後編 残党の処理と死体の処理
ウィスに招集の令が来たのは、一角兎の月の半ばが少し過ぎた頃だった。
俺とウォーカーを呼び出したウィスが、すぐにでも出ると言う。それに是の言葉を返し、ウォーカーと共に部屋へと戻る。
2DKの小さな部屋で、俺とウォーカーは二人で一室を与えられていた。
防魔スーツへと着替え、その腰へと剣を佩いて弓と矢筒を担ぐ。
転送装置へと向かうと、そこには既にウィスが待っていた。その、出会った頃よりも皺を蓄えた老兵のようなウィスは、常よりも精悍な表情を浮かべている。
その表情に、嫌な予感が胸を占める。
きっと、既に遅かったのだろう。俺たちが行うことはただの掃除だけかもしれない。一抹の不安が胸に過るものの、それもまた仕事だと前を向く。
到着したのは、ギルドが管轄しているホテルだった。
ルーメンの中でも高級ホテルとして評価されている場所で、そこのバイキングは随分人気があると主から聞いていた。
その場所だった。
ホテルの一七階。
魔導昇降装置に乗って、嫌な浮遊感のあるその箱が昇っていく風景を眺める。
人間がミニチュアのように小さくなったところでようやく魔導昇降装置は止まる。ヴンと小さな音を立てて止まった箱から足を踏み出す。
ホールへと出た瞬間、隣に立っていたウォーカーがその表情を引き締めたのが分かった。俺よりも何倍も鼻の良いミーアキャット獣人のウォーカーには、すでに嫌なにおいがしていたのだろう。
そんなウォーカーに伴って、自身も表情を引き締めてゆっくりと毛の長い絨毯が敷かれて足音が反響することの無い廊下を歩いていく。
到着したのは大ホールと呼ばれる場所だった。その前で、もう息の無いだろう女性とその女性の死体に声を失っている少女とも女性ともつかない女がいることに気が付く。
かっちりとした上下黒の制服を着ていることから、このホテルの従業員だろうことが察せられる。
俺が彼女へ声を掛けるのを尻目に、中へと突入するためにウォーカーとウィスがタイミングを計る。
俺の言葉に駆け出した従業員がいなくなったことを確認して、ウォーカーが扉を壊し中へと滑り込む。
そこは、さながら地獄の様相だった。
人間が過去形になったものがそこかしこに散乱し、まるで子供が遊び終えた人形のようにその手足が、冗談のように落ちている。
「これはこれは……まるでゾンビ映画のようだな」
ウォーカーの揶揄するような声音が壊れた扉の向こう側から聞こえる。
扉から入った俺に、ウォーカーがその小さな体を少し開けて中の様子を見せる。
まるでラズベリージャムでもぶちまけられたかのような中の様子に眉と口を思い切り歪めると、こちらの戦力を伺うように見ている敵の姿にその刀を抜く。
「ウィス、室内での戦闘なら俺とウォーカーしかいない君じゃなくて他の捜査官に任せた方が良かったんじゃないかい」
俺のもっともな意見にウォーカーも首肯する。まるで、全面的に同意すると言った様子だ。
それにウィスは「だがなあ」と呟くとその惨憺たる有様を手で示し、「こんなにひどいものを他の奴らに見せるのは酷だろう」と言って見せる。
引きちぎれたような腕や脚、鼻から上を失った遺体に、首を失った体、縦半分に卸された人間を見て、俺とウォーカーは顔を見合わせる。
見合わせて、肩を竦めた。
「そうだな」
俺が剣を抜くと、それを見た魔物もその鞘から刃を払う。
「殺すのは好きじゃないからな、精一杯生き残ってくれ」
俺の言葉に無骨なナイフを引き抜いたウォーカーが「よく言う」と笑ったのが聞こえた。
まだ初心な冒険者をまとめて殺そうというものだったのかもしれない。既に捜査官となって三〇年、三五年が経つだろうウィスとは違う、若く初心な冒険者たちの死体が転がる中を歩く。
自分の主を守るために死力を尽くしたのだろう魔力生物たちの死体も、そこにはある。
経験の浅い冒険者を殺すためだけに集められたのだろう。精度の低い、あまり能力の高くない魔物が集められていたのだろう。
すぐに終わった殲滅に、もしももう少し早ければ救える命もあったのかもしれないなと少しばかり申し訳ない気持ちになった。
なったが、すぐにそれは切り替えられる。仕方のないことだ。
こんな仕事をしていれば、救えない命なんて星の数ほどある。救える命なんて海に落とされた一粒の砂を探し出すようなことだ。
そう考えれば、すぐに切り替えられる。
切り替えられなければ、次の犠牲者になるだけだ。
剣を構える。光を吸収してぬらりと煌めく刃に自身の姿が映る。金色の髪に鮮やかなブルーの瞳、隣に立つウォーカーと違う色合いの、姿。彼と背中合わせに立ち、剣を振る。
赤い燐光を纏った、自身と同じほどの身長の魔物の腕を切り落とす。赤い血を散らして地面へと落ちる腕は解けるように消えていく。その喉を、頭を、心臓を切り裂き、落とし、貫く。
多分、この場にいた審神者と刀剣男士が全員死んだだろう時間より遥かに早く、事態は収束を見せた。
ウィスは死に絶えた冒険者と魔力生物たちへそっと黙祷を捧げている。
彼らの遺体は決して家族へ返還されることも無く、ギルドで火葬され共同墓地へ葬られるという。
人間は弱いからね。とウィスは言っていた。
人間は弱いから、そこに助かる方法があれば掴んでしまうものなんだ。
それが、正史を変えるという方法だとしてもね、と。彼の言うことは、分かる。理解している。
それでもきっと、それが良くないことだと理解をしていても、誰もが手に入れたいんだろう。家族や恋人や友人が生きていた未来を。
大切な人が死んだということが分かれば、その酷い様相の死体を見れば、世俗に流れている、ダンジョンの最上層にある核へ触れると願いが叶うなんていう眉唾ものの話を信じてしまうのだろう。
大ホールから出た時、まだそこにいた従業員に、彼女が見つめる死んでしまった女性従業員に、何かを思う者もいるのだろう。
人間は関係を重んじる種族なのだから。
結局、今日のことはテロリストによる襲撃という体で収束し、どのマスメディアもそうして取り上げていた。
きっと、あの場にいた彼女は決してそれを良しとはしないだろう。
彼女だけがあの場で、あの惨状を見つめていた。政府はうまくいくのならば、彼女が国家公務員試験を受けていれば冒険者となるよう勧めただろう。
しかし、彼女はそうはならなかった。そのまま逃げ切れば良い。そう思う。
世界は、結局誰にも優しくない。
────
あの日のことを、たまに思い出す。
優しくない日々だった。
優しいとは言えない日々だった。無力感に苛まれ、涙することが多かった。苦しくて喘ぐことばかりだった。
自分の喘鳴は自分にしか聞こえない、誰も膝を折った人間のことなんて助けてはくれない。結局俺は自分で立ち上がるしか無かった。
休んでも、立ち上がれなくても、人間も魔力生物も時間すら俺のことなんて気にせずに俺を横目に過ぎ去っていく。
助けられなかった者ばかりが増えていく。全員の命を抱えて立つことなんて俺にはできなかった。
俺はただの、何もできない矮小な人間でしかない。スーパーマンにはなれない。
そんなことは理解していた。
そんなこと、分かりきっていた。それでも、それでも……と思ってしまう。それでも、俺が動くことで助かる命があるかもしれない。
そう、多分俺はそう思いたいだけなんだろう。
俺が助けられなかったハーピーが、人魚が、ハーフリンクが、冒険者たちが、夜毎眠るたびに俺を詰る。
助けられなかったことを、何故だ何故だと慟哭する。それにただ謝罪をするだけで夜が消えていく。
そんな日々に、絶望と恐怖を覚える。
そうして魘される俺を起こすのはミコだった。
彼は俺のベッドを揺らして起床を促す。
目を覚ますと彼は「ウォーカーが、きみが魘されていると言っていた」と言って、その手に握った酒瓶からとろりとした温かな甘い酒を注いで、呑むのを見届けると再び酒瓶を携えて自室へと帰っていく。
彼らに助けられて、俺はどうにか捜査官をやれている。
無力感に苛まれる夜に、絶望と共に目覚める朝に、白昼夢に悲しむ昼に、それでも俺は生きるしかない。
ミコはそうして絶望する俺を正気に戻そうとしてくれる。きっと彼がいてくれるから俺はまだ生きているんだろう。そう、思っている。
俺はまだ人間でいられている。




