初めての弟子・聖女候補生
屋敷の奥、重い鍵の掛けられた離れの部屋。
使用人が鍵を開け、私たちが足を踏み入れたその部屋は、窓枠板が打ち付けられ、薄暗く埃っぽかった。
「……だれ……?」
部屋の隅、ベッドの脇で膝を抱えて丸まっていた小さな影が、ビクッと肩を震わせて顔を上げた。
子爵令嬢とは思えない質素な服を着ていて、壁にはサリィ校の深紅の制服が掛けられていた。
そして、エリザ証言通り、赤く澄んだルビーの瞳。
彼女は、部屋に入ってきた私を見た瞬間、信じられないものを見るように、目を大きく見開いた。
「あ……」
ぽろぽろと、少女の大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。
彼女はふらふらと立ち上がると、私に向かって手を伸ばし、祈るような声で呟いた。
「聖女……様……? すごい……『黒いモヤ』が……ない」
「……」
私はリンリルに歩み寄り、その小さな身体をそっと抱きしめると、彼女は私の腕の中で、張り詰めていた糸が切れたように大声で泣き出した。
「うぅ……ぐすっ……! ひぐっ……!」
「大丈夫だよ。もう……大丈夫」
私は背中を撫でながら、優しく語りかける。
とにかく安心感を与えてあげたかった。
「リンリル……あなたに見えていたものを、私に教えてくれる? 大丈夫、絶対に信じるよ」
リンリルは泣き声で、自分の視界について語り始めた。
「……私……小さい頃から『黒いモヤ』や『モヤの虫』が見えるんです。でも、誰に言っても『そんなのない』って……お母様も、お姉様も、『そんなこと言う私がおかしい』って……。私、どうしていいか分からなくて、怖くて、怖くて……」
幼い頃から誰にも信じてもらえず、一人きりで『黒い虫』の恐怖に怯えていたのか……。
「お母様とお姉様が、お化粧するようになったら、どんどん『おばあちゃん』になっていって……でも信じてもらえなくて、すごく怒られて……。学校行く以外は、お外に出ちゃダメって……絶対喋っちゃダメって……」
「そう……」
私は、リンリルが受けた疎外感や孤独感を癒したくて、抱きしめる腕に優しく力を込めた。
「怖かったね……苦しかったね……。街で、お化けも見たのよね」
「うん……学校から帰る時……本物のお化けがいて……。びっくりして、怖くて、思わず『お化けだ』って言っちゃって……」
(まあ、私でさえ今の彼女を人の顔ではないと思うんだから、9歳の子供なら余計にそう思うだろうな)
私は内心で深く頷きながら、彼女の背中を撫で続けた。
「誰も信じてくれなくて……。幻覚を見る私がどうかしてるって……。お母様とお姉様に怒られて……気持ち悪いって……私が嘘つきだって、みんな……っ」
悲痛な声で泣く彼女の姿が、幼い頃の自分と重なった。
強すぎる聖魔力のせいで、世界の悪臭に苦しみ、誰にも理解されずに部屋の隅でうずくまって泣いていた幼い私。
あの時、息の詰まるような孤独の中で、私を救い出してくれたのは大聖女様だった。
かつて、大聖女様に救ってもらったように、今度は私が、同じ境遇のこの子を救いたい……そう強く思った。
「リンリルは、嘘なんか言ってない。その目は、最初から正しく『真実』を視ていたんだよ。よく一人で耐えたね」
私の強い肯定の言葉に、リンリルはさらに私にしがみついて泣き出した。
私は彼女を抱きしめながら、彼女の体内に眠る強大で澄み切った『聖魔力』を感じ取っていた。
「リンリル……貴女には、聖女としての素晴らしい才能がある」
私が告げると、部屋の空気がピンと張り詰めた。
「リンリルは、自分で『黒モヤの虫』を祓えるようになれるんだよ」
「私が……聖女様に……なれる?」
「そうだよ……」
驚いた表情のリンリルの頭を、再度優しく撫でる。
「私には、呪いの元凶であるネマを追って『魔の森』へ向かう使命がある。でも、私が王都を離れれば、街の瘴気を浄化出来なくなってしまう。……だから、私がいない間、リンリルに王都を守って欲しいんだ」
「私が……?」
「そのために、私の弟子になってもらいたいの。リンリルが自分の聖魔力をコントロールして、聖魔法を使えるようになって欲しい」
そこに、シルアレク殿下が力強く一歩前に出た。
「これは特例だ。本来、15歳にならないと正式に聖女にはなれない。しかし、今は聖女不足の異常事態だ。才能ある者に力を発揮してもらいたい。王室も、第二王子の名において彼女を全力でバックアップしよう。リンリルは国を救う『聖女候補生』として、丁重に保護し、厚遇することを約束する」
「で、殿下……! そ、そんな……」
背後で控えていた子爵夫人と長女が、信じられないという顔でへたり込んだ。
幻覚だと決めつけ、気味が悪いと虐げていた娘が、実は誰よりも正しく世界を視ており、あまつさえ国を救う聖女の才能を持っていたと知らされて、茫然自失の様子だった。
「リンリルには、特別な聖女になれる力がある。だから『黒いモヤ』が見えるんだよ。それを消せる力があるから見えちゃうんだ。ずっとリンリルを苦しめた、その『黒いモヤ』を消す方法を、私が教えてあげる。……どうかな?」
私が尋ねると、リンリルは涙を拭い、ルビーの綺麗な瞳で、真っ直ぐに私を見上げてた。
「私は……もう、あんな怖い『黒いモヤの虫』を見たくないです。怖いものを見なくていい、綺麗な世界にしたいです」
「よし……! 一緒にこの世界を大掃除しよう」
私が微笑むと、リンリルはこくりと力強く頷いた。
その光景を見ていた子爵夫人と長女が、ボロボロと涙を流しながら、私たちの前に這いつくばるようにしてひれ伏した。
「リンリル……ごめんなさい、ごめんなさい! 私たちが愚かだったばかりに……っ! とんでもない間違いを……!」
「信じてあげられなくて、ごめんなさい……っ! 許してください……!」
泣きながら懺悔し、床に額を擦りつけて謝罪する母親と姉。
自分を虐げていた家族からの突然の謝罪に、リンリルは少し戸惑ったように私を見上げた。
私は彼女の小さな肩をポンと叩き、床に伏す二人に告げた。
「今はまだ無理ですが……いつか、リンリルが立派な聖女になって、貴女たちのその顔を治す日が来るかもしれませんよ」
「え……っ?」
「本当ですか……!? ああ、ありがとうございます、ありがとうございます……!」
一縷の希望を与えられ、二人は声を上げて泣き崩れ、何度も何度も感謝の言葉を繰り返した。
しかし、リンリルは不思議そうに私の袖を引いた。
「……それが出来るのは、聖女様ですよね?」
「ふふっ……私に出来るなら、きっとリンリルにも出来ると思うよ」
私はまたリンリルの髪を撫でる。
この子なら、きっと私を超える立派な聖女になれる気がする。
孤独だった私の初めての弟子。
私は彼女の澄んだ瞳に、世界の希望と、特大の期待を抱いていた。




