3話:恋に障害はつきもの 後編
「……あ」
僕がそう声を零す。やはり、彼女は昨日の男と川を眺めていた。
いや、その人だけではない。あの男を含め、三人の男がいた。
一人はあの時に見た、背の高い男が東雲さんと川を眺めている。
一人は砂利にしゃがみ込んで、腿に足を乗せる。俗に言うヤンキー座りをしながら、同じく川を眺めている。
もう一人は、特に何もすることなく腰を降ろし、芝生に手を乗せて座り込んでいた。
そんな中、相変わらず悲しそうな表情の彼女。
「……もしかして、不良!?」
もしもそうなら、大変だ。
本当は嫌がっていて、でも不良達を相手に断れなくて、仕方が無く従っている……だから僕との約束を断った。ということだろうか?
「ど、どうしよう、ねえ、エールどうしよう!」
僕は指差し、どうしようもない状況に慌てふためいた。怖い、けど彼女は助けてあげたい。
「ふふん、まかせるのです。エールに不可能はないのですよ!」
「早く、そんな決めゼリフはいいから!」
「落ち着くのです。では、いきますよ」
しかし、それを邪魔するように背後から野太い吠え声が上がった。
「わんっ!」
「うわあ!?」
僕を追いかけ回す犬だ。僕は突然の出現に驚き、足が取られた。
ふらっとよろめいた足は、もはや僕の意に関係なく砂利道の方へと動いていく。
――そして。
「ぶへあ!」
芝生の小坂から転がり落ちて、砂利道に顔を強打した。
痛み悶える僕の元にエールは駆け寄って、やれやれと小声で呟いた。
「あー、もう、何をやってるのですか」
「うぅ、エールが早く能力を使わないから」
「人のせいにするなです」
「わかってるけどさ、いてて」
「……おい、何だおまえ」
途端、僕はその声に反応してびくりと体を起こし、声の主に顔を上げる。刹那、ふらっとよろめいて今度は尻もちをついた。
声の主は先程ヤンキー座りをしていた男だった。よりによって一番怖そうな人に声を掛けられるなんて。
「エール。ど、どうしよう!」
「ふふん、ようやく私の能力を使う時がきたようですねえ」
「い、いいから早く能力を使ってえ!」
「な、なにを一人でぶつぶつと……?」
不良は当然な反応を返してきた。目を細めて、明らかに不審な目でこちらを見ている。
僕は尻もちをついた状態で後ずさりをしながら、なんとか距離を取った。合わせて不良がどんどんと近づいてくる。
一方のエールも、屋上の時と同様に呪文を唱え、暖か味のある光を放った。
「人を離れて、神よ来れ。破壊は愛おし、思い人は麗し、自らの障害において、全てを壊し練り歩け! 神能人離! 破壊神、シヴァ!」
僕の体に暖かい力が流れ込んでくる。けれど、屋上の時とは明らかに質が違うものだった。
なんだろう? 告白の時は、心臓が高鳴るくらいドキドキして、全てを包み込みたい気持ちでいっぱいだったけど。
今は力がみなぎる。心の奥底で……神が何かを訴えかける!
――壊せ。
随分と単純明快に託された使命。それが僕に与えられた、神のお告げ。
「……な、なんだよおまえ」
「――を」
「は、はあ?」
「七を、悲しませるやつは許さなねえッ!」
うっすらと残る自意識の中で、湧き起こる破壊衝動。
僕からは想像もつかないほど荒い口振り。
なんだかわからないけど……今はとにかく東雲さんを悲しませるこいつらを殴りたい。
尻もちをついた格好から体を反らせ、反動で立ち上がる。
すると不良も挑発気味に言い放った。
「は? おまえは七の何?」
「問答無用!」
ぐっ、と足元に力を入れ、土を蹴り上げた。
その拳は一瞬にして距離を詰めると、ばきっと痛そうな音とともに男の頬を殴りつけた。
「うがっ!」
まず、一人目。
「な、なんなんだ、キミは!」
続いて僕に声を掛けたのは、東雲さんと一緒に川を眺めていた男。けど、誰だろうと容赦はしない。
「問答無用!」
二人目。驚く間を与えず、僕はその男の腹部に拳を入れる。苦しそうに倒れ込む男。けど、東雲さんを悲しませるやつに情けの心なんて必要ないよね。
「……っ!」
「大人しくしろ、坊主!」
もう一人の男に後ろから腕を掴まれて拘束される。けれどそんな攻撃、今の僕に効くものか。
さらに足に力を込めると大きな衝撃が地に伝わり、ピシッ……ミシッという音が聞こえる。
少し踏ん張っただけで、足くらいの大きさの穴を作った。
尋常じゃない、人間とは掛け離れた力に恐れ戦く男。
「なっ……」
「七は、俺が守る!」
その力に気圧されて緩む拘束。僕は男の腕を掴んだ。
ぐるんと一回転するように、男の体が背中を向けて宙を舞い――。
「ぐひゃっ!」
砂利に激しくたたきつけた。
「……わかったら二度と七に関わるんじゃねえ、不良ども」
僕は格好良く不良どもに指差し、満悦に浸っていた。東雲さんは、格好良い姿に惚れてくれただろうか?
そんな中、東雲さんが駆けつけ口を開いた。
随分と慌てている様子だったが、僕を心配してくれているのだろうか?
優しいなあ。
「お、お兄ちゃん!」
「……へ?」
――その後、東雲さんに事情を聞いて、とにかく頭を下げた。
僕が不良と勘違いしていた彼らは東雲さんのお兄さんだった。東雲さんは、今日この町を引っ越すそうだ。
引っ越しの準備で忙しいために、今日の約束を断らざるを得なかった、ということである。
川を眺めていたのは、いつも見たこの光景を記憶に残したかったから。
僕に理由を伝えなかったのは、せっかく約束をしたのにドタキャンという形になって、申し訳なさが勝って伝える勇気が出なかったから。
「……ご、ごめんなさい、ごめんなさい! 東雲さんのお兄さんだったなんて」
「もう、大丈夫だよ。あはは……お兄ちゃん達って確かに、私から見ても少しチャラいし、間違えちゃったものは仕方ないし。それに……」
東雲さんは声を小さく漏らし、僕に言う。
「少し、格好良かったかな」
「……東雲さん」
かっ……カッコいい!? この、僕が……?
彼女の言葉が、心にふんわりと沈んでいく。急激に体温が上昇し、その場で硬直した。
恥ずかしさで目も見ることのできない焦りに、次に返す言葉を詰まらせる。ドキドキと心臓の音が鳴り止まない。
「……っいてて」
ふと、背の高いお兄さんがお腹を摩りながら立ち上がった。
忘れていた。勘違いしたとはいえ、なんだか悪いことしたなあ。
「あっ、お……お兄さん。ごめんなさい」
僕は咄嗟に頭を下げる。普通であれば、怒られてもいい案件だ。僕の身勝手な勘違いでお兄さん達を傷つけてしまったのだから。
砂利道を踏む音が、僕の前まで近づいてくる。
思わず目を閉じた瞬間、お兄さんは僕に告げた。
「頭、上げて」
「は、はい」
そう言われて冷汗を流しながら頭を上げる。
てっきり叱責されるのかと震えていたけれど、どうやらそうではないらしい。お兄さんの表情はとても柔らかかった。
「キミ、強いんだね」
「お兄さん――」
「はっはっは、七もこんな友達に恵まれて幸せものだ」
「もう、お兄ちゃんったら」
お兄さんは腰に手を当てて、高らかに笑う。一方の東雲さんも、恥ずかしそうに頬を膨らませた。
お兄さんは他のお兄さん達に声を掛けると、それぞれが僕に称賛を贈ると言葉を向けて、ゾロゾロと帰っていった。
知らなかったとはいえ、もっと怒声を浴びせられると思ったのに。東雲さんのお兄さんは、僕にとっての――神様だ。
彼女はお兄さんの背を見守ると、続けて告げる。
「えへへ、それじゃあ、もう行くね」
「……はい」
「また、ね」
「はい」
僕は口角を上げて、彼女の背を見続けた。
また、いつか会えるよね、きっと。
「もう、勘違いも甚だしいです。やれやれ、ですー」
相変わらず、空気の読めないエールが首を突っ込んだ。
まさに空気ブレイカーだ。
「うっ、それはエールだって同じだろ。お兄さんかどうかを見抜く能力はないのかよ」
「ふふん、聞いて驚けです。そんなものありません!」
「わかってる」
「薄くん!」
突如、僕の元へと戻ってきたのは東雲さんだった。
どうしたのだろうか、そう思わず目を丸くさせる。
「ど、どうしたの?」
僕が訊ねると、彼女は僕の手を取って紙切れを手のひらにおいた。
そして、小首を傾げて可愛く微笑んだ。
「薄くん、よかったら引っ越し先の家に遊びにきてね。いつでも歓迎するから」
「東雲さん……」
「それだけ。じゃあね、またね」
「はい!」
東雲さんに握られたその手は、彼女が去った後もしばらく感触が残っていた。
こうして僕の恋路は結局、付き合うまでいかずに終わった。
けれど、彼女とぐんと親しくなることができた。これは大きな一歩だと思う。
――後日。
出会って数日、今まで僕はエールを『役に立たないハエもどき』という目でしか見ていなかった。しかし今日、僕はエールをようやく、心より讃えることができた。
「エール、ありがとう! エールのおかげで、彼女と仲良くなれたよ」
「えっへん、まあそれほどでもないのですー」
「それじゃあ、今までありがとう。エールがいなくなるのは寂しいけど、今回の件で自分に自信がついたんだ。やればできるって」
「え、あー、それはよかったですねえ」
僕の声に対し、なぜか視線を逸らすエール。
不穏な空気を漂わせながら、僕は言葉を続ける。
「うん、だからエールも安心して帰っていいよ。これからも頑張るから。じゃあね」
「えー、倖、大変言いにくいのですが」
指をもじもじとさせ、エールは目を泳がせながら口を開いた。
「か、帰り方、わからな……迷い子、みたいな……?」
「……は?」
「これからもお世話になります、あっ! アイスはばにらでも我慢しますし、一日一本、ジュースを奢ってくれたらいいのですよ! あは、あははは!」
その後に『よろしくです!』と可愛くピースサインを額に当ててウインクをするエール。
うん、何となくわかってはいた。だからこそ、誉め称えて出て行かざるを得ない雰囲気を作り、無理やりに追い出そうとしたのに。
「よ、よろしくなのです! えへっ」
「……はあ」
こうして僕にまた一つ、不幸なことが増えた。