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006 紫の花

 青年はカウンター前にくると、リラの前で止まった。


 一瞬隣に座るミルカに目をやった後、リラに声をかけてきた。


「こんにちは。久しぶりだね」

「こんにちは。何かお探しでしょうか?」


 久しぶりにみる青年は少し疲れているような顔をしているようにも見えた。


「これを君に」


 青年は手に持っていた紫の花をリラに渡した。


「前に来た時、本をそのままにして帰ってしまったから。遅くなったけどお礼とお詫びを兼ねて。ありがとう」


 そういって青年は微笑んだ。


「いえ、片付けるのも仕事ですし気になさらないでください。でも、嬉しいです。ありがとうございます!」


 リラは満面の笑みを浮かべながら花束を受け取った。


 青年もそれをみて、満足そうにリラに微笑み返した。


「じゃあ、いってくる」

「いってらっしゃいませ」


 青年の足跡が聞こえなくなった後、ミルカが深く息を吐いた。


「あ~、緊張した。ていうかずるいわ! 花なんかもらって!」


 ミルカがあの青年と親しくなりたくて、通っていることを思い出したリラは、ちょっと困ったようにうつむいた。


「ご、ごめんなさい……」

「しかも、じゃあいってくる、なんて。なんでそんなこというのかしら?」


 すっかりミルカはふてくされている。


「リラもいってらっしゃいませ、とか。まるで奥さんみたいじゃないの!」

「えっ、奥さんですか?!」


 ミルカがそんな風に思ったことに、リラは驚くしかない。


「そんなつもりじゃ……普通に返していたつもりだったのですけど、おかしかったのでしょうか?」


 ミルカはじっとリラを見つめた。


「リラはあの人のこと好き?」


 リラは思わず固まった。


「もしかして、初恋とか?」


 頬を赤くして、リラはうつむいた。


「やっぱりね」


 ミルカは苦笑した。


「……素敵な人だなって思いますけど、名前も知らない人だし」

「聞いてみたら?」

「利用者の方にプライベートな質問をするのは規則で駄目なのです。職権乱用みたくなるというか。ミルカさんこそあの方のために通われているのですよね。私のことは構わなくて大丈夫です」

「私、これでも容姿には自信があるのよ。でも、あの人が私をみた時の目といったら、完全に人を値踏みするような目つきだったわ。もちろん酒場で働いているからなれているけど。それにこの花、なんだかわかる?」


 リラは首を横に振った。


「ライラック。女性に花を贈るとしたら、普通バラじゃない? 一番喜ばれる花よ。ライラックはあまりないわね」


 ミルカはリラの持つライラックの花を見つめた。


「きっと、貴方のためにわざわざ選んだのよ。瞳の色と一緒だからかも?」

「!!!」


 ミルカは力強くうなずいた。その目はキラキラと輝いている。


「絶対そうよ! さすが私ね、いいところに気がついたわ! 花言葉って線もあるし、ちょっと花言葉を調べてくるわね!」


 勢いよくミルカは立ち上がると、植物コーナーを探しに行ってしまった。


 ミルカがいなくなり、久しぶりにカウンターはリラだけになった。


 とても静かになった席で、リラは青年がくれたライラックの花を顔に近づけた。とてもいい香りがする。心から癒される気がした。




 ミルカはなかなか戻ってこなかった。


 どこかで迷っているのかもしれないが、仕事中のリラはカウンターを離れるわけにはいかない。


 ミルカが教えてくれる上級のコーラル語のテキストをぼんやりながめていると、足音が聞こえた。


 その音、方角からいってミルカではない。リラが顔をあげると、あの青年の姿が目に映った。


「ただいま」


 青年はリラに微笑んだ。


「おかえりなさいませ」


 リラは笑顔でそう応えたが、内心は複雑だ。


 ミルカにまた何か変だと言われてしまいそうな気がして、この場にいないことに少しだけ安堵した。


「今日はもう帰るよ。少し疲れているから」

「そうですか、お体大事にされて下さいね。ライラックもありがとうございました」

「気にいってくれたのならよかった。君の瞳の色が紫だから」


 そういって青年はまっすぐリラを見つめた。


「……とても綺麗だ。同じ紫でも全然違う。君こそ本当の紫だよ」

「え? 本当の紫?」


 青年はカウンターに身を乗り出し、リラの耳元で優しくささやくように言った。


「君の名前を教えてくれないか?」

「……リラ、です」


 恥ずかしさのあまりリラは声が震えてしまった。


「可愛い名前だね」


 青年は突然リラの頬に軽く口づけた。


「ひゃっ!」


 驚きの声を上げたリラを見て青年は笑った。


「ごめん。あまりにも可愛いいからつい」


 リラは顔からまた火が出ているに違いないと思った。


「その花を選んでよかった。ライラックのことをフェリオールではリラと言うんだ。じゃあ、また」


 青年はかなりの上機嫌であることがわかるような足取りで階段を下りて行った。


 リラは青年に口づけされたことで頭がいっぱいになってしまった。




 かなりの時間が経過した頃、ようやくミルカが戻ってきた。


「迷っちゃったわ。やっぱりここの図書館は蔵書が多いのはいいけど、広すぎるわね」


 ミルカはそう言ってリラの隣の席に座った。


「お疲れ様でした」

「ライラックの花言葉、わかったわよ。友情、思い出、初恋だったわ」

「そうですか。でも、瞳の色で選んだみたいです」


 ミルカは驚いた。


「えっ! もしかしてあの人が来たの?」

「はい、今日は疲れたから帰るといって。その時にお花のお礼を教えてくれました」


 しかも、キスまでされた。頬とはいえ、リラにとっては衝撃的なことだった。


「そう。帰ったの。早いわねえ」


 ミルカはいかにも落胆したかのように肩を落とした。


「また会えます。きっと」


 リラはそう言った。勿論、自分自身が青年に会いたくてたまらないからでもある。


「そうね。じゃあ、私も帰るわ!」


 もうここには用がないとばかりに、勢いよくミルカは立ち上がった。


「じゃあ、お先に~!」


 手を振りながらミルカは階段を降りて行った。


 リラはまだ帰れない。十七時の鐘がなるまでは仕事がある。


 ライラックの香りを吸い込みながら、リラは十七時を告げる鐘の音を待った。



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