エピローグ
ネマの呪いが解け、魔の森が浄化されてから数週間。
王都は、かつてないほどに穏やかで、澄み切った空気に包まれていた。
私はいつものように、神殿の庭に置かれたベンチで、淹れたての紅茶を味わいながら大きく深呼吸をしていた。
「すぅーっ……はぁーっ……うん、完璧。素晴らしい無臭だね」
「ふふっ、ラフィナ様! 今日の王都も、黒い虫やドロドロしたモヤモヤなんてまったくありませんよ! みんな、とっても自然な色をしています!」
庭の掃除をしていたリンリルが、箒を持ったまま嬉しそうに駆け寄ってくる。
彼女のルビーのような瞳に映る世界は、もう絶望や悪意で濁ってはいない。
『大浄化』で瘴気が消えて、私の嗅覚とリンリルの視覚が異常を感知することはなくなった。
私たちは念願だった『平穏』を手にする事が出来たのだ。
カルネア様は、ユリアリスと一緒に孤児院の手伝いに行っていて、子供たちの先生として面倒を見ている。
ユリアリスは今、カルネア様と共に神殿で働きながら、穏やかな日常を取り戻しているところだ。
久しぶりに再会した友達同士の2人は、すぐにわだかまりを解いて昔のように仲睦まじく過ごしている。
そして、神殿の門の向こうに見える王都の通りも、かつての活気を完全に取り戻していた。
道を歩く女性たちの顔には、もう分厚いベールも、不自然なほどに塗りたくられた化粧もない。
誰も素顔を恥じることなく、太陽の下で堂々と笑い合っている。
作られた美しさという強迫観念から解放された人々の顔は、どんな最高級の化粧品よりも輝いて見えた。
「嬢ちゃん! 今日も美味そうに茶、飲んでんな!」
「お邪魔します、ラフィナ様。本日の警護任務の合間に立ち寄らせていただきました」
平穏な神殿の門をくぐって、庭にやってきたのは、大剣を背負ったヤンバラと、純白の騎士服に身を包んだヴィノンだった。
そして彼らの後ろからは、翠色のローブを着たティエリーが、やれやれと肩を竦めながら歩いてくる。
「まったく、この脳筋どもは……魔の森の事後調査という重要な任務が残っているというのに、少し目を離すとすぐにここへ入り浸ろうとする。……まあ、私もこの神殿の空気が性に合っているのですがね」
「皆さん、いらっしゃい。お茶、淹れますね」
すっかりこの神殿の庭は、『最強パーティー』たちの憩いの場として定着してしまっていた。
「……おやおや。次期国王がやって来ましたよ」
ティエリーがティーカップを受け取りながら、門の方へと視線を向ける。
そこには、公務の合間を縫って馬を飛ばしてきたであろう、シルアレク殿下の姿があった。
「ラフィナ!」
殿下は私を見つけるなり、ぱぁっと顔を輝かせて一直線に駆け寄ってきた。
「今日も君は、朝露に濡れた白い薔薇のように美しい! ああ、世界が救われて本当に良かった。……これでようやく、誰にも邪魔をされずに、僕たちは永遠の愛を誓えるね、ラフィナ!」
殿下は私の前に片膝をつき、私の右手を取って、絵本から抜け出してきた王子様のように熱烈な瞳で私を見上げた。
それを見て、ヴィノンが悔しそうに唇を噛み、ヤンバラが豪快にと呆れている。
私は、繋がれた右手の温もりを感じながら、ふぅっと小さくため息をついた。
「……殿下」
「なんだい、僕の愛しいラフィナ!」
「永遠の愛とか、一生を契るとか……そういうのは本当に興味が無いので、パスでお願いします」
私の容赦のない即答に、殿下は「ガーン!」と効果音が鳴りそうなほど分かりやすく肩を落とし、まるで叱られた大型犬のようにしょんぼりと項垂れた。
後方からは、ティエリーの「ぶふっ」という吹き出す音が聞こえる。
「……でも」
私は、彼の手に包まれている自分の指先を少しだけ動かし、そっと握り返した。
「隣で一緒に、お茶を飲むくらいなら……ずっと、付き合ってあげますよ」
「…………っ!!」
その言葉を聞いた瞬間、固まっていた殿下の顔に、『パァァァッ!』と今日一番の眩しい光が差し込んだ。
「ああ……っ! 最高の言葉だ! 僕の人生は、これからも君という愛で満たされ続けるんだね!!」
勢いよく立ち上がった殿下が、歓喜の声を上げて私を強く抱きしめた。
「大好きだ! ラフィナ!」
「ちょっと、お茶がこぼれますってば」
文句を言いながらも抵抗せずにいると、周囲からドッと温かい笑い声が沸き起こった。
「ガハハッ! 結局、殿下もお嬢ちゃんの手のひらの上ってわけだ!」
「まったく……悔しいけど、お似合いの2人ですよ」
「ええ、論理を超越した、実に興味深い関係性です」
「ラフィナ様! 珍しく、お顔が赤いですよー!」
ヤンバラが腹を抱えて笑い、ヴィノンが肩をすくめ、ティエリーが眼鏡を光らせる。
リンリルに至っては、手を叩いて無邪気に喜んでいる。
本当に、騒がしくて、呆れるほどに愉快な仲間たちだ。
(……でも、悪くない)
私は殿下の胸の『ドクンドクン』という速い心音を聞いて、少しだけ体温が上がるのを感じながら、口元を緩めて微笑んだ。
見上げる空は高く、どこまでも澄み切っている。
頬を撫でる風は、香水の匂いもしない、魔力や瘴気の匂いもしない。
ただの、心地よくて無臭の、当たり前の風だ。
どこまでも広がる青空の下、私たちの騒がしくも温かい日々は、これからもずっと続いていくだろう。
これで完結になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




