パジャマのボタン
妹を抱きしめ、ゆっくりと頭を撫でる。子供頃から良くやっていた。
落ち着くまでゆっくりとゆっくりと妹の頭を撫でる。
艶のある黒髪、さらさらとした感触、シャンプーの香り、その妹の髪をゆっくりとゆっくりと撫でる。僕はその感触に浸る。
妹の匂いが伝わる、体温が伝わる、そして心音が胸から伝わる。
妹が、飛鳥の全てが脳に伝わる。
妹が生きている事を実感する。ありがとう、生きていてくれてありがとう……もし妹があの時死んでいたら……僕は今どうなっていたか……
妹の泣き顔がゆっくりと変わっていく。顎を撫でられている猫の様に目を細める。
僕は撫でるのを止め妹を離し、そのままゆっくりとベットに座らせた。
僕を見つめる妹……上半身裸なので僕が離すと微かに震えているようだ。
エアコンはついているとはいえ、まだ夜は肌寒い。僕は慌てて脱いだパジャマを拾い上げ妹に着せる。
パジャマのボタンを一つ一つゆっくりと止める。
胸にある傷を少しずつ隠す様に止めていく。
見たくは無い、でも見なくてはいけない妹の傷……
妹は僕を見つめたまま、何も言わず僕にボタンを止めさせていた。
何も言わない……妹は僕といる時は殆んど喋らない。僕が嘘をつけないのを知っているから……
だからいつも僕から喋る。僕からなら聞きたい事を聞くだけだから。そして妹は頷いたり、首を振ったりするだけ。嘘がつけない……何でも答えてしまう僕に対して、妹がなるべく傷つかないようにと編み出した方法。
僕は秘密が持てないわけでも、心の声が相手に聞こえるわけでも無い。
だから妹とはこのやり方で今までやって来た。これでお互い傷つかない。
他人なら距離を置けばいいし、なるべく話さなければいい。でも身内はそうはいかない。一緒に住んでいるのだから。
でも僕は別にいいんだ……妹になら僕の自身の事を、どんなに恥ずかしい事を知られてもいい。
でも……もし……もしも僕が妹の事を拒絶するような思いが、一瞬でも一秒でも芽生えたら、そしてその時妹に聞かれたら……
「お兄ちゃん……お兄ちゃんは私の面倒みるの……辛い?」
なんて聞かれても、今はそうは思っていない。でもこの先、例えば受験の時に聞かれたら、僕は言ってしまうかも知れない。「うん」と言ってしまうかも……
人間に絶対は無い。感情に永遠は無い。
今はあり得ない事でも将来はあるかも知れない。そんな事ないと思っていても、心の奥底では逆の事を思っているかも知れない。
今は妹が一番だと思っている。妹の為なら全てを捨てても、命を捨ててもいいと思っている。
でも……人は変わる……今僕の中で彼女が、萬田 叶という人物が僕の心に入り込んでいる。僕は変わり始めている。
彼女が僕の中で、妹の次に大事な人になりつつある。
やがて妹よりも大事な人になってしまうかも知れない。でも……もしそうなったら、妹は一人取り残されてしまう。
「ごめんね、寂しかった?」
僕はそう言って再び妹の頭を撫でる。妹は暫く撫でられた後にゆっくりと頷いた。
妹ともっと一緒にいられれば、それで妹の傷が癒えれば、僕は学校を辞めて一緒にいるだろう。でも……さっきも言った通り、僕と妹はあまり一緒にいられない。話が出来ない。長い会話はメールでしている。
だから僕は学校に行っている……勿論将来の事を考えてだ。
今は父がいる。でも将来は?……妹がもしこのままなら、勿論僕が面倒を見る。
一生僕が妹の面倒を……
今、僕までニートに、引きこもりになったら、妹はどうなる?……だから僕は学校に行く、将来妹を養う為に。それが僕に出来る妹への償いだから。
「少し寝てな、直ぐにご飯を作って来るから」
僕がそう言うと妹は首を横に振る。そして小さく、か細い声で言った。
「ここにいて……寝るまで……撫でて」
「うん……わかったよ」
僕は笑いながら妹をベットに寝かせ、布団をかけ頭をゆっくりと撫でた。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「何でもない」
「そっか……」
僕は妹の頭をゆっくりと撫でる。ゆっくりとゆっくりと撫で続ける。
今、僕が出来る事はこれくらいだから。
このままじゃいけないのはわかっている。でも……何も出来ない、何も考えたくない……
今はまだ……何も。




