一夜明けて、劣化女性たちの嘆き
あの日を境に、王都の景色は一変した。
麗しい女性たちと、極上の香りに彩られた『美の都』は、私が『悪臭』と感じていた認識通りに、今や絶望と悲鳴が渦巻く地獄と化している。
「いやあああっ! 鏡を全部壊してぇ!」
「誰か! お願い、私の顔を治して……っ!」
普段は和やかな王都の至る所から、女性の泣き叫ぶ声と、鏡を割る音が聞こえていた。
翌朝――。
普段は静謐な空気が漂う神殿の待合室は、パニック状態に陥った女性たちで溢れかえっていた。
昨夜の王城のパーティーに参加していなかった下級貴族や、王都の一般市民である。
彼女たちもまた『ネマの化粧品』の愛用者であり、昨晩のネマ失踪と同時に魔法が解け、一斉に顔が崩れたのだ。
昨日までのツヤツヤとした陶器のような肌は見る影もなく、彼女たちの顔は老婆のように深くシワが刻まれ、土気色に変色してたるんでいる。
中には、顔の皮膚がジクジクと腐敗し続けている重症者もおり、神殿内はあの強烈な腐臭と、すすり泣く声で充満していた。
(……本当に、とんでもないものを流行らせてくれたものだ)
私は内心で深くため息をつきながら、目の前の椅子に座る下級貴族の令嬢に向けて、スッと右手をかざした。
私の右の手のひらから、淡く清らかな光が放たれる。
聖女の魔法は杖などの触媒を使わず、自らの肌から聖魔力を放出することで発動する。
内在する『聖魔力』を己の肌で、普段から世界とすり合わせ、循環と精錬を経た上で聖魔法として使うことが可能になるのだ。
もし、化粧等をして肌を塞ぐと、それらが阻害されて聖魔力が機能不全を起こしたり、体内で魔力酔いが発生したりと様々な弊害が起きる。
そうなると、生まれつき『聖魔力』を保有する女性だけがなれる『聖女』の、命とも言うべき『聖魔力』が衰えてしまう。
だからこそ、聖女は肌を化粧で塞いではならない。
『聖女は清貧を尊ぶべし』の規律は、節義を重んじる聖女の伝統的な規則だけど、実際は『機能低下防止』の意味合いが強い。
今となっては、その昔ながらの規律が正しかったことが、はっきりと証明された形となった。
「『浄化』」
かざした私の右手から放たれた光が、彼女の顔を覆う淀んだ魔力を散らす。
ジューッという嫌な音と共に黒いモヤが消え去り、腐敗の進行はピタリと止まった。
まったく……もう昨夜から、ずっとこの調子だ……。
王城のパーティーで異変が起きた直後から、私は『浄化』しっぱなしだった。
会場に撒き散らされたネマの新作……今となっては、最後の置き土産となったピンク色のミストを浄化して、その後はパニックに陥る若い貴族女性全員に、一晩中かかって浄化を施し、症状の進行を食い止めた。
そして朝になり、今度は王都中から女性市民が神殿に殺到している。
本来なら他の聖女たちと手分けして治療に当たるべきなのだが……現在、神殿でまともに聖魔法を使えるのは、私一人しかいなかった。
ネマの化粧品ブームにあてられた聖女たちは、『綺麗になれる誘惑』や『大ブームに乗れない疎外感や孤独感』『化粧をする女性たちからの迫害や哀れみ』『男性に愛されたい欲求』などが加速して、規則を破って化粧をしてしまったのだ。
その結果、彼女たちも呪いを受け、肌が劣化して、聖魔力が汚染され衰えた挙げ句、聖魔法が使えなくなってしまっていた。
ネマの化粧品を使っていない年配の聖女たちは、皆結婚して引退状態であり、この強力な呪いを『浄化』することが出来ない。
結果として、激務のすべてが私にのしかかっていた。
「はい、終わりました。これで命の危険はありません」
「あ、ああ……! ありがとうございます、聖女様! これで、これで元の美しい顔に……っ!」
ふと気づいたけど……この女は昨日、ネマ通りでエリザと一緒に、私を馬鹿にして笑っていた下級令嬢の一人だった。
『すっぴんなんて貧乏くさい』と、私の顔を指差していた女だ。
治療を終えた令嬢が、震える手で手鏡を取り出し、自分の顔を覗き込むと、彼女の顔がみるみる絶望に歪む。
「なっ!? ど、どうして……っ!? シワが消えていないじゃない! 肌の張りも、瑞々しさも戻っていないわ! 治ったんじゃないの!?」
「ええ、治しましたよ。『呪いの進行』は……」
「だったら、どうしてシワシワの顔のままなのよ!」
すがりついてくる令嬢から、私はスッと一歩距離を置いた。
「勘違いされているようですが、聖魔法は『毒』や『呪い』自体を『浄化』で祓うものです。貴女の顔が老婆のようになっているのは、化粧品に施された呪いよって『生命力』と『若さ』そのものを吸い取られてしまった結果です。すでに起こってしまった結果を変えることは出来ません」
「え……?」
「私は、バケツの底に空いた穴を塞いだに過ぎません。抜けてしまった水……つまり『若さ』や『生命力』は、自然に溜まるのを待つしかありませんね」
「し、自然にって……どれくらい……」
「そうですね。失った分の生命力が回復するまで……早くても、半世紀はかかるかと」
私の言葉に、令嬢は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
それはつまり、ずっとこの顔のまま生きていくのと同義だ。
「嘘よ……嫌、嫌あああああっ!」
待合室のあちこちで、同じように真実を告げられた元美女たちが泣き崩れ、床を叩いている。
昨日まで私を「時代遅れの地味女」と嘲笑っていた彼女たち……その変わり果てた姿は、実に哀れという他なかった。
しかし、中には後悔と反省を口にする女性もいた。
「……聖女様、ごめんなさい。あんなに貴女を馬鹿にして……『すっぴんなんて女を捨ててる』なんて、あんなにひ酷いことを言って……」
「これが罰なのね……借物の美しさに溺れて、聖女様を見下した罰なんだわ……っ」
今までの自分の行いを省みて、何人かは私に謝罪の意を伝えてきた。
でも、私に出来るのはここまでだ。
失われた時間や、決定された事実まで巻き戻す魔法なんて、神様でもない限り不可能だ。
私は同情も嘲笑も表に出さず……ただただ平坦な心のまま、事務的に声を張り上げた。
「はい、次の方どうぞー。順番に浄化しますから、落ち着いてくださいね」
私が淡々と呼びかけると、次に進み出てきたのは見覚えのある同い歳の女性だった。
皺だらけのたるんだ顔を押さえて、涙ぐむ彼女を見て私は思い出す。
「……だから以前、その化粧品はすごく変な臭いがするからやめた方がいいと忠告したのに」
私の言葉に、彼女はハッとして顔を上げ、そして顔を真っ赤にして怒鳴りだした。
「あっ、あの時、貴女はただ『臭い』としか言わなかったじゃないの! なんでそれが呪いだって教えてくれなかったのよ!」
「私としても、ただに臭かっただけで、呪いという確証はなかったんだから仕方ないよ」
「そんなの……! 言い訳にしか聞こえないわよ! もっと強く止めてよ! 貴女が無理やりにでも、私の化粧品を取り上げていれば、こんなことにならなかったのに!」
完全に責任転嫁だ。
仮に、この女の言う通りにしていたところで、絶対に「嫉妬で気が狂った変人」扱いで終わっただろう。
思えば、彼女は学校にいた頃から高飛車で自己中心的な人だった。
私は大きくため息をつき、冷ややかな視線で彼女を見下ろした。
「……逆ギレする元気があるなら大丈夫だね。肌が老けただけで、身体的には何の問題もないから、普通に生活して大丈夫だよ」
「ふざけないで! 冗談じゃないわ! こんな醜い顔で、生活なんて出来るわけないじゃない!」
顔を覆って叫ぶ彼女を見ながら、私は内心で首を傾げた。
(この人にとって、生活ってなんなんだろう……)
美味しいご飯を食べて、温かい布団で眠り、日々を平穏に過ごす。
それが生活ではないのか。
美しさで他人を蹴落とし、マウントを取ることなのか。
優越感を振りかざすことを『生活』と呼んでいるのなら、それはもう人じゃない。
見栄に取りつかれた化け物だ。
むしろ、人に戻れて良かったねと言ってあげたいくらいだ。
「……終わりましたよ。はい、次の方」
私は心の中の毒を飲み込み、事務的に右手をかざして『浄化』を済ませる。
悲鳴と号泣、そして後悔の念が響き渡る神殿の中で、私の淡々とした声だけが、ただひたすらに、冷静に響き続けていた。
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