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後編

「おつかれさま。ここで最後だよ」

 彼が突然宣言したのは、翌日の掃除が終わったあとだった。

「最後の条件を提示しよう」

 魔法使いが久しぶりに指をぱちんと鳴らすと、いつのまにか暖炉の部屋に座っていた。目の前には紅茶が鎮座していて、私たちは向かい合うように座っている。

「キミの仕えるお嬢さんの病気を治すこと。それがキミの願いだったね」

 私はこくりと頷いた。それから目を伏せる。

 思いのほかこの屋敷に逗留してしまったが、エレーヌさまは大丈夫だろうか。領主さまは大丈夫だろうか。一言も言わずに出てきたあの屋敷の光景が眼に浮かび、唇を噛んだ。

「さっき外の様子を見てみたけど、キミの心配するようなことは起こってないから大丈夫だよ。ただしだいぶ弱ってるみたいだけど」

 顔を上げると、魔法使いはカップを持って微笑んでいる。

「あれくらいなら治せる。願いをかなえよう」

 思わず歓喜の声を上げる私を片手で制して、笑みを消し、魔法使いはひどく真剣な瞳で私を見た。

「ただしひとつだけ。願い事には代償を支払わなければいけないということも知ってる?」

 私はきょとんとした後、首を振った。魔法使いはひとつ頷いた後、話を続ける。


「魔法は願いをなんでも叶える代わりに、それ相応の代償を支払うことになるんだ。日照りの土地に雨を降らす代わりにどこか別の地の雨雲を。世界一のお金持ちになるためにはその人に孤独を。美しくなるためにはどこか体の部位を悪くしなければいけないし、恋する者を手に入れるためには相手の意思を。そして不老長寿のためには誰かの命を」

 そこで彼はひとつ区切り、目を伏せてこう続けた。

「ボクはこの力を得る代わりに、色を失った」

 息を、飲んだ。魔法使いははふと自嘲するように笑みを漏らし、視線を床に落とす。

「だから色素がないせいで外に出ることができない。日の光に当たるとひどい日焼けを起こして病気になるからね。それから目も悪い。魔法の眼鏡でだいぶ補ってるけど、それがなかったら近いうちに失明するだろう。体も弱いから一度病気になればすぐに死んでしまうよ。まぁそれも魔法で補ってるけど」

 それほどの代償を払う代わりに〝魔法使い〟になったのだと、彼は話した。私はそれをただ黙って聞いていた。

 途方もない願いになればなるほど、代償も大きくなっていく。なにかを失う代わりになにかを手に入れることが出来るのは、すべての世界の理。

 彼は力を行使するかわりに、代償を支払い続けている。

「願いを叶える代わりに誰かが不幸になる、それが魔法。無から有を生み出すことはできないんだ、なにがあっても」

 釘を刺すように厳しい口調で青年はそう言う。

「病気の人、しかもそれほど重い病気を治すためには、誰かがその病気を肩代わりしなきゃいけない。分かるね?」

 口に含むように言われた言葉に、私は数秒の間を持ってゆっくりと頷いた。青年から伝えられたその意味を、噛み砕いて、理解する。

「最後の条件は、それ」

 彼は言葉を切ると、目を伏せ、ことさらに冷たくこう言った。

「お嬢さまの病気を肩代わりさせる代償を支払うこと」






 代償。その言葉を何度も反芻させていた。

 話のあと、魔法使いは「明日まで待つ」と言い残して部屋を去っていった。残されたのは先ほどの茶会の余韻もない、いつもの客間だけだった。

 呆然としながら私は寝台に転がり、考える。

 私の持つ宝物を、とか、とてもきれいで一番高い宝石をあげなければいけないとか、そういうことではない。代償は別の誰か、他人でなければいけないのだ。それならば私はひとつしか持っていない。あの親子にくれたたったひとつの大事な大事なもの。――……自分しか。

 身代わりになれればいいと願っていた。それが本当になるのだ。私が代わりにエレーヌさまの死を被る。するとどうなるのか、考える。

 二人はきっと怒るだろう。それとも「よくやった」と喜んでくれるのだろうか。私は所詮居候だから、私が生き残るより娘が生き残るほうが絶対いいはずだ。いや、少なくとも諸手を挙げて喜ぶような人たちではないと思う。そういう優しい人たちだから、私も助けようと思い立った。

 誰かを助けることは、聞こえはいいけれど度が過ぎれば自己満足でしかない。私だったら、もし誰かが私の肩代わりをしてくれて助かったのだったら、そのことにずっと罪悪感を抱えてしまうだろう。それはきっとあの人たちも同じだと思う。

 なら、私が犠牲になったことを知らなければいい。願いを叶えてもらった後、私は姿を消すというのはどうだろうか? しかしエレーヌさまの病気をすべて引き受けるということは、一歩も動けない状態になるということだ。熱が高く朦朧として、体さえ満足に動かせず、ろくに食事もできず、か細く死んでいくことを待つしかない。あの家を出れば帰る場所はなくなるし、私はどこか世界の隅で孤独に死んでいく。

 それがひどく……怖い、と思う。

 死ぬのは嫌だ。死にたくない。

 でも、ならどうしろというのだろう? 誰か別の人の名をあげるか。けれどあいにく身代わりになりそうな人を私は知らないし、知っていてもそうすることはできないだろう。先ほどからたくさんの知り合いの顔を思い浮かべるが、みんな家族がいて、私に親切で、笑っていたから。

 でも死ぬのは怖いのだ。どうしよう。願いをかなえたらきっと魔法使いはもう私をここへ置いてくれないだろう。出て行かなければならない。苦しいのは嫌だ。懇願してみようか、そうしたら彼も同情してなんとかしてくれるかもしれな……

 私は首を振る。期待してはならない。なんのために彼は私に厳しい話をしたのか。覚悟を決めろと、そういう意味ではないのか。なら覚悟なんか決めずにすぐさま実行して欲しかった。こんなふうに生殺しみたいに時間を与えないで欲しかった。

 知らず涙が枕を濡らす。部屋に残った子犬がそんな私を心配したのか、寝台によじ登って頬を舐めてきた。その暖かい命のぬくもりにますます涙が出て、私は子犬を抱きしめて泣いた。





 夢を見た。

 苦しそうに息を吐く姿。やせ細った体。赤い顔からか細い息を繰り返し、眉を寄せている。熱も下がらず、激しい咳も繰り返す。なにかを吐き出す仕草をするが、胃の中になにもないのかただ体が軋むだけだ。朦朧としているらしく、目は開いても何処を見ることもない。辛いのか、涙が頬をつたう。

 その傍らに領主さまがいる。やせた顔で娘の手を握り締め、ただじっと祈っていた。かみさま、どうかかなえるならわたしにこの子の病気を与えください。わたしが身代わりになります。だからお願いします。この子を助けてください。

 目を開けた。目の縁にたまっていた涙が、ぽろりと落ちた。






 魔法使いは居間で私を待っていた。そして代償を伝えると、眼鏡を直す仕草をした。

「せっかく助かった命なのに?」

 もともと雪の日に死んでいたはずの命だ。

 夢を見て思い出したことで、私の心は決まった。本当は怖くて怖くて仕方がなかった。でもそれを撤回することはできそうになかった。なにがあってもいい。とにかく、あんな姿をさせてはいけないと思ったのだ。それが恩返しになるのだと。

 魔法使いは私の顔をじっと見て、それからため息をついた。

「……本当にいいんだね?」

 再度、確認するように問いかける。私は頷いた。手の震えを強く握り締めて誤魔化す。この勢いのうちに早く終わらせて欲しい。時間が経てば怖気づいてきっと撤回してしまう。だから、今のうちに早く。

「わかった」

 魔法使いは頷いて、それからぱちん、と指を鳴らす。

「契約成立。代償は、キミ自身」

 世界が、暗転した。






















「リンネッ!」

 目が覚めた瞬間、私は誰かに飛びかかれて息が潰れる。蛙の潰れたようなうめき声に、飛び掛った誰かは慌てて離れた。

 エレーヌさまだった。なぜか綺麗なブロンドの髪が短くなってしまっていたが、エレーヌさまは青い瞳を真っ赤に染め上げぽろぽろと涙を零していた。そして呆然とする私に手を振り上げた。ぱちん。軽い音と共に頬が叩かれる。あまり痛くない。

「ふ、ぐ、うえ」

 ぼろぼろという擬音が聞こえてきそうなぐらいエレーヌさまは顔を歪ませて、それから再度私に抱きついてきた。

「ばか、ばか、ばか、ふっ、ぐ、え、うわぁぁんッ!」

 耳元で大声を上げて泣き出すそれを、私は回らない頭で抵抗もせず受け入れていた。



 エレーヌさまが泣きつかれて眠ってしまってから、ようやく私は自由になることができた。深く眠ったエレーヌさまを使用人が自室へ運び、それからずっとそばにいたらしい領主さまに話を聞くことができた。

「魔法使いが来たんだ」

 領主さまはそう言った。

「噂は本当だったんだね。黒いローブを羽織って、しわくちゃで腰が曲がって、やせ細った体に耳まで裂けた口、泥のように濁った瞳の醜いおばあさんだった。恐ろしかったよ」

 その話を理解するのに数秒かかった。だって私の知る魔法使いはそんな人ではない。

「魔法使いはすべてを話してくれた。お前が命も顧みず魔法使いのところへ行って、エレーヌを治して欲しいと頼んできたこと。代償として自分の身を捧げたこと」

 そこまで言うと、領主さまは潤んだ瞳でそっと私の手を取った。看病疲れでやせ細った、でも暖かい手だった。

「ばかだね、お前は。本当に……」

 力ない叱咤は、優しく私の頬を打つ。言葉にするよりも雄弁なその思いは、私の涙を誘うには充分だった。

「エレーヌはまだ完全に回復していないけれど、命の危険だけは去ったよ。少し長くなるけれど、じきに元気になるだろう」

 けれどその言葉に違和感を持つ。完全に回復したわけではないのか? 思わず眉を寄せると、領主さまは困ったように眉を寄せた。

「魔法使いが来たとき、エレーヌが懇願したんだ。病気で朦朧としていたはずなのに必死にね。自分の姉代わりでもあるお前と、命を取り替えることは止めて欲しいと」

 その優しさに思わず息を飲んだ。そんな、こんな身分の低い私を、そこまで思ってくださるなんて。わきあがる感情にぽろぽろ流れる私の涙をぬぐいながら、領主さまはなおも続ける。

「もう娘みたいなものだよ、お前は。みなもそう思っている」

 暖かい言葉に、今度こそ嗚咽が止まらなかった。子どものように泣き出した私を優しく抱きしめて、領主さまはこう言った。

「魔法使いもエレーヌの願いを聞き入れてくれた。お前とエレーヌの髪を代償にして起こせる奇跡は、これが限界なんだそうだ」

 顔を上げる。短くなったエレーヌさまの髪を思い出し、自分の後ろ頭に手を当てる。腰まであった私の髪は、襟足まで短く切られていた。

 領主さまは笑った。そうして私の手を取る。

「よく頑張ったね。本当にありがとう」

 優しい微笑を、私は呆然と見返した。



――お嬢さまの病気を肩代わりさせる代償を支払うこと。

 身代わりになることが怖くてたまらなくて、その夜はずっと泣いていた。そして朝、顔も洗わずに泣きはらした目のまま私は言った。

 魔法使いは私の顔をじっと見て、それからため息をついた。

――……本当にいいんだね?



「……領主さま、それは誤解です」

 ゆるりと首を振り、私はそっと体を離す。

「エレーヌさまが助かったのだって、すべては魔法使いが尽力してくれたおかげなのです」

 すべてを投げ打って誰かを助けるほどできた人間ではなかった。今だって結果的に自分が助かったことに心底安堵している。エレーヌさまは私のために私を庇ってくれたのに、そんな自分の卑しさが許せなかった。

「結果的に良い方向に転んだだけなのです。心底で私は嫌がっていました。死にたくないと叫んでいました。魔法使いはそれを見抜いたのです。私は身代わりになれませんでした」

「……それは仕方のないことだ、リンネ。生きている者は誰だって死にたくないと思う。みんな同じだ」

 諭すような声に視線を戻すと、領主さまは慰めるように頭を撫でてくれた。

「けれども最後には、キミは私の娘を助ける選択をしてくれた。過程はどうあれ、それは強さだと思う」

 だから恥じることはない。言外にそう伝えられたような気がして、私はたまらず目を伏せた。

「きっと魔法使いも、キミの強さを見抜いたんだね」

 その言葉に思わず肩を動かした。瞼の裏に映るのは、あの白い姿。恐ろしい力を持つ魔法使いは、人一倍優しい心を持っていた。誰かのために選択できたことが強さなら、私のために危険な外に出て、約束を違えてまで見知らぬ他人を助けてくれたあの人のほうが、ずっと強いのではないか。

 そして私のようにそれを感謝してくれる人はいなくて、あの屋敷にずっとひとりぼっち。こんなふうに迎えてくれる人も、褒めてくれる人も、暖かい場所もない。

「けれどもね、リンネ」

 領主さまの声に顔を上げると、その人は私の両手を握り締め、優しい顔でこう言った。

「どれほど心配したか……君はもう家族なのだから、もう危険な場所には行かないで欲しい」

 領主さまの顔を、私はじっと見つめていた。











 それから、何日か経って。

 私の目の前には、また〝魔法使い〟がいた。


「まさか今度は滝に落ちるなんて思わなかったよこの冬のクソ寒い中。死ぬ気だった? 沈んでそのまま浮かんでこなかったときはどうしようかと思ったね久々に」

 風呂から上がって毛布を被りながら、私は誤魔化すように微笑んだ。暖かい暖炉の前を陣取って、懐かしい〝コーヒー〟を口に含む。周りで子犬がはしゃいでいる。

「それで今度はなんの用事? また魔法目当てなら出て行ってくれる? 奇跡はもう起こらないよ。キミにはちゃんと帰る場所があるんだから、こんな場所にいないでさっさと帰れば」

 魔法使いは眼鏡を指で直しながら、いささか冷たくそう言った。こちらに背を向けて突き放す彼を、私は見つめる。

「魔法を使いにきました」

 彼はきょとんとした。私は少し恥ずかしくて照れ隠しに顔を背ける。

「だって気になって仕方なかったんですよ。体弱いくせに不衛生な屋敷に住んでたりすることとか。ゴミの収集日も知らなかったとか。そんなめんどうくさがりに世話されるこの子たちとか。私がいなかったら誰が家事をするんだろうとか」

 冗談交じりに続けるけれど、魔法使いは一言も返してこなかった。けれどどこか居心地悪そうにしているのは背中越しに感じることができる。じゃれついてくる子犬に手を伸ばし、一緒になって飛びついてきた子猫たちも撫でた。すぐ傍では相変わらず母猫がのんびり寄り添っているし、カルガモの親子は部屋をうろうろしている。

「寂しいくせに我慢したり、我侭言ったり、肝心なこと分かってなかったり、なんかほっとけなかったんですもの」

 だから、と私は魔法使いを振り返る。彼はなにかを言いたそうに眉を寄せ、唇を尖らせていた。そんな彼ににっこり笑ってみせる。

「魔法を使いにきました。その人が寂しくなくなるように。代償は私の帰る場所」

 領主さまはすべての話を聞くと、困ったように笑った。それから仕方ないねと言ってくれた。仕方ない、そこまで言うなら止められないよと。

 エレーヌさまも完治とまではいかないけれど、元気になった。私の話を聞いてくれて、ずっと渋っていたけれど最終的に了承してくれた。でも時々は帰ってきてよ、でなきゃまた体を悪くしちゃうから、と駄々をこねた。

 屋敷の者はみんな少し寂しそうに、でも私のことを暖かく送り出してくれた。私の決意を尊重してくれた。

「住む場所をなくしました。どうにかしてください」

 そう言い放つと、魔法使いは表情に陰りを宿す。


「……ただの興味本位だったのにな」


 自嘲交じりに吐き捨て、視線を落としてそう告げた。

「願いをかなえにくる人たちなんてみんな自分勝手な人が多いから、キミもそうだろうと思って。恩人とはいえ赤の他人のためにどれだけ頑張れるか試してやるつもりで」

 遠くを見るように虚ろな目で語る、彼の本心。

「わざと辛い仕事を与えて、汚い部屋をますます汚くしてからキミに掃除させた。本当にひどいものだったからそのうち根をあげるだろうと思っていたら、案外根性があって驚いた。ちょっとずつ楽しくなっていった。誰かと一緒に居るのは久しぶりだった」

 独白のようにそう話す。返事を期待されない彼の告白。

「色と引き合えに強い力を得たのは研究のためだった。強い魔法使いになりたいというだけで代償を払ったけど、世界は冷たかった。色がないから不吉な存在として忌み嫌われ、魔法使いとしては利用され、どれもこれも自分さえ良ければいいっていう勝手で汚い欲望ばかり押し付けてくる。口では言えないような汚い世界をたくさん見てきた。

いつしかボクは人を信じなくなり、外界を拒絶して森に閉じこもるようになった」

 でも、と彼は言う。

「キミはそんなことなかった。呆れたり怒鳴ったり手伝えって言ってきたり、ボクを普通の人みたいに扱った。なんでもかんでも魔法に頼っていたボクの前で、両手でできることがどれだけすごいのかやってみせたんだ」

 楽な方向に逃げるより、ちょっと面倒くさいけれど頑張ったほうが、何倍も世界はおもしろいのだと。忘れていた当たり前のことが、なによりも尊かったのだという。

「キミがいなくなったあと、誰も来ないように本当は森を閉鎖するはずだったのにさ」

 自嘲気味に笑う。……どうして封印できなかったんだろう。





「……ボクに関わるということは、相応の覚悟が必要だよ。力の強い人はその代償が付きまとう。キミの身が危険にさらされるかもしれない」

「そうかもしれませんね、どうにかしてください」

 私は何事もなく返した。魔法使いは続ける。

「外に出るのも簡単じゃない。ここは深い森の中だし、〝北の魔法使い〟は人々から恐れられている」

「じゃあ時々でいいので外に出ましょう。お日様が苦手なら夜にでもお散歩しましょう。いつまでも部屋の中にいたら健康に悪いですし、外の危険はどうにかしてください」

「一生ずっと縛られ続けることになる」

「先のことはなるようになったときです。そのときにどうにかしてください」

「ボクはこのとおり我侭で、嫌味ったらしくて、世間知らずだ。こんなボクとずっと付き合っていくことになるよ」

「知ってますから気にしないでください。あ、でもお掃除は努力してくださると助かるんでどうにかしてください」

 にこにこと返していると、魔法使いは頬を歪めて笑った。呆れたような、力の抜けたような顔だった。

「どうにかしてくださいって、ぜんぶ他力本願」

「しょうがないでしょう、私はあなたと違って魔法使いではないんですよ。でも、その代わり」

 じゃれてくる動物たちを置いて、私は立ち上がると魔法使いの傍に寄った。なにもせず見上げてくる彼の前に座って、顔を覗き込む。

「私があなたの名前を呼びます。あなたを〝魔法使い〟ではなく、〝あなた自身〟として」

 それが、私が代償を支払って使える唯一の〝魔法〟。

 魔法使いは私の顔を呆然と見たあと、泣きそうに顔を歪ませた。赤い瞳がゆらりとほどけて、ふいと顔を背ける。

「……ばかじゃないの」

 すねたような響きにくすくすと笑った。



 それは、変わり始めた世界の音。



「子犬はお散歩させましょうね。猫も外に出られるよう通用口を作りましょう。カルガモの住む池も」

「えー、めんどくさい」

「文句言わないでください。あともう少し外が安全になるように屋敷の周りを整えてくださいよ。人食い狼が来ないようにと、外に出るのがもう少し簡単にできるように」

「周りといえば、噂を聞きつけてまた人がやってくるかも。めんどくさいな、対策立てなきゃ」

「そうだ、春になったらピクニックにいきませんか。屋敷に閉じこもってばかりでは不健康です、ただでさえ体が弱いのに」

「外出るの……?」

「あ、それから落ち着いたら領主さまたちにあなたを紹介したいのでよろしくお願いします。みんな私の話を聞いて会いたがって、エレーヌさまから一度連れて来いと言われていたんですよ。よろしいですよね?」

「……嫌だっつっても引きずり出す気満々だろその顔」



―――変わり始めたこの世界で、後悔しないように自分にできることを精一杯やっていこう。



「ねぇ」

「はい?」

「この子たちに名前を与えてやって欲しい」

「ご自分でつけないのですか?」

「キミがいい。キミがつけてやって欲しいんだ」

「……仕方ないですね」



 辛いこともあるだろうけど、それなりにやっていったら、そうしたらきっと――



「ねぇ知ってる? ボクね、キミの名前を知らないんだ」

「だって言う前に話題を変えたじゃないですか」

「そうだっけ? ……うん、だからさ」

「そっちも教えてくれるならいいですよ」



――きっとこれから先、楽しいことがたくさん待っているはずだ。



 子犬が無邪気にじゃれついて、彼に向かって飛び跳ねた。子猫も集まってきて、母猫も起き上がりこちらを見る。カルガモの親子は相変わらずうろうろしている。その動物たちを受け止めて、私と魔法使いは顔を見合わせ、笑いあった。

 ふたりで、笑いあった。




「それじゃあ、子犬の名前は白いからシロダマ。猫の名前は茶色いからチャダマで……」

「…………うんごめん。やっぱり名前はボクが考える」






ありがとうございました!

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