺されてたら、私たちも、もう知ってるくらい記事にならないかな?」
「あ、確かに。未解決だとしても、遺体が見つかってたら絶対に知ってるはずよ。私も真也も、転校してきたわけでも無いし。も、最上さんもずっとここに?」
「うん、この辺りにずっと住んでるよ。ハンカチ返せなかったお姉さん、多分、美奈。私、その時、小学生だったし。」
「ややこしいな、要は事故なのか?事件なのか?」
「ええと……事故、だと思うわ、多分。」
「でも最上のねぇちゃんは事件って言ったろ?」
「だから、殺人事件だったら、とっくに大きな記事になってて、私たちも知ってる筈よ。同じ街に住んでるんだから。事故で処理されて、そのまま終わったんじゃない?」
「なるほどな、なら出れないっつうのはなんでだ?」
「美奈は、校舎が安心する……から?」
青野が顎に指を置き、情報を一つずつ整理しながら考える。
「安心……事件だけど事故……男性が怖い……。校舎だと安心……安全だから?それって……。」
「でも蓮の考えだと遺体は見つかってないんだろ?」
「ええ、さすがに同じくらいの歳の子が事件で亡くなって、記事になってたら、記憶に残るわよ。」
「ならとりあえず調べようぜ、二、三年前あたりで、事故、小さい記事か?」
「うん、でも、いいのかな。美奈のこと勝手に調べて。」
「最上さん、しっかりしなさい。あなたがあの子の救いになるかもしれないのよ。」
「おお、蓮。最上のねぇちゃんみたいだな。」
「ばっ、ばか真也!美桜さんは、だって。いいのよ今は!調べるわよっ!」
それから私たちは手分けして記事を調べていった。
カウンターで司書さんに地方新聞の原紙を借りては席へ戻るのを繰り返し、真也くんは手つきが危なっかしくって破きそうだったから、パソコンのデータベースで調べてた。
美奈の事、知りたい。何があったのか。
調べて何が変わるかはわからないけど、お姉ちゃん、信じてとは言わないわって言ってた。
きっと、何かある。
「なかなか、見当たらないわね。事故、女性、美奈さんの見た目、校舎に居るって事は……高校生……?」
「ん?」
「真也くん?なに?何かあった?」
「いや、これじゃねぇか?あー。」
「こっちでも見るわ、何年何月?」
「三年前の……冬だな。十二月。」
「待ってこっちも借りてくるわっ!」
「いや、俺も行く。」
私たちは司書さんの元に行き、その時期の新聞を借りてきて席へと戻った。
丁寧に広げていき、見ていくと一つの記事。
「これ……。」
地方新聞の小さな記事。
用水路に女子高校生、意識不明の重体
15日午後8時半ごろ、県内の住宅街を流れる用水路で、近くに住む高校2年の女子生徒(16)が水面に浮いているのを母親が見つけ、119番した。
女子生徒は救急隊に救助され、病院に搬送された。発見時は意識がなく、心肺停止の状態だったが、その後、心拍が再開したという。現在も意識不明の重体。
警察によると、女子生徒の帰宅が遅いことを心配した母親が自宅周辺を探していたところ、用水路にかかる橋の近くで女子生徒を発見したという。
用水路は幅約3メートル、深さ約40センチ。女子生徒は衣服を着た状態で水面に浮いていた。
警察は、女子生徒が何らかの原因で用水路に転落したとみて、当時の状況や転落した原因を調べている。
「美奈……?生きて、る?」
「三年前の記事ね。でもこれ、名前が無いわ。断定は出来ない。」
「けど、前後の記事も漁ったけどよ、他に女子高生が~ってのは特に無かったぞ。」
「ええっと……さっきの美桜さんの言い方、何か含みがあったわよね。信じてとは言わないけど、もしかしたら、って。」
「つまり、なんだ? 生きてんのか? でも居たじゃねぇか。幽霊の姿で。」
「美奈、幽霊……。なんだよね、でも生きてるとしたら……幽……体……?」
「最上さん、今なんて? 幽体……幽体離脱ってこと?美桜さん、もしかしたら。って。もし記事のこの子が美奈さんだとしたら。繋がる……繋がるんじゃない?」
「美奈が、幽体で体はまだ?」
「ああ、そういう事か。つまり、あれか。意識不明のまま今も、って事か?」
「じゃあ、美奈は危ない……?だって幽体のまま、体はそのままで今も?」
「美桜さん、だから時間がないかもしれないって言ったのかしら。」
「お、おい。き、消えるとかそういうのも、そういう意味なのか?」
「美奈……。行こう、会いたい。私、逃げない。」
「ええ。行きましょ……何これ。いつからあった?」
「なんだ?メモ……?見るぞ……っ!」
テーブルの端に、四角く折り畳んで置いてあったメモ。乱雑な字で。
それ以上探るな
「何……これ。」
真也くんがすぐさま通路へと走り、来館者を見渡した。
「くそ、わかんねぇ。なんだよそれ。」
「私たちの会話を……聞いてた? 私たちが話した内容……記事、事故の事……探るな……。」
「なあ、それってやっぱり何かされたって事か?くそ、わからん事だらけだな。」
「う、うん。でも行こう、行かなきゃ。」
「最上さん、美桜さんに連絡だけしておきましょう。私……ごめんなさい、怖い。」
「まあ、な。不審者どころじゃねぇしな。」
スマホを取り出してお姉ちゃんにかける。
1コールもしないうちに繋がった。
「いずみ? 何かわかったの? 落ち着いて話しなさい。」
「お、お姉ちゃん、あのね——」
私は、私たちが出した仮説と、見つけた記事、そして最後のメモの事を話した。その間、真也くんはずっと辺りを警戒してた。
男の子、こういう時、私ダメだな。強く……ならなきゃ。
「いずみ、話はわかったわ。じゃあ答え合わせね。外に来なさい。」
「えっ?ね、ねぇ青野さん、真也くん。お姉ちゃんが外に来てって。」
通話はそのままに、私たちが外へ出ると、お姉ちゃんの車がすぐに見えた。
ウィンドウを開けて待ってたみたい。
「乗りなさい。行くわよ。」
「美桜さん来てくれるんですか⁉︎」
「ええ。こんな時間にあなた達だけで行かせられないわ、メモの件もあるし。でも、私は校舎の中までは入らない、外で警戒しないと。」
もうこんな時間、すっかり暗くなってる。美奈……。
美桜は車を飛ばし、学校へと向かった。
「じゃあね、私はこの辺りを車で回って様子を伺うわ。もう、これじゃ私が不審者じゃないの。いい?その子に会ったら、あなたたちの仮定を言うのよ。けど、まず先に可能性を示して。」
「ありがとう、お姉ちゃん。じゃあ行くねっ。」
大通りで降りて、あの横手。
校舎と薮に挟まれた細い道、美奈が〝明日〟と言った道。
「ああ、玄関からのがいいぞ。靴下じゃ足跡とか、不審に思われねーか?廊下とはいえ埃とかあるしな。」
「あんた、こういうことに慣れてるのね?」
「いやっ、そうじゃねぇけどよ。念のためだろ?」
「う、うん。次から入れなくなったら困るし、そうしよう。急ごう。」
靴を脱いで、窓から中へ入る。旧校舎から玄関へ続く通路は鍵がかかっておらず、そのまま廊下を歩く。
校舎に入ると、相変わらず無機質なコンクリートの匂いがした。
下駄箱から上履きに履き替えて、教室まで向かった。二階へ着くと、妙に寒い。
「み、美奈。」
美奈は、机に座ってた。いつもより、ずっと儚い笑顔で。
……寒い?
ぞわっ、と肌を撫でるような冷気。既視感。
以前よりも明確に、拒むような冷たさが肌に刺さる。
『いずみ。』
「う、うん。美奈、あのね。」
『もう、あーしに会いに来ないで。』
「えっ。」
「ど、どういう事だよ?」
青野が真也に目配せした。
「真也。今は。」
「み、美奈?どうしたの?私、美奈と——」
『あーし……死んでるんだよね。いずみと会っていいのかな。』
「美奈っ!聞いて!」
『あーし……いずみを、いずみに迷惑かけたくない!あたしのせいで、いずみが男の子って!いずみはバレたく無かったのに!二人だってあの時あたしがまた追い返せば良かったのに!あたし、怖がらせたくなかった……あたしがもっと、いずみだけ守ってれば!』
「美奈っ!いいの!美奈だけが辛い思いするの、私、嫌だよ……。私にも美奈の事、守らせてよ……。」
『でも、あたし。死んでるの。いずみと触れ合う事も出来ない。』
「美奈、話しながらたまに外見てたよね。あの顔、羨ましそうに、寂しそうに。」
『——。』
「美奈、私もわかんない。けど。」
「信じて。」
『い、いずみ。あたし、期待しちゃうじゃん。もう無理なのに、いつどうなるかもあたしわかんないのにっ!』
瞳を潤ませ、拳をぎゅっと握りしめる美奈。
そこにいるのは幽霊ではなく、ただの一人の少女の姿だった。
そして青野がぽつりと口を開いた。
「美奈さん、本当に死んでるのかしら?」
『えっ?』
「ああ、その事で調べてたんだけどよ。なんつーか、ええと。」
「私から言う。美奈、私も逃げない。だから、聞かせて。覚えてること。美奈が思ってること、違ってるかも知れない、死んでないかもしれないの。」
『でも、でもあたし……え?死んでるじゃん?どう見ても幽霊だよ?』
「あのね、体と心が、離れてるのかも知れないの。心だけがここにあるのかもって。」
『えっ、えっとあたし……あんまり覚えてないかも。』
「美奈、〝出れない〟ってのは、どうして?」
『あ、あたしなんか……怖くって。此処なら、安心する。』
「美奈、真也くんは怖い?」
『……ちょっとだけ。』
「私は怖くない?」
『いずみは怖くないよ?だって可愛いし。』
「っ!あ、ありがと……。」
「いや、そうじゃなくてよ、要するにお前、男が怖いんじゃねーの?」
『そう……かも。』
「ねえ、今までは一人で出ようとして出れなかった?私となら、外、出れないかな?一緒になら怖くない?みんなとなら大丈夫?」
『あ。うん、一人の時しか……だってずっと、ずっと一人だった。』
「やってみる価値はあると思うわ。美奈さん、行ってみない?」
「まあ駄目なら駄目で今と変わんねぇんだし、やってみりゃいいんじゃねぇのか?」
『そ、側に居てよ?あたし怖い。』
「うん。あ。」
「ああ?最上、どうした?なんかあったか?」
「お姉ちゃんの事、美奈に言ってない。美奈、外にお姉ちゃん来てるんだ。」
『へ?いずみのおねーさん?かっ、家族?あ、あの時の電話の?』
「うん、良い?美奈。」
俯き、頬を染めながら尻すぼみに。
『よっ、ょろしくぉねがぃします……』
いつのまにか、寒さは消えていた。
いずみがスマホを取り出してコール……いつもみたいにすぐに出ない。
「お、お姉ちゃん?大丈夫?」
「問題無いわ、少し、車の停める所を探すのに手間取っただけよ。で、そっちはどうなの?」
「う、うん。えっとね、美奈がみんなとなら出れるかも知れないって。」
美桜の声が落ちる。
「……そう。じゃあ待ってるわ。とりあえず、連れて来なさい。」
「みんな、行こう。お姉ちゃん外に居るって。美奈、行ってみよう?」
『う、うんっ。あたし出れるのかな?もう、寂しくない?』
「行こう、私、そばにいるから。」
私たちは校舎を出てあの路へ。
フェンスを乗り越え、残るは美奈だけ。
いずみは美奈にふわりと笑った。
「おいで。」
『う、うん。』
美奈が、すうっとフェンスを通り抜けようとするが、びくりと宙で強張った。いずみの顔を見て、もう一度フェンスへ。
『あ……出れ……た。』
思わず抱きしめようとするいずみ。
やっぱり触れない。
けれど、ぬるい。確かに、そこに美奈があった。
「美奈!出れた!ふふ、これからもっと会えるよ!」
『会える……外、で。』
あたりは完全に暗く、仄かに蒼白い光に包まれた美奈の頬が、対照的に、ほんのりと赤く染まっていた。
「……。」
「蓮。」
真也が蓮の背中をぽんと一回だけ軽く叩く。
道の向こうから、何度かライトが点滅した。
振り向くと直ぐに美桜の車が見えた。
いずみたちが駆け寄る。
美奈も、ふわふわと浮きながら着いてこれた。
『あれ、いずみのお姉さん……?』
「うん!お姉ちゃん!」
「ああ、最上の姉ちゃんこええぞ。」
「そんな事ないわっ!とても……素敵な人よ。」
車に駆け寄ると、美桜が美奈を真っ直ぐと見つめる。
何かを、確かめるように。
先に口を開いたのは美奈だった。
『お、お姉さん……はっ、はじめましてっ!ゆ、結城美奈です!』
それを見た美桜がふわりと笑う。
その表情には、いずみと似た空気感があった。
「みんな乗りなさい、あたしの家で話しましょう。美奈さんも乗れるのかしら?おいで。」
助手席に乗るいずみ。後部席には青野と真也。いずみと青野の間で、美奈はいずみのシートを掴んだままふわりと浮いていた。
気まずそうに、青野が目の前にある美奈のお尻に向けて話しかけた。
「み、美奈さん、あの。う、後ろが。い、いやいいわ。」
真也は窓から外を見ていた。何も言わず。
美桜が気付き、声をかけた。
「真也くん、紳士なのね。ふふっ。」
「あー?別に……。」
「いつもそう?言わないと伝わらない事もあるわよ。ふふ。」
「なによ真也、何か隠してるの?」
「何もねぇよ。今は……結城の事だろ?」
美桜のマンションへはすぐに着いた。
リビングで、テーブルを囲むように四人が腰掛け、美奈はいずみの後ろでふわりと浮いていた。
そして、一呼吸置いて美桜が口を開いた。
「大体の話はさっきいずみからの通話で聞いたわ。そうね、美奈さん、あなた、戻った方がいい。あなたのいる場所はここじゃないわ。」
『ふぇっ⁉︎』
「お、お姉ちゃんっ!」
「まず私は霊感が強い。そして実際に見て、思った事を言うわ。美奈さん、あなた、生きてる、きっと。あなたは今、死と生の間に立ってると思う。まだその繋がりは完全には切れてない。とはいっても、私も断言出来るほどの力じゃないわ。あくまで、推測よ。」
『で、でもあーし、あんまり覚えてない。』
「あ、あの、美桜さん。私の仮定なんですけど……」
「ええ、聞くわ。話してみなさい。」
「美奈さん、体はあるんじゃ……まだ、介助してる方がいるんじゃないのかなと。」
「ええ、私もそう思うわ。他には、どう思う?」
「あー、俺も良いか?普通に親とかじゃねえのか?」
「あ、記事に〝母親が〟って載ってた……。美奈のお母さん。」
『お、お母さん……。あ……私……』
「美奈さん、お母さんはどんな方だったの? 」
『やさ……しかった。凄く……。』
「なら今もあなたの体を介助してるはずよ。多分……献身的に。おそらくは、寝たきりの娘を、今も。私ならそうする。」
『で、でもあーし……何もわかんない、お母さん、思い……だした。けど、家も何も……』
「わからないなら私に頼りなさい。あなたはいずみの彼女なんだから。他の子とは状況が違う。遠慮なく頼っていいのよ。」
『お、お姉さんっ……あ、あたし……』
美奈の目から、ぽろりと一粒、涙が頬を伝う。
堰を切ったように、ぽろぽろと泣き出す。
そこには、三年間分の雫が溢れ出ていた。
姉が示してくれた道、この先へと続く路。
その路はか細く、まだ可能性の一つ。
まだ、どうなるかは誰にもわからないが、
確実に、一筋の光を放って。
——そして、何処かも知らぬ薄暗い部屋で。
「あ、アイツのせいだ……。アイツが悪いんだ……。」




