2話:不幸系男子、告白します~恋に障害はつきもの~前編
――翌日、僕はエールと一緒に登校した。
「なんでついてくるんだよ!」
「いいじゃないですか〜、私と幸の仲なのですよ!」
いつ僕が、着いてきていいなんて言った!?
エールは僕の肩の上にちょこんと座って、足をぶらぶら揺らしている。
この羽虫め。
それでも、誰一人として振り向かない。
まるでエールの存在そのものが、世界から切り離されているかのように、日常は流れていく。
(……僕以外には見えてないのか?)
そんな疑問を抱えたまま、学校の門をくぐった。
非日常に取り残されたような、当たり前の風景。
友達に声をかけられても、先生に話しかけられても、どう見たって“異質な存在”が肩に乗っているのに、誰も気づかない。
(うわぁ、これじゃますます僕がヤバいやつじゃん!)
「ゴー!なのですー!」
僕の心労なんてどこ吹く風で、エールは相変わらず元気だった。
いつものように、いつも通りに淡々と流れていく時間。
いつも通りの授業が繰り広げられる教室で、僕は神能人離という能力のことを頭の中でぐるぐると考えていた。
(神様レンタルかぁ……いったいどんな力なんだろう?)
楽しみ半分、不安半分。
なにせ、あの騒がしいだけの神様・エールの能力だ。嫌な予感しかしない。
「暇でずー! 暇暇ー!」
机に突っ伏して騒ぐエールを横目に、僕は誰にも聞こえないようにため息を吐いた。
そんな一日も、いつの間にか終わりを告げるチャイムが鳴る。
僕がすぐに席を立ち上がると、元気を取り戻したエールが裾を引っ張りながら声を張り上げた。
「幸、行くのですー! 愛の星が待っているのですよー!」
(少し黙ってろ!)
急かすエールの指示どおり、僕は呼吸を整える。
よしっと気合を入れて、東雲さんに声をかけようと彼女のそばに歩み寄った。
下校の準備をするために、せっせと鞄に教科書を詰める彼女。
周りが置き勉派の中で、なんて真面目なんだろう。
やっぱり彼女は、真面目で――現代の天使だ。
「あ、あの、あの、東雲さん!」
「……?」
僕の声に合わせて、振り向く東雲さん。
その瞬間、長い黒髪がふわりと揺れた。
シャンプーの香りだろうか。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
何もかもを見透かしてしまいそうな、澄んだ黒い瞳に――僕は心を打たれた。
「どうしたの? 薄くん」
「え? あ、あの、い……」
緊張で、まともに声が出ない。
頑張れ僕……!
自分に言い聞かせながら、震える拳を強く握りしめる。
「あ、あのっ! 今から、屋上にきていただけませんか!?」
い、言ってしまった――!!
一世一代の大勝負!!
緊張で呼吸が乱れ、心臓の鼓動がどんどん早まっていく。
彼女の返答はまだない。
やっぱり、僕みたいなやつは告白する資格なんてないのか……?
そう思いかけた、その時。
「うん、わかった」
優しい声色が、僕の全身を包んだ。
たったそれだけで、胸が勝手に舞い上がる。
「ほ、ほほ、本当でしゅかっ……噛んだ……」
「すぐ行くから、待っててね」
彼女は春の陽だまりのような微笑みで、にこりと笑った。
「ま、待ってますから!!」
「あー! 幸、待つのです〜!」
彼女に念押しするような一言を添え――
僕は理性を置き去りにして、屋上へ全力疾走した。
――屋上。
僕は改めて呼吸を整えて、東雲さんを待った。
「ほ、ほんとに……ほんとに大丈夫なんだよな?」
「まっかせなさいー、なのです!」
自信満々に、ない胸を張って得意げに言うエール。
……もうツッコむ元気すら出ない。
緊張で手が汗ばんでいるのが分かる。
明らかに挙動不審になっている自分を落ち着かせようと、何度も深呼吸を繰り返した。
そうしているうちに、屋上の扉が開く。
「ごめん、待った?」
その一言に、大きく首を横に振った。
「では、始めるのです!」
「う、うん、お願い……」
「……薄くん?」
エールと話す僕を、不思議そうに見つめる東雲さん。
やばい、これじゃ本格的に“痛い人”だ。
「あ、いやっ、なんでもないんだ! ……その、あの……」
焦りながらも、エールの力を信じて言葉を引き延ばす。
僕を背に、エールがぶつぶつと難しい言語を呟き始めた。
その声は、いつもの明るさが嘘のように低く冷たい。
空気が一瞬で張り詰め、風すら止まった。
「人を離れて、神よ来れ。彼の者に実りし果実を与えん――
我が弓受けしは恋の成就! 神能人離ロミエル!!」
決め台詞のように叫び、エールが僕の背中に軽く体当たりしてくる。
瞬間、眩い光が僕の体を包み込んだ。
暖かい。
不思議な感覚が、首筋から腕へと流れ込んでいく。
心臓が一度、大きく跳ねた。
(……これが神の力か)
次第に、手の中に光が形を取り――
淡い暖色の弓と矢が現れた。
それは、僕にしか見えない。
けれど確かに“在る”と分かる。
(これを彼女に向けて放てば、恋が……叶う)
神の意が、心に響く。
僕は深く息を吸い込み、弓を構えた。
足を前に出し、弦に光の矢を添えて――。
「東雲さん! 実は前から、僕は――」
――今だッ!!
『カーッ!!』
頭上で甲高い鳴き声が響いた。
「……うぎゃ!?」
黒い影が視界を横切り、背中をかすめた。
その瞬間、体の中の光が霧のように抜けていく。
弓矢は天に還るように、粒子となって消えた。
「か、かーらーすー! ですっ!!」
エールの悲鳴。
次の瞬間、僕の腕が地面に引っ張られるように重くなる。
「うわっ!? な、なんだよ!」
「カラス! カラス嫌ああ! エールの敵! 黒い悪魔ぁぁ! 気持悪いのですーっ!」
「痛い痛い! 引っ張るなぁっ!」
小さいくせに馬鹿みたいな力だ。
全体重で僕の腕にしがみつき、離れようとしない。
「え、えっと……薄くん? ど、どうしたの……?」
東雲さんが、まるで珍獣を見るような目で僕を見つめている。
そうだよな、彼女から見たら――
“何もない空間に向かって暴れるヤバいやつ”だ。
(マズい、誤解される! このままじゃ終わる!)
『もしかして』
東雲さんが小さく口を開いた。
「薄くん、鳥使いだったの?」
「鳥使いってなんですか!? 課金でジョブチェンジできますか!?」
純粋すぎる瞳で言い放たれ、ツッコむことすら忘れた。
「がーらーずーっ! 嫌ああ!」
「わかったから、もたれ掛かるなぁ!」
……混沌。
そのとき。
『ぼとっ』
嫌な音が、した。
恐る恐る腕に視線を移すと――白い、なにかが付着していた。
「うわああああっ!?」
絶叫。
よりによって、カラスのフンだった。
世界はなんて不条理なんだ。
「き、気持ち悪い……」
「からすー、からす嫌なのですぅ……びえーん!」
「わ、わかったから腕を離してぇ!」
どうしてこうなったんだ。
恋を叶えてくれるはずの神様に、まさか邪魔されるとは。
泣きじゃくるエールを抱えて、僕は東雲さんに一礼して踵を返そうとした。
「……薄くん」
その声に、足が止まる。
「ご、ごめんなさい。なんだか今日は色々あって、気分が悪いので帰ります。本当にすみません」
恥ずかしさで顔を上げられない。
視線を逸らしたまま、ただその場を離れようとする僕に――
東雲さんは、そっと歩み寄った。
そして、フンのついた僕の腕を取る。
「え……?」
自分のハンカチで、優しく拭ってくれた。
「ふふっ、帰ったら洗濯しなきゃね。ハンカチじゃ取れないっぽいし」
――天使だった。
「き、汚いですよ! わざわざ、フンなんて!」
それも、自分のハンカチで。
「いいのいいの、気にしないで。それより、薄くんは大丈夫なの? 腕、痛がってたみたいだけど」
それは全部、エールのせいだなんて言えるわけがない。
彼女の優しさに、顔が勝手に熱を帯びた。
「ぼ、僕の方は大丈夫です」
「そう、よかった。それで……話ってなに?」
――この状況で、話を聞くの!?
でも、それが彼女の魅力なんだ。
誰にでも優しく、まっすぐで。
「い、いえ、もういいんです。その……また今度でも」
「うん、いいよ。明日は学校お休みだし、お昼でいい?」
「……はいっ!」
結局、恋の弓は放てなかったけれど。
結果的に、僕は彼女と少しだけ距離を縮めることができた。
――その日、僕はるんるんと下校する。
いつもの、不幸を抱えて。
「大体、いつもどこから湧いてるんだよ、お前は!」
「わん、わんっ!」
「幸、何を遊んでいるのですか? 楽しいですか、犬との追いかけっこ」
「遊んでない! エール、お前の能力で犬を追い払えないのかよ!」
「えー、そんなちゃちなことに能力を使いたくないのですー」
エールは鼻で笑い、肩をすくめてみせた。
……こいつ。
僕は小さくため息をついて、視線を近所の河原へと向ける。
川は自治体でしっかり手入れされており、ゴミ一つない綺麗な水が、緩やかに流れている。
だけど僕の目を引いたのは、別の光景だった。
制服姿の黒髪の女の子――東雲七さん。
彼女は川面を見つめ、どこか悲しそうに立っていた。
その隣には、背の高い男の人の姿がある。
「……あれは」
なぜ、あんな顔をしているんだ?
放課後の屋上で話したときは、あんな表情じゃなかったはずなのに。
「……考えても、わかるわけない、か」
「わんっ!」
「どおっ!?」
気づけば、犬が全力で体当たりしてきた。
僕はあっけなくコンクリートに転がる。
投げ出された鞄に顔面を強打し、世界がぐるぐると回った。
「やれやれ、なのです」
呆れた様子でエールは、僕を一頻り嘲笑う。
『先に帰るのです』と言い残し、ひらひらと空へ飛び去っていった。
……帰ったら、しばいてやる。
――翌日のこと。
僕にとっての、最大の悲劇が訪れた。
昨日見た男のことをエールに相談すると、
『私の能力があれば大丈夫なのです、えっへん!』
と、いつになく偉そうに胸を張っていた。
でも、僕の胸に浮かぶのはひとつの不安。
――あれ、彼氏じゃないのか?
告白すらしていない僕には、確かめる資格なんてない。
けれど『彼氏持ち』という最悪の仮説が、何度も頭の中で反響する。
だから僕は“約束の時間を再確認する”という名目で、彼女に電話を掛けた。
ぶつっ。
独特の切り替わる音とともに、彼女の透き通った声が耳に届く。
『なあに、薄くん?』
「し、東雲さん……」
その声だけで、心臓が跳ねた。
電話越しなのに、鼓動の音が届いてしまいそうで怖い。
こんな天使みたいな子と話していいのは、きっと“彼氏”だけなんだ――そんな卑屈な考えが胸を刺す。
『もしかして、会う約束の……話?』
「え、はい」
彼女の声は昨日より低く、静かだった。
まるで何かを隠すように、少し間を置いてから口を開く。
『……急用が出来ちゃった。ごめんなさい』
「え?」
『また誘ってね。本当にごめんなさい。じゃあ――』
ぶつっ。
短い通話音とともに、繋がりが途切れた。
僕はしばらくスマホを握ったまま、何も考えられなかった。
心が、ずしんと沈んでいく。
期待という名の風船が、ひとつ破裂した音がした。
ふらふらと立ち上がり、リビングに投げ出していた布団へと潜り込む。
「どうしたのですかー? まさか電話越しにフラれちゃいましたか? きゃはは!」
エールの声が、今だけは耳障りだった。
「……あれ、幸、本当にどうしたのですか?」
「……もういいや。エールに頼ろうとした僕がバカだった」
「へ?」
そう呟いた僕は、ただ現実から逃げ出したかった。
考えれば考えるほど、悲観の泥沼に沈んでいく。
「今日の約束、断られたよ。それに昨日見た男……東雲さんは、やっぱり彼氏持ちだったのかな。うん、あんな可愛い子に彼氏がいないわけないよね」
「そんなの、まだわからないですよー」
「わかるよ! だって彼女は、他の男の告白を断ってるんだ! それが何よりの証拠じゃないか!」
思わず怒鳴ってしまった。
エールの言葉が慰めだとわかっていても、どうしても抑えられなかった。
エールは一瞬黙り込み、それから小さく息をついた。
「わかりました。では――本当に彼氏かどうか、調べにいきましょう」
「……調べる?」
まさかの返しに、思わず顔を上げる。
「そうです! もしかしたらまた、彼女があの河原にいるかもしれません!」
「……その根拠は?」
「犯人は現場に戻るといいますからね! けーじさんも言ってました!」
「一昔前の刑事ドラマの見過ぎだよ……」
布団を被り直し、エールをにらむ。
もうエールなんて信じない。――そう思ったのに、
その無邪気な笑顔を見ていると、不思議とどうでもよくなってくる。
「ね、外に出るのです」
「……うん」
ほんの少しだけ動いた足。
本当にあれが彼氏だったのか、確かめたいような、知りたくないような。
それでも僕は、促されるままに再び河原へと向かった。




