10 二人と一匹の出会い
「たしけてくれてありがとうごじゃいましゅ」
ぺこりと頭を下げたグリンレインは、お腹に抱えていた大きな猫の首をきゅっと締めた。猫がぎゅえっと悲鳴を上げたが、猫を落とさないように気を付けているグリンレインは絞めている事実に気付かない。
「ああ、うん……無事で良かった」
一方はじめて一人で魔物と戦ったメンタルは、肩で息をしながら遠ざかる怪鳥の姿を見送った。
まさか初陣がこんなカタチでやって来るなんて。
人の手が入っていない未開の地や開拓前の森。人通りの少ない街道や草原など、魔物はどこからでもやって来る。
特に発生率が高いのがクラッシャ侯爵家の守る要塞付近の森で、瘴気溜りがあると言われているが、人々は防衛に精一杯で事の解明には至っていない。だから本家が要塞を守り、数ある分家が世界中に散らばって魔物と戦っている。
魔物は群れを成す事が多く、クラッシャ家もその群れを潰す戦いをする。しかし時には、その群れからはぐれたはぐれ魔物が突然現れる事もある。今回の怪鳥は、まさしくそれだった。
群れからはぐれた一匹。一匹だったからこそ、なんとか追い払う事ができた。
つい最近手に馴染ませるようにと短剣を受け取ったメンタルは、遅れてきた恐怖に青ざめて、同じく青ざめる猫の様子に気付かなかった。
「わたくち、グリンレイン・プラナーともうちましゅ。五歳でしゅ」
「俺は、メンタル・クラッシャ。七歳だ」
右の手の平をぱっと開いて年を教えるグリンレインに、つられたメンタルもぱっと手の平を開き、もう片手で指を二本立てた。
「ヴギュルアアアアア!!」
「きゃわっ!」
ぎゅっと首を絞められていた猫は、グリンレインの片手が放れたのを良い事に、雄叫びを上げながら身を捩った。小さな手を引っ掻いてぞるんっと拘束から抜け出た猫は、図体に似合わぬ機敏さで子供達の前から逃走した。
「あわ……いっちゃいまちた」
「あれは、あなたの猫じゃないのか?」
「違いましゅ。お兄しゃまだと思ったら猫だったのでしゅ」
「どういう事?」
メンタル・クラッシャ。七歳にして宇宙を背負う。
どうして拘束されたのかわかっていなかった猫も、聞こえてきた言葉に宇宙を背負って同じ顔をしていた。これが宇宙を背負う猫である。
呆然としたメンタルだが、グリンレインの手の甲にひっかき傷を認め、目を丸くした。猫が逃げるときに引っ掻いていったらしく、綺麗に三本赤い線が入っている。
「手当てをしよう。傷が残ったら大変だ」
「でもわたくち、お兄しゃまをしゃがしているのでしゅ。迷子で泣いているかもちれましぇん」
ふんすと胸を張って使命に燃えるグリンレイン。やる気に満ちた年下の女の子を見て、メンタルは首を傾げた。
「多分、迷子なのはあなたの方だ」
何故なら二人がいる場所は、クラッシャ家の庭。
巣に持ち帰られそうになっていたグリンレインの方が、確実に迷子だ。
言われて、グリンレインはきょとんと目を丸くした。
ふと周囲を見渡して、怪鳥からの強制遊泳で見知らぬ場所まで移動した事に気付く。
キョロキョロ周囲を見渡すが見覚えのあるモノが見付からない。くるくる身体ごと回って、そもそも今いるのが人様のお庭だと気付いた。
自宅にいたはずなのに、違うお家にいる。
グリンレインの大きな緑色の目にぷきうんと大きな涙が溜まった。
今にも溢れそうな涙の粒に、メンタルは飛び上がって慌てた。
「わ、わたくち、わたくち、おうち、かえれにゃ……?」
「だ、大丈夫だ! 俺が必ず帰してやる」
ぷるぷる震えるグリンレインに、ハンカチが差し出される。涙でにじんだ視界で見上げた先で、メンタルがとても真剣にグリンレインを見ていた。
「また魔物が来ても、俺が絶対守ってやるから」
「ぷあ……」
ころんと涙がこぼれ落ちて、ハンカチに落ちていく。
白いハンカチにじわりと広がる染みみたいに、真っさらなグリンレインの幼心にメンタルの言葉が染みた。
平気なふりをしていたが、本当は怖かったのだ。
お兄様だと思ったら猫だし。いきなり魔物に浚われるし。お兄様は猫だし。助けを求めても大人は来てくれなかったし。お兄様じゃなくて猫だし。グリンレインは何もできなかった。
助けてくれたのは、グリンレインよりちょっと大きなお兄さん。
泣いているグリンレインを慰めて、手当てをしようと手を引いて、家の中に招き入れてくれた。すぐ飛んできた使用人達が手当だ手配だと忙しい中でも、グリンレインが寂しくないように気遣ってくれた。
グリンレインはプラナーとしっかり名乗ったので、特定は早かった。
長男が自宅で遭難したと思ったら長女が行方不明になっていたプラナー家は上を下への大騒ぎだった。そこへクラッシャ侯爵家からの使者。まさしく伯爵はひっくり返って驚いた。夫人はそんな夫を支えようとして一緒にひっくり返った。妹はやっぱり泣きながら切れていた。ちなみに長男は木の根が気になりすぎて掘った穴の中にいた。
プラナー家へ帰るときも、メンタルはグリンレインが心細くないようにと、馬車に同乗してほろほろ泣いているグリンレインの涙を拭ってくれた。
泣き止んだ後も、両親に引き渡すまで、ずっと手を握っていてくれた。
「もう二度とあなたが危険な目にあわないように、俺が魔物から守るから。だからもう怖がらないで」
「しゅきでしゅ」
「えっ」
真っさらだった幼心は、桃色に咲き乱れた。
恋の花が咲いた瞬間、行動力の化身グリンレインは身を乗り出してメンタルのまろい頬にちゅっと突き出した唇を押し当てた。
何が起きたのかわからずぽかんとするメンタル。
伯爵令嬢(幼女)の行動力に目を丸くする大人達。
「わたくち、メンタルしゃまのお嫁になりましゅ!」
何が起きたのか理解したメンタルは蒸気が噴き出る勢いで赤くなった。
出迎えた伯爵は再度、ひっくり返った。
――そんな一幕を、ぶちゃいくな猫が馬車の上から見ていた。
小さい女の子を慰めたら惚れられた少年メンタル。
しかしあるあるであるある。ある。




