第5.5話「代償のさきに」
夕暮れ。
空は、ゆっくりと色を変えていた。
風は、昼よりもやわらかい。
それでも——確かに、流れている。
風車は、回っている。
無理にではなく、自然に。
低く、穏やかな音。
ゴ……
ゴ……
その響きが、村に馴染んでいた。
琥珀は、少し離れた場所に立っていた。
「……はぁ……」
軽く息を吐く。
体が、少し重い。
指先に力を入れると、わずかに遅れる。
耳が少し下がる。
しっぽも、静かに揺れている。
「……まだ、残ってるね」
静かな声。
隣に、ラファ。
自然な距離で立っている。
「……ちょっとだけ」
小さく笑う。
強がりではない。
でも、無理はしている。
村の方から、声が上がる。
「準備できたぞー!」
「こっち運べー!」
火が灯る。
料理の香りが、広がる。
「……宴、だね」
ラファは、頷く。
夜。
火の明かりが、揺れている。
笑い声。
食器の音。
やわらかなざわめき。
琥珀は、その中にいる。
完全ではない。
でも——そこにいる。
子どもたちが、ぱたぱたと近づいてくる。
「これ、また作った!」
差し出されたロープ。
前より少しだけ整った結び。
琥珀は、それを受け取る。
少しだけ、指に力を込める。
今度は——迷いなく、持てた。
ほんの一瞬、止まる。
「……あれ」
ほんの少しだけ、違う。
指先を見る。
さっきまでの違和感が、少しだけ薄れている。
でも——深くは考えない。
「……進化してる」
小さく笑う。
その結び目を、指でなぞる。
ほどけない。
でも、前よりきれいだ。
「……いいね」
子どもたちは、嬉しそうに笑う。
ラファは、その様子を見ている。
その手元に、ほんの一瞬だけ視線を向ける。
少しだけ、目を細める。
——何も言わない。
時間が、ゆっくりと流れていく。
やがて。
賑わいは、少しずつ落ち着いていく。
火の明かりも、やわらかくなる。
琥珀は、空を見上げる。
「……ここ、好きかも」
ぽつりと、こぼれる。
ラファは、少しだけ目を細める。
答えは、言葉にしない。
ただ——その隣に、いる。
風が、静かに通り抜ける。
夜は、ゆっくりと更けていく。
そして——
朝。
やわらかな光が、丘を照らす。
空気は、少し冷たい。
でも、澄んでいる。
風車は、今日も回っている。
昨日より、少しだけ軽やかに。
村人たちは、動き始めている。
日常が、戻っている。
琥珀とラファは、村の外れに立っていた。
「もう、行くの?」
子どもたちが駆け寄ってくる。
「うん」
琥珀は、少しだけしゃがむ。
動きはまだ、少しだけゆっくり。
「またね!」
元気な声。
琥珀は、小さく笑う。
「……うん」
ほんの少しだけ、間を置いて。
「またね」
村人たちも、手を振る。
大げさではない。
でも、確かな見送り。
琥珀は、一度だけ振り返る。
回り続ける風車。
動き始めた村。
笑っている子どもたち。
その光景を、静かに受け取る。
ラファが、隣にいる。
「……行こうか」
ラファは、頷く。
二人は、歩き出す。
風が、背中を押す。
琥珀たちが旅立ったあと。
風車の前。
静かな朝。
ラビィは、ひとり立っている。
風車は、回っている。
軽やかに。
確かに。
「……ふふ」
小さく、笑う。
以前とは違う音。
以前とは違う形。
少しだけ——やわらかくなった姿。
その光景を見つめながら。
ラビィの中で、何かがほどける。
遠い記憶。
風の中を歩く。
隣にいる、もうひとつの影。
アリュー。
言葉はない。
でも、確かにそこにいた時間。
ラビィは、ゆっくりと目を細める。
「……アリュー」
少しだけ、間を置く。
「私たちとは、違う風が吹き始めたよ」
風が、頬をなでる。
「私たちには——」
ほんの少し、考えるように。
「……できなかった形」
「……いや」
小さく、首を振る。
視線を落とす。
風車の周り。
子どもたちが走り回っている。
笑い声。
ほどけない結び目。
少し不格好なロープ。
でも——それは、ちゃんと“残っている”。
ラビィは、少しだけ笑う。
「……いいね」
そして。
ゆっくりと、空を見上げる。
風が、静かに抜けていく。
丘の上。
やわらかな光。
琥珀とラファが、並んで歩いている。
琥珀の歩みは、少しだけゆっくり。
ラファは、その歩幅に自然と合わせる。
風が吹く。
琥珀のしっぽが、ふわりと揺れる。
少しの沈黙。
琥珀が、前を見る。
ラファも、同じ方向を見る。
二人は、そのまま歩いていく。
遠く。
まだ見ぬ風車の影。
風の音だけが、残る。




